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近代科学の政治経済史(連載第64回)

2023-06-17 | 〆近代科学の政治経済史

十二 生命科学と生命科学資本・生権力(続き)

生命科学革命①:近代遺伝学の成立
 生命科学が本格的に進展するに当たって、遺伝学の果たした役割は画期的であった。遺伝現象は近代科学の成立以前から漠然と知られてはいたものの、近代科学的な実験を通じて遺伝現象を解明したのはグレゴール・ヨハン・メンデルであった。
 彼は司祭が本職で、科学者としてはほぼ独学であったという点では地動説のコペルニクスに似た経歴の持ち主であるが、やはりコペルニクス同様、生前にその研究成果が広く知られることなく、評価が確立されたのは、没後のことであった。
 従って、遺伝学が成立したのもメンデル没後ということになる。その端緒は1900年にオランダ、ドイツ、オーストリア三国の三人の学者により、個別かつほぼ同時にメンデルが再発見されたことによる。これ以降、メンデルが「遺伝粒子」として漠然と把握していた概念が「遺伝子」として整理され、今日では人口にも膾炙する用語として確立された。さらに、遺伝子が染色体という生体物質上にあることも定理となった。
 ただ、初期の遺伝学は純粋理論的な性格が強く、まだその産業的な応用可能性については理解されていなかったが、メンデル自身も有名なエンドウ豆の交配実験を通じて遺伝学の法則を発見したように、遺伝学には実用性の芽が秘められていた。

生命科学革命②:分子生物学の誕生
 近代的な遺伝学の成立に続き、生命科学における第二の、かつ決定的な革命となったのは、19世紀に興隆した微生物学をいっそう微細化した分子生物学の誕生である。これには、1940乃至50年代における遺伝学上の二つの大発見が寄与している。
 一つは、DNAの発見である。これは、カナダとアメリカの三人の学者の業績である。彼らは共同研究により、遺伝子の化学的実体が当初想定されていたタンパク質ではなく、デオキシリボ核酸(DNA)であることを実験によって示した。
 三学者の名にちなみアベリー-マクロード-マッカーティの実験と呼ばれる1944年のこの実験は、1952年にアルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスによって行われた実験により更新され、DNAが遺伝物質であることが確証された。
 さらに、1953年には、アメリカのジェームス・ワトソンとイギリスのフランシス・クリックがDNAの二重らせん構造を発見して、遺伝がDNAの複製によることや塩基配列が遺伝情報を担うことなどが理論的に解明された。このようなミクロなレベルで生命の再生産過程が解明されたことは、生命現象を分子レベルで研究する分子生物学の確立を促すことになった。
 今日の生命科学はその細分化された分野を問わず、分子生物学の知見と方法論なくしては考えられなくなっており、遺伝学もまたDNAを踏まえた分子遺伝学として発展していくこととなった。
 ちなみに、1951年には、アメリカのSF作家ジャック・ウィリアムスンが遺伝子工学という用語を初めて提唱している。その当時は、二重らせんの発見前で、遺伝子操作技術などはまだ知られていなかったが、ウィリアムソンの文学的創造は間もなく現実のものとなり、生命科学の産業的応用への道が拓かれる。

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