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年頭雑感1993

1993-01-01 | 年頭雑感

昨年1992年は、ソヴィエト連邦解体という世界史的出来事の一年後、言わばポスト・ソヴィエト時代の第一年であった。それにふさわしい出来事もいくつか見られた。

まずは2月の欧州連合条約の調印。これは、旧欧州共同体がさらに政治的経済的な統合を強め、合衆国までは行かないが、単なる同盟を超えた連合体として再編されることを目指したものである。冷戦時代には、西側盟主の米国に追随する存在だった欧州諸国による言わば集団的自立の枠組みとも言えよう。

他方、アメリカでも11月の大統領選挙で民主党のビル・クリントン候補が当選し、12年ぶりに民主党が政権を奪回することは、冷戦の終結を期する出来事と言える。ソヴィエトとの対峙を演出してきた共和党の時代は、敵の自滅によってひとまず幕を下ろした格好である。

クリントンは南部の小州・アーカンソーの知事を若くして務めた人物で、ケネディ以来の40歳台での大統領となる見込みという。ケネディの再来のようなある種旋風の勢いで、60歳台のベテラン、ブッシュ現職を破った。その手腕とポスト・ソヴィエト時代のアメリカの方向性は未知である。

もう一つの注目出来事は、6月の「環境と開発に関する国際連合会議」とその成果である「環境と開発に関するリオ宣言」。ここで、冷戦時代は主要テーマではなかった気候変動(温暖化)や生物多様性をめぐる国際条約が合意され、生態学的に持続可能な開発(発展)の概念が提示された。

冷戦時代の東西諸国はイデオロギー的に分断されていたが、環境を考慮しない経済開発・発展に邁進してきた限りでは共通の富国優先の価値観をもって環境破壊競争を繰り広げてきた。そうした負の競争関係に切り込むのがリオ宣言である。環境保全は、ポスト・ソヴィエト時代の新たな共通価値となるべきはずであろう。

膝元の日本では、賛否激論の末、6月に成立したPKO協力法もポスト・ソヴィエト時代ならではの画期的新法である。従来は、憲法9条の下、タブーとされていた自衛隊の海外派遣が解禁されたからである。これは、内戦終結後のカンボジアで展開される国連の平和維持活動に参加することを可能にするため、取り急ぎ可決された新法であった。

政府与党は冷戦終結後最初の世界戦争となった湾岸戦争で武力貢献ができなかったことを国辱のようにとらえ、国連の平和維持活動に限定する形での新法を大急ぎで制定したのだが、そもそも海外で武力貢献できないことは国辱だろうか。

自衛目的の武装部隊たる自衛隊をなぜ自衛と無縁な海外での平和維持活動に流用できるのか、素朴だが本質的な疑問は解決されていない。平和維持活動への参加自体の是非論もあるが、参加するなら別組織を正式に創設することが筋であろう。

最後に、10月、ローマ教皇が地動説のガリレオ・ガリレイを異端と認定、処罰した裁判の誤りを認めたことも歴史的出来事かもしれない。しかし、あまりに遅すぎである。

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