ザ・コミュニスト

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世界歴史鳥瞰・総目次

2013-07-20 | 〆世界歴史鳥瞰

本連載は終了致しました。下記目次各「ページ」(リンク)より別ブログに掲載された全記事(補訂版)をご覧いただけます。

序論 p1 p2

第1章 東から発祥した文明
〈序説〉
一 文明の発祥 
p3
(1)文明の履歴としての歴史
(2)文字の発明
(3)都市の成立

二 古代四大文明圏の発展 p4
(1)四大文明圏の意義
(2)メソポタミア文明圏
(3)エジプト文明圏
(4)インダス文明圏
(5)黄河文明圏

三 西洋の「東方」文明 p5
(1)エーゲ文明圏
(2)クレタ文明期
(3)ミケーネ文明期

四 ギリシャ世界の盛衰 p6
(1)暗黒時代から都市国家へ
(2)アテネとスパルタ
(3)ペロポネソス戦争から衰退へ
(4)マケドニアの旋風
(5)ローマ時代へ

第2章 ローマ帝国の覇権 
〈序説〉
一 都市国家ローマ 
p7
(1)エトルリア人の先行文明
(2)都市国家への発展

二 共和制時代 
(1)共和制樹立
(2)十二表法の制定
(3)元老院と民会

三 帝国への道 p8 
(1)軍事大国化
(2)共和制の揺らぎ
(3)奴隷反乱と同盟市戦争
(4)三頭政治から「帝政」へ

四 絶頂から分裂へ p9
(1)「ローマの平和」とその揺らぎ
(2)キリスト教迫害政策
(3)寛容令から国教化へ
(4)東西分裂と西ローマ帝国の滅亡
(5)東ローマ帝国の存続と繁栄

第3章 中国王朝の興亡
〈序説〉
一 秦の統一まで 
p10
(1)春秋・戦国時代
(2)秦の台頭と統一

二 漢帝国の400年 p11 
(1)建国と新政
(2)集権化と帝国化
(3)簒奪と再興
(4)後漢の繁栄と没落

三 大唐帝国へ p12 p13
(1)魏晋南北朝時代
(2)隋から唐へ
(3)唐の支配政策
(4)開元の治と安史の乱

四 唐滅亡とその後  p14
(1)唐滅亡まで
(2)五代十国から宋へ
(3)宋金共存時代

五 古代朝鮮の展開 p15 
(1)国家形成から漢の植民まで
(2)三韓と高句麗の成立
(3)三国攻防時代
(4)統一新羅から高麗へ

六 倭王権の成立と発展 p16
(1)小国分立時代
(2)邪馬台国時代
(3)天皇王権の確立
(4)律令制とその解体

第4章 イスラーム世界とモンゴル帝国 
〈序説〉
一 イスラームの創唱 p17
(1)イラン帝国と東ローマ帝国
(2)7世紀初頭のアラブ社会
(3)最初のイスラーム革命

二 イスラーム勢力の展開 p18 p19 p20 p21
(1)アラブ・イスラーム勢力の遠征
(2)ウマイヤ朝の成立と教団の分裂
(3)アッバース朝の盛衰
(4)トルコ勢力の台頭
(5)サラディンと十字軍撃退
(6)インドのイスラーム勢力

三 モンゴル勢力の旋風 p22 p23
(1)モンゴルの由来
(2)世界征服
(3)中国王朝としての元
(4)分裂とイスラーム化
(5)ティムール帝国からムガル帝国へ

四 オスマン帝国の台頭と全盛 p24
(1)先行者マムルーク朝
(2)由来と建国
(3)版図拡大
(4)オスマン帝国の内外政策

五 高麗王朝から朝鮮王朝へ p25
(1)武臣政権と元の支配
(2)朝鮮王朝の成立と発展

六 平安朝から武家支配へ p26 
(1)平氏政権の成立
(2)幕府体制の確立と危機

第5章 ヨーロッパの形成
〈序説〉
一 独仏伊の形成 p27
(1)フランク族の台頭
(2)カロリング帝国の覇権
(3)カロリング帝国の分割

ニ イングランド・北欧の形成 p28 
(1)アングロ‐サクソン族の来住
(2)北欧バイキング
(3)ノルマン征服とその後
(4)北欧諸国の形成

三 東欧・ロシアの形成 p29 
(1)スラブ諸国の形成
(2)ロシアの形成
(3)ハンガリーの建国
(4)モンゴル・トルコの支配

四 ビザンツ帝国の盛衰 p30 
(1)ビザンツ帝国の独自性
(2)領土縮小と大シスマ
(3)十字軍と帝国転覆
(4)復旧から滅亡まで

五 西洋中世の実像 p31
(1)文明史的逆説
(2)領主支配制
(3)制度的キリスト教

第6章 ヨーロッパの巻き返し
〈序説〉
一 レコンキスタと十字軍 p32
(1)初期レコンキスタ
(2)十字軍の狂熱と打算
(3)シチリア王国の成立
(4)レコンキスタの勝利

二 「西洋近代」の黎明 p33 p34 p35 p36
(1)大航海と植民
(2)君主主権国家の成立〈1〉
(3)君主主権国家の成立〈2〉
(4)ルネサンス革命
(5)宗教改革から30年戦争へ
(6)仏宗教戦争と英国国教会

三 帝政ロシアの成立と発展 p37
(1)ロシアの自立
(2)ロマノフ朝の始まり
(3)帝政ロシアへ

四 明から清へ p38 p39 
(1)明と中国社会の変容
(2)清の成立
(3)最後の王朝・清

五 戦国動乱から幕藩体制へ p40 p41
(1)戦国動乱と「南蛮人」到来
(2)織豊政権と動乱の中断
(3)徳川幕藩体制の確立

六 イスラーム勢力の後退 p42 
(1)オスマン帝国の後退
(2)ムガル帝国の衰退

第7章 大英帝国の覇権
〈序説〉
一 英国の台頭 p43 P44
(1)先行者オランダ共和国
(2)革命の17世紀〈1〉
(3)革命の17世紀〈2〉
(4)スペイン継承戦争と七年戦争

二 アメリカ独立とフランス革命 p45 p46 p47
(1)北アメリカ植民地の形成
(2)アメリカ合衆国の成立
(3)アメリカ独立=革命の意義
(4)フランス革命〈1〉
(5)フランス革命〈2〉
(6)ナポレオンの独裁と失墜

三 資本主義と労働運動 P48 p49
(1)産業革命と資本主義
(2)労働者階級の誕生
(3)労働運動からパリ・コミューンへ
(4)パリ・コミューン以後

四 帝国主義の攻勢 p50 p51 p52 p53 p54
(1)近代帝国主義
(2)スペイン・ポルトガルの後退
(3)帝国主義の展開〈1〉:参入国
(4)帝国主義の展開〈2〉:対象地域(上)
(5)帝国主義の展開〈3〉:対象地域(下)
(6)オスマン帝国の縮退

五 幕藩体制から大日本帝国へ p55 p56
(1)「鎖国」体制の限界と「開国」
(2)明治維新と「近代化」
(3)帝国主義への合流〈1〉
(4)帝国主義への合流〈2〉

六 近代中国と近代朝鮮 p57
(1)清の衰亡
(2)辛亥革命
(3)朝鮮王朝の終焉

七 第一次世界大戦と英国の斜陽化 p58 p59
(1)大戦の要因と経緯
(2)大戦の特質
(3)大戦の経過と結果
(4)トルコ革命とオスマン帝国の崩壊
(5)英国の後退と米国の躍進

第8章 アメリカ合衆国とソヴィエト連邦 
〈序説〉
一 ロシア革命とソ連邦の成立 
p60 p61
(1)革命の胎動
(2)革命の経緯と経過
(3)革命の結果
(4)革命の余波〈1〉:大戦当事国への波及
(5)革命の余波〈2〉:周辺国への影響

二 ファシズムとスターリニズムの暴風 p62 p63 p64
(1)ファシズムの発生と拡散
(2)ファシズムの展開
(3)スターリニズムの対抗

三 第二次世界大戦と米国の覇権確立 p65 p66
(1)大戦の要因と経緯〈1〉
(2)大戦の要因と経緯〈2〉
(3)大戦の特質
(4)大戦の経過と結果
(5)米国の覇権確立

四 東西冷戦の時代 p67
(1)冷戦の背景と発端
(2)東西二大陣営の結成
(3)冷戦の特質

五 日本の民主化と経済発展 p68
(1)米国の日本「民主化」戦略
(2)日米同盟と親米保守支配
(3)経済発展の真相

六 諸国の独立 p69 p70 p71
(1)アジア諸国の独立〈1〉
(2)アジア諸国の独立〈2〉
(3)中東諸国の独立とイスラエルの建国
(4)アフリカ諸国の独立
(5)島嶼地域の独立と残存植民地
(6)独立後の明暗
(7)非同盟諸国運動

七 冷戦体制の完成から終焉まで p72 p73
(1)冷戦体制への抵抗
(2)冷戦体制の完成
(3)冷戦体制の行き詰まり
(4)冷戦体制の再燃そして終焉
(5)東欧革命からソ連邦解体へ
(6)中国の路線転換

補章 ソヴィエト連邦解体後の世界  
〈序説〉
一 ロシアの混乱とチェチェン戦争 p74 
(1)経済的混乱と憲法戦争
(2)チェチェン戦争

二 外観上の米国一極支配 p75
(1)湾岸戦争と繁栄の90年代
(2)「単独行動主義」とその挫折

三 「流極化」の時代 p76 p77
(1)ヨーロッパの統合
(2)中国の急成長
(3)ロシアの「復興」
(4)四極プラス2
(5)「流極化」のゆくえ

四 「流極化」の中の危機 p78 p79 p80
(1)民族紛争の噴出
(2)イスラーム過激主義の攻勢
(3)東アジアにおける冷戦の残存
(4)核兵器の拡散

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世界歴史鳥瞰(連載第2回)

2011-08-11 | 〆世界歴史鳥瞰

序論(続き)

三 物心複合史観

 鳥瞰的歴史観は世界歴史を平板な景色のように眺めるのでなく、文明化した人類の社会的活動の動態として把握するのであるが、その場合に歴史の動因を何に見るかということに関して一定の歴史哲学を持つのである。
 この点、半世紀前であれば、歴史の動因は物質的生産力にあり!と答えておけば「進歩的」と見えたのであるが、今日では「退歩的」と却下されかねない。たしかに今日、かかる唯物史観を公式的な形で信奉する人はほとんどいないであろう。しかし、ファッション感覚で時代遅れと却下するのでなく、唯物史観の問題点を内在的に批判しようとする試みは多くない。
 思うに、唯物史観の大きな問題点の一つは生産力発展の条件如何が十分究明されていないことである。実際、生産力発展の条件は何であろうか。
 これについてはいろいろの答えがあると思うが、最も明快なのは自然環境条件である。なかでも地理的条件は決定的である。例えば、農業も工業も山岳地帯や砂漠地帯では発達しない。それらは、基本的に平野部で発達する産業である。しかし砂漠地帯でも商業なら発達し得ることはアラビア半島や中央アジアの例が示している。一方、山岳地帯では交通・通信の限界から商業も発達せず小規模農牧業が主体となり、生産活動にとっては最も過酷な地理的条件である。その代わりにそうした環境下ではおおむね自給自足的な共同体が保存されやすいのである。
 こうした固定的な自然環境条件に加え、気候変動とか自然災害のような変動的ないし突発的な自然環境条件も複合的に作用するから、同じ平野部でも、例えば自然災害の多いところとそうでないところでは生産力の発達に格差が生じる。
 こういうわけで、唯物史観がどんなに努力しても世界中で普遍的に妥当するような経済発展法則などを抽出することはできず、むしろ一国内部での地域的な不均衡をも伴った不均等発展こそが「鉄則」でさえあるのである。そうであればこそ、古来人類は生産力の発展にとって不利な自国の条件を補完しようとよりよい条件を備える他国を侵略し領土化することを図ってきたのであった。
 唯物史観のもう一つの問題点は、自然環境条件によって制約された物質的生産力の発展それ自体は自然の恵みでない以上、いったい何によって促進されるのか、という生産力発展の究極的要因如何が十分解明されていないことである。
 これについてのここでの答えは「発明」によるというものである。ただし、ここで言う「発明」とは機械装置のような個々の物質的発明そのものというよりは、そうした個々の物質的発明の土台を成す効率的な生産方法の考案という精神的な「発明」のことである。
 例えば、産業革命を促進した動力を利用する各種機械はそれ以前に労働者を一箇所に集約して定型的な作業に当たらせるという新しい効率的な生産方法の「発明」を前提に、そうした作業をより効率化するための手段として発明されたものである。
 こうした精神的な「発明」はまた、政治制度のような純粋に精神的な所産の面にも及ぶのであって、例えば選挙された議員によって構成される議会制度は、その純粋型においては資本家を主体とするブルジョワ階級自身が政策決定を主導することを通じて生産様式を維持・発展させることに最もよく奉仕する政治制度として「発明」されたものである。
 こうした「発明」とはアイデアであり、精神であるから、「発明」に生産力発展の究極的要因を求めようとするならば、それはもはや単純な唯物史観の枠をはみ出すことになる。実際、「発明」という要素が生産力発展の究極的要因であるとすれば、物質的法則性ばかりでなく、偶然性とか幸運といった不確定的要素が歴史の動因として働く余地は大きいと考えられる。
 例えば、19世紀の英国、20世紀の米国が巨大な生産力の発展を示したことは、工業的発展の物質的土台となる良質な平野部を持つという自然的条件に加えて、それぞれの発展を促進する「発明」が偶然にもまたは幸運にも両国で重なったことによると考えられるのである。
 とはいえ、ここで唯物史観と完全に縁を切って改めて観念論的反動に走ろうとするわけではない。ここで言う「発明=精神」とは例えばヘーゲルの抽象的な「絶対精神」のようなものとは大いに異なり、もっと具体的に限定された物質的生産力の発展を促すアイデア、言わば物質的精神である。そういう精神の作用の結果として、物質的生産力の発展が歴史を動かしていくのであるが、それは決して一律的な法則に基づくわけではないのである。
 結局、始めに戻って鳥瞰的歴史観が前提とする歴史哲学とは、歴史の動因としてこれを物質的生産力の発展を促進する「発明=精神」に求める発明史観、より抽象化して換言すれば物心複合史観であるということになろう。

四 人類社会の前半史と後半史

 マルクスは資本主義的生産様式を備える近代ブルジョワ社会をもって人類社会前半史の最後の社会構成体とみなしていた。人類の歴史を現時点よりもっと未来の時点に立ってとらえ返すと、現在は人類社会前半史の最中にあり、マラソンにたとえればまだ中間地点にはさしかかっていないことになる。
 この現時点をも含む人類社会前半史もすでに数千年という時間を持っているが、この間の一貫した特徴は、富の追求・蓄積を自己目的とするような、従ってまた商業が導きの糸となるような物質文明を基層としてきたことである。そして、その到達点に資本主義的生産様式とそれを軸に成立するブルジョワ社会体制があるというわけだ。この体制はこれまでに「発明」された先行のどんな体制よりも富の効率的な蓄積に適している点において「最終的」なのである。
 他方、それと並行しながら、国家という政治的単位で人間の集団化を図ることが人類社会前半史のもう一つの特徴である。これも権力という―究極的には戦争によって担保された―無形的な財の獲得・強化を目指す点で、やはり物質文明に根ざしており、その到達点に主権を戴く今日の国民国家体制があるのである。
 このように、富/権力を最高価値とするような物質文明を基層に成り立つ人類社会の前半史とは、所有すること(having)の歴史であり、そこでは富であれ権力であれ、もっと所有すること(more-having)、すなわち贅沢が歴史の目的となるのである。一方で、所有の歴史は、所有をめぐる種々の権益争いに絡む戦争と殺戮の歴史でもある。
 そういうわけで、所有の歴史にあっては持てる者と持たざる者との階級分裂は不可避であり、時代や国・地域ごとの形態差はあれ、何らかの形で階級制は発現せざるを得ないのである。それとともに、戦争・殺戮の多発から、戦士としての男性の優位が確立され、社会の主導権を男性が掌握する男権支配制が立ち現れる反面、女性や半女性化された男性同性愛者の抑圧は不可避となる。
 こうして現在も進行中である人類社会前半史は、多様な不均衡発展を示しながらも、ほぼ共通して男権支配的階級制の歴史として進行してきたと言える。従って、それはまた反面として、男権支配的階級制との闘争の歴史ともならざるを得なかった。古代ギリシャ・ローマの身分闘争、中世ヨーロッパや東アジアの農民反乱・一揆、近世ヨーロッパのブルジョワ革命、近現代の労働運動・社会主義革命、民族解放・独立運動、人種差別撤廃運動、女性解放運動、同性愛者解放運動等々は、各々力点の置き所に違いはあれ、そうした反・男権支配的階級制闘争の系譜に位置づけることができるものである。
 こうして現在は、マルクスが指摘したとおり、人類社会前半史の最終形態たる資本主義社会の中でもすでに晩期に入っているわけであるが、そこを通過した人類社会の後半史とはいったいどのようなものになるのであろうか。
 この問いはもはや歴史を超えた未来学に属する問題であるから本来は本連載の対象外であるが、あえて禁を破って筆者のいささか希望的な観測も交えて予測するとすれば、人類社会後半史は所有の歴史に対して存在(being)の歴史となるであろう。それはもっと所有すること・贅沢ではなく、よりよく在ること(better-being)・充足が目的となるような歴史であり、従ってまた戦争と殺戮の歴史に代わって非戦と共生の歴史ともなるであろう。
 もっとも、そのような人類社会後半史にあっても人間社会を維持していくためには物質的生産活動は不可欠であるから、物質文明が完全に放棄されるようなことはあるまい。とはいえ、来たるべき新たな物質文明はもはや富の追求を第一義とするようなものではなくなるであろう。
 そのときにいかなる生産様式が「発明」されるか、ということに関しては歴史を主題とする本連載ではさしあたり空白として残しておかざるを得ない。

 

賢人は過去を、凡人は現在を、偉人は未来を語る。
不肖筆者

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世界歴史鳥瞰(連載第1回) 

2011-08-09 | 〆世界歴史鳥瞰

愚人は過去を、賢人は現在を、狂人は未来を語る。
―ナポレオン・ボナパルト

 

序論

一 世界歴史の始点と終点

 本連載で世界歴史といった場合の「世界」とは、単に地球全域の各地という地理的概念にとどまらず、そうした地球という場における人類の社会的活動の総体を指している。
 そういう「世界」の始点から終点までの過程が世界歴史であるが、その始まりとは、要するに文明の始まりである。
 人類は文明を持つ以前から交易や農耕あるいは戦争といった社会的活動を営んでいたことは確かであるが、それらは歴史という形で叙述できるものではなく、単に考古学的事実として記述することができるにとどまる。
 もっとも、文明とは何かということについては論者の数だけ説があると言ってよいが、本連載における文明の把握については第1章で述べるとして、ともかく文明が始まらないことには歴史も始まらないのである。
 しかも、そのような文明という営為は人類の中でも最も新しい現生人類(ホモ・サピエンス)だけが始めたのであり、それ以前の古い人類は文明という営為を持たなかったのであるから、世界歴史とは必然的に現生人類の歴史を意味することになる。
 それでは、そうした世界歴史の終点とはいったいいつのことであろうか。言い換えれば現代史とはどこまでをいうかという問いである。
 これはかなりの難問であって定説と言えるものはない。ただ、慣用的には四半世紀=25年を歴史における最小単位として扱うことが多いから、これを基準とするならば現時点から遡っておおむね25年程度以前をもって歴史の終点とみなすことは不合理でないだろう。
 そうすると、歴史の終点以後現時点までの25年前後の過程は同時代ということになるが、その間も時の経過は進行している以上、これを「同時代史」として把握することは可能である。
 この「同時代史」は厳密に言えば歴史ではなく現代社会論の対象ではあるが、それは現代史の延長部分として歴史ともリンクしているものであるから、本連載では末尾の補章で同時代史に相当する部分にも言及する。 

二 鳥瞰的歴史観

 本連載は「世界歴史鳥瞰」と題しているように、世界歴史をまさに鳥のように俯瞰しようという一つの史観に基づいて叙述される。これを鳥瞰的歴史観(略して鳥瞰史観)と名づける。
 鳥瞰ということの意味は、特定の国や地域の歴史でなく世界の歴史を通覧的に把握すること、また個別的な事物・事象の歴史でなく人間の営為全般の歴史を総体として把握することである。
 このような歴史観は職業的歴史家の歴史観とは別のものである。なぜなら今日、専門分業化が進んだ職業的歴史家の歴史観とはすべて個別のものに関わる部分史観であるからである。部分史観とは縦割りまたは細切れの歴史観である。
 このうち縦割り史観の場合は、例えば日本史とかそのうちの大阪史等々のように、一国史/郷土史という形で発現する。これは最もオーソドックスな歴史叙述であると同時に、当然にもナショナリズムやプロヴィンシャリズム(郷土第一主義)と不可分に結びついた歴史叙述である。またそれは「木を見て森を見ない」史観でもある。
 しかも一国史/郷土史の内部が通常は時代区分ごとに古代史から現代史までさらに分節化されているから、先のたとえに従えば木の中でも古木だけを見たり、新木だけを見たりするという具合になる。
 一方、細切れ史観の場合は祭祀とか服飾、さらには心性といった細密な事物・事象の歴史を探求する社会史という形で発現する。これは「木も見ず枝葉を見る」史観であるが、近年縦割りの一国史/郷土史に代わって学術としての歴史の中では主流化しつつある。
 これらの部分史観はもちろん無価値なのではなく、それによって新たな歴史的発見がなされることも少なくないのであるから、むしろ大いに推進されるべきものなのである。
 これに対して、鳥瞰史観は部分史観の力も借りながら「森を見渡す」史観であって部分史観と対立するものではない。ただ、それは学校の世界史教科書のように世界各地の歴史を総花的・羅列的に紹介するだけの「教科書史観」ではなく、ある一定の歴史哲学に基づく歴史観である。従って、本連載も教科書や受験参考書代わりに利用することは全然推奨できないのである。

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