ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

試金石のウクライナ問題

2014-02-27 | 時評

日本ではあまりなじみのない旧ソ連邦構成国ウクライナで続く政治混乱は、東欧のこの貧しい国がロシア対EUの代理戦争の場となっているという点で、ソ連邦解体後の世界秩序の一端を示している。

EUはソ連邦解体後、旧ソ連陣営の東欧諸国を取り込んで東方に拡大し、もはや「西欧」だけの共同体ではなくなり、世界秩序のキープレーヤーとして台頭してきた。一方で、ソ連の看板を下ろした再生ロシアは旧ソ連圏で再び覇権を握り、EUに対抗しようとしている。

こうしたEUとロシアの綱引きの中に巻き込まれたウクライナは歴史上キエフを首都とするロシアの発祥地でもあり、元来はロシアと一体だった。だが、その後ロシアと分かれ、ポーランド・リトアニアの支配・影響下に置かれるが、帝政ロシアが北方の大国として台頭すると、ロシアに従属し、ロシア革命後はソ連邦内でロシアに次ぐ枢要構成国ながら、ロシア化され閉塞していた。

ソ連邦解体後、独立を果たすも、共産党一党支配下で隠蔽されていた親露系の東部と親欧系の西部の対立が独立後「民主化」の過程で導入された西欧流党派政治の中で顕在化してきた。そこへ再生ロシアとEU両極が付け入って、東西関ヶ原の戦いの様相となった。

こたびは「西軍」に軍配が上がった形だが、根本的な解決にはならない。大国がパワーゲームをやめない限り、ウクライナの政争は終わらないだろう。さしあたりウクライナが中立国となることが混乱収拾の唯一の選択肢であるが、独立後導入された「民主的な」党派政治がその障害要因となりかねない。

かくして歴史的にも国家の領域的な枠組みが曖昧で、大国に翻弄され、分裂も経験してきたウクライナの再分裂の危機は、国家及び国際関係なるものの本質をめぐる困難な試金石である。

コメント

貨幣的ディストピア

2014-02-27 | 時評

現在、取り付け騒ぎが起きているビットコインは、国家による経済規制を嫌う資本主義者にとってはユートピアなのかもしれない。たしかにビットコインの概念には、ユートピア思想に共通する無国家のモチーフが認められる。

しかし、ビットコインでは貨幣廃止は構想されず、それどころか国家なき通貨制度が夢想されている。一方で売買・換金は国家発行の通貨によるなど、中途半端に国家の存在を前提ともしている。そのあたりに無理があるようだ。

近代貨幣は国家と相即不離である。貨幣は発行権者たる国家の信用と管理の下で、初めて安全に通用する。発行国家のない貨幣は、商品券等と変わらない。

しかし、ビットコインは発行企業体のある商品券ですらないから、ビットコインとは誰も管理しない電子的な数的価値を交換機能付きで投資対象としたうえ、銀行ならぬ取引所に口座機能まで与えてしまう大胆極まりない金融システムである。

国境を越える世界通貨は国家ですら管理困難な怪物と化しているのに、そもそも責任ある管理者がなければ、通貨という怪物は野放図な怪獣として暴れ回るだろう。その意味で、ビットコインは、ユートピアというより、ディストピアに分類したほうがよいのかもしれない。

キプロス危機とビットコイン危機━。影響規模は比較にならないが、共に取り付け騒ぎを引き起こしたこの二つの通貨危機は、貨幣という人工物の恐怖を体験できる警鐘的出来事と認識されるべきではないか。

[追記]
問題の渦中にあり、28日に事実上経営破綻した取引仲介会社の公式発表によると、ビットコインはシステムの脆弱性を突いた外部からの不正アクセスによるコイン盗難によって消失した可能性が高いという。それが真相だとすると、今回の問題は外部的要因によるものだったことになるが、ネット上の仮想通貨にとってシステムの安全性は単なる外部条件ではなく、不可欠の存立基盤であるから、これをもってビットコインそのものは全く安全であるとは言い得ないであろう。それどころか、通貨そのものが「消失」してしまうという通常の金融機関ではまず考えられない極大リスクがあり得ることを示している。

[追記2]
2015年8月、経営破綻した取引仲介会社の元CEO(フランス国籍)が日本警察に逮捕された。直接の逮捕容疑は、社内システムを不正に操作し、自己名義の口座残高を大幅に水増しした私電磁的記録不正作出・同供用容疑ということだが、顧客からの巨額の預かり金も消失しており、業務上横領容疑でも調べを進めるという。被疑者は否認しており、真相解明はこれからだが、仮に被疑事実が真相だとすると、この事件はビットコイン取引所経営者による個人的な不正だったことになる。私設の通貨取引所ではこうした人為的な不正も十分に起こり得る。私的通貨制度に内在するもう一つのリスクである。

[追記3]
業務上横領や私電磁的記録不正作出・同供用罪の罪で起訴された元CEO(マルク・カルプレス被告人)について、2019年3月、東京地方裁判所は、横領については無罪、私電磁的記録不正作出・同供用罪については懲役2年6月、執行猶予4年の判決を言い渡した。横領の無罪に関して、検察側は控訴せず、その部分の判決は確定した。被告人側の控訴及び上告は2021月1月までに棄却され、有罪判決が確定した。

コメント

沖縄/北海道小史(連載第13回)

2014-02-27 | 〆沖縄/北海道小史

第五章 軍国期の両辺境(続)

【15】沖縄戦への道
 大日本帝国の南方進出策の中間点にすぎなかった沖縄では、北海道のような軍事化は当初進められなかったが、国民皆兵策の施行においては、遅れて本土並みの適用を受けるようになっていく。本土語の話せない沖縄出身兵士は軍隊内差別などの困難にも見舞われながら、日本軍兵士として献身していく。
 こうした沖縄の軍事的な日本統合は、一方では近代的な地方行政制度の導入や、内発的な民主化運動の成果もあって1912年に実現した国政選挙への参加といった限定的な民主化をセットで伴ってもいたのだった。
 沖縄の軍事化が明確な形をとって現れるのは、日米開戦後、戦局が悪化する中で、日本軍部・政府が沖縄を本土防衛上の要地として利用する策に出てからであった。
 南西諸島防衛の強化に着手した軍部・政府は沖縄各地で土地を強制収用し、飛行場の敷設に乗り出す。これは戦後、占領軍を送り込んだ米国がより大々的に同様の手法を採り、沖縄が「基地の島」にされていく先駆けとも言えた。
 こうした沖縄軍事化の集大成は、大戦末期1944年における陸軍第32軍の設置であった。これは沖縄に司令部を置く初めての軍団であり、米軍を主体とする連合国軍の上陸に備える守備隊の役割を担った。
 この第32軍守備下で発生したのが、沖縄近代史上最も悲惨な結果を招いた沖縄戦であった。この自滅的な戦闘をめぐっては、特に最期的に発生した一般住民の集団自殺が軍の命令によるものであったかどうかが議論される。
 これについては様々な見解があり、たとえ仮に軍の公式命令ではなかったとしても、集団自殺という特異な現象を伴った沖縄戦の本質は大戦の中の単なる激戦のエピソードではなく、本土が沖縄を盾として利用し、最後は捨て駒にしたという辺境切捨ての意義を持っていたことにあったと言える。
 同時に、連合国とりわけ米国にとっても、沖縄戦は日本の降伏を引き出す最初のカードであった。思えば、これは米国が鎖国日本に開国を迫った時に琉球上陸を足がかりとしたのと同じ戦略である。

コメント

沖縄/北海道小史(連載第12回)

2014-02-26 | 〆沖縄/北海道小史

第五章 軍国期の両辺境(続)

【14】戦時下の北海道
 北海道は、明治維新後早くから国土防衛の要地として軍事化されてきたが、日中戦争勃発以降、戦争が長期化すると、この傾向は一段と強まった。それに伴い、大資本が進出していた北海道では、軍需経済が発展した。
 民生部門でも労働者不足を補うため、日本の支配下で朝鮮人・中国人労働者の徴用が大々的に行われ、炭鉱や土木などの分野で重労働に投入された。とりわけ広大な北海道では朝鮮人労働者をもってしてもカバーし切れないところを中国人労働者で補充したため、中国人労働者の動員は全国でも最多となった。こうした植民地人の重労働では、明治期の開拓時代に展開されたタコ部屋労働が応用された。
 一方、明治以降の開発の結果、有数の穀倉地に発展していた北海道は、戦時農業政策の拠点ともなった。その一環として、1938年から39年にかけて、北海道庁は「戦時農業生産拡充計画」を策定し、農業の計画生産体制を整備した。戦況が悪化し、徴兵動員が増加したことに伴い、男子農業者が決定的に不足した44年になると、学徒動員の形で「北海道援農部隊」が組織され、農村労働力不足を補う非常手段が採られた。
 ところで、明治以来北海道を拠点としてきた陸軍第七師団は、日本陸軍の主力部隊の一つとして日中戦争勃発後は関東軍の指揮下に編入され、39年のノモンハン事件でも出動し、ソ連軍と交戦した。日米開戦後は南洋にも転戦したが、その後は北海道に帰還、司令部を帯広に移し、北方守備に専従するようになる。
 しかし日本が制海権を喪失した終戦間際になると、北上した米海軍による室蘭、釧路、根室の主要軍需産業都市を中心とした空襲作戦にさらされ、計3000人近くの死者を出したが、最大都市札幌の被害は小規模で、日本本土主要都市の中では京都と並び壊滅を免れた。
 45年8月、通説によれば日本のポツダム宣言受諾・降伏の引き金となったソ連の対日参戦が始まると、ヤルタ会談に基づき、ソ連軍は当時日本が実効支配していた南樺太、千島列島に進攻、日本の無条件降伏後もなお択捉、国後、色丹、歯舞などを次々と占領していった。
 想定されていたソ連軍の北海道侵攻は、無条件降伏直後の千島列島占守島での激戦の末、停戦・武装解除が成立し、回避し得たことが、敗北の中での日本軍最後の「戦果」となった。
 とはいえ、公式の終戦日8月15日以降に行われた樺太の戦いでは、軍部が本土決戦用の玉砕人海戦力として組織していた国民義勇戦闘隊が唯一実戦投入されたほか、沖縄戦同様の集団自決も見られた。さらには住民の疎開の遅れや疎開船へのソ連軍の攻撃により、民間人の犠牲も甚大であった。

コメント

NHKからNKHへ

2014-02-23 | 時評

会長以下、新経営陣の右翼的逸脱発言が相次ぐNHKだが、驚くには当たらない。現在、安倍政権はいまだかつてないほど公共放送への影響力を強めようとしている真っ最中だからだ。会長以下、多数の取り巻きを送り込んだのはその手始めにすぎない。

その行き着く先にあるのは、NHKの事実上の国営放送化である。もともと受信料という名の事実上の税金を徴収し、経営計画に政府・国会が関与するNHKは限りなく国営放送に近く、その政治番組はおおむね政府見解に沿うものであるが、公共放送は一定の自律性を保持することから、従軍慰安婦問題などでは、安倍首相とその仲間たちを激怒させるような番組を制作しようとしたこともあった。

安倍首相は就任前、自己の価値観に敵対するようなNHKの番組作りの現場に圧力をかけ、番組内容を変更させたのではないかとの疑惑の渦中に立たされたことへの“反省”に立って、個人的にもNHKの統制に並々ならぬ関心を持っているはずである。

だが、公共放送のタテマエを維持しながら、政府の非公式な統制を及ぼし、事実上国営放送化するような不透明なやり方はすべきでない。政府も自身の情宣機関を持ちたいならば、事実上でなく、法的にもNHKを国営放送化すればよい。幸いにして、日本放送協会ならぬ日本国営放送はNHKをNKHに一文字入れ替えれば済むことであるから、簡単だ。

こうして日本放送協会(NHK)を日本国営放送(NKH)として再編し、その番組作りもすべて政府の承認の下に行うほうが、公共放送の自律性に対する幻想から視聴者を解放することができるだろう。要するに、NHKならぬNKHの放送はすべて政府の意を体しているという事実を承知のうえで視聴すればよいのである。

もう一つ、国営放送化されれば、その経営には国費が直接充てられるから、受信料という根拠も曖昧な強制献金から国民が解放されるということも、大きな利点である。二段階消費増税を予定しているご時勢、家計負担の軽減策にもなるはずだが。

コメント

沖縄/北海道小史(連載第11回)

2014-02-12 | 〆沖縄/北海道小史

第五章 軍国期の両辺

【13】両辺境の軍事化
 あらゆる国家にとって辺境は侵犯されやすく、防衛上の要地となるため、辺境地方は軍事化されやすい。ことに日本のような四囲を海で囲まれた海洋国家の場合、国境線はあいまいなため、辺境島嶼地方の面的な防衛が必要となる。
 この点、極東膨張政策を続けていたロシア帝国が近くに迫る北海道は、北辺防衛の要地として、明治維新後早くから意識的に軍事化が進められてきた。農業開発を兼ねた屯田兵制度はその最初の一歩であった。しかし近代的軍事制度が整備されると、屯田兵は近代陸軍に置き換えられ、1896年には北海道を根拠地とする陸軍第七師団が設置され、役割を終えた屯田兵制度は1904年に廃止となった。
 この北海道防衛を任務とする第七師団の初代師団長は、屯田兵司令官や北海道庁長官も務めた旧薩摩藩士の永山武四郎少将(後に中将)であった。永山は鹿児島出身ながら北海道に骨を埋めるよう遺言したほど、北海道の開拓と防衛に尽力した近代的職業軍人の第一世代であった。
 その後、第七師団は北海道防衛の任務を超えて日露戦争やシベリア出兵、満州侵略作戦などにも投入された陸軍主力部隊の一つとなり、北海道は民生面の開発とともに、軍事的な要衝島としても発展していく。
 このように北海道では対ロシア防衛を意識して早くから軍事化が進んだのに対し、沖縄の軍事化は北海道よりも遅れる。国民皆兵制は日本に併合された沖縄にも当然適用され、1888年には沖縄県全域での徴兵・召集等の兵事事務を担う沖縄警備隊区(後の沖縄連隊区)が設置されたとはいえ、沖縄での実際の徴兵は本島でも98年、先島諸島では1902年になってからであった。
 沖縄は今日でこそ日本の南辺として防衛上の要地とされるが、明治政府が日清戦争に勝利した結果、日本の南方領土は台湾まで延伸されることになった。結局、沖縄併合は日本の帝国主義的な南方膨張政策の初めの一歩にすぎず、沖縄は南進の出発点のような位置づけであった。
 そのため、沖縄ではかえって北海道のような軍事化は推進されず、沖縄防衛は熊本に司令部を置く陸軍第六師団の管轄であった。沖縄防衛に特化した軍司令部が置かれるのは、第二次世界大戦も末期、敗色濃厚となった1944年に設置され、悲惨な結末を迎える運命となる陸軍第32軍が初めてである。

コメント

ソチと性的少数者

2014-02-08 | 時評

7日に挙行されたソチ五輪開会式にアメリカをはじめ、欧米主要国首脳が出席しなかった。その理由の一つに、ロシアが導入した同性愛宣伝禁止法なる時代錯誤の弾圧政策が挙げられた。開会式前日のIOC総会の会議では、国連事務総長が性的少数者への差別に反対を表明した。

これほどまで性的少数者の人権問題が国際的にクローズアップされる状況は、画期的と言える。少なくとも同性愛者を処罰することにつながる抑圧政策に対しては、国際的にも批判網が形成されつつあるということである。しかし、なお限界がある。

一つはそうした批判網が専ら欧米諸国中心にとどまっており、アジア・アフリカにはいまだ同性愛処罰政策を保持する諸国が少なくないことである。アジアにあっても、日本は伝統的に同性愛を処罰する政策を持たないにもかかわらず、安倍首相がしっかり出席したのは、自国の非処罰政策に対する確信を持っていない―必ずしも処罰に反対しない―証拠ともなる。

もう一つの限界は、これまでのところ、国際社会での動きが同性愛を処罰から解放する自由主義的な観点にどとまっていることである。処罰からの解放は重要な一里塚ではあるが、まだ多くの諸国で結婚から同性愛者が排除され、同性愛者の家族形成の権利が侵害されていることへの国際的な批判網は見られない。

欧州のいくつかの国や米国の一部の州ではすでに同性婚の解禁に踏み切るところも出てきているが、国連をはじめ国際社会ではこうした自由権中心の解放から社会権中心の解放への転換はまだ先のことのようである。

とりあえずは同性婚そのものではなく、最低限同性間パートナーシップのような準婚制度の先行導入を国際的に呼びかけていくことは、各国で同性婚に反対する保守派との妥協的な落としどころとなると考えられる。

コメント