ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

旧ソ連憲法評注(連載第12回)

2014-08-29 | 〆旧ソ連憲法評注

第四十三条

1 ソ連市民は、老齢、病気、労働能力の全部または一部の喪失および扶養者の死亡のときに、物質的保障をうける権利をもつ。

2 この権利は、労働者、職員およびコルホーズ員の社会保険、一時的労働不能手当、国家およびコルホーズの負担による退職年金、身体障碍年金および遺族年金の給付、労働能力を一部うしなった市民の就職あっせん、老齢の市民および身体障碍者にたいする配慮ならびに社会保障の他の形態によって、保障される。

 前三条の規定が労働‐休息‐健康という中核的な社会権に関する規定だったのに対し、本条からは派生的な社会権の規定が続く。中でも本条は、社会保障の権利を定める。内容的には、日本国憲法の生存権の規定とほぼ重なるが、第二項で権利を保障するための諸制度についてはより詳細に指示されている。ソ連は元来、こうした社会保障制度のパイオニアであり、これが資本主義諸国にも少なからぬ影響を及ぼしたのだった。

第四十四条

1 ソ連市民は、住宅の権利をもつ。

2 この権利は、国有および社会的所有の住宅の発展および保護、協同組合および個人による住宅建設の奨励、設備のよい住宅の建設プログラムの実行にともない供与される住居の社会的監督のもとでの公正な配分ならびに安い家賃および公共料金によって、保障される。ソ連市民は、自分に供与された住宅を大切にとりあつかわなければならない。

 住宅の権利も広くは社会保障の権利の一環であるが、本条はこれを特に取り出して個別に保障するもので、今日でも参照に値する規定である。ただ、第二項にあるように、私有住宅も認められており、純粋の社会権とは異なる面もある。また共産党幹部には特権的に豪華な別荘が供与されるなど、「公正な配分」とは言い難い住宅格差・住宅不足が存在した。

第四十五条

1 ソ連市民は、教育の権利をもつ。

2 この権利は、あらゆる種類の教育の無料、青少年にたいする普通中等義務教育の実施、生活および生産と授業とのつながりを基礎とする職業技術教育、中等専門教育および高等教育の広範な発達、通信教育および夜間教育の発達、生徒および学生にたいする国家からの奨学金および特典の供与、学校教科書の無料交付、学校における自国語による授業を受ける機会ならびに独学のための条件の整備によって、保障される。

 本条は、教育の権利の規定であるが、第二項では学校教育の完全無償化をはじめ、極めて詳細に権利保障のための諸制度が指示されている。特徴的なのは、通信教育や夜間教育などの補習教育や奨学金、さらには独学のための条件整備まで国の責務として言及されていることである。また民族間の平等原則に従い、自国語による授業を受ける権利も保障されている。

第四十六条

1 ソ連市民は、文化の成果を利用する権利をもつ。

2 この権利は、国およびその他の公共機関が所蔵する祖国および世界の文化財の一般公開、国の領域における文化、教育施設の発展およびその均等な配置、テレビジョン、ラジオ、出版事業、新聞、雑誌および無料図書館網の発展、ならびに諸外国との文化交流の拡大によって、保障される。

 教育の権利と並ぶ文化へのアクセス権の規定であり、これも先進的な規定であった。ただ、この権利を保障するための諸制度を指示する第二項にあるマス・マディアの発展を国が支援するという施策は、マス・メディアに対する国家統制につながるもので、報道の自由の抑圧とリンクしていた面は否定できない。

第四十七条

1 ソ連市民は、共産主義建設の目的にしたがい、学問、技術および芸術の創造の自由を保障される。この自由は、科学的研究、発明および合理化提案の活動の広範な展開ならびに文学および芸術の発達によって、保障される。国家はそのために必要な物質的条件を整備し、自発的な協会および創作家の同盟を支持し、国民経済およびその他の生活領域への発明および合理化提案の導入を組織する。

2 著作者、発明者および合理化提案者の権利は、国家の保護をうける。

 本条第一項は、ブルジョワ憲法では通常自由権として規定される学術、芸術の自由を社会権的な構成のもとに規定したもので、これも社会主義憲法の特質ではある。たしかにとりわけ高度な学術研究は国家的支援を必要とするから、社会権的側面は認められるが、一方で学術、芸術の自由は「共産主義建設の目的」に従う限りという制約を課せられたため、反共産主義的な学術、芸術活動は抑圧される結果となった。
 第二項は著作権や特許権を純粋個人の権利とせず、国家的保護を受ける社会的な権利として構成する特色ある規定であるが、明文はないものの、ここでも国家的保護を受ける著作や発明等は「共産主義建設の目的」に従うことが要求されたはずである。

コメント

旧ソ連憲法評注(連載第11回)

2014-08-28 | 〆旧ソ連憲法評注

第七章 ソ連市民の基本的な権利、自由および義務

 本章は、社会主義的人権カタログの中核を成す章である。ブルジョワ憲法と比較した場合の特徴は、労働の権利を筆頭とする社会権の規定が表現の自由を筆頭とする自由権の規定に先行することにある。これはまさに、社会主義憲法の特質である。このように社会権を先行させる基本権構成は必ずしも自由権を軽視する趣旨ではなかったが、共産党独裁下では自由権が抑圧されたことから、結果的に西側では評判の悪い構成であった。
 しかし、本来からすれば、生存と日々の暮らしに直結する基本権は社会権であり、その保障を最優先することが悪とは考えられない。その意味では、むしろ抽象的な自由権の形式的な保障に終始しがちなブルジョワ憲法が新生ロシア憲法を含め世界的に増加している現在、再発見すべきものを含んでいると言える。

第三十九条

1 ソ連市民は、ソ連憲法およびソヴィエトの法律が宣言し、保障するすべての社会、経済的、政治的および人格的な権利および自由をもつ。社会主義体制は、社会、経済的および文化的発展のプログラムの遂行にともなう市民の権利および自由の拡大ならびに市民の生活水準の不断の向上を保障する。

2 市民は、権利および自由の行使により、社会と国家の利益および他の市民の権利に損害をあたえてはならない

 基本権の総則条項である。第一項第一文では、社会・経済的な権利、政治的な権利、人格的な権利という基本権体系の順序が示されている。第二文では、社会権のプログラム規定性が明らかにされるとともに、社会権を通じた自由権の保障という社会主義的基本権保障の理念が明示されている。
 また第二項は、権利・自由の行使が公益・国益及び他者の権利によって制限されることを示すが、公益・国益による基本権の制限という定式は人権抑圧の根拠にも悪用されるあいまいな規定であった。

第四十条

1 ソ連市民は、労働の権利、すなわち労働の量と質におうじ、国家の定める最低額以上の支払いをともなう、確実な仕事をえる権利をもち、この権利は、適性、能力、職業訓練および教育にしたがい、社会的必要の考慮にもとづく職業、職種および仕事を選択する権利をふくむ。

2 この権利は、社会主義的経済制度、生産力の不断の増大、無料の職業訓練、技能の向上、新しい専門についての訓練ならびに職業指導および就職あっせんの制度の発展によって、保障される。

 具体的な基本権条項の筆頭には、日々の生活を支える労働の権利が置かれる。第一項では職業選択の自由の保障が注意的に定められているが、「社会的必要の考慮」という制限があるように、それは社会主義計画経済の限界内での選択権の保障であった。
 第二項は労働の権利が国家の用意する諸制度を通じてプログラム的に保障されるものであることを具体的に示している。ここに規定される職業訓練などの制度は、今日資本主義体制でも設けられているところである。

第四十一条

1 ソ連市民は、休息の権利をもつ。

2 この権利は、労働者および職員のために一週四十一時間以下労働の制定、若干の職業および職場についての一日の労働時間の短縮、深夜労働の時間短縮、年次有給休暇の供与、毎週の休日、文化的、教育的施設および健康増進施設の広範な設置、大衆的なスポーツ、体育および観光旅行の発展ならびに住宅地域における快適な休息設備および余暇の合理的利用のためのその他の条件の整備によって、保障される。

3 コルホーズ員の労働時間および休息の長さは、コルホーズが規制する。

 本条は、労働の権利に関する前条とセットで休息の権利を保障する。当時としては珍しかった休息の自由に関する詳細な規定であり、ブルジョワ憲法の中では比較的社会権保障に厚い日本国憲法でも、「・・就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。」という簡単な法律委任条項(第二十七条第二項)しかないのとは対照的である。
 本条第二項には休息の自由を保障するための諸制度が詳細に定められており、娯楽まで国家が提供する社会主義体制の特質を示している。なお、第三項は、農業労働の特殊性を考慮し、コルホーズ員の労働時間等に関し、コルホーズの自律性を認めたものである。

第四十二条

1 ソ連市民は健康保護の権利をもつ。

2 この権利は、国家保健施設が行なう水準の高い無料医療、市民の治療および健康のための施設の広範な設置、安全技術および産業衛生の発展および改善、病気予防の広範な措置の実施、健康な環境をつくる措置、授業および労働教育との関連のない児童労働の禁止をふくむ成長期の世代の健康についての特別の配慮ならびに病気の予防、罹患率の低下および市民の高齢までの積極的生活の保障をめざす研究の発展によって、保障される。

 これも一般的な社会保障とは別途、健康権を保障する先進的な規定であり、労働‐休息の権利と並ぶ社会的基本権保障の一環である。第二項は医療の無償化をはじめとする健康権を保障する制度の詳細規定であるが、高齢社会の到来を見据え、健康長寿のための国家的研究も視野に収めていたことが窺える。

コメント

日本版民間軍務会社

2014-08-24 | 時評

シリア領内で民間軍務会社―メディア上では「軍事会社」と訳されているが、活動内容からは「軍務会社」が適切と考える―の代表を名乗る日本人が、イラクのイスラーム過激勢力に拘束された事件は、日本社会で起きている近年の大きな変化の悲喜劇的な予兆である。

国などと契約し、営利目的で一定の軍務に従事する民間軍務会社は、元来は欧米で職業軍人経験者が「脱サラ」して設立するケースが大半を占めるが、その点、憲法上軍隊を保有しないことから、公式には「職業軍人」が存在しない戦後日本では成り立ちにくい企業モデルと考えられていた。

もっとも、自衛隊で職業自衛官の経験を持つ人であれば設立可能であるが、平和憲法と同居してきた自衛隊には実戦経験がなく、自衛官経験者でも民間軍務会社の任務を果たすだけの戦闘経験がないことが課題となるはずであった。2005年に、英国系民間軍務会社に勤務する元自衛官でフランス傭兵部隊経験者の日本人がイラク武装勢力に殺害されたケースはある

今回拘束された日本人は、報道等によればミリタリーショップの経験者であるが、自衛隊等で銃器を扱った経験はないようで、民間軍務会社の任務をこなすだけのスキルがあったか疑わしい、素人同然の人のようである。それでも、日本版民間軍務会社のパイオニアたらんとする志だけはあったようで、今回のシリア反政府軍への従軍はその準備活動であったらしい。

思えば10年前のイラク戦争渦中、平和的な目的をもって丸腰でイラク入りした日本人青年たちがイラク武装勢力に拘束された事件では、被害者たちが政府の渡航自粛勧告に反してイラク入りしていたことから、「自己責任論」の糾弾を受け、以後、こうした海外危険地での民間平和活動はすっかり萎縮してしまった。

そうした中で、今回の事件である。当人は近年のネオ軍国主義とも言うべき運動の中心人物でもある元自衛隊高官とも接点があり―元高官は記憶にないと主張―、シンパでもあるらしい。そうした運動ともリンクした民間軍務会社の活動を考えていたのだろうか。

本来の民間軍務会社要員は銃器の扱いもできることが前提であるから、丸腰の平和ボランティアとは異なり、「自己責任」的な営利活動である。集団的自衛権解禁後の自衛隊が実戦にも踏み込めば、日本でも本格的な民間軍務会社が見られるようになるかもしれない。

コメント

アメリカ憲法瞥見(連載第5回)

2014-08-23 | 〆アメリカ憲法瞥見

第一条(立法府)

第九項

1 連邦議会は 1808年より前においては、現に存する州のいずれかがその州に受け入れることを適当と認める人びとの移住または輸入を禁止することはできない。但し、その輸入に対して、一人につき一〇ドルを超えない租税または関税を課すことができる。

2 人身保護令状の特権は、反乱または侵略に際し公共の安全上必要とされる場合を除いて、停止されてはならない。

3 私権剥奪法または事後法を制定してはならない。

4 人頭税その他の直接税は、この憲法に規定した人口調査または算定にもとづく割合によらなければ、これを賦課してはならない。

5 各州から輸出される物品に対して、租税または関税を賦課してはならない。

6 通商または徴税に関するいかなる規制によっても、一州の港湾に対して他州の港湾よりも有利な地位を与えてはならない。一州に入港またはこれより出港する船舶に対して、他州に入港すること、または他州において出入港手続きをすることもしくは関税の支払いをすることを強制してはならない。

7 国庫からの支出は、法律で定める歳出予算によってのみ、これを行わなければならない。いっさいの公金の収支に関する正式の決算は、随時公表しなければならない。

8 合衆国は、貴族の称号を授与してはならない。合衆国から報酬または信任を受けて官職にある者は、連邦議会の同意なしに、国王、公侯または他の国から、いかなる種類の贈与、俸給、官職または称号をも受けてはならない。

 本項は、連邦議会の権限を列挙した前項に対し、連邦議会の権限に関する制限事項を列挙している。このうち、第二号及び第三号は実質上人権保障に関する規定であるが、人権に関しては修正条項によって増補されている。
 本項各号のうち、第一号で人間の「輸入」に言及しているのは明らかに、モノとして扱われた黒人奴隷の「輸入」を念頭に置いた規定であるが、この部分は奴隷制を禁じた修正第一三条により実質上削除されている。また第四号も、人口基準によらない連邦所得税を規定した修正第一六条により、実質上削除されている。
 第五号及び第六号は、州の権益を保護するため連邦の課税権を制限するもので、州を基盤とした連邦制の特質を示すものである。国庫支出が歳出予算法律によってのみなされるべきことを規定する第七号は、連邦議会の権限に対する制限という形を取りながら、実質上は行政府(大統領)に対する議会の優越性を示す規定と言える。
 第八号第一文は貴族制度を認めない徹底した共和体制の表現であり、第二文は付随的に合衆国公務員の原則的な合衆国専属義務を定めたものである。

第一〇項

1 州は、条約を締結し、同盟もしくは連合を形成し、船舶捕獲免許状を付与し、貨幣を鋳造し、 信用証券を発行し、金貨および銀貨以外のものを債務弁済の法定手段とし、私権剥奪法、事後法もしくは 契約上の債権債務関係を害する法律を制定し、または貴族の称号を授与してはならない。

2 州は、その検査法を執行するために絶対に必要な場合を除き、連邦議会の同意なしに、輸入品または輸出品に対し輸入税または関税を賦課してはならない。州によって輸入品または輸出品に賦課された関税または輸入税の純収入は、合衆国国庫の用に供される。かかる法律はすべて、連邦議会の修正または規制に服する。

3 州は、連邦議会の同意なしに、トン税を課し、平時に軍隊または軍艦を保持し、他州もしくは外国と協定もしくは契約を締結し、または、現に侵略を受けもしくは一刻の猶予も許さないほど危険が切迫しているときを除き、戦争行為をしてはならない。

 憲法上連邦議会の権限として規定のない権限は原則として州(議会)に属するが、本項では州の権限に関する例外的な制限事項を規定している。全体として、州は独自に外交・国防に関与しないこと、通貨・関税高権を持たないことが規定されている。これらは合衆国としての統合性を維持するうえで最低限度の制限である。

コメント

アメリカ憲法瞥見(連載第4回)

2014-08-22 | 〆アメリカ憲法瞥見

第一条(立法府)

第八項

1 連邦議会は、つぎの権限を有する。合衆国の債務を弁済し、共同の防衛および一般の福祉に備えるために、租税、関税、輸入税および消費税を賦課し、徴収する権限。但し、すべての関税、輸入税および消費税は、合衆国全土で均一でなければならない。

2 合衆国の信用において金銭を借り入れる権限。

3 諸外国との通商、各州間の通商およびインディアン部族との通商を規制する権限。

4 統一的な帰化に関する規則、および合衆国全土に適用される統一的な破産に関する法律を制定する権限。

5 貨幣を鋳造し、その価格および外国貨幣の価格を規制する権限、ならびに度量衝の基準を定める権限。

6 合衆国の証券および通貨の偽造に対する罰則を定める権限。

7 郵便局を設置し、郵便道路を建設する権限。

8 著作者および発明者に対し、一定期間その著作および発明に関する独占的権利を保障することにより、学術および有益な技芸の進歩を促進する権限。

9 最高裁判所の下に下位裁判所を組織する権限。

10 公海上で犯された海賊行為および重罪行為ならびに国際法に違反する犯罪を定義し、これを処罰する権限。

11 戦争を宣言し、船舶捕獲免許状を授与し、陸上および海上における捕獲に関する規則を設ける権限。

12 陸軍を編成し、これを維持する権限。但し、この目的のためにする歳出の承認は、二年を超える期間にわたってはならない。

13 海軍を創設し、これを維持する権限。

14 陸海軍の統帥および規律に関する規則を定める権限。

15 連邦の法律を執行し、反乱を鎮圧し、侵略を撃退するために、民兵団を召集する規定を設ける権限。

16 民兵団の編制、武装および規律に関する定めを設ける権限、ならびに合衆国の軍務に服する民兵団の統帥に関する定めを設ける権限。但し、民兵団の将校の任命および連邦議会の定める軍律に従って民兵団を訓練する権限は、各州に留保される。

17 特定の州から割譲され、かつ、連邦議会が受領することにより合衆国政府の所在地となる地区(但し、一〇マイル平方を超えてはならない)に対して、いかなる事項についても専属的な立法権を行使する権限、および要塞、武器庫、造兵廠、造船所その他必要な建造物を建設するために、それが所在する州の立法府の同意を得て購入した土地のすべてに対し、同様の権利を行使する権限。

18 上記の権限およびこの憲法により合衆国政府またはその部門もしくは官吏に付与された他のすべての権限を行使するために、必要かつ適切なすべての法律を制定する権限。

 本項から先の三か条は、連邦と州の権限関係に関する規定であるが、いずれも連邦と州それぞれの行政府でなく、立法府(議会)の権限という形で規定されているのは、議会中心主義の現れである。
 連邦議会の権限について列挙した本項は一見無味乾燥な羅列であるが、アメリカのような連邦国家にあっては、連邦と州の権限を明確に線引きしなければ、ある事柄が連邦と州のどちらの権限なのかをめぐって紛争・混乱が生じるため、本項のようにまず連邦議会の権限をリスト化し、ここに定めのない権限は原則として州に属するという趣旨で(修正第一〇条参照)、予め明示しておく必要がある。
 本項で定められた連邦議会の主要な権限を大別すれば、財政・経済に関する権限(第一号乃至第八号)、司法・警察に関する権限(第九号及び第一〇号)、国防に関する権限(第一一号乃至第一六号)となる。連邦には国全体にわたる根幹的な権限だけ留保し、残余は州の権限とする分権性の強い連邦制のあり方が示されている。
 ちなみに、第八号は著作権・特許権という個人の権利保障規定を兼ねているが、国の憲法に知的財産権の明文が置かれるのは当時としては斬新であった。また、こうした個人の知的財産権の保障を通じて「学術および有益な技芸の進歩を促進する」という政策も、国家が主導して学芸の振興を図る社会主義的な構想とは対照的なアメリカ流個人主義に立脚した学芸政策の宣言と読める。
 なお、国防に関する第一一号で、合衆国が民間船舶に海賊行為の権限を付与する船舶捕獲免許状という古典的制度は私掠船の廃止をうたった1856年パリ宣言(国際条約)をもって放棄されている。

コメント

リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(8)

2014-08-21 | 〆リベラリストとの対話

6:貨幣経済廃止について②

コミュニスト:前回の対論では、マルクス『資本論』で資本主義的な貨幣経済システムの合理性を反証するというお話でした。

リベラリスト:はい。普通『資本論』は資本主義批判の書として読まれていますが、私はあの本を読めば読むほど、逆に資本主義経済システムの強靭さを感じ、資本主義ってなかなか合理的によくできているものだと感心してしまうのです。ある意味、『資本論』は米国礼賛論です。

コミュニスト:そういう逆さ読みができるかどうかは別として、私も資本主義経済が簡単に崩壊するようなことはないと見ています。しかし、それは資本主義の経済システムが合理的だからではなく、資本主義が自己保存に長けているからだと考えます。

リベラリスト:私は資本主義の強靭さは自己保存うんぬんではなく、そのシステムそのものにあると見ます。マルクスは資本主義貨幣経済のアナーキーさを指摘していますが、実はアナーキーに見えて資本主義は事後調節の仕組みを備えており、「神の見えざる手」ならぬ「人の見えざる手」によって上手く調節されているのです。その調節に欠かせないのが、貨幣流通です。つまり、個人も企業も「財布」の紐で適宜調節するので、需給バランスが総体としては大きく崩れることなく、基本物資やサービスの提供が滞りなく行われているのです。すなわち、資本主義には「計画」の代わりに調節道具としての「財布」がある。

コミュニスト:私はそうした「財布」による事後調節の仕組みも、資本主義の一つの自己保存策とみなしているので、あなたとの相違は視点の位置にあると思います。たしかに貨幣流通を通じた事後調節のシステムは巧妙ですが、実際のところ資本主義は恒常的な過剰生産によって物不足を免れているのです。しかし、過剰生産の裏には在庫の大量廃棄という問題が潜んでいることを忘れてはなりません。

リベラリスト:廃棄物問題は深刻ですが、それも資本主義はリサイクルのビジネス化という形で内在的な解決策を示しているわけで、これはこれでなかなか見事な事後調節だと思いますね。

コミュニスト:リサイクルにも物理的な限界があります。そもそも初めから計画的に生産し、リサイクルで対応しなくて済むようにするのが、共産主義的計画経済の長所です。

リベラリスト:でも、あなたは計画経済の適用範囲を環境負荷的産業に限定し、その余は自由生産‐物々交換に委ねると言っていますね。計画経済外の経済セクターの規模にもよりますが、これでは計画によって事前調整されず、なおかつ「財布」による事後調節もされない、まさにアナーキーな生産活動が立ち現れる恐れもあるのではないでしょうか。

コミュニスト:そこは「自由な共産主義」というキーワードの根幹にも関わるところなので、次回の対論に回したいと思います。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

コメント

リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(7)

2014-08-20 | 〆リベラリストとの対話

5:貨幣経済廃止について①

コミュニスト:リベラリストさんは以前の対論で、私の貨幣経済廃止論に疑問を抱いていると指摘されました。今回はこの問題をめぐって対論してみたいと思います。

リベラリスト:わかりました。まず、私が疑問に思うことは、貨幣経済の廃止そのものというより、なぜ貨幣廃止を経済全般に及ぼさねばならないのかということです。例えば、折から問題となっているエボラ出血熱のような感染症パンデミックに際して、貧困層向けに医療や薬剤の無償供給を実現することは大いにやるべきですが、それを超えて、全般的に無償化するというのは解せません。

コミュニスト:「全般的な無償化」というのは、拙見の誤解ではないかと思われます。私はありとあらゆるモノを無償供給するという主張はしていません。無償供給の対象範囲は日常的な衣食住の基盤となる基本物資・サービスと医療などを含めた社会サービスです。

リベラリスト:それにしても、それら全般を無償化する必要性はあるでしょうか。私は多くの米国人のように「働かざる者、食うべからず」とは思いません。働かざるとも、相続財産の運用その他正当な不労所得によって生活することも含め、人間は基本的には自活すべきであると考えます。しかし、自活が困難な貧困者向けには、必要な限度で無償化すればよいのです。

コミュニスト:それは古典的なリベラリストにありがちな救貧的発想ですね。貧富差を前提として、貧困者を助けてあげようというわけです。しかし、そもそも貧困などあってはならないのではないでしょうか。貧困の撲滅は道徳論ではなく、貧困の元凶である貨幣交換を廃止するという大手術でもって達成されるのです。

リベラリスト:勇ましいことです。しかし、それによって果たして狙いである基本物資・サービスが円滑に行き渡るかどうかという技術的な問題があります。生産‐流通‐再生産のサイクルは資本主義では貨幣を介して日々反復継続されていますから、しばしば貨幣は経済の血流にもたとえられます。あなたはその血を抜いてしまおうというのですから、これは手術どころではなく、殺人行為に等しい。

コミュニスト:それは痛烈なご批判です。しかし、貨幣が血であるのは、まさに資本主義経済というシステムにおいてです。それとは仕組みが異なる共産主義経済システムにとって貨幣はむしろ毒物的なものです。共産主義経済では貨幣交換の代わりに、計画供給が行われます。

リベラリスト:ありていに言えば、配給制ですよね。しかし、配給制が機能不全を来たしやすいことは、実際に社会主義体制で実証済みではないですか。

コミュニスト:いわゆる社会主義体制とは、貨幣経済を温存したまま計画経済や配給制を導入するある種の混合経済体制なのですが、これではたしかに貨幣交換が中途半端に妨げられ、経済のサイクルに支障を来たす恐れはあります。だからこそ、大胆に貨幣経済の廃止に進む必要があるのです。そして、貨幣経済廃止のうえに成り立つ無償供給制は配給制とは似て非なるものです。

リベラリスト:このままでは、この議論は永久に平行線をたどりそうなので、次回は切り口を変え、マルクスの『資本論』によって資本主義的な貨幣経済システムの合理性を反証してみようと思います。

コミュニスト:それはまた興味深い逆転の発想ですね。楽しみにしています。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

コメント

英国労働党史(連載第2回)

2014-08-19 | 〆英国労働党史

第1章 労働運動の発達

1:労働運動の発祥
 英国労働党は、その名のとおり労働者の党であるから、そもそも労働者がまだ一個の階級として存在していなかった資本主義以前の時代には存在し得ない政党であった。従って、それは近代資本主義の政治的産物の一つである。近代資本主義の発祥地英国で、労働党が誕生し、やがて主要政党に成長するということもある意味では必然であった。
 しかし、労働党が泡沫的な抗議政党にとどまらず、大衆政党として定着した背景には、一世紀近い労働運動の蓄積がある。従って、労働党史を俯瞰するためには、前史としての労働運動史を振り返っておく必要がある。
 英国労働運動の歴史も古く、18世紀産業革命の時代に始まる。特に安い賃金で搾取された未熟練労働者が非公式に団結したことが労組の始まりとされる。当初は職場ごとの個別的な団結にとどまったゲリラ労組は19世紀に入ると各地に出現するが、当局は当然にも当初は弾圧方針で臨んだ。
 そうした労組抑圧の雰囲気の中で、労働運動が戦闘的な形で現れたのが機械打ちこわし運動(ラッダイト運動)であった。もっとも、これは労働者というより手工業職人(織物職人)による抗議運動の性格が強かったので、近代的な労働運動とは異質な面もあった。
 現在知られる限り、様々な職域の労働者が結集する近代的な労働運動の先駆は1818年にマンチェスターで結成された労働組合連合と言われる。しかし労働組合は禁止されていたため、「博愛協会」という偽装名を名乗る必要があった。
 1824年、政府はいったん労組を解禁したが、翌25年に再び政府は団結権を禁止した。そうした制約の中で、職域横断的な全国規模の労働運動の注目すべき先駆的な試みとして、性格の異なる二つのものがある。
 一つは、アイルランド出身の紡績工・労働運動家のジョン・ドハーティが1830年に結成した全国労働保護協会である。これは織物工場労働者を中心としながら、その他の職域の労働組合も糾合して急速に拡大し、最盛期には2万人近いメンバーを擁した。
 もう一つは、ウェールズ人のロバート・オーウェンが1834年に結成した全国労働組合大同盟である。オーウェンは本来労働運動家というよりも初期社会主義の思想家兼模範工場経営者であったから、この組織はその名称にもかかわらず、政治思想団体の性格が強かったが、労働運動がやがて政党化していく過程での先駆ではあった。
 この二つの運動は団結禁止法の存在に加え、有能なオーガナイザーを欠いたこともあり、いずれも短命に終わったが、19世紀前半期の労働運動の先駆として、遠く労働党の結党にも間接的にはつながっている。

2:チャーティスト運動
 労働党の結成は、純粋な労働運動のみならず、労働者の政治的な結集の結果である。そうした英国労働者の最初の政治的結集が見られたのは、1830年代から50年代にかけての社会変革運動チャーティスト運動の時であった。
 この運動は中産階級も参加した階層横断的な変革運動であったが、運動の中で労働者階級は主要な動力となった。議会制が早くから発達した英国とはいえ、当時の英国政治はなお貴族と地方名望家が主導し、労働者階級は政治から締め出されていた。そのため、かれらの中心要求は普通選挙制の実現に置かれた。
 この時、チャーティスト運動の労働者派指導者ウィリアム・ラヴェットらを中心に1836年にロンドンで結成されたロンドン労働者連盟は政党ではなかったが、労働者階級の政治運動体としては最も初期のものである。
 労働者階級の要求は、チャーティストの語源ともなった38年の「人民憲章」6か条に集約された。そこでは、男子普通選挙制を筆頭とする民主的な議会改革策が提起されていた。この憲章は100万人を越える労働者の署名を得て議会に請願として提出されたが、議会はこれを却下した。
 この後、労働者たちは抗議デモやストライキで応じ、特に不況に襲われた42年に300万を越える署名をもって提出された第二次請願が再び議会に却下されると、大規模ストライキの波は頂点に達した。こうした労働者階級の政治的な急進化に対して、当局は弾圧で応じるが、48年の第三次請願が却下された後も、運動は50年代末まで持続していく。
 チャーティスト運動は革命運動の域に達するほど先鋭ではなく、内部は強硬な「実力派」と穏健な「道徳派」に分裂し、その中心的な要求事項であった男子普通選挙制が英国で実現するのは遠く1918年のことにすぎなかったが、労働者階級を政治的に覚醒させる歴史的な転機となったことは、たしかである。
 同時に、このような労働者階級の政治的な団結は支配層にも弾圧一辺倒政策の限界を認識させ、19世紀後半には特にリベラル派の自由党が労働者階級の利害を一定代弁する傾向が生じる。

コメント

英国労働党史(連載第1回)

2014-08-18 | 〆英国労働党史

序説

 先に連載を終了した『世界共産党史』の結語で、「英国の謎」を指摘した。「英国の謎」とは、西欧の典型的な階級社会とされる英国で共産党が発達しなかったという一見不可解な歴史的事実のことである。本連載は、その謎の解明を兼ねて、英国で共産党の代わりを果たした英国労働党の歴史を検証することを目的とする。
 その前提として、労働党結成前の英国の状況を概観しておくと、周知のとおり英国では17世紀におけるカトリック派ジェームズ2世の即位問題をめぐる政争に起源を持つトーリーとホイッグの二大党派がやがてそれぞれ保守党と自由党という近代政党に発展し、二大政党政を築いていた。
 マルクスがロンドンで亡命生活を送っていた時期は、ちょうどこの保守/自由二大政党政が最盛期を迎えていた時期であった。この二大政党のうち、カトリック派ジェームズの即位に反対した党派に起源を持つ自由党はその名のとおりリベラルな政党であった。
 同党の主要な支持基盤は商業ブルジョワジーであり、ある意味では資本主義の代表政党でもあったが、リベラルで比較的進歩主義的な気風から、労働党が創設され全国政党に成長するまでは、労働者階級の利益をも間接的に代弁する政党であった。特にヴィクトリア朝時代に計四度にわたり首相を務めたグラッドストンは労働組合法を制定し、組合のスト権を解禁するなど、労働政策でも重要な足跡を残した。
 このように19世紀後半の英国では、まだ存在しない労働党を自由党が言わば「代行」するような仕組みが出来上がっていた。西欧でも労働組合の活動自体が抑圧されがちであった当時にあって、資本主義の世界帝国で先進的な労働政策が進められていたのであった。その延長上に労働党の結成が見えてくる。
 マルクスはプロレタリア革命の手法について、武装蜂起のほかに平和的な方法もあり得ることを指摘し、その可能性がある国の一つに英国を挙げていたが、その預言は完全には的中しなかったとはいえ、半分くらいは当たっていた。当たらなかったのは、労働党が自由党を押しのける形で二大政党の一角に座り、長い時間をかけて事実上自由党化していった歴史の進路である。
 英国で共産党の遠い親類として始まった英国労働党という独特の労働者階級政党の歴史を検証することは、共産党という政治マシンが成功することのなかった「平和革命」の意義と可能性とを改めて再考するうえでの反証的な素材ともなるはずである。

コメント

旧ソ連憲法評注(連載第10回)

2014-08-15 | 〆旧ソ連憲法評注

第二編 国家と個人

 総則編としての第一編に続く第二編は、「国家と個人」という見出しの下に、個人の権利と義務に関する条項がまとめられている。いわゆる人権カタログ―言わば、社会主義的人権カタログ―に相当する部分である。その特徴としては、人一般の基本的人権ではなく、ソ連市民の基本的権利(基本権)という形式で規定されていること、またブルジョワ憲法の人権カタログに比べ、義務に関する規定が詳細であり、個人的な自由と社会的な義務を同等に置く傾向が挙げられる。

第六章 ソ連国籍/市民の同権

 本章は人権カタログの総則に当たる部分であり、基本権の前提となる国籍に関する条項に始まり、法の下の平等、男女の平等、人種・民族の平等という三つの平等条項、そして外国人の権利に関する規定を含んでいる。中心は三つの平等条項にあり、自由の前提に平等を置く社会主義的人権カタログの特徴を明確に示している。

第三十三条

1 ソ連においては、単一の連邦国籍が定められる。連邦構成共和国のすべての市民は、ソ連市民である。

2 ソヴィエト国籍の取得および喪失の事由および手続きは、ソ連国籍法が定める。

3 国外にいるソ連市民は、ソヴィエト国家の保護と援護をうける。

 見たとおり、国籍に関する条項である。ソ連は連邦国家であったが、通常の連邦制とは異なり、共和国連邦制という形態のため、すべての市民はソ連邦と構成共和国に二重帰属しつつ、単一の連邦国籍が付与されるという複雑な地位にあった。
 なお、第三項で、国家任務として当然の在外国民の保護と援護を憲法上の権利として保障しているのは、進歩的な規定であった。

第三十四条

1 ソ連市民は、出生、社会的地位、財産状態、所属する人種もしくは民族、性、教育程度、言語、宗教にたいする関係、職業の種類および性格、居住の場所またはその他の事情に関係なく、法律のもとで平等である。

2 ソ連市民の同権は、経済的、政治的、社会的および文化的な生活のすべての分野で保障される。

 法の下の平等条項であり、日本国憲法第十四条と酷似している。自由の前提に平等を置くとはいえ、「法の下の平等」という形式的平等理念は階級分裂を前提とするブルジョワ的な平等哲学に由来しており、それをほぼそのまま踏襲しているのは、ブルジョワ憲法の克服を目指したはずの社会主義憲法としては不足の感がある。

第三十五条

1 女性と男性は、ソ連において平等の諸権利をもつ。

2 これらの権利の行使は、教育、職業訓練、就職、労働にたいする報酬、昇進、社会的、政治的活動および文化的活動において、男性と平等の機会が女性にあたえられること、女性の労働と健康の保護のための特別の措置、女性の労働と母性の両立を可能にする条件の創出、ならびに妊婦と母親にたいする有給休暇その他の特典の供与および幼児をもつ女性の労働時間の漸次的短縮をふくむ母性および児童にたいする法的保護および物質的、道徳的な支援によって保障される。

 本条は両性平等に関する条項であるが、第二項で女性の地位の向上のための社会的な支援が詳細に定められている点で、進歩的であり、形式的な平等にとどまらない実質的な平等の保障を目指す社会主義的な特徴を持つ規定である。この規定により旧ソ連では女性の就労率は高かったが、ソ連解体後、ブルジョワ憲法に後戻りしても、なおロシアの女性の就労率は旧西側諸国より高い。

第三十六条

1 さまざまな人種および民族のソ連市民は、平等の諸権利をもつ。

2 これらの権利の行使は、ソ連のすべての民族および小民族を全面的に発展させ、接近させる政策、市民にたいするソヴィエト愛国主義および社会主義的国際主義の教育ならびに自国語およびソ連の他の民族の言語をつかうことができることによって、保障される。

3 どのようなことであれ、市民がどの人種または民族に属するかによって、直接もしくは間接に市民の権利を制限し、または反対に直接もしくは間接に市民に特権をあたえること、ならびにあらゆる人種的、民族的な排外主義、憎悪または軽蔑の宣伝は、法律によって処罰される。

 本条は、他民族国家ならではの人種・民族平等に関する条項であるが、第三項でヘイトクライムに関する処罰化が明確に規定されている点で進歩的であった。第二項は微妙な問題を含む条項で、民族的平等をソヴィエト愛国主義および社会主義的国際主義の教育と民族語の保持によって止揚的に達成しようとする試みであったが、成功したとは言い難く、むしろソヴィエト愛国主義に偏り、民族性の抑圧につながっていた。

第三十七条

1 外国市民および無国籍者は、ソ連において、法律の定める権利および自由を保障され、自分に属する人格権、財産権、家族にかんする権利およびその他の権利の保護のため、裁判所その他の国家機関に提訴する権利を保障される。

2 ソ連の領土にいる外国市民および無国籍者は、ソ連憲法を尊重し、ソヴィエトの法律を遵守する義務をおう。

 次条と併せ外国人の権利義務に関する規定を持つソ連憲法は、国民国家の枠組みを優先し外国人の権利条項を欠くことが多いブルジョワ憲法に比べ、国際主義的な視野に立っていた。中でも本条は無国籍者をも外国市民と同等に処遇する点で、進歩的であった。

第三十八条

ソ連は、勤労者の利益もしくは平和の事業の擁護、革命運動もしくは民族解放運動への参加または進歩的な社会的・政治的、科学的もしくは他の創造的活動のため迫害されている外国人に、避難権をあたえる。

 これも通常のブルジョワ国民憲法には見られない亡命権に関する条項である。この規定により、ソ連は世界各国から社会主義者・共産主義者の亡命を受け入れていたが、一方で、ソ連市民の海外亡命は厳しく取り締まっていた。

コメント

アメリカ憲法瞥見(連載第3回)

2014-08-08 | 〆アメリカ憲法瞥見

第一条(立法府)

第五項

1 両議院は、各々その議員の選挙、選挙の結果および資格に関して判定を行うものとする。各々の院は、その議員の過半数をもって議事を行うに必要な定足数とする。定足数に満たない場合においても、 翌日に延会とし、各々の院の定める方法および制裁によって、欠席議員の出席を強制することができる。

2 両議院は、各々その議事規則を定め、秩序を乱した議員を懲罰し、三分の二の同意によって議員を除名することができる。

3 両議院は、各々その議事録を作成し、その院が秘密を要すると判断する部分を除いて、随時これを公表しなければならない。各院の議員の表決は、いかなる議題についても、出席議員の五分の一の請求があれば、これを議事録に記載しなければならない。

4 連邦議会の会期中、いずれの院も、他の院の同意がなければ、三日間を越えて休会し、またはその議場を両院の開会中の場所から他へ移すことはできない。

 本項から第七項までは、議事手続や議院の内部統制、議員の特権等に関する細目的な規定が続く。内容的には、日本国憲法の規定にも影響を及ぼしており、類似の条項が見える。
 本項は、議院の資格争訟裁判や懲罰権のような各議院の自立的な内部統制権、定足数、議事録作成・公開義務、休会などの諸規定の雑多な集まりである。二院制とはいえ、各院はこれらの手続きをそれぞれ別個に独立して遂行するが、三日を越える長期の休会と議場移転に関しては他院の同意を要することとして、二院の協調性を保持しようとしている。

第六項

1 元老院議員および代議院議員は、その職務に対し、法律の定めるところにより、合衆国の国庫から支出される報酬を受ける。両院の議員は、叛逆罪、重罪および社会の平穏を害す罪を犯した場合を除いて いかなる場合にも、会期中の議院に出席中または出退席の途上で、逮捕されない特権を有する。議員は、議院で行った演説または討論について、院外で責任を問われない。

2 元老院議員および代議院議員は、その任期中に新設または増俸された合衆国の文官職に任命されることはできない。合衆国のいかなる官職にある者も、その在職中に、いずれの議院の議員たることはできない。

 本項第一号は、連邦議会議員の歳費請求権、不逮捕特権、免責特権という三つの古典的特権に関する規定である。日本国憲法にも類似の規定が見られるが、不逮捕特権に関して、米憲法では叛逆罪などでの例外がかなり広く認められているうえ、議院に出席中または出退席の途上の不逮捕に限られ、議員の地位が不安定な点はより古典的である。 

第七項

1 歳入の徴収を伴うすべての法律案は、さきに代議院に提出しなければならない。但し、元老院は、他の法律案の場合と同じく、これに対し修正案を発議し、または修正を付して同意することができる。

2 代議院および元老院を通過したすべての法律案は、法律となるに先立ち、合衆国大統領に送付されなければならない。大統領は、承認する場合はこれに署名し、承認しない場合は、拒否理由を付してこれを発議した院に返付する。その院は、拒否理由すべてを議事録に記載し、法律案を再び審議する。再議の結果、その院が三分の二の多数でその法律案を可決したときは、法律案は大統領の拒否理由とともに他の院に送付される。他の院でも同様に再び審議し、三分の二の多数で可決したときは、法律案は法律となる。この場合にはすべて、両議院における投票は点呼表決によるものとし、法律案に対する賛成者および反対者の氏名は、各々の院の議事録に記載されるものとする。大統領が法律案の送付をうけて十日以内(日曜日を除く)に返付しないときは、その法律案は、大統領が署名した場合と同様に法律となる。但し、連邦議会が休会に入り、法律案を返付することができない場合は、この限りでない。

3 両議院の同意を要するすべての命令、決議または表決(休会にかかわる事項を除く。)は、これを合衆国大統領に送付するものとし、大統領の承認を得てその効力を生ずる。大統領が承認しないときは、法律案の場合について定める規則と制限に従い、元老院および代議院の三分の二の多数をもって、再び可決されなければならない。

 歳入の徴収を伴うすべての法律案について代議院の先議権を規定する本項第一号は、代議院優先主義の最も明瞭な現れである。とはいえ、法律案の修正権を握る元老院は、第三項の弾劾裁判権と合わせ、チェック機関として相当の重みを持っており、単なる名誉機関ではない。
 第二号及び第三号は法律案その他の重要議案に対する大統領の事前承認/拒否権に関する規定である。議会中心主義ゆえ、合衆国大統領は議案の提出権を持たない反面、事前承認/拒否権を通じて自己の政策を立法府に反映させることができる。しかし、大統領が拒否権を行使しても、議会は特別多数決で再可決することで立法府の意思を貫徹することができる。このようにして、立法府と行政府の相互牽制を効かせる仕組みであるが、それは時として両府間の衝突と政治閉塞を招くことにもなる。

コメント

アメリカ憲法瞥見(連載第2回)

2014-08-07 | 〆アメリカ憲法瞥見

第一条(立法府)

 米憲法前半の三つの条文は順に立法・行政・司法に充てられており、米憲法が古典的な三権分立イデオロギーに立脚していることを物語っている。わけても筆頭の第一条は立法府に関する詳細な規定であり、そこに含まれる条項数も10個と最多である。単刀直入に議会条項から始まる構成の憲法は珍しいが、ここには米憲法が議会中心の議会制民主主義を採用していることが示されている。

第一項

この憲法によって付与されるすべての立法権は、元老院と代議院で構成される合衆国連邦議会に属する。

 簡単な一文の中で、代議制民主主義及び二院制という二つの原則を提示している。元老院・代議院は通常上院・下院と訳されるが、憲法原文では上・下の語は使われていないので、あえてこのように古典的な逐語訳を充てる。

第二項

1 代議院は、各州の州民が二年ごとに選出する議員でこれを組織する。各州の選挙権者は、州の立法府のうち議員数の多い院の選挙権者となるのに必要な資格を備えていなければならない。

2 年齢二十五歳に達していない者、合衆国市民となって七年に満たない者、および選挙された時にその選出された州の住民でない者は、代議院議員たることはできない。

3 代議院議員と直接税は、連邦に加わる各州の人口に比例して各州間に配分される。各州の人口は、年期を定めて労務に服する者を含み、かつ、納税義務のないインディアンを除いた自由人の総数に、自由人以外のすべての者の数の五分の三を加えたものとする。実際の人口の算定は、合衆国連邦議会の最初の集会から三年以内に、それ以後は十年ごとに、議会が法律で定める方法に従って行うものとする。代議院議員の定数は、人口三万人に対し一人の割合を超えてはならない。但し、各々の州は少なくとも一人の代議院議員を選出するものとする。・・・後略 

4 州の選出代議院議員に欠員が生じたときは、その州の行政府は、欠員を補充するための選挙実施の命令を発しなければならない。

5 代議院は、議長その他の役員を選任する。弾劾の訴追権限は代議院に専属する。

 本条項は、代議院の選挙方法と構成、さらに弾劾裁判の訴追権について定めた規定である。代議院条項が元老院条項に先行するのは、下院に相当する代議院を優先することの現れである。また代議院の選挙権・被選挙権が州のそれと連動しているのは、州を基盤とした連邦制ゆえの規定である。
 第三号はいわゆる議員定数均衡の原則であり、これが憲法に明定されているのも、各州間の代表不均衡を生じさせないようにする配慮からであり、一般的・抽象的な投票価値の平等からのものではない。この点で、連邦制を採らない日本にこのアメリカ的な定数均衡原則を直接に持ち込むことは適切と言い難い面がある。
 なお、同号が自由人以外の奴隷を五分の三の端数として算定する差別的な規定は合衆国が人種差別的な白人国家として出発したことを示しているが、今日では平等な市民権を保障する修正第一四条によって修正されている。ちなみに、同号が定める連邦直接税の人口比例原則も、修正第一六条により個人単位の平等な課税原則に修正されている。

第三項

1 合衆国元老院は、各州から二名ずつ選出される元老院議員でこれを組織する。元老院議員は、各州の立法府によって、六年を任期として選出されるものとする。元老院議員は、それぞれ一票の投票権を有する。

2 第一回選挙の結果にもとづいて元老院議員が集会したときは、直ちにこれをできるだけ等しい人数の三組に分ける。議員の三分の一が二年ごとに改選されるために、第一組の議員の任期は二年目の終わりに、第二組の議員の任期は四年目の終わりに、第三組の議員の任期は六年目の終わりに終了するものとする。州の立法府が閉会中に、辞職その他の理由で元老院議員に欠員が生じたときは、州の行政府は、州の立法府がつぎの開会時に欠員を補充するまでの間、臨時の任命を行うことができる。

3 年齢三十歳に達していない者、合衆国市民となって九年に満たない者、および選挙された時にその選出された州の住民でない者は、元老院議員たることはできない。

4 合衆国の副大統領は、元老院の議長となる。但し、可否同数のときを除き、表決には加わらない。

5 元老院は、議長を除く他の役員を選任する。副大統領が欠けた場合、または副大統領が合衆国大統領の職務を行う場合には、臨時議長を選任する。

6 すべての弾劾を裁判する権限は、元老院に専属する。この目的のために集会するときには、議員は、宣誓または宣誓に代る確約をしなければならない。合衆国大統領が弾劾裁判を受ける場合には、最高裁判所長官が裁判長となる。何人も、出席議員の三分の二の同意がなければ、有罪の判決を受けることはない。

7 弾劾事件の判決は、職務からの罷免、および名誉、信任または報酬を伴う合衆国の官職に就任し在職する資格の剥奪以上に及んではならない。但し、弾劾につき有罪判決を受けた者が、法にもとづいて、起訴、公判、判決、または処罰の対象となることを妨げない。

 本項は元老院の選挙方法と構成、弾劾裁判における審理・判決について定めた条文である。元老院は各州から平等に二名ずつ選出される州代表院でもあり、ここにも州を基盤とする連邦制の特質が示されている。ただし、選挙方法に関しては、第二号で定める州議会による複選制が修正第一七条により直接選挙制に改正されており、その限りで州代表院としての性格は希釈されている。
 貴族制度が禁止されるアメリカで、元老院議員が元老たるゆえんは、州代表であること、及び第二号にあるように年齢と市民としての居住年数の長さだけである。
 行政府ナンバー2の副大統領が当然に元老院議長を兼務し、可否同数の際の決裁権を持つ構制は、その限りで行政府と立法府を結合させ、議院内閣制に接近するが、副大統領が元老院議員自体を兼務することは認められない。

第四項

1 元老院議員および代議院議員の選挙を行う日時、場所、方法は、各々の州においてその立法府が定める。但し、連邦議会は何時でも、元老院議員を選出する場所に関する事項を除き、法律によりかかる規則を制定し、または変更することができる。

2 連邦議会は、毎年少なくとも一回集会するものとする。会期の開始時期は、法律で別の日が指定されない限り、十二月の第一月曜日とする。

 連邦議会の選挙及び選挙後の集会について定めた統一規定である。連邦議会選挙の日時、場所、方法の決定権が第一次的に州議会に与えられているのも、州を基盤とする連邦制の現れである。なお、第二号の連邦議会会期の開始日は、修正第二〇条により、一月三日正午に改正されている。

コメント

世界共産党史(連載最終回)

2014-08-06 | 〆世界共産党史

結語

 見てきたように、ロシアに発祥した共産党という近代政党は、20世紀を通じて全世界に拡散していった。例外は、政党政治が未発達なままの島嶼国家が多いオセアニアだけである。
 ここで一つの謎となるのは、マルクスが後半生を送り、最大の研究対象とした階級社会英国では、共産党が全く伸びなかったことである。英国共産党は1920年の結党から間もない22年の総選挙で早くも1議席を獲得したものの、その後浮沈を繰り返し、45年の総選挙で初めて2議席を獲得したのを最後に、50年以降は議席を喪失した。こうした「英国の謎」については、別連載を通じて個別に解明してみたい。
 ともあれ、共産党はまだ総本山ソ連が健在だった頃から、ばらばらに断片化していた。それはソ連共産党を中心とした「正統派」のほかにトロツキスト、毛沢東主義者の分派政党に分裂し、さらにその政治的位置も独裁政党から万年野党、議会外野党、武装ゲリラ政党に至るまで、千差万別であった。 
 そうした中、ソ連邦解体後の1998年にギリシャ共産党の呼びかけで「国際共産主義・労働者党会議」が結成され、改めて世界の主だった共産党が一堂に会する国際共産主義運動が立ち上げられた。これはコミンテルンの解散以来の国際共産主義運動の再結集であるが、一部の独裁政党を除き、参加党の多くが議会外野党もしくは少数野党という状況では、年次総会もほとんど注目されることなく、国際政治における影響力はほとんどなきに等しい。
 共産党という政党組織自体、ロシア革命の特殊な所産であり、ロシア革命とその波及力が消滅した時点で、共産党組織も効力を失ったのである。共産党という統一的な政治マシンを通じた共産主義の実現はもはや望めず、別の新たな組織と方法論の開発が必要とされている。拙見である民衆会議構想はその一例である。(了)

コメント

世界共産党史(連載第19回)

2014-08-05 | 〆世界共産党史

第9章 ソ連邦解体後の共産党

3:朝鮮の「主体社会主義」
 朝鮮民主主義人民共和国では建国以来、朝鮮戦争を越えて南北分断状況が続く中、他名称共産党としての労働党が一党支配体制を維持してきたが、中国共産党をはじめ、ソ連邦解体後の同種支配政党が程度の差はあれ、開発独裁党路線へ進む中、独自の社会主義を純化する独異な路線を歩んでいる。
 朝鮮労働党はすでに60年代からソ連や中国とも異なる独自の社会主義思想として「主体」(チュチェ)思想を掲げ、国家イデオロギーとしていたが、それは建国者にして党創設者でもあった金日成とその子孫を最高指導者として絶対的に奉じる個人崇拝の体制を根拠づける理念であり、事実上の世襲制に基づく一族社会主義という他に例を見ないものである。
 ただ、実質的に見れば朝鮮流にモデルチェンジされたスターリン主義の亜型とも言え、徹底したイデオロギー統制と粛清・強制収容を伴う厳格な社会統制は、ある意味でスターリン主義の究極点を示している。ジョージ・オーウェルが小説『1984年』の世界で描いた「偉大なる兄」が独裁支配する全体主義国家は、朝鮮において驚くほど現実のものとなっているとも言える。
 ただ、最大の援助国であったソ連が解体した後は、経済運営で困難に直面し、次第になし崩しの市場経済化が図られる中、2010年には党規約から共産主義の文言が削除されたことで、朝鮮労働党はもはや他名称共産党でもなくなり、主体思想に基づく独自の社会主義政党として純化されることになった。
 しかし、一族支配維持のためのイデオロギー統治と体制護持を担保する核開発のような軍事が最優先され、開発独裁党路線には乗り遅れる中、後ろ盾である中国との関係も冷却し、困難はいっそう増している。

4:「緑の共産主義」の模索
 ソ連邦解体後の残存共産党の多くが、社民主義的転換か開発独裁党路線かという岐路に直面する中、第三の道として、環境主義との合流を目指す潮流も生じている。その先駆けは、ポルトガル共産党であった。
 ポルトガル共産党は30年代から74年の民主革命まで長く続いたファシスト政権の下では非合法化され弾圧される存在であったが、左派青年将校が主導した74年の革命後は革命政権に浸透して社会主義的な改革を実現させた。
 しかし、75年、革命のさらなる急進化を狙ったクーデターが鎮圧され、革命が収束した後は議会政党としての道を歩み、87年以降は環境政党・緑の党と「民主統一連合」を組んで選挙参加し、議会では統一会派「民主介入」を形成している。
 この赤‐緑連合は、共産党と緑の党という他国では理念や党運営の相違から疎遠な関係にありがちな二党が合併しないまま長く連合体制を維持する稀有の事例であるが、これとは別に、北欧では2004年に環境社会主義的な国際政党連合として「北欧緑左派同盟」がアイスランドで結成された。この国際同盟の中心政党はスウェーデン共産党を前身とする左派党であるが、核となったのはアイスランドの環境左派政党・緑左派運動である。
 この「緑左派」はもはや文字どおりの共産党を主体とする運動ではなく、環境的持続可能性を目指す社会主義という新たな理念に基づく独自の潮流と言うべきであるが、欧州議会では各国共産党が加わった統一会派「欧州統一左派/北欧緑左派同盟」を形成する形で、共産党とも拡大連合している。
 このような環境に重点を置く社会主義の新潮流は元来環境意識の高い欧州ならではのものであるが、共産党を緑色に変えるところまでは進んでおらず、共産党にとって脅威となる緑の党の台頭に対抗するため、「環境」に便乗したユーロコミュニズムの新たな生き残り戦術ではないかとの辛辣な見方を払拭できるほどの展開を見せるかどうかは未知数である。

*アイスランドの緑左派運動は、2017年総選挙で第二党につけ、同党議長カトリーン・ヤコブスドッティルを首相とする保守系及び中道系政党との大連立政権を率いることとなった。早くも政権政党となったわけだが、このような既存政党、それも保守系との雑居的連立による党本来の理念の後退が懸念される。

コメント

世界共産党史(連載第18回)

2014-08-04 | 〆世界共産党史

第9章 ソ連邦解体後の共産党

1:社民主義的転換の波
 世界の共産党総本山であったソ連共産党が指導するソ連は1980年代、大きな壁にぶつかる。巨大化した党組織は官僚主義を極め、一個のメガ官庁のようなものになっていた。一党独裁下で党に利権が集中し、党幹部の汚職が蔓延、自慢の計画経済も官僚主義に染まり、機能不全に陥っていた。
 80年代後半から、ゴルバチョフ書記長の下で大規模な改革「ペレストロイカ」が実施され、限定的な市場経済原理の導入、最終的には党の指導性の否定にまで行き着くが、すべてが中途半端に終わり、成功しなかった。
 89年には、ソ連の衛星国東ドイツで非武装革命が成功し、冷戦の象徴であった東西ドイツを隔てる「ベルリンの壁」が開かれ、東ドイツ国家が消滅した。他の東欧衛星諸国にも同種の革命が波及していく中、ソ連では91年8月、ペレストロイカに反発する党内保守派がゴルバチョフの追放を狙って起こしたクーデターが急進改革派と市民の抵抗で失敗に終わったのを機に、同年末、ソ連邦が解体、それに伴いソ連共産党の命脈も尽きた。
 こうして共産党総本山が突然消滅したことの影響は大きく、他国の共産党または他名称共産党の多くも従来のマルクス‐レーニン主義を放棄し、改めて社会民主主義への転換を図り、党名変更する潮流が生じた。
 一方、一足早く社民主義的転換を図っていたユーロコミュニズムの旗手イタリア共産党は、ソ連共産党解体に先立つ91年2月、党名を左翼民主党に改称し、明確に共産主義と決別した。そして中道保守勢力との連合を経て、2007年には中道左派・民主党に再編された。
 こうした社民主義的転換を明示しない共産党にあっても、ソ連邦解体後は革命路線を放棄し、議会政治への参加を主要な活動とすることで、資本主義体制に順応していく傾向が顕著に見られる。
 そうした中、93年にソ連共産党の後継政党として再建されたロシア連邦共産党は独自の路線を歩んできた。同党はマルクス‐レーニン主義をなお放棄することなく、社会主義の復活をあえて綱領に掲げ、議会選挙を通じて党勢回復を図ってきた。その結果、95年から03年までは下院第一党の座を確保した。その後プーチン大統領率いる愛国保守政党の台頭により低落、政権獲得の可能性は乏しいものの、有力な野党であり続けている。

2:開発独裁党路線
 ソ連邦解体後の共産党(名目共産党を含む)のもう一つの身の振り方として、開発独裁党路線がある。その代表的モデルが中国共産党の「社会主義市場経済」である。
 中国共産党内では、すでに中ソ対立でソ連離れを来たしていた60年代から資本主義的モチーフを伴った経済改革を志向するグループが見られたが、文化大革命はこうした流派(走資派)に反発した最高指導者毛沢東をはじめとする保守派の反撃という一面があった。
 しかし、毛没後の70年代末、文化大革命後の国家再建過程で復権し、最高実力者として台頭した旧走資派トウ小平を中心に、市場経済原理を積極導入する経済開発に本格着手した。この路線はソ連邦解体後、いっそう明瞭になり、共産主義を事実上棚上げして、資本主義的経済発展を目指す方向を突き進んでいる。言わば「共産党が指導する資本主義」である。
 同様の路線は、共産党ないし他名称共産党が一党支配を維持している東南アジアのベトナムやラオス、アフリカのアンゴラやモザンビークといった諸国でも程度の差はあれ、採用されている。
 一方、アメリカ地域で唯一一党支配体制を維持するキューバ共産党は、革命指導者カストロの長期執権下でソ連モデルを忠実に維持していたが、2011年のカストロ引退後、遅ればせながら市場経済原理の導入を図り始めている。ただカストロ存命中の現時点ではその歩みはなお慎重に見え、世界で最も保守的な統治共産党となっている。

コメント