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近代科学の政治経済史(連載第41回)

2023-01-27 | 〆近代科学の政治経済史

八 科学と政治の一体化:ソヴィエト科学(続き)

基礎医学の政治化
 生物学におけるルイセンコ学説の体制教義化は、生物学の応用分野でもある基礎医学にも波及することとなった。特にオルガ・レペシンスカヤが提唱した無生物から生物が自然発生するという非細胞生物理論はルイセンコ学説に次ぐ疑似科学理論であった。
 レペシンスカヤは医師・医学者であり、ソヴィエトにおける女性科学者の草分けの一人と言える人物であったが、ルイセンコと同様にメンデル遺伝子理論を否定しつつ、生物の発生という基礎的な問題について、如上の無生物からの発生という新理論を立てたのであるが、これも検証されず、捏造証拠に基づく疑似科学に過ぎなかった。
 無機物の結晶は核酸を添加することによって細胞に変換することができるとか、細胞が顆粒に崩壊することによって増殖し、若返り的に親細胞とは異なる新形態の細胞を生成するなどと主張するレペシンスカヤの所論はどこか2014年に発覚した日本の理化学研究所のSTAP細胞説に通ずるところがあり、理論の実証のために証拠を捏造するというレペシンスカヤの方略も論文不正が発覚したSTAP細胞問題に似る。
 レペシンスカヤ学説にも批判は向けられたが、スターリン(及びルイセンコ)から支持されたことで、スターリン時代の体制教義の地位を獲得し、反対説が封じられたのはルイセンコ学説と同様の経過である。
 これも、レペシンスカヤが革命前からの熱心なボリシェヴィキ党員・活動家として、ルイセンコ以上にソヴィエト体制と深い関係を築いていたという政治的な要因によっていた。彼女は、1944年に設立されたソ連邦医学アカデミーの実験生物学研究所でも高い地位を保持した。
 一方、スターリン政権の指示によって1950年に開催されたソ連邦科学アカデミーとソ連邦医学アカデミーの合同学術会議「パヴロフ会議」は、基礎医学系諸科学全般に及ぶイデオロギー統制の始まりとなった。
 この会議に冠せられたパヴロフとは、帝政ロシア時代の1904年にノーベル賞を受賞した生理学者イヴァン・パヴロフの名にちなんでいる。条件反射研究で名を残すパヴロフ自身は、ロシア革命後、いったんは迫害されかけ、海外亡命を申請するも、頭脳流出を懸念したレーニンによって一転厚遇され、ソヴィエト体制下でも研究活動が保証されていた。
 パヴロフは1936年に死去していたが、1950年の合同会議はパヴロフ理論を体制教義化することで西側の生理学及び精神医学に対抗するという政治的目的から開催されたイデオロギー性の強い「学術会議」であった。
 実際、この会議は反パヴロフ派と断じられた科学者を非難する糾弾大会の様相が強かった。そのうえで、パヴロフ理論がソヴィエト生物学・医学の基本理論として定められ、体制教義化された。
 特に精神病理学の分野では、西側の精神分析理論などのような心理学的潮流が排斥され、生理学還元主義が基調となったことで、ソヴィエト精神医学は薬理学的傾向を強め、向精神薬依存の治療モデルが支配的となった。
 パヴロフ会議で定立されたパヴロフ絶対化路線はその後にある程度修正はなされたものの、ソヴィエトにおける遺伝学、生理学、精神病理学等の正常な発展を数十年にわたって停止し、かえって基礎医学分野での西側からの遅れをもたらす結果となった。

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近代科学の政治経済史(連載第40回)

2023-01-24 | 〆近代科学の政治経済史

八 科学と政治の一体化(続き)

ルイセンコ遺伝学教義と迫害
 ソヴィエト科学の政治的イデオロギー性を最も如実に示す悪名高い事例は、トロフィム・ルイセンコが提唱した独自の疑似科学的な遺伝学説とその体制教義化、それを教条とする科学者の大量迫害事象であった。
 ウクライナ農民の出自であったルイセンコは元来、園芸や栽培技術を専門とする農学者としてスタートしたが、その後、遺伝学者に転じると、遺伝学のスタンダードとなっていたメンデルの遺伝子理論を否定し、ラマルクの旧進化論に基づく獲得形質遺伝説を提唱するに至った。
 ラマルク進化論もダーウィンの自然選択説に基づく新進化論によって克服されていたはずであるが、ルイセンコは自然選択説をも否定し、ラマルクの旧進化論に回帰しようとしたのであった。
 これは理論的に考察した結果というよりは、ルイセンコが農学者時代に低温によるいわゆる春化処理の技法を研究する中で、春まき小麦が秋まき小麦に、逆に秋まき小麦が春まき小麦に転化する現象を獲得形質の遺伝によるものと即断的に誤認したことによっていた。
 従って、ルイセンコ遺伝学説は科学学説と呼び得るだけの検証可能な根拠を持っていなかったにもかかわらず、ソ連では時のスターリン共産党指導部の強い支持を受け、ルイセンコ学説が一種の体制教義の地位を獲得したのである。
 このように、政治とは直接関係のない一介の生物学説に党指導部が入れ込んだ理由は必ずしも明らかでないが、一つにはルイセンコ自身が共産党員としてロシア革命後の政治的激動を巧みに乗り切り、党指導部ともパイプを築いたある種の政治力によるところが大きいようである。
 他方、スターリン指導部としても、その目玉政策であった農業集団化とその下での農業生産力の増強という政策課題を遂行するうえで、生物学者というより農学者としての知見を持つルイセンコは有用な存在だったことが大きい。
 実際、ルイセンコの正当な業績は先人のイヴァン・ミチューリンが開発した育種法であるヤロビ法を継承して春化処理の技法を確立したことにあり、これはソ連を超えて中国や日本の農法にも影響を及ぼした。
 しかし、彼の遺伝学説は当時のソ連国内でも異論が多く、論争を巻き起こしたが、ルイセンコ学説を信奉するスターリン指導部はルイセンコ学説に反対する学説、とりわけメンデル遺伝学を「観念論」「ブルジョワ思想」と断じ、反ルイセンコ派の科学者を投獄するなど激しく迫害した。
 その最も象徴的な犠牲者は植物学者・遺伝学者のニコライ・ヴァヴィロフであった。彼は遺伝的多様性理論に基づく植物の起源論で知られる科学者であったが、ルイセンコ学派から攻撃を受け、でっち上げの政治犯罪の容疑で逮捕、死刑判決を受け、減刑されたものの獄死した。
 一方、ルイセンコはソ連科学アカデミー遺伝学研究所長を1940年から1965年まで勤続し、スターリン存命中はもちろん、スターリン主義を否定したフルシチョフ指導部からも支持を得て、ソ連科学界の最重鎮として君臨し続けた。
 こうして、ルイセンコ学説はソ連体制における科学教義として一世を風靡したが、その実態は検証されない疑似科学であり、これはあたかもナチス体制下の疑似科学教義であったアーリア人学説に相当する政治的な体制教義にすぎないものであった。
 そのため、1964年にフルシチョフが党内政変で失権したのを機にルイセンコ学説も勢力を失い、翌年にはルイセンコも遺伝学研究所長を解任され、1976年に死去するまで晩年は不遇をかこつこととなった。

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続・持続可能的計画経済論:総目次

2023-01-22 | 〆続・持続可能的計画経済論

本連載は終了致しました。下記目次各「ページ」(リンク)より全記事をご覧いただけます。


序言 ページ1

第1部 持続可能的計画経済の諸原理

第1章 環境と経済の関係性

(1)科学と予測 ページ2
(2)環境倫理の役割 ページ3
(3)古典派環境経済学の限界 ページ4
(4)環境計画経済モデル ページ5
(5)環境と経済の弁証法 ページ6
(6)非貨幣経済の経済理論 ページ7

第2章 計画化の基準原理

(1)総説 ページ8
(2)環境バランス①:「緩和」vs「制御」 ページ9
(3)環境バランス②:数理モデル ページ10
(4)物財バランス①:需給調整 ページ11
(5)物財バランス②:地産地消 ページ12
(6)物財バランス③:数理モデル ページ13
(7)自由生産領域の規律原理 ページ14

第3章 計画組織論

(1)総説 ページ15
(2)計画過程の全体像 ページ16
(3)世界計画経済の関連組織 ページ17
(4)領域圏計画経済の関連組織 ページ18
(5)地方経済計画の関連組織 ページ19

第2部 持続可能的経済計画の過程

第4章 計画化の時間的・空間的枠組み

(1)総説 ページ20
(2)計画の全般スケジューリング ページ21
(3)領域圏経済計画の地理的適用範囲 ページ22
(4)領域圏経済計画のスケジューリング ページ23

第5章 経済計画の細目

(1)生態学的持続可能性ノルマ ページ24
(2)産業分類と生産目標 ページ25
(3)世界経済計画の構成及び細目 ページ26
(4)領域圏経済計画の構成及び細目 ページ27
(5)広域圏経済計画の構成及び細目 ページ28
(6)製薬計画の特殊な構成及び細目 ページ29

第3部 持続可能的計画経済への移行過程

第6章 経済移行計画

(1)総説 ページ30
(2)経済移行計画の期間 ページ31
(3)「経過制」か「特区制」か ページ32
(4)「貨幣観念」からの解放 ページ33
(5)告知と試行 ページ34

第7章 経済移行計画Ⅰ:経過期間

(1)経過期間の概要 ページ35
(2)基幹産業の統合プロセス ページ36
(3)経済計画会議準備組織の設立 ページ37
(4)消費事業組合準備組織の設立 ページ38
(5)貨幣経済廃止準備 ページ39
(6)土地所有制度廃止準備 ページ40
(7)農林水産業の統合化 ページ41
(8)製薬事業機構等の設立準備 ページ42

第8章 経済移行計画Ⅱ:初動期間

(1)初動期間の概要 ページ43
(2)貨幣制度廃止①:金融清算法人と金融清算本部
(3)貨幣制度廃止②:一元的貿易機構と外貨決済店舗 ページ44
(4)経済計画会議及び各種企業体の設立 ページ45
(5)第一次三か年計画の始動

第9章 経済移行計画Ⅲ:完成期 ページ46

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続・持続可能的計画経済論(連載最終回)

2023-01-20 | 〆続・持続可能的計画経済論

第3部 持続可能的計画経済への移行過程

第9章 経済移行計画Ⅲ:完成期

 経済移行計画の最終段階は、完成期である。これは持続可能的計画経済のシステムが確立された段階を意味するが、問題は何をもって完成したとみなすかである。
 理論上の完成期とは先に『持続可能的計画経済論』で示したような諸制度がすべて出そろい、第二次以降の各次経済計画が動き出した段階であるが、より総括的に、システムが確立されたと言い得る最低必要条件を示すと、次のようになる。


(イ)世界経済計画の確立
 そもそも持続可能的計画経済における「持続可能」とは地球環境の持続可能性を意味しているから、持続可能的計画経済の完成型は世界共同体経済計画機関を軸とする全世界レベルでの経済計画システムである。
 そのため、国際連合に代わる新たな民際統治機構となる世界共同体(世共)の創設及びその専門機関としての世共経済計画機関の設立が完成の前提条件である。そのうえで、世共経済計画機関が策定する世界経済計画に基づいた各領域圏ベースの各次経済計画が運用されるようになって初めて完成型となる。

(ロ)純粋自発労働制の確立
 持続可能的計画経済の本旨は貨幣経済によらない生産と労働にあるから、無償の純粋自発労働制が確立される必要がある。これは貨幣制度が廃止される初動期間から開始されることであるが、確立までには一定の時間を要するであろう。
 その過程で、市場経済下では賃金制に支えられて初めて成り立っていたいくつかの職種がある種の淘汰を受け、消滅する可能性がある。その補充として、適性に基づく職業配分制の導入、ロボットやAIによる自動化の推進、それらが困難な場合は当該職種を当面は市民全員の義務労働とするなどの対策が必要になる。

(ハ)無償供給制の確立
 賃金労働が廃され、労働と生活が分離される持続可能的計画経済下で日常生活を支える物資及びサービスの無償供給制が確立される必要がある。これも初動期間から運用が開始されているが、初動では物資不足や流通不全などの欠陥が発現する可能性がある。完成期には、そうした欠陥の修正がなされ、無償供給制が円滑なシステムとして運用される状態が確立されていなければならない。
 それまでは無償供給制の外部で行われる物々交換による自由供給慣習で補充される可能性があるが、持続可能的計画経済はこうした慣習を違法な「闇経済」とはみなさず、完成期においても合法的な自由交換経済として並行的な存続が認められる。

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続・持続可能的計画経済論(連載第44回)

2023-01-16 | 〆続・持続可能的計画経済論

第3部 持続可能的計画経済への移行過程

第8章 経済移行計画Ⅱ:初動期間

(4)経済計画会議及び各種企業体の設立
 経済移行計画の初動期間には、初めの一歩となる第一次3か年計画を策定・施行するうえで不可欠な制度である経済計画会議の創設及び経済計画の主体となる企業体(計画企業体)の設立がなされる。
 これは、経過期間において設立されていたそれぞれの準備組織が正式の組織として立ち上げられることを意味している。計画企業体としては、経済計画の主体でもある各種の生産事業機構や消費事業組合が正式に発足する。

 同時に、計画対象外の自由生産を担う生産事業法人や生産協同組合、協同労働グループといった新しい自由生産企業体(拙稿)の設立も、初動期間に集中的に行われる。
 その点、資本主義経済体制下では多くの民営企業体が株式会社形態を取っているところ、貨幣経済の廃止を前提とする持続可能的計画経済体制下ではそもそも株式による資金調達という営為がなくなるので、株式会社や株式市場の存在余地はない。そこで、株式会社(その他の営利企業形態も同様)は上掲三種の企業形態のいずれかに一斉転換されることになる。
 もっとも、まだ貨幣経済が残存している経過期間にあっては株式会社形態も存置されているが、各企業の判断による経過期間中の企業形態の変更も可能となるよう経過措置法を用意することが望ましい。

(5)第一次3か年計画の始動
 経済移行計画における初動期間の最終段階は、第一次3か年計画の始動である。これはまさに持続可能的計画経済における初めの一歩であり、その成否が計画経済全般の成否を分けることになる重要な第一歩である。
 ただし、先述したように、初動段階では貨幣による対外貿易が残存していることが想定されるため、第一次3か年計画にはそうした貿易計画も盛り込まれる点で、経済移行計画が終了する完成期における経済計画とは異なる特質がある。
 その意味で、第一次3か年計画はまだ経過期間の要素を残した過渡的な内容となり、海外情勢によっては、第二次以降の後続3か年計画でもなお貿易計画が残存する可能性もあるであろう。
 いずれにせよ、第一次3か年計画は初動期間の集大成であるとともに、持続可能的経済計画の完成期へ向けた推進力となる起点でもあり、同時に後続経済計画の先例ともなるため、慎重かつ精緻に策定する必要がある。

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近代科学の政治経済史(連載第39回)

2023-01-13 | 〆近代科学の政治経済史

八 科学と政治の一体化:ソヴィエト科学(続き)

ソ連邦科学アカデミー
 ソヴィエト体制の存続期間中、ソヴィエト科学の総本山となったのがソ連邦科学アカデミーである。この機関は18世紀に設立されたロシア科学アカデミー(拙稿)を前身とし、ロシア十月革命から数年を経て、革命指導者レーニンが没した翌年の1925年に再編発足したものである。
 これに先立って、レーニン政権は1922年には旧帝政ロシア時代の知識人で、反ソヴィエト的とみなされた者を公職追放する措置を取り、かれらを蒸気船に乗せて国外へ追放したが、この通称「哲学者船」の乗客には科学者はあまり含まれていなかった。
 ロシア科学アカデミー(19世紀に帝国サンクトペテルブルク科学アカデミーに改称)は帝政ロシアにおける科学研究の基盤となり、帝政時代末期には大学を含めて多くの科学者が育ち始めていたが、帝政ロシアの科学者たちは革命政権と敵対することなく妥協し、アカデミーの再編存続を認めさせた。
 そうした激動期のアカデミーを率いて、ソ連邦科学アカデミー初代総裁となったのは地質学者・地球科学者のアレクサンデル・カルピンスキーであった。彼は十月革命前にロシア科学アカデミーの総裁に選出され、革命後も改めてソ連邦科学アカデミー総裁を1936年の死没まで務めた人物である。
 カルピンスキーはスターリン時代も迫害されることなく生き延び、ソヴィエト時代初期の科学界重鎮として90歳近い長寿を全うし、葬儀にはスターリンも参列、ソ連の切手の肖像に納まるほどの要人となった。
 一方、政治と一体化したソヴィエト科学が構築されたのも、カルピンスキーがアカデミー総裁職にあった時代である。1929年以降、アカデミーに対する党国家の統制は強化され、その幹部人事はソ連共産党が主導することが慣例となり、アカデミーはソ連政府の管理下に置かれた。
 その性格は事実上の党国家の研究機関であり、ソ連共産党のイデオロギーと政策目標に奉仕するべく定められていた。そうした条件下で、アカデミーは複数の支部組織とロシアを除く連邦構成共和国ごとのアカデミー、社会科学分野を含む300近い研究所、付属図書館のネットワークとして整備され、多数の研究者を擁する学術機構に発展し、多彩なソヴィエト科学を支えたことは確かである。
 ちなみに、医学分野に関しては1944年にソ連邦医学アカデミーが設立され、科学アカデミーとは別立てとなったが、当然ながら、その組織構造や性格は科学アカデミーに準じていた。
 科学アカデミーは最終的にソ連邦解体に至るまで7人の総裁を輩出したが、いずれも自然科学分野の研究者であり、特に戦後は核物理学や有機化学、宇宙工学、大気物理学など、ソ連政府が比重を置いていた重工業や軍需、宇宙開発に奉仕する分野の研究者が総裁職に就いていることからも、アカデミーの政治性が見て取れる。

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近代科学の政治経済史(連載第38回)

2023-01-09 | 〆近代科学の政治経済史

八 科学と政治の一体化:ソヴィエト科学

ナチスによる科学の政治的悪用は高度に政治化されたナチス科学と呼ぶべき特有の科学のありようを示したのであったが、ナチスの科学利用がどちらかと言えば実用的な観点からなされていたのに対し、科学そのものを政治と一体化させ、科学を体制イデオロギーに込み込んでしまったのがソヴィエト科学である。ソヴィエト科学は、ナチス体制と異なりソヴィエト体制が長期間持続したため、より本格的で多彩な展開を見せ、中でも宇宙開発を含む軍事科学の分野では一時アメリカを凌ぐ成果を出した。とはいえ、科学者もソヴィエト体制のイデオロギーに沿った理論を提唱する必要があり、科学的真理の探究は政治的に歪められ、不毛なイデオロギー論争に終始することもあった。また、しばしば科学者自身が政治的に迫害・抑圧されることもあり、科学と政治の一体化には弊害が大きかったことは確かである。


ソヴィエト科学とイデオロギー

 ソヴィエト科学における科学と政治の一体性の根源となったのは、ソヴィエトが体制イデオロギーと規定したマルクス‐レーニン主義による科学の統制である。もっとも、同主義に基づく統制は科学を含む全学術に適用され、科学への適用はその一環にすぎない。
 マルクス‐レーニン主義自体は本来、社会科学分野における理論であり、それを自然科学分野にまで拡大適用することには無理があったが、ソヴィエト体制はその無理を強制したところから、ソヴィエト科学の政治性が強まったのである。
 とりわけマルクス・レーニン主義がプロレタリア革命の理論にして、空想的な観念を排する「科学的社会主義」の理論と標榜されていたことから、「ブルジョワ的」または「観念論」とみなされた理論が排斥される傾向にあった。
 しかし、こうした基準は曖昧かつ非科学的ですらあり、結局のところ、科学理論の正当性は理論そのものよりその提唱者が体制に忠実であるか否かという政治的審査基準に帰着した。そのため、物理学者として正当な業績がありながら、反体制的な言動のゆえに長く流刑に処せられたアンドレイ・サハロフのような例も現れたのである。
 こうした政治的なソヴィエト科学の総本山は後で見るソ連邦科学アカデミーに置かれたが、ソヴィエトにおける科学研究が総じて大学よりも国立研究機関を基盤に行われたのも、統制が効きにくい大学より直接に党国家の統制と監視下に置きやすい国立研究機関が好まれたからであった。そのため、ソヴィエト時代には数多くの科学研究所が設立された。
 ソヴィエト科学におけるイデオロギー統制の程度にも時代的な変遷があり、初期の編制期を経て最も統制が強まったのは、スターリン独裁時代の1930年代から50年代初頭にかけてである。
 この時期にはスターリン自身が個人的にも興味を示した生物学・遺伝学分野で迫害を伴うイデオロギー論争が隆起したほか、物理学分野でもアインシュタインの相対性理論を「観念論」として排斥するようなキャンペーンが隆起している。
 第二次大戦後には核開発や宇宙開発といったより実用性の高い科学技術研究も活発に行われるようになり、前出サハロフも水爆開発で業績を上げているが、これらの研究は戦後の冷戦期における軍拡競争という国策に奉仕するものであった。
 スターリン死後のソヴィエト時代後半になると、ある程度イデオロギー統制が緩和されたとはいえ、科学と政治の一体化自体は体制末期の自由化によって解き放たれるまで不変であり、ソヴィエト科学の質を制約し続け、西側科学への遅れの要因となった。

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続・持続可能的計画経済論(連載第43回)

2023-01-06 | 〆続・持続可能的計画経済論

第3部 持続可能的計画経済への移行過程

第8章 経済移行計画Ⅱ:初動期間

(3)貨幣制度廃止②:一元的貿易機構と外貨決済店舗
 前回も記したように、貨幣制度廃止は条約に基づき一斉に実施するほうが徹底し、混乱も最小限に抑制できるが、実際上はそうした一斉の適用が至難とすれば、貨幣制度廃止が世界に波及するには時間差が避けられない。
 そうした場合、まだ貨幣制度を廃止していない外国との間の貿易関係に支障が出る。このことは、とりわけ輸入依存率が高い領域圏にとっては大きな問題となる。ただ、前回も見たとおり、さしあたり廃止されるのは自(国)通貨であり、外貨は廃止されない。
 そこで、貨幣制度廃止を担う中央銀行は貿易決済に必要な外貨準備を保有したうえ、当面継続される対外貿易に投入できるようにする必要がある。その場合、輸出入に関わる貿易会社を統合し、あるいはより緩やかに合同したうえで、一元的な貿易窓口となる暫定的な貿易機構を設け、対外貿易を継続することになる。
 なお、本来の「貿易」には当たらないが、個人が海外から物品を外貨で購入する場合も、この一元的貿易機関が仲介する仕組みを備えることが考えられてもよいであろう。
 この件とは別に、貨幣制度の廃止がタイムラグを伴う場合に発生し得る現実的な問題として、まだ貨幣制度が廃止されていない海外から無償で物品を取得しようとする外国人のツアー客が殺到しかねないということがある。 
 このような海外からの「爆買いツアー」現象は市場経済下にあっても見られ、需給関係を攪乱する要因となっているが、貨幣制度が廃止されて物品が無償供給されるようになれば、情報を聞きつけた海外からのツアー客が押し寄せることは充分に予測できる。
 これにより初動期間の計画経済が攪乱される事態を防止するためには、さしあたり永住者や所定期間の長期滞在者は別として、一時滞在外国人に対しては原則として無償供給を禁じたうえ、一部の外貨決済店舗でのみ物品の購買を認める特例をもって規制的に対応することになるだろう。
 こうして、貨幣経済が廃止された初動期間にあっても、貿易の継続と合わせて、対外的な関係ではなお貨幣交換を伴う商品形態が一部残存することになるので、この期間は持続可能的計画経済の完成にはいまだ至らない。

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続・持続可能的計画経済論(連載第42回)

2023-01-02 | 〆続・持続可能的計画経済論

第3部 持続可能的計画経済への移行過程

第8章 経済移行計画Ⅱ:初動期間

(1)初動期間の概要
 第7章で見た経済移行計画の実施プロセスにおける経過期間を過ぎると初動期間に入るが、初動期間はまさに持続可能的計画経済の開始段階に当たる。ここでの中心的なイベント(出来事)は第一次経済3か年計画の始動である。
 その前提として、持続可能的経済計画の核心でもある貨幣制度の廃止も大きなイベントであり、結局、貨幣制度の廃止及び第一次3か年計画の始動の二つが初動期間における二大イベントとなる。
 初動期間は周到に計画された経過期間における種々の準備行為に基づいて展開されるため、相当量の複雑な移行作業を要する経過期間に比べて単純であり、如上二大イベントに集約され、初動に伴う混乱も最小限度に抑えられる。


(2)貨幣制度廃止①:金融清算法人と金融清算本部
 初動期間におけるイベントの中でも重大なものは、貨幣制度の廃止である。ここで言う貨幣とは国家が発行する通貨を指す。よって、正確には通貨制度の廃止である。後に改めて言及するように、私的団体が発行する私的通貨はここでの廃止対象に含まない。
 通貨制度及び通貨による交換経済の廃止はほとんど文明史的な転換を意味するため、経過期間においては経済混乱を避けるためにもなお基本的に存置されているが、初動期間においてはその全廃が目指される。
 その点、全世界に及んでいる通貨制度を混乱なく全廃するには、条約に基づき全世界一斉に実施することが望ましいが、それは理想型ではあれ、実現は至難であるので、ここでは個別的な領域圏ごとの法令に基づいて行うケースを想定する。
 通貨制度廃止法令は公布即施行され、それに基づき既存通貨は将来に向けて失効する(遡及しない)。ただし、外貨は別であり、外貨については当該外貨を発行する外国政府(または領域圏)が通貨を廃止するまでは有効である。
 通貨制度の廃止とは既存の金融システムの清算作業であるから、そうした作業の主導機関は中央銀行がふさわしい。中央銀行は近代的な貨幣経済にあっては通貨制度の番人であるとともに、通貨制度の清算人ともなり得るからである。
 具体的には、法令に基づき市中銀行及びその他全種別の金融機関の清算法人を立ち上げたうえで、それらを中央銀行内に設置された金融清算本部に包括的に接収し、全金融口座を整理する。
 これらの清算口座内の預金はすべて中央銀行の管理下で封鎖・無効化されるが、上述したとおり、領域圏ごとに通貨制度を廃止する場合、いまだ通貨制度を維持する諸国の外国人(法人を含む)名義の口座については引き出し・返還の手続きを進める必要がある。
 中央銀行は通貨制度廃止の全プロセスを見届けたうえ、最終的に自らも清算・廃止されることになるが、金融清算本部は分離され単立機関となった後、通貨制度廃止後の残務処理機関としてしばらく存置される。
 なお、金融機関に預金されていないいわゆるタンス預金のような手元貨幣も通貨廃止法令に基づき失効するため、改めて供出を求めたり、押収したりする必要はなく、現在における古銭と同様に古物化し、所持者の私的所有に帰することになる。

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年頭雑感2023

2023-01-01 | 年頭雑感

昨年は、ロシアによるウクライナ侵攻を主たる契機に、先の第一次冷戦が終結して三十余年ぶりに地球の東西が分断される第二次冷戦が開始された。その意味で、2022年は21世紀最初の四半世紀における画期点であったと言える。

これに伴い、第一次冷戦当時とは異なり、すでにグローバル規模に拡大していた資本主義にも打撃が加わり、パンデミックによる混乱からの回復基調を吹き飛ばすグローバルなインフレーションを惹起した。結果として、生活難も世界規模で拡大し、生活経済は破綻状態である。

他方、地球環境はパンデミックによる一時的な生産の総停止状態からの反動で、かえって急激な回復生産に向かったことにより悪化し、環境破壊は猛暑と大寒波という極端な寒暖差を伴う異常気象現象を症状とする慢性進行疾患のように固定化されている。それに伴う環境難民も増加していくだろう。

資本主義―その本質である貨幣経済―は、生活経済及び環境経済という視座から見る限り、すでに終わっている。そして、現今のグローバル規模での生活破綻や環境破壊には、主権国家という矮小かつ排他的な政治単位ではもはや対処できない。

その点に関連して、筆者は2018年の本欄で、「長期的には56パーセントの確率をもって人類は(主権国家を持たない)共産主義社会の建設に向かうと予測する。」と記したが、現状に鑑みると、この革命発生予測確率を5ポイント上昇させて、61パーセントに引き上げておきたい。

とはいえ、現状、資本主義と主権国家という二つのキー概念は、世界の大半の人々にとって、単なるイデオロギーを超えた無意識レベルに埋め込まれてしまっており、その転覆を思考すること自体を妨げていることは否定できない。資本(貨幣)と国家(権力)は、言わば強力な麻酔に匹敵する。

革命とは言うまでもなく自然現象ではなく、人間の意志的かつ集団的な行動であるから、意識の覚醒と覚悟とを必要とする。現状はそうした革命の主意的な条件を欠いているため、如上61パーセントは名目確率であり、実質確率はまだ50パーセントに満たないだろう。

資本(貨幣)と国家(権力)という二つの強力な麻酔から覚めるためには、単なる啓発とか啓蒙といった表層レベルの対応では足りず、生物的進化のレベルで、生物としての人類のさらなる進化を促進することが必要かもしれない。

そうした意味では、資本と国家にとらわれ、堂々巡りの思考に終始する現生人類の大半は生物的進化が止まった旧人類と呼ばざるを得ない。それに対して、いち早く資本と国家の麻酔から覚める人々は新人類と呼ぶに値するだろう。

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