ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産論(連載第24回a)

2019-04-06 | 〆共産論[増訂版]

第4章 共産主義社会の実際(三):施政

(3)「真の民主主義」が実現する(続)

◇「ボス政治」からの脱却
 このようにして政治が非職業化されることによって、従来体制のいかんを問わず世界ではびこってきた「ボス政治」―政党幹部層が政治過程を壟断する政治慣習―からの脱却も実現するだろう。
 今日、各界で“強力なリーダー”を待望するリーダーシップ論が盛行し、なかでも政治の世界においては定番的論題となっている。人間は強力なリーダー=ボスなくしては動かないという信念(思い込み)は依然世界中で根強い。
 しかし、複雑化した人間社会にあって、単独ですべての物事を掌握し指導できるような超人は存在し得ない。“強力なリーダー”は幻であるか、途方もない圧政者であるかのいずれかでしかない。人類は猿より進化した霊長類であると豪語するが、ボスなくしては何一つできないならば、人類はまだ猿的段階を脱していないことになるであろう。現実にはボスなどいない方がかえって人間社会、とりわけ政治はうまく運営されていくのである。
 この点、民衆会議体制には大統領や首相、自治体首長に相当するような総裁職は一切置かれない。つまり、民衆会議には一人ですべてを束ねるようなリーダーは存在しないのである。
 そもそも、民衆会議体制の下では「ボス政治」の舞台となっている政党政治―この際、一党制か多党制かは重要な問題ではない―も一掃される。民衆会議体制の下での政党は他の任意的な政治団体と何ら区別されることなく平和的・合法的な活動の自由が保障されるが、代議員抽選制により政党ベースで民衆会議に参加することはできなくなる。
 そのことによって、一党制か多党制かを問わず、政党ボスに牛耳られてきた政治過程を民衆の手に移すことができるのである。それはまた、依然として世界に根強い男性中心の政治のあり方―政党ボスの大半は男性であるからして―をも変え、女性代議員の増加を保証するであろう。こうした新しい共産主義的民主主義のあり方を、月並みな表現ながら、「真の民主主義」と呼ぶこととする。 
 その点、伝統的に―まだ伝統となっていない諸国も残されているが―、議会制を民主主義と等置して「議会制民主主義」と表現することが定着しており、筆者自身、慣例に従いこの用語を使用してきたが、厳正にみれば、議会制のようないわゆる間接民主主義は「真の民主主義」に到達しておらず、「偽りの民主主義」とまでは言わないが、「疑似民主主義」とでも呼ぶべきものである。

◇多数決‐少数決制
 「真の民主主義」の顕現である民衆会議制度は、議決の方法に関しても、大きな革新を見せる。既存の議会制度では多数決が絶対原理とされている。しかし、少数意見を切り捨てにして、数の力で押し切るのは「真の民主主義」のあり方ではなく、多数派独裁にほからない。
 もっとも、法案やその他の議案について討議の末、最終的に議決するに際して、多数決を原則とする点では、合議体である民衆会議においても同様である。しかし、党派政治からも、ボス政治からも解放されている民衆会議は、多数決原理を絶対化しない。
 すなわち、多数決に際して票差が5パーセント未満にとどまる僅差の場合は否決とみなされ、僅差による多数決を容認しない。このような場合は、5パーセント未満の僅差まで迫った少数意見を尊重する趣旨からである。
 一方、5パーセント以上の差で多数決がなされた場合でも、出席代議員の3分の1 以上が反対票を投じたならば、多数決は暫定可決とし、3年後に再度採決にかける。これによって、将来、反対票に集約された少数意見が多数意見に転じ、新たな決議がなされる余地を開けておく趣旨である。
 その場合、暫定可決された法案は法律としていったん施行はされるが、3年後の再採決の結果、今度は否決されれば、当該法律は速やかに廃止されることになる。
 このように、多数決を原則としながらも少数意見を尊重する革新的な議決原則を多数決‐少数決制を呼んでおきたい。なお、ここで言う少数決とは多数決の対立概念ではなく、両立概念であることは、如上の論からも理解されるであろう。

◇大衆迎合の禁止
 「真の民主主義」と似て非なるものとして、大衆迎合政治がある。大衆迎合政治は、大衆におもねり、あるいは積極的に煽り、世論を操作して、偽りの多数意見を作り出す多数派独裁政治の一種であり、「真の民主主義」からは程遠いものである。それゆえ、大衆迎合政治から危険な独裁者が誕生する事例も、歴史上枚挙にいとまない。
 民衆会議は、こうした大衆迎合政治の対極にある制度である。そのことは単に理念としてのみならず、代議員が民衆会議において発議・討議・議決するに当たり、世論調査を実施したり、または外部の世論調査を参照すること外部のマスメディアの論調やインターネット上の匿名言説に影響されたりすることの禁止という行動規範として担保される。
 世論調査を民主主義を担保する科学的な手法とみなす向きもあり、実際、議会政治ではしばしば世論調査結果があたかも国民の意志のごとくに扱われることもあるが、世論調査はその利用者が得たい結果が得られるように質問内容や回答の集計が仕組まれており、科学的に装われた大衆迎合の手段にすぎない。
 民衆会議代議員はひとたび抽選され、就任すれば、外部からの影響を遮断したうえで、民衆会議が定める参照・照会の手続きに従ってのみ自律的に考案し、発議・討議・議決に参加しなければならず、これに違反することは、代議員規範の違反となるのである。


コメント    この記事についてブログを書く
« 共産論(連載第24回) | トップ | 共産教育論(連載第45回) »