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共産論(連載第32回)

2019-04-29 | 〆共産論[増訂版]

第5章 共産主義社会の実際(四):厚生

(5)環境‐福祉住宅が実現する

◇家賃orローンからの解放
 資本主義社会において住宅は福祉の問題としては認識されておらず、それはもっぱら所有の問題、もっと言えばステータスの問題として扱われてきた。
 その結果、持てる者=住宅所有者/家主、持たざる者=借家人/野宿生活者という階級格差が最も露骨に立ち現れるのが住宅問題なのであるが、この住宅階級構造の中では、持たざる者は家賃の支払いに苦しんでいるばかりでなく、持てる者もしばしば住宅ローンの返済に悩んでいる。持てる者も持たざる者も、「住む」という人間の生存の根幹部分を巡り、債務者という受動的な地位に立たされ、呻吟しているのだ。
 特に借家人の地位は従属的である。借家人は、家主に生存そのものを支配されており、その社会的立場は弱いから、地域コミュニティーでも主体的な地位を獲得できず、賃貸住宅の増加はそうした地域コミュニティー自体の弱化・解体にもつながってきた。
 その点、すでに第2章でも先取りしたとおり、貨幣経済が廃される共産主義社会では、当然にも貨幣で家賃を支払う賃貸住宅という制度は存立の余地がない。このことによって、世界中で膨大な数の人々が借家人という不安定な地位から解放される。これもまた、かなり大きな社会革命と言えるのではないだろうか。
 同時に、貨幣経済の廃止は住宅ローンのような悪制にも終止符を打つ。これまた、一つの朗報ではないだろうか。

◇公営住宅供給の充実
 それでは、共産主義的住宅政策とはいかなるものか。まず、暮らしに関わる生活関連行政の拠点である市町村が公営住宅供給の中心主体となる。
 資本主義下の公営住宅は低所得者向けの低家賃賃貸住宅ものがもっぱらであるが、共産主義的公営住宅はより一般向けのものであり、入居条件に特段の制限はなく、入居期間も無制限、相続も原則として認められる。またこうした一般向け住宅とは別に、前節で見たような高齢者向けケア付き住宅や障碍者向けサポート付き住宅の供給も促進されるだろう。(※)
  なお、共産主義社会でも個人の住宅所有が許されることは第2章で見たとおりである。ただ、共産主義社会における持ち家は住宅ディベロッパーによって既製品的に供給されるのではなく、各自が専門の建築士に依頼し設計してもらう注文生産方式に変わるであろう(もちろん自作も可能である)。住宅建設も大工の職人組合的な組織が担うようになり、伝統的職人世界の復権も見られるに違いない。

※これら公営住宅の日常的な管理運営は、大規模な市や町にあっては最小自治単位としての街区に委託して分権的な運営を図ることも一考に値する。

◇環境と福祉の交差
 ところで、住宅問題とは環境と福祉とが交差する領域でもある。その意味で、理想の住宅とは環境的持続可能性に配慮された設計(住宅の周辺環境も含めて)と高齢者や障碍者にとっても住みやすいユニバーサル設計とが組み合わさった「環境‐福祉住宅」だと言ってよい。
 このようなことは効率と高機能が優先されがちな資本主義的住宅ではスローガンにとどまり、容易に実現し難いことであろう。共産主義はそうした環境‐福祉住宅の建設を高度に促進する。
 例えば、公営住宅については入居者の状態いかんを問わず例外なく標準的なユニバーサルデザイン設計が施される―このことは老人ホームや障碍者施設を解体する脱施設化の物理的条件でもある―ばかりでなく、同時に省エネ住宅の供給、特に既存公営住宅の省エネ・リフォームを一大プロジェクトとして実施するほか、住宅周辺の緑地公園化も推進する。
 また、しばしば資本主義的近代化の象徴とみなされる高層住宅化は、歴史的景観という文化的な環境を害しがちであることから、共産主義的住宅政策では、新規建設の場合は可能な限り中・低層化が図られるであろう。そのために新たに必要とされる宅地は土地管理機関の管理下に移された旧商業用地や旧資本企業が所有していた遊休地等を再利用した宅地開発によってまかなわれる。
 このようにして、共産主義は資本主義の下では巨額財源を必要とする環境‐福祉住宅プロジェクトも難なく実現するが、これまた「財源なき福祉」ならではの芸当だと言える。


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