ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

晩期資本論(連載第19回)

2014-12-31 | 〆晩期資本論

四 剰余価値の生産(2)

労働時間の延長、すなわち長時間労働は剰余価値生産の最も端的な方法であるが、それはモデル的な方法論にとどまり、実際にはさほど単純な話ではない。

・・・必要労働の剰余労働への転化による剰余価値の生産のためには、資本の労働過程をその歴史的に伝来した姿または現にある姿のままで取り入れてただその継続時間を延長するだけでは、けっして十分ではない。労働の生産力を高くし、そうすることによって労働力の価値を引き下げ、こうして労働日のうちのこの価値の再生産に必要な部分を短縮するためには、資本は労働過程の技術的な社会的諸条件を、したがって生産様式そのものを変革しなければならないのである。

 経営者であれば、誰もが経験的に知っているイノベーションの必要性である。イノベーションは生産効率を上げるが、その真の隠された目的は労働力の価値の引き下げにあり、それは剰余価値の生産の現実的な二つ目の方法になる。

労働日の延長によって生産される剰余価値を私を絶対的剰余価値と呼ぶ。これにたいして、必要労働時間の短縮とそれに対応する労働日の両成分の大きさの割合の変化とから生ずる剰余価値を私は相対的剰余価値と呼ぶ。

 簡単に言えば、長時間労働による搾取で生み出される剰余価値が絶対的剰余価値であり、生産効率を上げることで生み出される剰余価値が相対的剰余価値である。相対的というのは、必要労働時間の短縮により、絶対的な剰余価値は減少しているかに見えながら、剰余労働は延長され、実質上は長時間働かせたのと同等かそれ以上の剰余価値を生産していることを意味している。

・・・新しい方法を用いる資本家が自分の商品を1シリングというその社会的価値で売れば、彼はそれをその個別的価値よりも3ペンス高く売ることになり、したがって3ペンスの特別剰余価値を実現する。

 ここでマルクスが挙げている事例は、一労働時間=6ペンス(半シリング)相当、商品一個の原料その他生産手段も6ペンスと想定して、12時間労働で商品12個を生産していたものを、イノベーションにより12時間労働で24個生産できるようになったいう場合、生産手段の価値が不変なら一個の商品の個別的な実質価値は1シリング(12ペンス)から9ペンスに低下するが、このうち生産手段相当の6ペンスを引いた残り3ペンスが新たに付加された価値となるというものである。この商品を資本家が1シリングで売るとすると、3ペンス分が特別剰余価値として実現される。これが、相対的剰余価値のからくりである。資本家の経験的な観点で言えば、安売り競争である。

ある一人の資本家が労働の生産力を高くすることによってたとえばシャツを安くするとしても、けっして、彼の念頭には、労働力の価値を下げてそれだけ必要労働時間を減らすという目的が必然的にあるわけではないが、しかし、彼が結局はこの結果に寄与するかぎりでは、彼は一般的な剰余価値率を高くすることに寄与するのである。

 資本家・経営者がどこまで理論上明確に意識しているかはともかく、従来、資本主義の全盛期には、技術革新が高度化するとともに、労働時間の規制も進み、相対的剰余価値の生産が安定的に行なわれてきたが、資本のグローバルな競争の激化した晩期資本主義にあっては―技術革新も一段落し、限界に達しつつある―、再び労働時間の延長による絶対的剰余価値の生産も展開され、両者が組み合わさってきている。

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晩期資本論(連載第18回)

2014-12-30 | 〆晩期資本論

四 剰余価値の生産(1)

 今年11月時点で、日本における非正規労働者が2000万人、役員を除く被用者のおよそ4割に到達したという(総務省調査)。雇用状況改善の中身が、非正規雇用形態の増加にあることを裏づけている。こうした労働者の地位の弱化は晩期資本主義の典型的な特徴であり、マルクス的な視座からみれば、資本間の生き残り競争が激しさを増す中で、資本が剰余価値の効率的な生産のために躍起となっていることを示している。

・・・資本にはただ一つの生活衝動があるだけである。すなわち、自分を価値増殖し、剰余価値を創造し、自分の不変部分、生産手段でできるだけ多量の剰余労働を吸収しようとする衝動である。

 マルクスは続けて、「資本はすでに死んだ労働であって、この労働は吸血鬼のようにただ生きている労働の吸収によってのみ活気づき、そしてそれを吸収すればするほどますます活気づくのである。」といつになくオカルト的な描写すらしている。しかし、これが資本の自然な性質であって、資本に悪意はない。

・・・本質的に剰余価値の生産であり剰余労働の吸収である資本主義的生産は労働日の延長によって人間労働力の萎縮を生産し、そのためにこの労働力はその正常な精神的および肉体的な発達と活動との諸条件を奪われるのであるが、それだけではない。資本主義的生産は労働力そのものの早すぎる消耗と死滅とを生産する。それは、労働者の生活時間を短縮することによって、ある与えられた期間のなかでの労働者の生産時間を延長するのである。

 剰余価値の生産は、最も端的には労働日(時間)の延長によって達成される。これは絶対的剰余価値の生産とも言い換えられる。その重大な結果は、過労/過労死である。
 年末に発表された政府系研究機関の調査によると、「心の不調」により退職した労働者は13パーセントに上り、中でも非正規労働者の割合が高いという。「体の不調」まで合わせれば、もっと高い率の退職者がいるだろう。晩期資本主義はこうして「労働力そのものの早すぎる消耗と死滅」を加速させることでも、墓穴を掘り進んでいる。

・・・資本主義的生産の歴史では、労働日の標準化は、労働日の限界をめぐる闘争―総資本家すなわち資本家階級と総労働者すなわち労働者階級とのあいだの闘争―として現れる。

 労働時間の延長によってより多くの剰余価値を生産しようとする資本に対して、労働者側は労働時間を適正な範囲に制限しようとすることから、資本家と労働者の闘争が始まる。この図式は基本的に晩期資本主義においても不変であるが、晩期には労働者階級側の闘争力の低下が目立つ。団結性の弱い非正規労働者の増加は、その原因でもあり、結果でもある。
 マルクスの時代には、非正規労働に相当するのは少年と女性の労働であったが、そうした搾取労働の結果引き起こされる事態として、パンに明礬を混ぜたりする不純製造や鉄道事故の頻発の例が挙げられている。現代でも、食品偽装事件や交通機関の重大事故の背後には搾取の構造がある。

標準労働日の創造は、長い期間にわたって資本家階級と労働者階級とのあいだに多かれ少なかれ隠然と行なわれていた内乱の産物なのである。

 今日、多くの資本主義国で労働時間の規制を軸とする労働基準法が制定されている。こうした規制は決して自然発生したものではなく、資本家vs労働者の闘争の結果として生まれたものであった。
 しかし、晩期資本主義においては、こうした闘争の歴史も忘れられかけており、「労働ビックバン」などの名において再び労働時間規制が骨抜きにされようとする揺り戻し現象が起きている。晩期資本主義は労働基準法が欠如していた18世紀ないし19世紀とは異なり、法がありながら、労働者の対抗力の弱化のために絶対的剰余価値の生産が再び活発になり始めた時期とも言えるだろう。

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旧ソ連憲法評注(連載第31回)

2014-12-27 | 〆ソヴィエト憲法評注

第十九章 国家権力および行政の地方諸機関

 本章は、構成共和国・自治共和国より下位の地方主体の行政機構について定めている。

第百四十五条

地方、自治州、自治管区、地区、市、市内の地区、町および農村居住地における国家権力機関は、それぞれの人民代議員ソヴィエトである

 下位の地方主体にも、ソヴィエト機関が設置された。これら地方ソヴィエトは地方議会のような自治体機関ではなく、言わばソヴィエトの地方出先機関であった。以下、第百四十八条までは、地方ソヴィエトの権限に関する規定が続くが、個別の評注は割愛する。

第百四十六条

1 地方人民代議員ソヴィエトは、全国家的利益およびそのソヴィエトの地域に住む市民の利益にもとづき、地方的意義をもつすべての問題を解決し、上級の国家機関の決定を実施し、下級の人民代議員ソヴィエトの活動を指導し、共和国的および連邦的な意義をもつ問題の討議に参加し、それらについて提案をする。

2 地方人民代議員ソヴィエトは、その地域において国家建設、経済建設、社会的、文化的建設を指導し、経済的、社会的発展計画および地方予算を承認し、自分に属する国家機関、企業、施設および団体を指導し、法律の遵守ならびに国家的秩序、公共の秩序および市民の権利の保護を保障し、国の防衛力の強化を助ける。

第百四十七条

地方人民代議員ソヴィエトは、その権限の範囲内で、その地域の総合的な経済的および社会的発展を保障し、その地域にある上級所属の企業、施設および団体による法令の遵守を監督し、これらによる土地利用、自然保護、建設、労働力の利用、日用品の生産ならびに住民にたいする社会的、文化的および日常生活上その他のサービスの分野における活動を調整し、監督する。

第百四十八条

地方人民代議員ソヴィエトは、ソヴィエト連邦、連邦構成共和国および自治共和国の法令によりあたえられた権限の範囲内で、決定を採択する。地方ソヴィエトの地域にあるすべての企業、施設および団体ならびに公務員および市民は、地方ソヴィエトの決定を執行しなければならない。

第百四十九条

1 地方人民代議員ソヴィエトの執行処分機関は、ソヴィエトがその代議員のなかから選挙する執行委員会である。

2 執行委員会は、一年に一回以上、自分を選挙したソヴィエトにたいして、ならびに労働集団の集会および居住地ごとの市民集会において、報告を行なう。

 地方ソヴィエト執行委員会は連邦や共和国レベルの大臣会議に相当する機関である。知事や市町村長が存在しない代わりに、合議体としての執行委員会が地方行政を担っていた。執行委員会は、次条のように、地方ソヴィエトと上級の大臣会議の両方に属した。

第百五十条

地方人民代議員ソヴィエト執行委員会は、自分を選挙したソヴィエトおよび上級執行処分機関の両者にたいして、直接に報告義務をもつ。

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旧ソ連憲法評注(連載第30回)

2014-12-26 | 〆ソヴィエト憲法評注

第六編 連邦構成共和国における国家権力および行政の諸機関の構成の諸原則

 長いタイトルの編であるが、前編が連邦の中央統治機構に関する編だったのに対し、本編はソ連を構成する共和国とそこに内包される自治共和国、さらに地方の統治機構に関する編である。

第十七章 連邦構成共和国の国家権力および行政の最高諸機関

 本章は、ソ連を構成する共和国の統治機構に関する規定である。言わば、ソ連邦レベルの統治機構の縮小版である。

第百三十七条

1 連邦構成共和国の国家権力の最高機関は、連邦構成共和国最高会議である。

2 連邦構成共和国最高会議は、ソ連憲法および連邦構成共和国憲法により連邦構成共和国の管轄に属するすべての問題を解決する権限をもつ。

3 連邦構成共和国憲法の採択および改正、連邦構成共和国の経済的、社会的発展国家計画、国家予算およびそれらの執行報告の承認ならびに自分にたいし報告義務をもつ機関の設置は、連邦構成共和国最高会議だけが行なう。

4 連邦構成共和国の法律は、連邦構成共和国最高会議により、または連邦構成共和国最高会議の決定により実施される人民投票(レファレンダム)により、採択される。

 構成共和国にあっても、全権統括機関としての最高会議が設置され、ソ連最高会議と同様、共和国の権限に属する事項全般を掌握していたが、実際は構成共和国レベルの共産党指導部に実権があった。

第百三十八条

連邦構成共和国最高会議は、連邦構成共和国最高会議の常時活動する機関であり、その全活動について連邦構成共和国最高会議にたいして報告義務をもつ最高会議幹部会を選挙する。連邦構成共和国最高会議幹部会の構成および機関は、連邦構成共和国憲法が定める。

 構成共和国最高会議にも常設機関としての幹部会が設置されたが、その組織構成は構成共和国憲法に委ねられていた。

第百三十九条

1 連邦構成共和国最高会議は、連邦構成共和国大臣会議、すなわち連邦構成共和国の国家権力の最高の執行処分機関である連邦構成共和国政府を組織する。

2 連邦構成共和国大臣会議は、連邦構成共和国最高会議にたいして責任をおい、報告義務をもち、最高会議の会期と会期のあいだは、連邦構成共和国最高会議幹部会にたいして責任をおい、報告義務をもつ。

 構成共和国にも内閣に相当する大臣会議が設置された。ソ連大臣会議の構成共和国版である。以下の条項もソ連大臣会議の規定にほぼ準じているため、個別の評注は割愛する。

第百四十条

連邦構成共和国大臣会議は、ソ連および連邦構成共和国の法令ならびにソ連大臣会議の決定および処分にもとづき、またはこれらを執行するために決定および処分を公布し、その執行を組織し、点検する。

第百四十一条

連邦構成共和国大臣会議は、自治共和国大臣会議の決定および処分の執行を停止し、地方、州、市(共和国直轄市)の人民代議員ソヴィエトおよび自治州人民代議員ソヴィエト執行委員会の決定および処分を取消し、州の区画をもたない連邦構成共和国においては、地区およびそれに相当する市の人民代議員ソヴィエト執行委員会の決定および処分を取消す権利をもつ。

第百四十二条

1 連邦構成共和国大臣会議は、連邦構成共和国の連邦的・共和国的および共和国的な省および国家委員会ならびに自分に管轄に属するその他の機関を統合し、指揮する。

2 連邦構成共和国の連邦的・共和国的な省および国家委員会は、自分にゆだねられた管理部門を指導し、または部門間の管理を行ない、連邦構成共和国大臣会議および該当する連邦的・共和国的なソ連の省またはソ連の国家委員会の両者に従属する。

3 共和国的な省および国家委員会は、自分にゆだねられた管理部門を指導し、または部門間の管理を行ない、連邦構成共和国大臣会議に従属する。

第十八章 自治共和国の国家権力および行政の最高諸機関

 本章は、構成共和国に内包される自治共和国の統治機構に関する章である。これも連邦及び構成共和国のそれに準じるため、個別の評注は割愛するが、もともと自治共和国の自治権は制約されていたため、規定は二か条にどとまる。

第百四十条

1 自治共和国の国家権力の最高機関は、自治共和国最高会議である。

2 自治共和国憲法の採択および改正、自治共和国の経済的、社会的発展国家計画および国家予算の承認ならびに自分にたいし報告義務をもつ機関の設置は、自治共和国最高会議だけが行なう。

3 自治共和国の法律は、自治共和国最高会議が採択する。

【第百四一条】

自治共和国最高会議は、自治共和国最高会議幹部会を選挙し、自治共和国大臣会議すなわち自治共和国政府を組織する。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(11)

2014-12-21 | 〆リベラリストとの対話

9:環境計画経済について②

コミュニスト:環境計画経済については、まだいろいろと疑問をお持ちのようですので、伺っていきたいと思います。

リベラリスト:はい。前回は環境計画経済の理論的な基礎となる環境経済学の未発達という総論的な疑問を提起しましたが、実際、仮に環境計画経済を実行するとしても、その方法に関して疑問があります。あなたは、新しい計画経済として、旧ソ連型の行政主導ではなく、環境負荷産業を担う企業体自身による自主計画ということを提案されていますが、私の意見では、このようなお手盛りの計画手法では、結局企業体同士での談合のようになってしまうのではないかと思われるのです。

コミュニスト:すると、旧ソ連型の行政主導計画のほうがよいと?

リベラリスト:もちろん、行政主導すなわち官僚主導の「計画」ではあなたも指摘しているように現場無視になりがちですから、よいとは言いません。私の知る限り、ソ連でも計画プロセスに現場企業体を参加させて、現場の意見を反映させる努力はされていたようですが、それもうまく機能しなかったということではありませんか。

コミュニスト:表面的にはそのとおりですが、行政主導では現場の意見を反映するといっても限界があります。ですから、行政を排除して、現場が自主的に計画するのがよいのです。

リベラリスト:しかし、あなたの制度設計によると、計画策定に当たる経済計画評議会なる機関には事務局が置かれ、環境経済の専門家が所属することになっています。これでは、その評議会事務局と所属する専門家たちが事実上の計画官庁(官僚)化する恐れもあるのではないでしょうか。

コミュニスト:事務局の運営いかんではその恐れはあります。しかし、事務局にはあくまでも事務及び計画に必要となる環境経済的な調査・分析を提供する機能しかなく、実際に計画を策定するのは生産事業体(生産事業機構)自身なのです。

リベラリスト:あなたはそれを「共同計画」と言っていますが、実際のところ、個々の企業体は自己利益―せいぜい業界利益―のために動きがちですから、真の意味での「共同」は困難なのではありませんか。

コミュニスト:生産事業機構という大規模企業体は、それ自体が一つの「業界」のようなものです。例えば、自動車生産事業機構は、資本主義なら競合メーカーとして林立していたものが一個の生産企業体に包括されるわけです。

リベラリスト:そうだとしても、自動車生産事業体は自動車生産の業界利益を第一に考え、他業界のことに関心を向けない恐れがあります。

コミュニスト:私の誤解でなければ、あなたが「業界利益」と言われる場合、資本主義経済における利潤(総利潤)が念頭に置かれているように見えます。しかし、真の共産主義社会は貨幣交換をしないということを再確認する必要があります。企業体は利潤追求を目的としないので、ある意味では全企業体が公益団体化するようなものです。従って、資本主義下で想定されるような「業界利益」なる発想は消失するのではないかと思われます。

リベラリスト:なるほど。そうだとしても、各生産事業体が自身の生産計画を持ち寄るだけでは、統一された共同計画にはまとまらないのではありませんか。どのようにして、矛盾のない共同計画なるものを策定するのでしょうか。

コミュニスト:そうした総合と止揚の作業は評議会の審議を通じて行なわれます。経済計画評議会はソ連の国家計画委員会のような行政機関ではなく、立法機関に近い評議機関です。審議の結果可決された経済計画自体は法律ではありませんが、法律に準じた規範性を持つ指針です。

リベラリスト:その規範が適用される対象は、私の理解が正しければ計画経済の対象企業に限られると思われますが、経済活動は全体が有機的につながっていますから、計画対象外企業は計画に拘束されないとなると、経済混乱の原因となるのでは?

コミュニスト:計画対象外の企業もたしかに計画の影響を受けますから、無関心ではいられないはずで、その点、対象外企業も何らかの形で計画策定プロセスにおいて意見を提出できるような配慮は必要かと考えています。

リベラリスト:となると、計画策定は結構複雑で、時間を要するプロセスとなりそうな気がします。経済活動の停滞をもたらさないか心配です。

コミュニスト:経済活動にスピードを要求するのは、貨幣による取引決済をいちいち要する資本主義的な発想です。貨幣交換が廃される共産主義経済では、敏速より熟慮のほうが優先されるのではないでしょうか。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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スウェーデン憲法読解(連載第7回)

2014-12-20 | 〆スウェーデン憲法読解

第二章 基本的自由及び権利(続き)

財産の保護及び公衆の立入権

第一五条

1 すべての人の財産は、緊急の一般の利益を満たすために必要とされる場合を除き、すべての人に、収用若しくは他の同様の引渡しにより公的機関又は個人に対してその財産を放棄することを強制すること又は公的機関が土地若しくは建築物の使用を制限することを受忍することを強制することができないことにより保障される。

2 収用又は他の同様の引渡しによりその財産を放棄することを強制される者は、損失に対して完全な補償を保障されなければならない。補償は、問題となる不動産の一部において土地を使用することが相当な範囲内で困難となるような方法又は不動産の当該部分の価値との関連で損害が著しくなるような方法で、公的機関により土地又は建築物の使用を制限される者に対しても保障されなければならない。当該補償は、法律に定める根拠に従い、決定されなければならない。

3 ただし、健康保護、環境保全又は安全を理由とする土地又は建築物の利用の制限に際しては、補償に対する権利についての法律の規定が適用される。

4 前記の規定にかかわらず、すべての人は、公衆の立入権に基づき、自然を享受する権利を有する。

 本条以下の三か条は、財産権をはじめとする経済的自由に関する規定である。筆頭の本条は財産権の保障に関する規定であるが、通常のブルジョワ憲法のように私有財産の保障を正面から宣言するのでなく、私有財産が公共の利益のために制限されることを前提に、補償の権利について定めている点に、社会民主主義的な憲法の特色が表れている。特に、第三項では健康保護や環境保全、安全を理由とする場合、完全な補償は行なわれないことが示唆されている。
 第四項は、自然を享受する権利を保障するため、森林などを含む私有地への公衆の立入りを認めるという形で私有財産に制限をかける先進的な規定である。

著作権

第一六条

著作家、芸術家及び写真家は、法律の規定に基づき、その作品に対する権利を有する

 文言どおり、著作権に関する規定である。著作権を財産権の一環として扱う資本主義的な立場を前提としている。

商取引の自由

第一七条

1 商取引を行う権利又は職業活動を遂行する権利についての制限は、重大な一般の利益を保護するためにのみ導入することができ、単にある人物又は企業を経済的に優遇するために導入されてはならない。

2 トナカイを飼育するサーミ族の権利については、法律により規定する。

 商取引その他の経済活動の自由を保障する規定である。特権商人・企業を保護するための競争制限的な規制を禁止し、自由競争を保障している。この点で、スウェーデン憲法は自由主義経済体制を擁護する立場に立っている。
 第二項は、トナカイ遊牧民である少数民族サーミ族の権利を保障するものだが、内容はあげて法律の規定に委ねられている点で、不安定な権利となっている。

教育及び研究

第一八条

1 一般的な学習義務を有するすべての子どもは、普通学校において無償の基礎的教育を受ける権利を有する。公的機関は、高等教育機関を設置する責任を負わなければならない。

2 研究の自由は、法律に定める規定に従い、保護される。

 財産権の規定の直後に、教育・研究に関する規定が来る理由は必ずしも明確でないが、無償教育を受ける権利は教育費の負担からの免除という点で消極的な財産権に関わることや、研究の自由は研究者の職業遂行の自由に関わることから、この位置に置かれたものかと思われる。ただ、教育を受ける権利は広い意味では社会権に属する規定であるので、財産権に直後させることに憲法体系的な疑問は残る。
 第一項第二文で、大学を中心とする高等教育機関の設置を国や自治体など公的機関の責任として明言するのは、先進的な規定である。

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スウェーデン憲法読解(連載第6回)

2014-12-19 | 〆スウェーデン憲法読解

第二章 基本的自由及び権利(続き)

差別に対する保護

第一二条

法律又は他の法令は、民族的出自、皮膚の色若しくは他の類似の事情又は性的指向の観点から少数派に属することにより、不当に取り扱う規定を含んではならない。

 法の下の平等条項に相当する規定であるが、より踏み込んで少数派に対する差別の禁止という規範を明確にしている。ことに、性的指向による差別も明示している点は、先進的である。

第一三条

法律又は他の法令は、男性及び女性の間の同権を実現するための努力の一部を形成している場合又は国防義務若しくはそれに代替する義務を規定する場合を除き、性を理由として、不当に取り扱う規定を含んではならない。

 前条とは別途、ジェンダーによる差別禁止を取り出して規定したものである。ただし、男女差別撤廃のためにするクウォータ制のような優遇措置(アファーマティブ・アクション)や、兵役またはその代替義務に関して男女の性差を考慮することは許容している。

労働市場における争議行為

第一四条

労働者の団体並びに雇用者及び雇用者の団体は、法律又は協約が別に定める場合を除き、労働市場において争議行為を行う権利を有する。

 表題のとおり、労働基本権に関する規定である。ただ、争議権については言葉を濁す日本国憲法とは異なり、明確に争議権だけを取り出し、かつ雇用者側のストライキ(ロックアウト)まで規定しているのが特徴である。

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スウェーデン憲法読解(連載第5回)

2014-12-18 | 〆スウェーデン憲法読解

第二章 基本的自由及び権利(続き)

法的保障

第九条

1 裁判所以外の官庁が犯罪により、又は犯罪の疑いにより自由を剥奪した場合には、自由を剥奪された者は、不合理に遅延されることなく、自由を剥奪した機関を裁判所による審理に服させることができる。ただし、他の国の裁判所により科された自由刑を執行するため、スウェーデンに移送することが問題となっている場合は、この限りでない。

2 第一項に規定するものとは別の理由により、強制的に拘禁された者は、不合理に遅延されることなく、拘禁の件につき裁判所による審理を受けることができるものとしなければならない。そのような場合における参審による審理は、当該参審の構成が法律により定められ、かつ、当該参審の長を正規の裁判官とするとき又は裁判官であったものとするときは、当該参審による審理は、裁判所による審理と同等とみなされる。

3 審理が第一項又は第二項の規定に基づき、管轄権を有する官庁を指示していなかった場合には、審理は、通常裁判所によって行われなければならない。

 本条から第十一条までは、裁判を受ける権利をはじめとする米国憲法や日本国憲法上のデュー・プロセスの原則に相当する基本規定がまとめられている。
 筆頭の本条は、犯罪その他の理由で身柄を拘束された者が迅速に裁判を受ける権利を保障するものであるが、身柄拘束された者でなく、拘束した公的機関を審理に服させる権利として構成されているところが、先進的である。警察その他の強制機関は、司法的なコントロールの下に置かれることが明瞭にされている。

第一〇条

1 すべての人は、ある行為が実行されたときに、その行為に対し刑事制裁が科されると定められていなかった場合には、当該行為を理由として刑罰又は他の刑事制裁を科されてはならない。さらに、すべての人は、ある行為が実行されたときに定められていたものよりも重い刑事制裁を当該行為に対して科されてはならない。刑事制裁に関するこの規定は、没収及び他の特別な刑事制裁の法律効果についても適用される。

2 税及び国の公課は、税及び公課の義務をもたらす事態が生じたときに効力を有していた規定により課されるものよりも、広範囲に課されてはならない。ただし、議会が特別の理由が存在すると認める場合で、政府又は議会の委員会が議会に対して提案を行なっていたときは、当該事態が生じたときに法律が施行されていなかった場合であっても、当該法律は税及び国の公課を課すことを内容とすることができる。そのような提案を期待することについて政府が議会に文書により通知することは、提案と同様にみなされる。さらに、議会は、戦争、戦争の危険又は重大な経済危機の関連で、特別な理由により必要とされると認める場合には、第一文の例外を規定することができる。

 本条第一項は、刑罰その他の刑事制裁に関し、事後法禁止を定めている。同種の規定は日本国憲法にも存在する。特徴的なのは、第二項で税や公課に関しても、事後法禁止が明確にされていることである。税金に関心の高いスウェーデンならではのことである。
 ただし、税・公課に関しては例外も多く、特別の理由により政府または議会委員会が提案していた場合は、事後法を認めるほか、戦争やそれに準じる危機に際して、事後法の例外を規定することも認める。スウェーデンの実用主義的な一面が現れている。

第一一条

1 裁判所は、すでになされた行為について、及びある一定の紛争又はその他ある一定の目的について創設されてはならない。

2 訴訟手続は、法に従い、合理的な時間内に実施されなければならない。裁判所における審理は、公開とする。

 本条第一項は特別裁判所の禁止を定める。第二項は裁判遅延の禁止と公開原則を定める。日本国憲法のように、「迅速な裁判」という表現を用いず、「合理的な期間内」という現実的な基準にとどめるのも、裁判が拙速に走らないための実際的な工夫と言える。

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晩期資本論(連載第17回)

2014-12-16 | 〆晩期資本論

三 搾取の構造(6)

 生産物の価値a=不変資本c+可変資本v+剰余価値mという基本定式のうち、c+vが前貸し資本の総額Cであるが、これに剰余価値mが付加されて増殖された資本 C'が得られる。ただ、cは不変資本価値がそのまま生産物価格に移転するだけであるので、これを捨象すると、価値生産物v+mが残る。この縮小定式のうち、mをvで割った商、すなわち「可変資本の価値増殖の割合、または、剰余価値の比例量」が剰余価値率を示す。

可変資本の価値はそれで買われる労働力の価値に等しいのだから、また、この労働力の価値は労働日の必要部分を規定しており、他方、剰余価値はまた労働日の超過部分によって規定されているのだから、そこで、可変資本にたいする剰余価値の比率は、必要労働にたいする剰余労働の比率であ(る)。

 価値を時間の凝固として把握するマルクスの理論に従えば、ここで言う必要労働/剰余労働とは、それぞれ必要労働時間/剰余労働時間の対象化として把握されるが、この場合、必要労働時間とは「労働力という独自な商品の生産に必要な労働時間」―生活及び生殖に必要な労働時間―の意味であり、これまでの「一般に一商品の生産に社会的に必要な労働時間」の意味ではないと注記されている。つまり、同じ術語が二重の意味で用いられるという煩雑な説明となっている。ただ、労働力を一つの無形的な「商品」とみなすのであれば、両者は実質的に同じことを言っていることになる。

それゆえ、剰余価値率は、資本による労働力の搾取度、または資本家による労働者の搾取度の正確な表現なのである

 一番単純な例で言えば、必要労働6時間、剰余労働6時間なら、剰余価値率すなわち労働搾取度は100パーセントであり、必要労働の倍働かせる完璧な搾取となる。もちろん100パーセントを越えるような超搾取も想定できる。反対に、搾取度は100パーセント未満であっても、労働内容が過酷であれば、実質的な搾取度は高度であることもあり得るので、この指標はあくまでも形式的な尺度にとどまるが、マルクスの労働分析では最重要のキー概念となる。

・・この剰余労働が直接生産者から、労働者から取り上げられる形態だけが、いろいろな経済社会構成体を、たとえば奴隷制の社会を賃労働の社会から、区別するのである。

 奴隷制は、人身そのものを商品として売買の対象とし、主人が所有・使役することで成り立つ経済社会体であるのに対し、資本制は、自らの労働力を商品として売る労働者に、その買い手である雇用主が剰余労働を強いることで成り立つ経済社会体であることが、確認される。

必要労働時間と剰余労働時間との合計、すなわち労働者が自分の労働力の補填価値と剰余価値とを生産する時間の合計は、彼の労働時間の絶対的な大きさ―一労働日(working day)―をなしている。

 残業習慣のある社会の労働者ならば、この理は経験的に理解されるであろう。ただし、剰余労働=残業ではない。残業は典型的な剰余労働となり得るが、残業代が支払われる限りでは完全な不払い剰余労働ではない一方、残業なしでも、本業の長時間化によって実質的な不払い剰余労働が生じていることもある。

☆小括☆
以上、「三 搾取の構造」では、『資本論』第一巻第四章「労働力の売買」の積み残しから始めて、第五章「労働過程と価値増殖過程」、第六章「不変資本と可変資本」、第七章「剰余価値率」までを参照しながら、マルクスの解析に沿って資本主義的労働搾取の構造を見た。

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晩期資本論(連載第16回)

2014-12-15 | 〆晩期資本論

三 搾取の構造(5)

マルクスは剰余労働による資本の価値増殖という「貨殖の秘密」を解明しようとしたが、それをより抽象度の高い法則として定式化していく前提として、ある仮定をする。

・・・どの価値形成過程でも、より高度な労働はつねに社会的平均労働に還元されなければならない。たとえば、一日の高度な労働はx日の単純な労働に。つまり、資本の使用する労働者は単純な社会的平均労働を行なうという仮定によって、よけいな操作が省かれ、分析が簡単にされるのである。

 この仮定において、マルクスは複雑な高度労働を単純労働の倍数的集積として単純化していることがわかる。しかし、複雑労働ほどまさに複雑な内容を持ち、単純労働の倍数では表せないものである。晩期資本主義ではそのウェートが高まっている知識労働では特にそうである。また、多種類の労働について社会的平均労働なるものを平均値として正確に算出することは労働という営為の性質上困難であり、まさに仮定とならざるを得ない。このように分析を簡単にするために、二重の仮定操作が行なわれることで、マルクスの定式はいささか現実の資本主義労働の実態とずれた観念論に踏み込んでいくことにもなる。

労働者は、彼の労働の特定の内容や目的、技術的性格を別とすれば、一定量の労働をつけ加えることによって労働対象に新たな価値をつけ加える。他方では、われわれは消費された生産手段の価値を再び生産物価値を諸成分として、たとえば綿花や紡錘の価値を糸の価値のうちに、みいだす。つまり、生産手段の価値は、生産物に移転されることによって、保存されるのである。

 先の仮定どおり、労働の内容等を捨象した「単純化」により、価値増殖過程についてより抽象度の高い定式化へ進もうとしている。ここで言われる生産手段の価値移転は、労働過程の中で行なわれることを指摘しつつ、マルクスはその仕組みを縷々検討し、次の定式を抽出する。

 ・・・生産手段すなわち原料や補助材料、労働手段に転換される資本部分は、生産過程でその価値量を変えないのである。それゆえ、私はこれを不変資本部分、またはもっと簡単には、不変資本と呼ぶことにする。

 例えば、マルクスが例に取る紡績でいうと、綿花や紡錘などの生産手段が含有する価値量は、綿糸という生産物にそのまま移転される。ただし、「不変資本の概念は、その諸成分の価値革命をけっして排除するものではない」。例えば、1ポンドの綿花が今日は6ペンスであるが、明日は1シリングに値上がりすることは当然あり得るが、「この価値変動は、紡績過程そのものでの綿花の価値増殖にはかかわりがない」。つまり、不変資本であることに変わりない。

 これに反して、労働力に転換された資本部分は、生産過程でその価値を変える。それはそれ自身の等価と、これを越える超過分、すなわち剰余価値とを再生産し、この剰余価値はまたそれ自身変動しうるものであって、より大きいこともより小さいこともありうる。資本のこの部分は、一つの不変量から絶えず一つの可変量に転化して行く。それゆえ、私はこれを可変資本部分、またはもっと簡単には、可変資本と呼ぶことにする。

 剰余価値論を踏まえた定式化である。つまり、「労働過程は、労働力の価値の単なる等価が再生産されて労働対象につけ加えられる点を越えて、なお続行される。この点までは六時間で十分でも、それではすまないで、過程はたとえば一二時間続く。だから、労働力の活動によってはただそれ自身の価値が再生産されるだけでなく、ある超過価値が生産される」。すなわち剰余価値であり、このような価値増殖をもたらす資本部分が可変資本と抽象化されたことになる。

 以上の不変/可変資本の関係を記号的に表すと、不変資本c、可変資本v、剰余価値mとして、生産物の価値a=c+v+mなる基本定式が得られる。
 ちなみに、この不変資本と可変資本の割合は、技術革新によって大きく変動することがある。マルクスが挙げている例でいえば、従来は10人の労働者がわずかな価値の10個の道具で比較的少量の原料を加工していた町工場的な経営から、1人の労働者が1台の高価な機械で100倍の原料を加工する最新工場に転換された場合、不変資本の価値量は飛躍的に増大するが、可変資本は逆に大幅に減少する。
 この資本構成の割合の変化は、不変/可変資本の相違自体には影響しないが、しかし、搾取の割合には影響してくる。この問題が次の課題となる。

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集団的不投票―無党派的抵抗

2014-12-14 | 時評

「アベノミクス解散」の投票日を迎えたが、メディアの予想では自民党圧勝だという。このような前打ち報道も圧勝をサポートしているように見えるのだが、もし本当に与党圧勝なら、それは指摘されているとおり低投票率のおかげであろう。

有権者の関心が低いタイミングを狙って解散し、低投票率にして与党を圧勝させるというのは、小選挙区制では一つの術策であるが、今回はその手が露骨に使われている可能性がある。

低投票率とはつまり棄権者が多いことを意味するが、教科書的には棄権は有権者の自己放棄・怠慢だとされる。しかし、筆者は単なる怠慢や諦めの境地からの棄権と、より積極的な政治的抵抗手段としての「不投票」を区別したい。

ここで言う「不投票」とは、選挙というプロセスに抵抗し、利権や特権の実現のために選出される議員や首長その他の公職者を当選させない積極的な政治的抵抗手段をいう。

外見上、棄権と不投票は似ているが、前者は有権者が個別に投票しないだけであるのに対し、後者はより意識的かつ集団的に投票しないという点で、大きな違いがあるのである。

その点、一部の有権者限りの中途半端な棄権が出ても、選挙自体は完全に有効であり、結果として与党の目論見どおりの「圧勝」がもたらされるだけである。しかし、仮に文字通りの集団的不投票により、有権者全員が投票しなければ、一人も当選人は出ないことになり、政権は成立せず、革命的状況となる。

ただ、これは理論上の想定であり、現状、そのようなことはなかなか期待できない。しかし、投票率が極めて低い選挙は法的に有効に成立し、数字上「圧勝」したとしても、政権は投票したほんのわずかな有権者の支持を得ただけであり、その民主的な基盤は空洞である。

「大義なき解散」とも評されたように、今般解散総選挙は9年前の「郵政民営化」解散総選挙以上に長期政権狙いの術策的な性格が濃厚である。真正な無党派を自認するなら、浮動的に投票するよりも、集団的に投票しないほうがかえって自身の「信条」に近くないだろうか―。

 

[追記]
本時評は、公開時には「集団的棄権―無党派的抵抗」と題していたが、その後の熟考を経て、掲記のタイトルに変更した。それに伴い、本文の内容も一部変更したが、全体の論旨に変更はない。なお、変更の経緯については、拙論『共産論』該当ページ下の注記(※)を参照されたい。

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旧ソ連憲法評注(連載第29回)

2014-12-12 | 〆ソヴィエト憲法評注

第百三十三条

ソ連大臣会議は、ソ連の法律ならびにソ連最高会議およびその幹部会のその他の決定にもとづき、またはこれらを執行するために決定および処分を公布し、その執行を点検する。ソ連大臣会議の決定および処分は、ソ連の全領土において執行されなければならない。

 ソ連大臣会議は、内閣の政令に相当する決定や処分を出す権限を与えられていた。

第百三十四条

ソ連大臣会議は、ソヴィエト連邦の管轄に属する問題について、連邦構成共和国大臣会議の決定および処分の執行を停止し、ならびにソ連の省、ソ連の国家委員会および自分に属する他の機関の法令を取消す権利をもつ。

 ソ連大臣会議は全行政組織の頂点にあったため、下位の機関の決定や法令等を取り消す権限をも与えられていた。

第百三十五条

1 ソ連大臣会議は、全連邦的および連邦的・共和国的なソ連の省、国家委員会および自分の管轄に属する他の機関の活動を統合し、指揮する。

2 全連邦的なソ連の省および国家委員会は、ソ連の全領土において、直接にまたはその設置する機関をとおして、自分にゆだねられた管理部門を指導し、または部門間の管理を行なう。

3 連邦的・共和国的なソ連の省および国家委員会は、原則として連邦構成共和国の対応する省、国家委員会およびその他の機関をとおして、自分にゆだねられた管理部門を指導し、または部門間の管理を行ない、連邦に属する個々の企業および企業統合体を直接に管理する。共和国または地方に属する企業または企業統合体の連邦への移管手続きは、ソ連最高会議幹部会が定める。

4 ソ連の省および国家委員会は、自分にゆだねられた管理の領域の状態と発展について責任をおい、その権限の範囲内で、ソ連の法律、ソ連最高会議およびその幹部会のその他の決定ならびにソ連大臣会議の決定および処分にもとづき、またはそれらの執行のために法令を公布し、その執行を組織し、点検する。

 ソ連大臣会議の下に設置される国家行政組織に関する規定である。部門別の省と国家委員会という構制は諸国の行政組織と大差はなく、縦割りのセクショナリズムの土壌となったであろう。そのうえ、共和国連邦という二重構制のため、全連邦的行政機関のほかに、連邦的・共和国的な行政機関も存在し、横割りのリージョナリズムの危険もあった。

第百三十六条

ソ連大臣会議およびその幹部会の権限、それらの活動手続き、大臣会議とその他の国家機関との関係ならびに全連邦的および連邦的・共和国的なソ連の省および国家委員会の名簿は、憲法にもとづき、ソ連大臣会議法が定める。

 ソ連大臣会議法は大臣会議の権限等やその下にある行政機関の組織に関して定める法律であり、日本の内閣法にほぼ相当するものと見てよいであろう。

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旧ソ連憲法評注(連載第28回)

2014-12-11 | 〆ソヴィエト憲法評注

第十六章 ソ連大臣会議

 ソ連体制はソヴィエトが全権を統括する会議体制であり、三権分立制にはよっていなかったが、便宜上、行政執行機関として、内閣に相当する大臣会議が設けられていた。

第百二十八条

ソ連大臣会議すなわちソ連政府は、ソ連国家権力の最高の執行処分機関である

 大臣会議すなわち政府という規定どおり、ソヴィエトを全権機関としながらも、大臣会議という形で行政府が事実上分化していた。

第百二十九条

1 ソ連大臣会議は、ソ連最高会議により、連邦会議と民族会議の合同会議において組織され、次の者で構成される。ソ連大臣会議議長、ソ連大臣会議第一副議長(複数)、および副議長(複数)、ソ連大臣(複数)、ならびにソ連国家委員会議長(複数)。

2 連邦構成共和国大臣会議議長の職にある者は、ソ連大臣会議の構成員となる。

3 ソ連大臣会議議長の提案にもとづき、ソ連最高会議は、ソ連のその他の機関および団体の指導者をソ連政府の構成員に加えることができる。

4 ソ連大臣会議は、新たに選挙されたソ連最高会議にたいし、その第一会期において辞表を提出する。

 ソ連大臣会議は、最高会議によって組織され、任期は次の最高会議の第一会期までである。その議長は西側ではしばしば「首相」と紹介されていたが、正確には大臣会議の議長職にすぎなかった。大臣会議の制度は構成共和国のレベルにも存在し、その議長はソ連大臣会議のメンバーたる連邦閣僚を当然に兼務した。

第百三十条

1 ソ連大臣会議は、ソ連最高会議にたいして責任をおい、報告義務をもち、ソ連最高会議の会期と会期のあいだは、ソ連最高会議幹部会にたいして責任をおい、報告義務をもつ。

2 ソ連大臣会議は、その活動についてソ連最高会議にたいして定期的に報告する。

 大臣会議は最高会議から独立した存在ではあり得ず、最高会議もしくは同幹部会に対して責任と報告義務を負った。この点では、日本国憲法上の責任内閣制に近い面があるが、それ以上に大臣会議は最高会議に服属した。

第百三十一条

1 ソ連大臣会議は、ソヴィエト連邦の管轄に属する行政のすべての問題を解決する権限をもつ。ただし憲法により、ソ連最高会議およびソ連最高会議幹部会の権限に属するものをのぞく。

2 ソ連大臣会議は、その権限の範囲内において、

一 国民経済および社会的、文化的建設の指導を保障する。人民の福祉および文化の向上の保障のための措置、科学および技術の発展、天然資源の合理的利用および保護のための措置、貨幣および信用の制度の強化、価格、労働報酬、社会保障にかんする統一的政策、国家保険組織および統一的な会計と統計の制度の実施のための措置を作成し、実施する。連邦所属の工業、建設および農業の企業および企業統合体、運輸企業、通信企業、銀行ならびにその他の団体および施設の管理を組織する。
二 ソ連の経済的、社会的発展の短期および長期の国家計画ならびにソ連国家予算を作成し、ソ連最高会議に提出する。国家計画および国家予算の実施のための措置をとる。計画の遂行および予算の執行にかんする報告をソ連最高会議に提出する。
三 国家の利益の防衛、社会主義的財産および公共の秩序の保護ならびに市民の権利および自由の保障および防衛のための措置を実施する。
四 国家的安全を保障する措置をとる。
五 ソ連軍の建設の一般的な指導を行ない、現役の軍務に徴集される市民の各年の定数を定める。
六 外国との関係、貿易ならびにソ連と外国との経済協力、科学技術協力および文化協力の分野において、一般的な指導を行なう。ソ連の条約の履行を保障する措置をとる。政府間協定を承認し、破棄する。
七 必要な場合、経済建設、社会的、文化的建設および国防建設の事項にかんする委員会、総管理局およびその他の官庁を、ソ連大臣会議のもとに設置する。

 ソ連大臣会議の権限を列挙した規定である。ほぼ西側の内閣の権限に相当すると言ってよいが、特に経済指導、国家計画に関する権限が重視されているのは、行政指令経済のシステムを反映している。

第百三十二条

国民経済の指導の保障に関連する問題および行政の他の問題の解決のために、ソ連大臣会議の常任機関として、ソ連大臣会議議長、第一副議長および同副議長により構成されるソ連大臣会議幹部会が活動する。

 大臣会議のメンバーたる閣僚は極めて多数に上ったため、最高会議と同様に幹部会を設置しなければならなかった。行政運営としては非能率であったが、スターリン以後のソ連では合議制を重視するシステムとなっていた。

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(10)

2014-12-07 | 〆リベラリストとの対話

8:環境計画経済について①

コミュニスト:前回の対論で、「自由な」共産主義体制では、どこまでが計画経済の範囲内なのかの振り分けが難しく、そこを誤ると経済混乱が避けられないだろうと言われました。そのお答えですが、環境計画経済という考え方から、計画経済の適用範囲は環境負荷的な産業であるというのが一応の基準となっています。

リベラリスト:趣旨はわかるのですが、その線引きはかなり曖昧で、判断に迷うでしょうね。それから、環境という視点でくくってしまうと、計画経済全体の設計はどうなるのだろうかという疑問も浮かびます。計画経済の本旨は需要と供給の事前調節という点にこそあるはずで、環境規制は第一の目的ではないですから。

コミュニスト:もちろん環境規制だけではなく、需要と供給の調節も計画経済の目的に含みますが、古典的な計画経済のように、需給調節ばかりに目を向けるのではなく、環境的持続可能性を規準とした需給調節が目指されるのです。

リベラリスト:一般論としては理解できますが、実際にはどのように計画を策定できるか、現状では環境経済学はまだ十分計量化されていないので、実際の計画策定では相当困難があると思います。環境経済学がもっと精緻なものとなるまでは、市場経済に一定の環境規制をかけるという間接的な環境政策によるほかないというのが、私の考えです。

コミュニスト:たしかに環境規準による計画が計量的に行えるかどうかという懸念はあると思います。その意味では、環境計画経済は今すぐ実行可能なシステムではなく、やはり未来に向けての提案の一つということになります。

リベラリスト:そうなるでしょうね。でも、地球環境のほうは待っていてくれませんから、未来の環境計画経済が完成するまで手をこまねいているわけにいかず、やはり現在実行可能な「環境市場経済」をまずは目指すべきではありませんか。あなたからは「緑の資本主義」などと揶揄されるかもしれませんが。

コミュニスト:もちろん、環境計画経済が完成するまで何もせずにいてよいなどとは言いませんし、おっしゃるような「環境市場経済」も否定しません。私の言う「緑の資本主義」とは、資本主義に対する何らの反省もなしに、ただ「環境対策」を万全にすればそれでよしとするような発想のことを指す言葉です。

リベラリスト:環境問題は資本主義vs共産主義の経済体制論とは別次元の問題と考えるべきでしょう。どのような経済体制であろうと、地球環境問題は優先課題です。たとえ共産主義でも環境破壊を引き起こす可能性はあります。

コミュニスト:そのとおりです。ですが、環境問題が資本主義vs共産主義の経済体制論と全く別次元の問題とは言い切れないと思います。資本主義は資本の自由に対する規制はいかなる名目があれ、忌避します。ですから、「環境市場経済」は実際のところなかなか進まないのです。環境破壊を引き起こすような経済開発優先の「共産主義」も想定はできますが、共産主義的計画経済のほうが環境規制との親和性ははるかに高いと思われます。その意味で、真の環境的持続可能性はやはり共産主義でしか達成できないと考えるのです。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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スウェーデン憲法読解(連載第4回)

2014-12-05 | 〆スウェーデン憲法読解

第二章 基本的自由及び権利(続き)

身体の不可侵性及び移動の自由

第四条

死刑は行われてはならない。

 本条以下五か条は、人身の自由に関する規定である。意見の自由に続いて人身の自由が規定されているのは、精神に関わる意見の自由を担保する身体の自由の保障を考慮してのことと考えられる。
 筆頭の本条は死刑の禁止を定めている。死刑は言うまでもなく、生命を剥奪する刑罰であるが、生命を剥奪するには身体を何らかの形で致命的に傷つける必要があることから、死刑からの保護は究極の人身の自由とみなす考え方を読み取ることができる。

第五条

すべての人は、身体刑から保護される。すべての人は、供述を強要し、又は妨害する目的で拷問にかけられ、又は医学的に侵害されてはならない。

 ある意味で、死刑は身体刑の究極形態であるが、本条第一文は、前条で禁止されている死刑を除く身体刑全般の禁止規定である。第二文は拷問の禁止規定であるが、後半で拷問に当たらないまでも医学的な侵害も禁止している点が先進的である。拷問の脱法として、医師の手を借りて身体を侵襲するような強制措置が想定されているだろう。

第六条

1 すべての人は、第四条及び第五条に規定するものとは別の場合であっても、公的機関による強制的な身体上の侵害から保護される。さらに、すべての人は、身体検査、家宅捜索及び類似する侵害、信書又は他の内密な送付物の検査並びに電話による会話又は他の内密な通信の傍受若しくは録音から保護される。

2 第一項の規定に加え、すべての人は、本人の同意なく行われ、かつ、個人の私的事情の監視又は調査を含んでいる場合には、公的機関による個人的不可侵性への重大な侵害から保護される。

 本条は生命・身体という最も重要な法益の保護にさしあたり限定されていた前二条の保護範囲をさらに拡張する規定である。第一項第一文は、死刑・身体刑・拷問及び医学的侵害以外の公的機関による強制的な身体上の侵害を禁止する規定である。これに対し、第一項第二文と第二項はプライバシーの保護規定である。第二項は、本人の同意のない個人の私的事情の監視又は調査自体を禁止していないことには留意を要する。

第七条

1 いかなるスウェーデン市民も、国外追放されてはならず、又は国内を旅行することを妨げられてはならない。

2 国内に居住している、又はしていた、いかなるスウェーデン市民も、国籍を剥奪されてはならない。ただし、十八歳未満の子どもがその国籍に関して両親又はいずれかの親に従わなければならない旨を規定することができる。

 前二条は身体そのものの保護に関する規定であったが、本条は身体の移動の自由を規定する。第二項は子どもの家庭的な福祉を考慮すべき場合を除き、国籍保持の自由を定めたものだが、これも国籍剥奪はほぼ国外追放を意味することから本条で併せて規定されたものと読める。ただし、保護対象はスウェーデン市民に限られ、外国人については対象外である。

第八条

すべての人は、公的機関による自由の剥奪から保護される。その他、スウェーデン市民である者には、国内を移動し、出国する自由も保障される。

 本条第一文は、公的機関による自由一般の剥奪からの保護を定めている。逆に言えば、憲法に明文のない自由の保障規定として読める。第二文は、前条第一項と重複する内容を含んでいるが、スウェーデン人が旅行以外の目的で国内を移動することや、出国する自由を保障している。第二文については、外国人は対象外である。

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