ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

スウェーデン憲法読解(連載第18回)

2015-02-28 | 〆スウェーデン憲法読解

第八章 法律及びその他の法令(続き)

基本法及び議会法の制定

第一四条

基本法は、二度の同文の議決により制定される。一回目の議決により、基本法案は未決の状態で承認される。二回目の議決は、一回目の議決の後に全国規模の議会選挙が実施され、新たに選挙された議会が集会した時よりも前に行われてはならない。さらに、憲法委員会が例外について議決しない限り、最初に議案が本会議に通知された時点と選挙との間には、九か月以上経過しなければならない。この例外の議決は、遅くとも議案の審査までに行わなければならず、構成員の六分の五が当該議決に賛成票を投じなければならない。

 本条から第十六条までは、基本法すなわち憲法の制定手続に関する特則である。ただし、初めに述べたように、スウェーデン基本法はこの統治法のほかに、王位継承法、出版の自由に関する法律、表現の自由に関する基本法を含む計四法典の集合体であるので、本条以下の規定は、これら四法典すべての制定に適用される。
 基本法は最高法規であるから、一般法律よりも厳重な手続によって制定され、本条は議会選挙をはさんで二度の議決を要求している。議会選挙を要求するのは、基本法の制定に関して、原則的に国民投票が要求されないことの代替としてであろう。

第一五条

議会は、最初に承認された基本法案を同時に否決する場合を除き、他の未決の状態にある基本法案に抵触する基本法案を未決の状態で承認してはならない。

 本条は、複数の基本法案を同時に審議する場合に、相互に矛盾した法案が議決されることのないよう配慮した規定である。憲法が複数の法典から成る国ならではの規定と言える。

第一六条

1 一〇分の一以上の議員の動議が提出され、かつ、三分の一以上の議員が当該動議に賛成票を投じた場合には、未決の状態にある基本法案についての国民投票が行われなければならない。当該動議は、議会が当該基本法案を未決の状態で承認した時から五日以内に提出されなければならない。当該動議は、委員会において審査してはならない。

2 当該国民投票は、第一四条に規定する議会の選挙と同時に実施される。当該国民投票に際しては、議会の選挙の投票権を有する者が未決の状態にある基本法案を承認するか否かを表明することができる。当該基本法案に反対した者が賛成した者よりも多く、かつ、反対票を投じた者の人数が議会選挙の際に投じられた有効投票の半数を超えている場合には、当該基本法案は否決される。他の場合には、議会は、最終審査のために当該基本法案を上程する。

 基本法制定に際して、原則的に国民投票は行なわれないが、議会の判断により、基本法制定過程での議会選挙に付随して国民投票が行なわれることがある選挙で信を問うだけでは済まされない場合に、有権者に直接賛否を問う趣旨である。

第一七条

1 議会法は、第一四条第一文から第三文まで及び第一五条に規定する方法により制定される。また、議会法は、投票者の四分の三以上かつ議員の過半数が議決に賛成票を投じた場合には、一回の議決のみにより制定することができる。

2 ただし、議会法における補足規定は、法律一般と同一の方法により制定される。

3 第一項の規定は、第二条第一項第四号に規定する法律の改正にも適用される。

 議会手続や議会の内部事項の詳細を定める議会法(国会法)は基本法を構成しないが、その重要性に鑑み、その制定は基本法に準じる。ただし、議会選挙は不要で、かつ所定の場合には一回の議決で決してよいものとされる。さらに、補足規定については通常の法律と同様の手続で制定できる。
 また、宗教的共同体に関する法律の制定も議会法の制定に準じる。歴史上王室主導での宗教改革を経験したスウェーデンにおける宗教問題の重要性を反映した規定である。

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スウェーデン憲法読解(連載第17回)

2015-02-27 | 〆スウェーデン憲法読解

第八章 法律及びその他の法令

 議会及び政府に関する章に続く本章では、議会及び政府が担う基本法(憲法)を含む諸法令の制定権限や制定・改廃手続きに関する詳細な規定がまとめられている。法治国家原則の具体化とも言える。

第一条

1 法令は、議会により法律を通じて、政府により命令を通じて制定される。法令は、議会又は政府の授権の後、政府以外の機関又は自治体により制定することもできる。

2 法令の制定に関する授権は、常に法律又は命令によらなければならない。

 議会の法律、政府の命令を軸とし、法令の委任も許容される体系は、日本ともほぼ同じである。ただし、自治体による法令制定は常に議会又は政府の授権によらなければならない点では、法律の範囲内で自治体独自の条例制定を認める日本国憲法よりも自治体の法令制定権が制約されている。

法律を通じて制定される法令

第二条

1 次の各号に掲げる事項は、法律により制定されなければならない。

一 個人の私的地位及びその相互間の私的及び経済的な関係

二 個人の義務に関連し、又は他の点において、個人の私的若しくは経済的状況を侵害するような個人と公的機関との関係

三 自治体の組織及び活動形式の原則、自治体税の原則並びに他の自治体の権限及びその責任

四 宗教的共同体及び宗教的共同体としてのスウェーデン教会のための原則

五 全国的規模の諮問的国民投票及び基本法問題に関する国民投票の際の手続

六 欧州議会選挙

2 この統治法及びその他の基本法の他の規定に基づき、ある内容の法令を法律を通じて制定すべきこともある。

 本条第一項は、全国的に統一された内容を原則として必ず議会の法律で定めておくべき六つの事項を列挙している。第二項は、その他個別に規定される法律事項に関する注意規定である。本条の規定により、議会の立法権に留保された権限内容が明確になる。

政府により制定される法令

第三条

1 議会は、第二条第一項第二号及び第三号に規定する法令の制定を政府に授権することができる。ただし、当該法令は、次の各号に掲げる事項を規定してはならない。

一 罰金以外の犯罪に対する法律効果

二 物品の輸入関税を除く税

三 破産又は強制執行

2 議会は、第一項に規定する授権を含む法律において、当該授権に基づき政府により制定される法令の違反について、罰金以外の犯罪に対する法律効果も制定することができる。

 本条から第六条までは法律による委任命令に関する規定である。ここでも委任できる事項が明確に規定されている。本条は最も基本的な授権規定であるが、政府の委任命令に罰金刑以外の刑罰を規定することは禁止されている。

第四条

議会は、義務の履行の際の猶予に関して、第二条第一号から第三号までに規定する法令の制定を政府に授権することができる。

第五条

議会は、次の各号に掲げる事項について規定する法令の制定を政府に授権することができる。

一 当該法律を施行すべき時期

二 当該法律の一部を施行すべき時期又は失効させるべき時期

三 他の国又は国際機関との関係における当該法律の適用

第六条

この統治法に基づく授権により、政府が制定した法令は、議会が決定した場合には、審議のために議会に提出される。

 委任命令であっても、議会の決定があれば、法律に準じて議会の審議にかける規定である。政府に丸投げせず、議会審議を重視する趣旨である。

第七条

1 政府は、第三条から第五条までの規定に加え、次の各号に掲げる法令を制定することができる。

一 法律の執行に関する命令

二 基本法に基づき、議会により制定すべきものとされていない法令

2 第一項に規定する法令は、議会又は議会所属機関について規定してはならない。政府は、第一項第二号の規定により自治体の税について規定する法令を制定してはならない。

 本条は政府が授権によらず独自に制定できる命令の範囲を定める規定である。この点、第一項第一号の執行命令はともかくとして、第二号で独立命令がかなり広範に認められているのは、スウェーデン憲法の実際的な特徴を示している。

第八条

政府がある一定の問題について法令を制定することができることは、議会が同一の問題について法令を制定することを妨げない

 政府の排他的立法権を否定する注意規定である。法令制定の中心があくまでも議会に存することを確認する趣旨である。

議会及び政府以外の機関により制定される法令

第九条

議会は、次の各号に掲げる事項について、第二条第一項第二号に規定する法令の制定を自治体に授権することができる。

一 公課

二 自治体内の交通状況の規制を目的とした税

 本条は自治体への授権法に関する規定である。第一条に関連して述べたように、スウェーデンでは自治体固有の条例制定権は認められていない。

第一〇条

議会は、この章の規定に基づき、ある一定の問題についての法令の制定を政府に授権した場合には、政府が行政機関又は自治体に当該問題についての法令の制定を授権することを併せて認めることができる。

 本条は、政府への委任命令が認められる場合における政府から行政機関又は自治体への再委任を認める規定である。

第一一条

政府は、政府の下の機関又は議会所属機関のうちのいずれかに第七条の規定に基づく法令の制定を授権することができる。ただし、議会所属機関への授権は、議会又は議会所属機関の内部事項を定めてはならない。

 政府の執行命令や独立命令の制定を政府機関や議会所属機関に委任する政府からの委任立法に関する規定である。ただし、議会やその所属機関の内部事項は議会の権限に留保される。

第一二条

第一〇条又は第一一条の規定に基づく授権により政府の下の機関により制定された法令については、政府が決定した場合には、審査のために政府に提出される。

 委任命令が議会の決定により議会審議に付されるのと同様に、再委任命令や政府委任命令についても、政府の決定により政府の審査に付される。

第一三条

1 議会は、法律により国立銀行に対し、第九章に規定する責任分野内で、かつ、安定的で効果的な支払制度を促進する義務に関する問題について、法令の制定を委任することができる。

2 議会は、議会又は議会所属機関の内部事項について定める法令の制定を議会所属機関に授権することができる

 本条第一項は、一定の範囲で国立銀行にも委任命令の制定を認める規定である。これにより、中央銀行の地位にあるスウェーデン国立銀行は限定的な立法権を有する。
 第二項は、第一一条但し書きで議会の権限に留保された議会や議会所属機関の内部事項について、議会所属機関への委任命令を認めるものである。

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晩期資本論(連載第30回)

2015-02-25 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(5)

相対的過剰人口がときには恐慌期に急性的に現われ、ときには不況期に慢性的に現れるというように、産業循環の局面転換によってそれに押印される大きな周期的に繰り返し現われる諸形態を別とすれば、それにはつねに三つの形態がある。流動的、潜在的、滞留的形態がそれである。

 マルクスは、相対的過剰人口について、かなり詳細な類型化を試みている。それによると、相対的過剰人口はまず大きく、恐慌や不況期の大量解雇を契機に発生する非常時相対的過剰人口と、好況期も含めて常に存在する常時相対的過剰人口とに分かれ、後者がさらに流動的、潜在的、滞留的の三種に分かれる。

近代産業の中心―工場やマニュファクチュアや精錬所、鉱山など―では、労働者はときにははじき出され、ときにはいっそう大量に再び引き寄せられて、生産規模にたいする割合では絶えず減っていきながらも、だいたいにおいて就業者の数は増加する。この場合には過剰人口は流動的な形態で存在する。

 これは主として製造業分野の相対的過剰人口であり、最も中核的なプロレタリアートに属するが、この分野では、「資本による労働力の消費は非常に激しいので、中年の労働者はたいていすでに多かれ少なかれ老朽してしまっている。彼は過剰人口の隊列に落ちこむか、またはより高い等級からより低い等級に追い落とされる」。
 ただし、晩期資本主義では工場のオートメーション化の進展及び産業構造の転換に伴い、こうした第一次産業分野の労働者の過剰人口の流動性は低下している。

資本主義的生産が農業を占領するやいなや、または占領する程度に応じて、農業で機能する資本が蓄積されるにつれて、農村労働者人口にたいする需要は絶対的に減少するのであるが、ここでは、農業以外の産業の場合とは違って、労働者人口の排出がそれよりも大きな吸引によって埋め合わされることはないであろう。それゆえ、農村人口の一部分は絶えず都市プロレタリアートまたはマニュファクチュア・プロレタリアートに移行しようとしていて、この転化に有利な事情を待ちかまえているのである。

 これが二番目の潜在的相対的過剰人口に相当する。実のところ、資本主義的生産が農業を占領するという現象は、晩期資本主義に至ってもさほど顕著には生じていないため、まさにこれは「潜在的」な存在である。
 とはいえ、発達した資本主義社会では家族農業の衰退の中で、農村人口の都市プロレタリアートやマニュファクチュア・プロレタリアートへの移行はすでに大規模に生じており、この部分はすでに第一の流動的過剰人口もしくは第三の滞留的過剰人口に吸収されていると言えるだろう。

相対的過剰人口の第三の部類、滞留的過剰人口は、現役労働者軍の一部をなしているが、その就業はまったく不規則である。したがって、それは、自由に利用できる労働力の尽きることのない貯水池を資本に提供している。その生活状態は労働者階級の平均水準よりも低く、そして、まさにこのことがそれを資本の固有な搾取部門の広大な基礎にするのである。

 「蓄積の範囲とエネルギーとともに「過剰化」が進むにつれて、この(滞留的)過剰人口の範囲も拡大される」。まさに蓄積の範囲とエネルギーがグローバルに拡大した現在、非正規労働力の拡大という形でこの滞留的過剰人口がまさに巨大な「貯水池」として広がってきている。
 特に産業構造の転換に伴い、第三次産業の層が増した晩期資本主義では、商業プロレタリアートの滞留的過剰化が顕著に進んでいる。この点、商業資本の構造が取り上げられる第三巻最終篇に至って、「本来の商業労働者は、賃金労働者の比較的高給な部類に属する」にもかかわらず、「国民教育の普及は、この種の労働者を以前はそれから除外されていたもっと劣悪な生活様式に慣れていた諸階級から補充することを可能にする」ため、競争が増し、「彼らの労働能力は上がるのに、彼らの賃金は下がる」という矛盾が指摘されている。
 この滞留的過剰人口にあっては、「出生数と死亡数だけではなく、家族の絶対的な大きさも、労賃の高さに、すなわちいろいろな労働者部類が処分しうる生活手段の量に、反比例する」。すなわちどれほど働いても低賃金を抜け出せないワーキングプアの構造である。マルクスは、「このような資本主義社会の法則は、未開人のあいだでは、または文明化した植民地人のあいだでさえも、不合理に聞こえるであろう。この法則は、個体としては弱くて迫害を受けることの多い動物種族の大量的再生産を思い出させる。」と書きつけている。
 教育の普及という文明化が商業労働力の価値低下につながるという上述の矛盾とともに、資本主義的「文明」は人間的な生活維持にとって実は不合理であるという文明的矛盾が鋭く突かれている。

最後に、相対的過剰人口のいちばん底の沈殿物が住んでいるのは、受救貧民の領域である。野宿者や犯罪者や売春婦など、簡単に言えば本来のルンペンプロレタリアートを別にすれば、この社会層は三つの部類から成っている。

 相対的過剰人口のさらに下層に位置するのが、この受救貧民層であり、それもルンペンプロレタリアートとして分離され得る最底辺層と本来的な三種の受救貧民層とに大別される。三種の第一は労働能力のある者、第二は孤児や貧児、第三は堕落した者、零落した者、労働能力のない者である。
 こうした「受救貧民は相対的過剰人口とともに富の資本主義的な生産および発展の一つの存在条件になっている。この貧民は資本主義的生産の空費〔faux frais〕に属するが、しかし、資本はこの空費の大部分を自分の肩から労働者階級や下層中間階級の肩に転嫁することを心得ているのである」。
 資本主義諸国が何らかの形で備えている生活保護制度がこうした「転嫁」の典型的なものであるが、その財源は労働者階級や下層中間階級にとっては負担の軽くない租税によっている。とりわけ、消費税は労働者階級の生活手段への課税という性格が強い。

・・・(産業)予備軍が現役労働者軍に比べて大きくなればなるほど、固定した過剰人口はますます大量になり、その貧困はその労働苦に反比例する。最後に、労働者階級の極貧層と産業予備軍とが大きくなればなるほど、公認の受救貧民層もますます大きくなる。これが資本主義的蓄積の絶対的な一般法則である

 マルクスは、資本主義的蓄積の法則について、こう総括している。近年の日本における生活保護世帯の急増も、この「蓄積法則」によってかなりの程度説明がつく。

最後に、相対的過剰人口または産業予備軍をいつでも蓄積の規模およびエネルギーと均衡を保たせておくという法則は、ヘファイストスのくさびがプロメテウスを釘づけにしたよりもっと固く労働者を資本に釘づけにする。それは資本の蓄積に対応する貧困の蓄積を必然的にする。だから、一方の極での富の蓄積は、同時に反対の極での、すなわち自分の生産物を資本として生産する階級の側での、貧困、労働苦、奴隷状態、無知、粗暴、道徳的堕落の蓄積なのである。

 マルクスはこう述べて、こうした背反的な傾向性を「資本主義的蓄積の敵対的な性格」と表現している。ここでまたしても、彼は資本家階級と労働者階級の対立の必然性という政治学的なモチーフを滲ませている。
 実際、資本の蓄積と貧困の蓄積が同伴必然的なならば、貧困を撲滅するには資本蓄積を廃絶しなければならないはずであるが、それは資本主義の死を意味している。そこから、資本主義を残しつつ、貧困を撲滅しようという“人道主義”の無効性が認識されるのである。

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晩期資本論(連載第29回)

2015-02-24 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(4)

・・・蓄積の進行につれて、一方ではより大きい可変資本が、より多くの労働者を集めることなしに、より多くの労働を流動させるのであり、他方では同じ大きさの可変資本が同じ量の労働力でより多くの労働を流動させるのであり、最後により高度な労働力を駆逐することによってより多くのより低度な労働力を流動させるのである。

 「どの資本家にとっても、その絶対的関心事は、一定量の労働をより少数の労働者から搾り出すことであって、同様に廉価に、またはよリ以上に廉価に、より多数の労働者から絞り出すことではない」。そこで、資本家としては、既存労働力の外延的または内包的な搾取の増大により、新規労働力を抑制しつつ、新規労働力を非正規労働力に置換することで、産業予備軍を作り出す。

それゆえ、相対的過剰人口の生産または労働者の遊離は、そうでなくとも蓄積の進行につれて速くされる生産過程の技術的変革よりも、またそれに対応する不変資本部分に比べての可変資本部分の比率的減少よりも、もっと速く進行するのである。

 資本間のグローバルな競争関係が増した晩期資本主義では、相対的過剰人口の形成速度はますます増している。一方で、就業中の過少労働力にも負担がのしかかる。

労働者階級の就業部分の過度労働はその予備軍の隊列を膨張させるが、この予備軍がその競争によって就業部分に加える圧力の増大は、また逆に就業部分に過度労働や資本の命令への屈従を強制するのである。

 就業中の現役過少労働力に長時間労働による何人分もの成果が要求されることで、失業・半失業の予備軍は増大するが、「産業予備軍は沈滞や中位の好況の時期には現役の労働者軍を圧迫し、また過剰生産や発作の時期には現役軍の要求を抑制する」という形で現役軍を競争的に脅かすことで、現役労働者はいっそうの過度労働や無理な業務命令への服従を余儀なくされていく。現役労働者にとっても、労働はストレスに満ち、時に過労死/自殺を結果するものとなる。

だいたいにおいて労賃の一般的な運動は、ただ、産業循環の局面変転に対応する産業予備軍の膨張・収縮によって規制されているだけである。だから、それは、労働者人口の絶対数の運動によって規定されているのではなく、労働者階級が現役軍と予備軍とに分かれる割合の変動によって、過剰人口の相対的な大きさの増減によって、過剰人口が吸収されたり再び遊離されたりする程度によって、規定されているのである。

 労働市場における賃金水準の決まり方について、マルクスは資本の膨張・収縮によって労働の需給とそれに応じた賃金水準が定まるのではなく、まさに景気変動の中での産業予備軍の膨張・収縮によって定まるという逆説的な見方を提示している。

一方で資本の蓄積が労働にたいする需要をふやすとき、他方ではその蓄積が労働者の「遊離」によって労働者の供給をふやすのであり、同時に失業者の圧力は就業者により多くの労働を流動させることを強制して或る程度まで労働の供給を労働者の供給から独立させるのである。この基礎の上で行なわれる労働の需要供給の法則の運動は、資本の専制を完成する。

 産業予備軍の調節を通じて回っていく労働市場は、労働者の生殺与奪を資本が掌握する専制権力を作り出す。ここでまた『資本論』に特徴的な政治学的な視座が示されている。

それだからこそ・・・・・・、彼ら(労働者たち)が、彼ら自身のあいだの競争の強さの程度はまったくただ相対的過剰人口の圧力によって左右されるものだということを発見するやいなや、したがってまた、彼らが労働組合などによって就業者と失業者との計画的協力を組織して、かの資本主義的生産の自然法則が彼らの階級に与える破滅的な結果を克服または緩和しようとするやいなや、資本とその追随者である経済学者は、「永遠な」いわば「神聖な」需要供給の法則の侵害について叫びたてるのである。

 ここで、マルクスは就業者と失業者の計画的な協力組織の有効性を提言している。言い換えれば、現役軍と予備軍の共闘である。直後の箇所では「就業者と失業者の連結は、すべて、かの法則の「純粋な」働きをかき乱す」とも指摘している。マルクスは労働組合が現役労働者の利益代弁者であるだけでなく、失業者の利益代弁者であることも期待していたのである。
 この貴重な提言がその後の労働運動に生かされることなく、労組が現役労働者の利益団体として定着したことは、労働運動の「攪乱力」をも弱化させていると言えよう。

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晩期資本論(連載第28回)

2015-02-23 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(3)

資本主義的蓄積は、しかもその精力と規模とに比例して、絶えず、相対的な、すなわち資本の平均的な増殖欲求にとってよけいな、したがって過剰な、または余剰的な労働者人口を生みだすのである。

 資本蓄積が進行すれば、それだけより多くの労働力が必要とされ、究極的には夢の完全雇用が達成されるのではないか。単純に考えればそうなるが、実際のところ、資本主義社会で完全雇用が達成された試しはない。資本主義社会は好況時であっても恒常的に失業を伴う。このことは、資本主義社会に生きる者であれば誰でも経験的に知っているが、なぜそうなるのか。

正常な蓄積の進行中に形成される追加資本は、特に、新しい発明や発見、一般に産業上の諸改良を利用するための媒体として役だつ。しかし、古い資本も、いつかはその全身を新しくする時期に達するのであって、その時には古い皮を脱ぎ捨てると同時に技術的に改良された姿で生き返るのであり、その姿では多くの機械や原料を動かすのに前よりも少ない労働量で足りるようになるのである。

 マルクスは、より抽象的な表現で「資本の蓄積は最初はただ資本の量的拡大として現れたのであるが、それが、・・・・・資本の構成の不断の質的変化を伴って、すなわち資本の可変成分を犠牲として不変成分の不断の増大を伴って、行なわれるようになるのである。」ともまとめている。より具体的には、「蓄積の進行につれて、不変資本部分と可変資本部分との割合が変わって、最初は1:1だったのに、2:1、3:1、4:1、5:1、7:1というようになり、したがって、資本が大きくなるにつれて、その総価値の二分の一ではなく、次々に、三分の一、四分の一、五分の一、六分の一、八分の一、等々だけが労働力に転換されるようになり、反対に三分の二、四分の三、五分の四、六分の五、八分の七、等々が生産手段に転換されるようになるのである」。

 それ(労働にたいする需要)は総資本の大きさに比べて相対的に減少し、またこの大きさが増すにつれて加速的累進的に減少する。総資本の増大につれて、その可変成分、すなわち総資本に合体される労働力も増大するにはちがいないが、その増大の割合は絶えず小さくなって行く。

 このような割合的・相対的に過剰化される労働力という意味で、マルクスはこれを「相対的過剰人口」と呼び、資本蓄積に伴いこうした労働者の相対的過剰化が進むことを、「資本主義的生産様式に特有な人口法則」と規定している。これは過剰人口を労働者人口の絶対的な過度増殖から論じようとしたマルサスの人口論に対するアンチテーゼとしても対置されている。

それ(相対的過剰人口)は自由に利用されうる産業予備軍を形成するのであって、この予備軍は、まるで資本が自分の費用で育て上げたものでもあるかのように、絶対的に資本に従属しているのである。この過剰人口は、資本の変転する増殖欲求のために、いつでも搾取できる人間材料を、現実の人口増加の制限にはかかわりなしに、つくりだすのである。

 マルクスは相対的過剰人口を産業予備軍という軍事的な用語でも言い換えている。ただ、「資本への絶対的従属」という表現はいささか勇み足のようである。産業予備軍はまさに予備役兵のように必要に応じて召集を待機している存在であり、待機中はフリーな存在であるから、絶対的な従属関係とは言えない。ただ、直前の箇所でより適切に説明されているように、「・・この過剰人口は、資本主義的蓄積の槓杆に、じつに資本主義的生産様式の一つの存在条件になる」という意味において、産業予備軍は資本の別働隊である。

近代産業の特徴的な生活過程、すなわち、中位の活況、生産の繁忙、恐慌、沈滞の各時期が、より小さい諸変動に中断されながら、一〇年ごとの循環をなしている形態は、産業予備軍または過剰人口の不断の形成、その大なり小なりの吸収、さらにその再形成にもとづいている。

 資本主義社会には景気変動がつきものであるが、その周期的変転に際しては、産業予備軍からの「人間材料」の出し入れを通じて、労働力の需給調節がなされていく。その結果―

近代産業の全運動形態は、労働者人口の一部分が絶えず失業者または半失業者に転化することから生ずるのである。

 最初に問題提起したように、資本主義社会が常に失業を伴うゆえんである。ところが、「(古典派)経済学の浅薄さは、とりわけ、産業循環の局面転換の単なる兆候でしかない信用の膨張や収縮をこの転換の原因にしているということのうちに、現れている」。金融主導の資本主義が進行した晩期資本主義社会では、専ら金融の観点からのみ景気変動を解析しようとする部分思考が横行しがちであるが、マルクスによればそうした発想は「浅薄」なものである。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(14)

2015-02-22 | 〆リベラリストとの対話

12:環境計画経済について⑤

リベラリスト:あなたの環境計画経済論でかねてより気になっていたことは、流通の問題が見えないことです。あなたは資本主義の優位性を消費の豊かさに見ているようですが、私見では生産者と消費者(原料や資材の消費者も含む)とをつなぐ流通ネットワークの構築こそが、資本主義市場経済の最大の強みだと考えています。逆に計画経済は流通が苦手分野であり、そのために物流が停滞しがちなのです。

コミュニスト:痛いところを突かれました。たしかに、流通について『共産論』はあまり明確に論じていません。しかし流通を軽視しているのではなく、流通のシステムは資本主義市場経済ほど発達しなくとも、十分に物流を確保できると考えるからです。

リベラリスト:どういうことでしょう。まさか荷馬車を復活させようというのでは・・・。

コミュニスト:西部劇とは違います。本来、計画経済はさほど流通を必要としないのです。特に食糧に代表される日用品は地産地消を原則としますから、長距離輸送は必要としません。消費事業組合直営の輸送サービスでまかなえると思います。

リベラリスト:あなたの提案では計画対象企業は環境負荷的な分野に限定し、その余は自由生産に委ねるのでしたね。そうした自由生産分野の物品の流通はどうなりますかね。

コミュニスト:おそらく郵便事業と後で述べる運輸事業機構の個別サービスでカバーできると思います。ちなみに貨幣経済は廃止されることが前提ですから、料金を気にかける必要はありません。

リベラリスト:それはよいとして、原料や資材といった生産者が必要とする物財については、大型の長距離輸送が必要ですが、これはどうしますか。

コミュニスト:そうした調達物流に関しては、運輸事業機構のような大規模な企業体が必要となります。これについては、『共産論』でも計画対象企業とし、「二酸化炭素の排出量の増加傾向が目立つ運輸部門は、少なくとも陸上貨物輸送についてはトラック輸送と鉄道輸送を単一の事業機構に統合化したうえ、長距離トラック輸送の制限と鉄道輸送の復権とを計画的に実行する必要がある。」とも指摘しているところです。

リベラリスト:国際間、いや、国家も廃止するというあなたの用語では“民際”間の物流は?

コミュニスト:商業貿易は廃されるということを前提に、不足産品の補充的な海外調達の問題になりますが、それには航空輸送が引き続き活用されるでしょう。同時に、周辺からの調達ならより環境的に持続可能な海上輸送の復権もあると思います。

リベラリスト:相当煩雑になりそうで、いわゆるロジスティクスの低下は避けられないのではないでしょうか。

コミュニスト:一見複雑ですが、むしろシステムとしては市場経済的ロジスティクスよりはるかに単純です。市場経済では無数の企業が複雑に入り組み、かえって物流を煩雑で非効率にしているため、ロジスティクスを研究しなければならないのです。

リベラリスト:経験論的に言えば、現実の資本主義的物流は実際ひどく入り組んでいるわりには、日々滞ることなく、なかなかスムーズに動いていますよね。なぜなのかを一度研究してみることをお勧めしますよ。「神の手」を感じられるかもしれません。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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「軍部」復活元年か

2015-02-22 | 時評

政府が自衛隊発足以来の原則であった「文官統制」を廃止して、制服自衛官幹部が直接に防衛大臣を補佐する体制に転換する防衛省設置法改正法案を3月国会に上程する方針を固めたという。

文官統制は、自衛隊を指揮する内閣総理大臣や防衛大臣に文民を当てるだけでなく、その下のレベルでも防衛大臣への進言などの補佐権限は防衛省の文民官僚の任務とし、文民が武官を統制する仕組み(文民統制)の一部を成してきた。

旧憲法下の軍部は統帥権独立の原則に基づき、文民政府から独立した部門を構成したため、戦前にはクーデターで軍事政権を樹立するまでもなく、文民政府を操縦する形で軍部支配を実現することができた。このことが軍部独走の一因ともなったという反省から、戦後自衛隊では文民大臣が文官を介して武官を指揮するという二重の文民統制が構築されてきたのであった。

それを撤廃すれば、大臣が文民であっても、幕僚長ら制服自衛官の意向が文官を介さず直に大臣に反映されることで、文民統制は大きく揺らぐことになる。

その大臣にしても、退職自衛官は「文民」とみなせるとの形式解釈に基づき、自衛官出身者が防衛大臣に就任する前例はすでに存在しているので、自衛官出身の防衛大臣、さらには現時点では前例のない自衛官出身の内閣総理大臣の時に文官統制が存在しなければもはや文民統制はないも同然である。

ところが、制服自衛官たちは文官統制では「背広組が制服組より上位になる」―それがまさに文民統制の本旨なのだが―として敵視し、その撤廃を宿願としてきた。今回の改正法案もOB政治家らを通じた10年来の「運動」の成果である。すでに自衛隊は議会政治を通じて政治的な力を備えているのだ。

併せて自衛隊の部隊運用(作戦遂行)を制服組主体とする「一体的運用」も導入することで、制服組は文民統制を骨抜きにして大きな自立性を獲得し、事実上の「軍部」としての政治的な発言力も持つに至るだろう。並行して進められている広範囲にわたる集団的自衛権の具体化が実現すれば、「軍部」独走の再現も現実のものとなる。

自民党改憲案には国防軍の保持という明白な再軍備宣言が書き込まれていることからして、今般改正法が今年度中に可決成立すれば、後から振り返って2015年は「軍部」復活元年として記憶されることになるかもしれない。

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中国憲法評解(連載第6回)

2015-02-20 | 〆中国憲法評解

第二七条

1 すべての国家機関は、精鋭・簡素化の原則を実行し、職務責任制を実施し、職員の研修及び考課制度を実施して、絶えず執務の質及び能率を高め、官僚主義に反対する。

2 すべての国家機関及び国家公務員は、人民の支持に依拠して、常に人民との密接なつながりを保ち、人民の意見と提案に耳を傾け、人民の監督を受け入れ、人民のために奉仕することに努めなければならない。

 本条から第一章末尾の第三二条までは、主に治安・軍事・行政の基本原則を定めているが、本条は全国家機関・公務員に共通する活動上・執務上の規範を定めている。その中心は反官僚主義と人民への奉仕であるが、現状は本条の目標から遠い状況にあるようである。

第二八条

国家は、社会秩序を維持保護し、国家に対する反逆及び国の安全に危害を及ぼすその他の犯罪活動を鎮圧し、社会治安に危害を及ぼし、社会主義経済を破壊し、及びその他の罪を犯す活動を制裁し、犯罪分子を懲罰し、改造する。

 国家の体制護持の責務を定めている。反体制活動に対する厳格な取締りの直接的な根拠となる規定である。中国憲法が国家権力の統制よりも、社会の統制に関心を向けていることをよく物語る規定である。

第二九条

1 中華人民共和国の武装力は、人民に属する。その任務は、国防を強固にし、侵略に抵抗し、祖国を防衛し、人民の平和な労働を守り、国家建設の事業に参加し、人民のために奉仕することに努めることである。

2 国家は、武装力の革命化、現代化並びに正規化による建設を強化し、国防力を増強する

 軍に関する原則を定める本条は第一項で武装力を人民に属すると宣言するが、実際上、中国軍(人民解放軍)は今なお共産党の武装力(党軍)という性格が強い。ただし、第二項では武装力の現代化並びに正規化も謳っており、法律上国家の常備軍と規定される人民解放軍は実質的な国軍としての装備と機能を備えるに至っている。
 一方、第一項で軍は国家建設の事業にも参加するとされ、国防にとどまらない広範な活動領域を与えられている。これは中国の特徴である軍独自の経済活動の根拠ともなる規定であり、軍の経済利権問題につながるところである。

第三〇条

1 中華人民共和国の行政区画の区分は、次の通りである。

一 全国を省、自治区及び直轄市に分ける。
二 省及び自治区を自治州、県、自治県及び市に分ける。
三 県及び自治県を郷、民族郷及び鎮に分ける。

2 直轄市及び比較的大きな市を区及び県に分ける。自治州を県、自治県及び市に分ける。

3 自治区、自治州及び自治県は、いずれも民族自治地域である。

 本条は、地方行政区分に関する規定である。憲法上は省‐県‐郷の三層構造であるが、実際上は省と県の中間に地区が存在する四層で運営される。地方自治制ではなく、中央集権制の地方区分である。自治区/州/県はいずれも民族自治地域とされるが、自治権の範囲は限定されている。

第三一条

国家は、必要のある場合は、特別行政区を設置することができる。特別行政区において実施する制度は、具体的状況に照らして、全国人民代表大会が法律でこれを定める。

 特別行政区は、いわゆる一国二制度の下で本国とは別の法体系による高度の自治権が付与される区域であり、現時点では香港とマカオがそれに該当する。

第三二条

1 中華人民共和国は、中国の領域内にある外国人の適法な権利及び利益を保護する。中国の領域内にある外国人は、中華人民共和国の法律を遵守しなければならない。

2 中華人民共和国は、政治的原因で避難を求める外国人に対し、庇護を受ける権利を与えることができる。

 本条は、外国人の扱いに関する基本原則を定めている。第一項は国際法上当然の確認規定であるが、第二項は亡命権を正面から認めた規定である。同様の規定を持った旧ソ連憲法からの影響と考えられる。

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中国憲法評解(連載第5回)

2015-02-19 | 〆中国憲法評解

第一九条

1 国家は、社会主義の教育事業を振興して、全国人民の科学・文化水準を高める。

2 国家は、各種の学校を開設して、初等義務教育を普及させ、中等教育、職業教育及び高等教育を発展させ、かつ、就学前の教育を発展させる。

3 国家は、各種の教育施設を拡充して、識字率を高め、労働者、農民、国家公務員その他の勤労者に、政治、文化、科学、技術及び業務についての教育を行い、自学自習して有用な人材になることを奨励する。

4 国家は、集団経済組織、国の企業及び事業組織並びにその他社会の諸組織が、法律の定めるところにより、各種の教育事業に取り組むことを奨励する。

5 国家は、全国に通用する共通語を普及させる。

 本条から第二六条までは、主として国家の社会事業に関する役割が列挙されている。国家社会主義体制では、国家が教育文化や公衆衛生などの諸事業を幅広く主導的に展開することが特色であり、これも旧ソ連憲法からの影響と考えられる。
 その筆頭の本条が教育事業で始まっていることは、巨大な農村人口を抱え、啓発教育に重点を置く中国的な特色である。第四条は集団経済組織や企業が直営する学校制度という労働と教育の結合を象徴する政策の根拠であったが、社会主義市場経済の現在では逆に、大学が企業を設立する形態(校弁企業)が発展している。

第二〇条

国家は、自然科学及び社会科学を発展させ、科学知識及び技術知識を普及させ、科学研究の成果並びに技術の発明及び創造を奨励する。

 前条の教育事業と並んで、国家が科学振興事業にも主導的な役割を負うことを定めている。具体的には、国立研究機構としての中国科学院及び社会科学院として制度化されている。

第二一条

1 国家は、医療衛生事業を振興して、現代医薬と我が国の伝統医薬を発展させ、農村の集団経済組織、国家の企業及び事業組織並びに町内組織による各種医療衛生施設の開設を奨励及び支持し、大衆的な衛生活動を繰り広げて、人民の健康を保護する。

2 国家は、体育事業を振興して、大衆的な体育活動を繰り広げ、人民の体位を向上させる。

 教育・科学振興事業に関する前二条に対し、本条は国家の医療衛生・体育振興事業に関する役割を定めている。体育事業に関しては長く国家体育委員会が指導機関であったが、1998年以降は国家体育総局に改組された。

第二二条

1 国家は、人民に奉仕し、社会主義に奉仕する文学・芸術事業、新聞・ラジオ・テレビ事業、出版・発行事業、図書館・博物館・文化館及びその他の文化事業を振興して、大衆的文化活動を繰り広げる。

2 国家は、名勝・旧跡、貴重な文化財その他重要な歴史的文化遺産を保護する。

 本条は、メディアを含む文化事業に関する国家の役割を定めている。第一項で「人民に奉仕し、社会主義に奉仕する」という限定句が付せられているのは、反対解釈として、「人民に敵対し、社会主義に敵対する」文化活動は抑圧されることを示唆している。ひいては、検閲制度の根拠ともなるだろう。

第二三条

国家は社会主義に奉仕する各種専門分野の人材を育成して、知識分子の隊列を拡大し、条件を整備して、社会主義現代化建設における彼らの役割を十分に発揮させる。

 本条は前条に関連し、「社会主義に奉仕する」知識人の育成を定めた規定である。ここでも、反対解釈として、「社会主義に敵対する」知識分子は抑圧されることになる。

第二四条

1 国家は、理想教育、道徳教育、文化教育及び規律・法制教育の普及を通じて、都市と農村とを問わず諸分野の大衆の間で各種の守則と公約を制定し、実施することにより、社会主義精神文明の建設を強化する。

2 国家は祖国を愛し、人民を愛し、労働を愛し、科学を愛し、社会主義を愛するという社会の公徳を提唱し、人民の間で愛国主義、集団主義、国際主義及び共産主義の教育を進め、弁証法的唯物論及び史的唯物論の教育を行い、資本主義、封建主義その他の腐敗した思想に反対する。

 本条は、前条よりも一般的な思想教育の根拠となる規定である。とりわけ、第二項では「資本主義、封建主義その他の腐敗した思想に反対する。」と宣言されており、思想統制の根拠ともなる規定である。

第二五条

国家は、計画出産を推進して、人口の増加を経済及び社会の発展計画に適応させる

 産児統制を国家の役割として明記する本条は、大人口を抱え、人口調節が国の存亡に関わる中国ならではの規定である。いわゆる「一人っ子政策」の根拠となる。

第二六条

1 国家は、生活環境及び生態環境を保護し、及びこれを改善し、汚染その他の公害を防止する。

2 国家は、植樹・造林を組織及び奨励し、樹木・森林を保護する。

 本条は環境保護に関する国家の役割を規定している。しかし、環境的持続可能性の原則については言及がない。第二項で特に植林・造林が明記されているのは、砂漠化の進行防止が重要な環境課題となっていることを反映するものであろう。

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スウェーデン憲法読解(連載第16回)

2015-02-14 | 〆スウェーデン憲法読解

第七章 政府の活動

 本章は、政府(内閣)の活動に関する細則を定めている。そこでは政府が透明性を確保しつつ、合理的に活動できるようにするための工夫が見られる。

政府官房及びその職務

第一条

政府の事務を準備するため、並びに政府並びに大臣を他の活動において補佐するため、政府官房を設置しなければならない。政府官房には、様々な活動部門に関する省庁が所属する。政府は、その事務を省庁ごとに分配する。総理大臣は、大臣の中から省庁の長を任命する。

 政府官房は、日本の内閣官房に相当する政府の中枢部署であるが、単なる調整機関ではなく、各省庁を包括することで、縦割りのセクショナリズムを防止しようとするものと考えられる。

事務の準備

第二条

政府の事務の準備に際しては、関係する機関から必要な情報及び意見が収集されなければならない。情報及び意見は、必要な範囲内で、自治体からも収集されなければならない。団体及び個人にも、必要な範囲内で、意見を述べる機会が与えられなければならない。

 政府の活動準備に当たり、自治体を含む関係機関からの情報・意見収集、さらにはパブリックコメントの機会の保障が義務づけられている。政府の活動が独善に陥らないための工夫である。

第三条

1 政府の事務については、政府により閣議の際に決定する。

2 ただし、国防軍内における法令又は特別な政府の決定の執行に該当する政府の事務は、法律に定める範囲内で、総理大臣の監督の下、当該事務が属する省庁の長により決定することができる。

第四条

総理大臣は、他の大臣を閣議に招集し、閣議を主宰する。閣議には、少なくとも五人の大臣が出席しなければならない。

第五条

閣議の際には、省庁の長が当該省庁に属する事務についての報告者となる。ただし、総理大臣は、当該省庁に属する一つの事務又は一連の事務が当該省庁の長とは別の大臣によって報告されるよう、指示することができる。

 政府の事務は原則として閣議の決定事項とされ、政府の活動中心が閣議にあることを明確にするとともに、閣議の出席要件や決定方法、報告方法は合理化され、全体して効率的な意思決定ができるように工夫されている。

議事録及び反対意見

第六条

閣議に際しては、議事録が作成されなければならない。反対意見は、当該議事録に記録されなければならない。

 反対意見を明記した閣議議事録の作成が、憲法上義務づけられている。このように閣議に全員一致を求めず、反対意見もあえて記録に残すことは、第一章第一条で宣言された意見の自由を基調とするスウェーデン民主主義の現れとも読める。

第七条

法令、議会への提案及び発すべき他の決定は、効力を有するためには、政府の名の下に総理大臣又は他の大臣による署名が行われなければならない。ただし、政府は、命令により、特別の場合に、発すべき決定に対して、公務員が署名することができるようにしなければならない旨の規定を定めることができる。

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スウェーデン憲法読解(連載第15回)

2015-02-13 | 〆スウェーデン憲法読解

第六章 政府

 国家元首の規定に続く本章及び次章は、政府とその活動に関する規定である。スウェーデンは、立憲君主制をベースとする議院内閣制を採るため、政府の基本的な仕組みは日本の内閣制度とも類似するが、より「濃厚」な議院内閣制である。

政府の構成

第一条

1 政府は、総理大臣及び他の大臣により構成される。

2 総理大臣は、第四条から第六条までの規定に従い選出される。総理大臣は、他の大臣を任命する。

第二条

1 大臣は、スウェーデン市民でなければならない。

2 大臣は、いかなる雇用もなされてはならない。大臣は、その信用を失墜する可能性のあるいかなる任務も引き受けてはならない。

 政府の構成は日本の内閣とほぼ同じであるが、第二条で大臣はスウェーデン市民であることに加え、厳格な職務専従義務が課せられている点が注目される。

選挙後の総理大臣の表決

第三条

1 新たに選挙された議会は、集会から二週間以内に、表決により、総理大臣が議会において十分な支持を得ているか否かに関する問題について審議しなければならない。議員の過半数が反対を表明した場合には、総理大臣は、辞任しなければならない。

2 総理大臣がすでに辞任している場合には、表決は、実施されない。

 総理大臣は、日本のように新規議会ごとに任命し直すのではなく、辞任しない限り、信任の審議と表決を受けるだけで足りる。これにより、総理大臣の在任期間が比較的長くなり、日本の議院内閣制においてありがちな短期間で頻繁に総理大臣が交代することがなくなる。

政府の形成

第四条

1 総理大臣を選出すべき場合には、議長は、議会内の各会派の代表者を協議のために招集する。議長は、副議長と協議し、その後、議会に提案を行う。

2 議会は、四日以内に、委員会における事前審査を経ずに、当該提案の審議を表決により行う。議員の過半数が当該提案に反対票を投じた場合には、当該提案は否決される。他の場合には、承認される。

第五条

議会が議長の提案を否決した場合には、第四条の規定に基づく手続が繰り返されなければならない。議会が四回議長の提案を否決した場合には、当該手続が中断され、議会の選挙が実施された後、再開されなければならない。通常選挙が三か月以内に実施されない場合には、同期間内に特別選挙を実施しなければならない。

第六条

1 議会が新しい総理大臣に関する提案を承認した場合には、総理大臣は、可能な限り速やかに他の大臣を議会に対し、通知しなければならない。その後、国家元首または国家元首に支障がある場合には、議長の臨席する特別の閣議の際に、政府の交代が行われる。議長は、常に当該閣議に招かれなければならない。

2 議長は、議会の名の下に総理大臣の任命文書を発行する。

 スウェーデン議会は小党にも配慮された比例代表制に基づく多党制であるため、総理大臣の選出に当たっても、会派協議が鍵となり、場合によっては総理大臣が選出されない可能性もあるため、第五条のような再選挙の規定が用意されている。
 一連の総理大臣選出手続を主宰するのは議長であり、最終的に議会を代表して総理大臣を任命するのも議長である。内閣総理大臣の形式的な任命を天皇がする日本とは異なり、スウェーデンの議院内閣制はまさに議院=内閣の制度であると言える。

総理大臣又は他の大臣の罷免

第七条

1 議会が総理大臣又は他の大臣が議会の信任を得ていないと宣言した場合には、議長は、当該大臣を罷免する。ただし、政府が議会に特別選挙を求めることができ、かつ、不信任の宣言から一週間以内に当該選挙を公示する場合には、罷免は行われない。

2 選挙後の総理大臣に関する表決を理由とする総理大臣の罷免については、第三条において定める。

第八条

大臣は、本人が希望する場合には、総理大臣については議長により、他の大臣については総理大臣により、職を免ぜられる。総理大臣は、他の場合においても大臣を罷免することができる。

第九条

総理大臣が辞任した場合又は死亡した場合には、議長が他の大臣を罷免しなければならない。

 第七条第一項は、内閣不信任による議会の解散に相当する規定である。議長はこうした総理大臣や他の大臣の罷免の手続においても、主宰者的な役割を果たす。

総理大臣代理

第一〇条

総理大臣は、他の大臣の中から、総理大臣代理の資格で、支障が発生した際に総理大臣のために総理大臣の職務を遂行する者を選出することができる。総理大臣代理が選出されなかった場合又は総理大臣代理に支障があった場合には、最も長い期間大臣を務めている現職の大臣がその者に代わって総理大臣の職務を遂行する。二人以上の大臣が同期間大臣を務めている場合には、年長の者が代行する。

 総理大臣代理は日本の副総理に相当する代理職である。副総理同様、任命は任意的であるが、任命されない場合の総理大臣代理代行者の順位まで憲法上周到に定めてあるのは、スウェーデン憲法の実際的な特色と言える。

暫定政府

第一一条

政府のすべての大臣が辞任した場合には、その職務は、新しい政府が引き継ぐまで継続する。総理大臣以外の大臣が自らの希望により辞任した場合で、総理大臣が職務の継続を望むときは、後任の者が引き継ぐまで当該大臣は、その職務を継続する。

議長の支障

第一二条

議長に支障が生じた場合には、副議長がこの章の規定に基づき議長が有する職務を代行する。

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スウェーデン憲法読解(連載第14回)

2015-02-12 | 〆スウェーデン憲法読解

第五章 国家元首

 スウェーデンは立憲君主制を維持しており、国王または女王が国家元首として憲法上明確に位置づけられている一方で、日本の天皇の国事行為のように元首の権限の内容が明確には定められていない。日本国憲法の場合は、天皇を国家元首として明記しない一方で、国の象徴としての形式的な権限を明確に定めている。この相違は、近世以降、王室が民主化に一役買ってきた歴史を持つがゆえに尊重されるスウェーデンと、皇室が民主主義の外で伝統的権威の所在として崇拝される日本の歴史的な相違を反映していると考えられる。

第一条

第一章第五条の規定により、王位継承法の規定に従い、スウェーデン王位を継承する者が国の元首となる。

第二条

スウェーデン市民で、かつ、一八歳に達している者のみが国家元首として職務を遂行することができる。国家元首は、同時に大臣であってはならず、議長又は議員としての職務を遂行してはならない。

 国家元首も議員と同じく、18歳を最低年齢としている。従って、18歳未満の国王又は女王は国家元首とはなれない。君主と国家元首の職務は区別されていることになる。さらに、国家元首は政府や議会のメンバーを兼職できず、政治的権能を持たない。

第三条

1 国家元首は、総理大臣により国の状況について報告を受けなければならない。必要な場合には、政府は、国家元首の主宰の下、閣議を開く。

2 国家元首が外国に旅行する前に、総理大臣と協議しなければならない。

 国家元首は政治的権能を持たないが、単なる象徴でもなく、国の状況報告を受け、必要な場合には閣議を主宰するなど、スウェーデン立憲君主制は日本の象徴天皇制ほどに政治的無権能化されていないことがわかる。

第四条

国家元首である国王又は女王がその職務を遂行するのに支障がある場合には、支障がない王室の構成員が有効な王位継承順位に従い、臨時の摂政として、国家元首の任務を遂行するためにその任に就く。

第五条

1 王室が断絶した場合には、議会は、当面の間国家元首の任務を遂行しなければならない摂政を選挙する。議会は、同時に副摂政を選挙する。

2 国家元首である国王又は女王が死亡した場合又は退位した場合で、王位継承者がまだ一八歳に達していないときも同様とする。

第六条

国家元首である国王又は女王が連続して六か月の間、その任務を遂行しなかった場合又は遂行できなかった場合には、政府は、議会に報告しなければならない。議会は、国王又は女王が退位したものとみなすべきか否かを議決する。

第七条

1 第四条又は第五条の規定に従えば、いかなる者も権限をもって職務を遂行することができない場合には、議会は、政府による指名の後、ある者を臨時の摂政として職務を遂行するよう、選挙することができる。

2 権限を有する他のいかなる者も職務を遂行することができない場合には、議長又は議長に支障があるときは副議長が、政府による指名の後、臨時の摂政として職務を遂行する。

 第四条から第七条までは、摂政に関する詳細な規定が続く。王室断絶の場合まで想定した周到な規定は、近世に至り現ベルナドッテ朝に定まるまで王朝交替が頻繁だった歴史を反映しているものと思われる。同時に、共和制の歴史がないため、立憲君主制維持を憲法的な既定路線としていることをも示唆している。

第八条

国家元首である国王又は女王を、その行為を理由として訴追することはできない。摂政を、その国家元首としての行為を理由として、訴追することはできない。

 国家元首及び摂政の訴追免責特権である。第一章第二条第一項が謳う公権力行使の平等性に対する例外である。ただし、摂政については国家元首としての行為以外の行為を理由としてなら、訴追できる。

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晩期資本論(連載第27回)

2015-02-10 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(2)

これまでは、どのようにして剰余価値が資本から生ずるのかを考察しなければならなかったが、今度は、どのようにして資本が剰余価値から生ずるかを考察しなけければならない。剰余価値の資本としての充用、または剰余価値の資本への再転化は、資本の蓄積と呼ばれる。

 前回見た単純再生産はすべての経済社会が持続していくうえでの必須条件であり、資本主義社会の場合、それは剰余価値の生産過程として現れるが、資本主義社会の特質は、それだけでなく、剰余価値がさらに資本に転化されることで、鼠算的な資本の増殖・蓄積がなされていくことである。マルクスは、その資本蓄積過程について、次のような簡単な紡績業の具体例をもって説明する。

たとえばある紡績業者が一万ポンド・スターリングの資本を、その五分の四は綿花や機械などに、残りの五分の一は労賃に、前貸ししたとしよう。彼は一年間に一万二千ポンド・スターリングの価値ある二十四万重量ポンドの糸を生産するものとしよう。剰余価値率を100パーセントとすれば、剰余価値は、総生産物の六分の一に当たる四万重量ポンドの糸という剰余生産物または純生産物のうちに含まれており、この生産物は販売によって実現されるはずの二千ポンド・スターリングという価値を持っている。

そこで、新しく加わった二千ポンドという金額を資本に転化させるために、他の事情がすべて不変ならば、紡績業者はこの金額の五分の四を綿花などの買い入れに、五分の一を新たな紡績労働者の買い入れに前貸しするであろう。そして、これらの労働者は、紡績業者が彼らに前貸ししただけの価値をもつ生活手段を市場でみいだすであろう。次に、この新たな二千ポンドの資本が紡績業で機能し、それはまた四百ポンドの剰余価値をうみだすのである。

 上例の流れを、マルクスは次のように一般化して説明し直している。

蓄積するためには、剰余生産物の一部分を資本に転化させなければならない。だが、奇跡でも行なわないかぎり、人が資本に転化させうるものは、ただ、労働過程で使用できる物、すなわち生産手段と、そのほかには、労働者の生活維持に役だちうる物、すなわち生活手段とだけである。したがって、年間剰余労働の一部分は、前貸し資本の補填に必要だった量を越える追加生産手段と追加生活手段との生産にあてられていなければならない。ひとことで言えば、剰余価値が資本に転化できるのは、それをになう剰余生産物がすでに新たな資本の物的諸成分を含んでいるからにほかならないのである

次にこれらの成分を実際に資本として機能させるためには、資本家階級は労働の追加を必要とする。すでに使用されている労働者の搾取が外延的にも内包的にも増大しないようにするとすれば、追加労働力を買い入れなければならない。そのためにも資本主義的生産の機構はすぐまにあうようになっている。というのは、この機構は労働者階級を労賃に依存する階級として再生産し、この階級の普通の賃金はこの階級の維持だけではなくその増殖をも保証するに足りるからである。

 上記の記述中、「すでに使用されている労働者の搾取が外延的にも内包的にも増大しないようにするとすれば」という仮定は最も楽観的なものであって、実際上資本家は労働者の搾取を少なくとも内包的には増大させるべく努め、その分追加労働力の買い入れを極力絞り込もうとする。マルクスの具体例はわかりやすくするため、剰余価値率100パーセントというそれ以上の搾取を必要としない率に設定しているが、実際のところ労働基準法の縛りなどから剰余価値率100パーセントの達成は困難である。
 一方で、追加労働力の買い入れを第三者企業(派遣会社)に委託することで、蓄積を増やそうとする非正規労働力への置換戦略は賃金水準の低下をもたらし、労働者階級の増殖を保証できなくさせ、将来の労働力人口の激減を予測させるものとなっている。そのことは、資本主義経済の本質である資本蓄積にも打撃を与える結果となる。

生産の流れのなかでは、およそすべての最初に前貸しされた資本は、直接に蓄積された資本に比べれば、すなわち、それを蓄積した人の手のなかで機能しようと、他の人々の手のなかで機能しようと、とにかく資本に再転化した剰余価値または剰余生産物に比べれば、消えてなくなりそうな大きさ(数学的意味での無限小〔magnitudo evanescens〕)になる。

 つまり、マルクスが前例を使って言い直しているところによれば、「最初の一万ポンドの資本は二千ポンドの剰余価値を生み、それが資本化される。新たな二千ポンドの資本は四百ポンドの剰余価値を生む。それがまた資本化されて、つまり第二の追加資本に転化されて、新たな剰余価値八十ポンドを生み、また同じことが繰り返される」。
 厳密には一致しないが、株式会社企業の資本金に相当するものをいちおう原資の前貸し資本とみなせば、この拡大的な蓄積の理はよく理解できるであろう。

・・・資本主義的生産の発展は一つの産業企業に投ぜられる資本がますます大きくなることを必然的にし、そして、競争は各個の資本家に資本主義的生産様式の内在的な諸法則を外的な強制法則として押しつける。競争は資本家に自分の資本を維持するために絶えずそれを拡大することを強制するのであり、また彼はただ累進的な蓄積によってのみ、それを拡大することができるのである。

 資本主義を特徴づける螺旋拡大的な蓄積は、単に貨幣蓄蔵者のような貪欲さから生じるのではなく、競争が資本家に法則的に強制するものだという。すなわち「貨幣蓄蔵者の場合に個人的な熱中として現れるものは、資本家の場合には社会的機構の作用なのであって、この機構のなかでは彼は一つの動輪でしかないのである」。この意味において、マルクスは資本家を「人格化された資本」と呼ぶ。
 このように資本主義的蓄積を一つの社会的機構の作用として把握するシステム論的な視座は、続く第二巻、第三巻でより分析的に展開されていくだろう。

蓄積のための蓄積、生産のための生産、この定式のなかに古典派経済学はブルジョワ時代の歴史的使命を言い表した。

 強制法則として押し付けられる資本蓄積とは、蓄積自体が自己目的と化した蓄積である。「古典派経済学にとっては、プロレタリアはただ剰余価値を生産するための機械として認められるだけだとすれば、資本家もまたただこの剰余価値を剰余資本に転化するための機械として認められるだけである」。現在でも支配的な古典派経済学はこうした機械論的発想をいっそう進め、資本主義の機構的な仕組みを地球規模で強化しようとしている。

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晩期資本論(連載第26回)

2015-02-09 | 〆晩期資本論

六 資本蓄積の構造(1)

 『資本論』第一巻は、全体として「資本の生産過程」に焦点を当てており、全巻の土台を成す巻であるが、その最後を飾る第七篇は「資本の蓄積過程」と題され、第一巻の総まとめとして、マルクスによれば剰余価値の生産を軸とする資本蓄積の構造が、より抽象度を増す形で、叙述されている。

生産過程は、その社会的形態がどのようであるかにかかわりなく、連続的でなければならない。社会は、消費をやめることができないように、生産をやめることもできない。それゆえ、どの社会的生産過程も、それを一つの恒常的な連関のなかで、またその更新の不断の流れのなかで見るならば、同時に再生産過程なのである。

 これは、生産様式のいかんを問わず、普遍的に妥当する定理である。逆言すれば、再生産過程が途絶したとき、その社会は滅亡する。「もし生産が資本主義的形態のものであれば、再生産もそうである」。その資本主義的再生産とはいかなるものか―。

・・・労働者自身は絶えず客体的な富を、資本として、すなわち彼にとって外的な、彼を支配し搾取する力として、生産するのであり、そして資本家も絶えず労働力を、主体的な、それ自身を対象化し実現する手段から切り離された、抽象的な、労働者の単なる肉体のうちに存在する富の源泉として、生産するのであり、簡単に言えば労働者を賃金労働者として、生産するのである。このような、労働者の不断の再生産または永久化が、資本主義的生産の不可欠の条件なのである。

 マルクスは、同じことをもう少し抽象度を上げて、「彼(労働者)がこの過程(生産過程)にはいる前に、彼自身の労働は彼自身から疎外され、資本家のものとされ、資本に合体されているのだから、その労働はこの過程のなかで、絶えず他人の生産物に対象化されるのである。」とも述べている。
 この定理の中には、「自己疎外」という一昔前に流行語として風靡した術語が見えるほか、別の箇所では「他人の不払労働の物象化」という表現で言い換えられた「物象化」の概念も含まれている。
 講学的には、しばしばマルクス哲学の「疎外論」と「物象化論」を区別し、青年期の「疎外論」が壮年期以降の「物象化論」に転回したとのとらえ方もなされることがあるが、両者は実質上同じことを観点を異にして表現しているにすぎないことが上掲箇所から理解される。

・・・社会的立場から見れば、労働者階級は、直接的労働過程の外でも、生命のない労働用具と同じに資本の付属物である。労働者階級の個人的消費でさえも、ある限界のなかでは、ただ資本の再生産過程の一契機でしかない。

 労働者は賃金を自分自身の生活の資に充てるが、それとて、「絶対的に必要なものの範囲内では、労働者階級の個人的消費は、資本によって労働力と引き換えに手放された生活手段の、資本によって新たに搾取されうる労働力への再転化である。それは、資本家にとって最も不可欠な生産手段である労働者そのものの生産であり再生産である」。

個人的消費は、一方では彼ら自身の維持と再生産とが行なわれるようにし、他方では、生活手段をなくしてしまうことによって、彼らが絶えず繰り返し労働市場に現れるようにする。ローマの奴隷は鎖によって、賃金労働者は見えない糸によって、その所有者につながれている。

 ここで、「生活手段をなくしてしまうことによって」とは、「賃金以外の生活手段」と補わなければ意味をなさないであろう。つまり、まさに労働者を「生かさぬように、殺さぬように」が資本の再生産戦略であり、このような意味において、マルクスは資本主義的賃金労働者を「賃金奴隷」と呼んだのである。ただ、真の奴隷と異なり、賃金奴隷が「自由」な存在者に見える「賃金労働者の自立という外観は、個々の雇い主が絶えず替わることによって、また契約という擬制によって、維持されているのである」。

労働者階級の再生産は、同時に、世代から世代への技能の伝達と累積とを含んでいる。このような熟練労働者階級の存在を、どんなに資本家が自分の所有する生産条件の一つに数え、この階級を実際に自分の可変資本の現実的存在とみなしているかということは、恐慌にさいしてこのような階級がなくなるおそれが生ずれば、たちまち明らかになる。

 日本でも、「失われた十年」の間の大量リストラでこうした熟練労働者階級を整理したことの代償が指摘される。ただ、情報化が進んだ晩期資本主義では、熟練技能に頼るべき労働が減少し、大資本ではむしろ未熟練労働者を安く使い捨てにする戦略に移行しており、熟練労働者不足は、今なお熟練労働に頼る中小資本において深刻になるだろう。資本間での格差問題である。

こうして、資本主義的生産過程は、連関のなかでは、すなわち生産過程としては、ただ商品だけではなく、ただ剰余価値だけではなく、資本関係そのものを、一方には資本家を、他方には賃金労働者を、生産し再生産するのである。

 資本主義的再生産の大きな構造をまとめる公理である。ここでも、マルクスは経済的な言葉で、資本主義においては、資本家階級と労働者階級の固定化が必然的であることを政治的に示そうとしている。『資本論』が経済学書の形態を持った政治学書であるゆえんである。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(13)

2015-02-08 | 〆リベラリストとの対話

11:環境計画経済について④

リベラリスト:あなたは『共産論』の中で、「消費生活の豊かさは、資本主義が最も華々しい勝利を収めたフィールドであった」と指摘しています。たしかに、消費を計画経済によって適切に規律することは困難であり、消費(広くは流通)を自由市場に委ねる資本主義の優位性は否定できないように思われます。

コミュニスト:消費を自由市場に委ねると言われますが、実際のところ、消費を誘引する需要は生産企業によって作り出され、操作されています。ですから、資本主義の場合も、統一的な計画こそ存在しないとはいえ、個別資本のマーケティングに基づく経営計画によって消費はコントロールされているのです。資本主義的な消費者とは、まるで口を開けて親鳥の給餌を待つ雛鳥のようなものです。

リベラリスト:でも、あなたも認めているように、資本主義はそういう「給餌」のシステムをしっかりと構築できたからこそ、今や労働者層からも受容されているのではないでしょうか。少なくとも、社会主義時代の旧ソ連・東欧の風物詩だった物不足、商店前での大行列を望む人はいないでしょう。

コミュニスト:たしかに、必需品の物不足は困りますが、必要のない有益品や贅沢品の物不足で困る人はいないでしょう。資本主義で平常時に物不足が生じることはまずありませんが、それは有益品や贅沢品まで含めた物全般の過剰生産のゆえです。つまり、物不足ならぬ物余りです。その非効率性と廃棄物による環境負荷は許容限度を越えています。

リベラリスト:しかし、現在の計量経済技術では、需要を的確に予測して、過不足なく生産するシステムを構築することはほぼ不可能ですから、「消費計画」は机上論だと思います。

コミュニスト:そうでしょうか。現在でもどのような物がどのくらい消費されるかは各業界である程度把握できており、データはあるはずです。また、私の提案にかかる環境計画経済における地方的な消費計画には消費者も参加し、また恒常的にモニタリングもするので、消費者と生産者の間での双方向的なコミュニケーションが行われ、消費者が何をどれだけ望んでいるかが可視化されます。決して、一方通行の机上的計画ではないのです。

リベラリスト:あなたの提案では、生産と消費を分離し、生産は中央計画ですが、消費は地方ごとに分権化してしまうのでしたね。しかし、生産と消費は一体のもので、両者を分離することは、先のような生産者・消費者の双方向性に矛盾するのではないですか。

コミュニスト:消費とは、本質的に地方的なものですから、消費の中央計画はそれこそ混乱のもとです。一方、中央計画の対象範囲は、環境負荷的な基幹産業ですから、生活必需品の生産にかかる産業分野は含まれません。ただ、地方の消費計画機関―消費事業組合―も中央の共同計画にオブザーバー参加し、消費の側から意見することができる仕組みにしますから、生産と消費が乖離する心配はないと思います。

リベラリスト:消費計画機関とされる「消費事業組合」なるものも、私には今一つイメージが湧かないのですが、それは日本の生協組織のようなものですか。

コミュニスト:外観的なイメージとしては、そのとおりです。しかし、内実は生協とは異なり、消費事業組合は地方圏が運営し、各地方圏住民(例えば近畿消費事業組合であれば近畿地方圏の住民、アメリカなら今日の州のレベルの住民)を自動的加入の組合員とする特殊な公的事業体であり、同時にそれ自身が消費計画機関でもあります。

リベラリスト:そう言われても、アメリカ人にはなかなかピンと来ませんがね。少なくとも、世界一自由な消費人であるアメリカ人の心をとらえるかどうかは疑問です。

コミュニスト:たしかに、アメリカ型消費モデルとは対極にある消費モデルでしょう。しかし、アメリカ型消費モデルの環境負荷性は、アメリカ人自身も気がつき始めていると思います。中国やインドがアメリカ型消費モデルに完全移行する前に、何とか共産主義的変革をしないと、地球の損傷は致命的なものとなりかねません。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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