ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

奴隷の世界歴史(連載第2回)

2017-07-25 | 〆奴隷の世界歴史

第一章 奴隷禁止原則と現代型奴隷

奴隷禁止諸条約の建前
 現代において、奴隷という立場の人間は公式には存在しないことになっている。これは国際社会における共通ルールである。
 その最も根本規範となるのは、第二次世界大戦後に国際連盟を再構築した国際連合が1948年に採択した「世界人権宣言」の第四条に規定される次の簡潔な宣言文である。

何人も、奴隷にされ、又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は、いかなる形においても禁止する。(日本外務省訳)

 次いで、1957年に発効したより具体的な「奴隷制度廃止補足条約」である。この条約は、戦前の国際連盟時代に締結されていた奴隷条約を継承しつつ、広い意味で奴隷の範疇に包摂し得る借金による債務奴隷や隷属的な農民の形態である農奴、少女の強制婚、児童労働者などを補足した新条約である。
 しかし、この条約自体、2016年時点で加盟国は123か国にとどまっている。不可解にも、後で述べるように奴隷慣習が残存するとされるアフリカのモーリタニアが加盟国であるのに対し、日本は条約発効から半世紀を経てもなお未加盟状態である。このように、奴隷禁止の共通法規範はいまだ全世界的に確立されたとは言えない状況にある。
 他方で、補足条約から約20年を経て1976年に発効した国際人権規約‐市民的及び政治的権利に関する国際規約では、その第八条に改めて奴隷禁止の根拠規定が置かれている。すなわち―(以下、日本外務省訳)

1 何人も、奴隷の状態に置かれない。あらゆる形態の奴隷制度及び奴隷取引は、禁止する。

2 何人も、隷属状態に置かれない。

3 (a) 何人も、強制労働に服することを要求されない。

 (b) (a)の規定は、犯罪に対する刑罰として強制労働を伴う拘禁刑を科することができる国において、権限のある裁判所による刑罰の言渡しにより強制労働をさせることを禁止するものと解してはならない。

 (c) この三(筆者注:第3項)の適用上、「強制労働」には、次のものを含まない。
  (i) 作業又は役務であって、(b)の規定において言及されておらず、かつ、裁判所の合法的な命令によって抑留されている者又はその抑留を条件付きで免除されている者に通常要求されるもの
  (ii) 軍事的性質の役務及び、良心的兵役拒否が認められている国においては、良心的兵役拒否者が法律によって要求される国民的役務
  (iii) 社会の存立又は福祉を脅かす緊急事態又は災害の場合に要求される役務
  (iv) 市民としての通常の義務とされる作業又は役務

 ただし、この規定は奴隷禁止の原則に対して、第三項で例外的に許容される「強制労働」の類型を除外する点に主旨があるようにも読め、特にc号にいう「軍事的性質の役務」や「社会の存立又は福祉を脅かす緊急事態・・・の場合」、「市民としての通常の義務とされる作業又は役務」といった文言を拡大解釈するなら、脱法的な形態の奴隷的強制労働が容認される恐れを内包している。
 なお、商品性を帯びた奴隷取引を抑止するための条約として、世界人権宣言採択の翌年1949年に国連が採択した「人身売買及び他人の売春からの搾取の禁止に関する条約」も、奴隷禁止の補充的な国際規範として重要である。
 かくして、現代世界は奴隷禁止という原則論に関しては、端的な国際法規範を備えるに至っていることはたしかであるが、それはなお不安定で、脱法の危機にさらされていることが今後、本章で明かされる。

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奴隷の世界歴史(連載第1回)

2017-07-24 | 〆奴隷の世界歴史

序説

 先行連載『女の世界歴史』『農民の世界歴史』『不具者の世界歴史』に続く四部作最終連載として、『奴隷の世界歴史』をここに開始する。本連載では、すでに過去の悪制とみなされている奴隷制をめぐる世界の歴史を鳥瞰する。
 奴隷とは、人格としての権利と自由をもたず、主人の支配下で強制・無償労働を行い、また商品として売買、譲渡の対象とされる「もの言う道具」としての人間(ブリタニカ国際百科事典)と定義される。
 商品性はともかく、一般に他者を隷従させ、一定の目的のために使役するという習性を持つ生物は極めて少なく、人間以外で知られているものは、アリのような社会性昆虫類の一部のみである。人間に近い類人猿でも、奴隷慣習を持つ種は知られておらず、ヒトは進化の過程で類縁種とは全く異なる昆虫的習性を身につけたことになる。
 一方で、歴史の進歩の過程では、奴隷制度への反対と奴隷解放という人道主義的な潮流も生じ、現代では、少なくとも公式的には―あくまでも―、奴隷制は否定・禁止されている。このように、他者の苦痛・苦難を慮り、共感するという人道的感覚は人間特有のものである。
 にもかかかわらず、第一章ですぐに見るように、現代においても、法規制をかいくぐる形で、種々の奴隷慣習―現代型奴隷制―が伏在している。奴隷制と人道主義との両義的な拮抗状態は現代でも続いていて、両義関係の両項がともに「人間的」な営為となっているのである。
 本連載は、通常の歴史的叙述とは異なり、現代から奴隷制が始まった古代へと遡る手法で記述される。それは、如上のとおり、奴隷制は決して過去の遺制ではなく、現代でも姿形を変えて続いている慣習だからである。そうした同時代史的な観点を浮き彫りにするためにも、あえて逆行的記述を試みたいのである。
 いずれにしても、本連載は四部作中でも最も重たく、辛い内容となるであろう。筆者自身の体調がすぐれない中で、完結させることができるかどうか確約はできないが、何とか最終章まで漕ぎ着け、四部作を完成させたいと思う。

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農民の世界歴史(連載最終回)

2017-07-18 | 〆農民の世界歴史

第12章 グローバル化と農民

(4)農業の工業化

 農業の商業化を物質的な土台として支えているのが、農業の工業化と言うべき現象である。これは、遺伝子組み換えのような生命工学技術を駆使した品種操作に始まり、近年は工場栽培といったまさしく工業化にまで進展している。
 考えてみれば、農業の歴史とは、より強靭な品種の開発とハウス栽培のように季節にかかわりなく量産できる栽培技術の進歩の歴史でもあり、人類の農業には元来、工業的な性質が備わっていたとも言える。しかし、その主役はあくまでも農民であった。
 しかし、近年の工業化の主役は農民よりも、モンサント社に代表されるような生命工学資本となりつつある。モンサントは20世紀初頭、アメリカで設立された化学工業会社を前身とし、殺虫剤や除草剤の開発で成長した後、1990年代以降、遺伝子組換え作物の開発・販売で多国籍企業に成長していった。
 モンサントは契約農家に自社開発の遺伝子組み換え作物を栽培させ、次期作では自家採種したものを利用させないとの制限をつけて、種子の特許権を独占するという悪名高いやり方で企業収益を確保している。これにより、とりわけ途上国農家は遺伝子組み換え作物のモノカルチャーに陥りやすくなる。
 このような生命工学資本主導による農業の工業化は、遺伝子組み換え作物の危険性の論議とともに、農業食糧資本とも結びついた―モンサント社は実際、カーギル社の種子部門を買収している―米国系多国籍資本主導の新植民地支配という構造問題を抱えている。
 一方、工場栽培は、ともに1970年代、高緯度で日照時間が短いため、野外栽培に限界を抱える北欧と、都市化による農地の減少に直面しつつあった日本で同時に研究開発が始まった。工場栽培は太陽光や人工補光を利用するなどの方法で植物を栽培する技術であり、成功すれば、気候変動に影響されず、かつ都市部でも栽培可能な新技術である。
 ただし、これが遺伝仕組み換え技術と結合する形で普及していけば、未来の農業の大半は大資本主導による工場栽培方式となるかもしれない。栽培工場で作物栽培に当たるのは、もはや農民ではなく、工員労働者そのものである。
 そうした工場栽培方式がグローバルに普及すれば、「農民」という社会的カテゴリーは消滅し、「農民の世界歴史」も終焉することになるかもしれない。果たして、そのような「歴史の終焉」が人類にとって理にかなうことなのかどうかは、本連載の論外である。(連載終了)

 

※以下のリンクから、別ブログに再掲された本連載全記事を個別リンクで一覧できる目次をご案内しています。

http://blog.livedoor.jp/kobasym/archives/11500684.html

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農民の世界歴史(連載第52回)

2017-07-17 | 〆農民の世界歴史

第12章 グローバル化と農民

(3)農業の商業化

 あらゆる物やサービスを市場を介した商業ルートに乗せようとする市場原理主義的な風潮の中で、農業にも商業化の波が押し寄せている。そこにおけるキーワードとなるアグリビジネスという概念の創出は、1950年代に遡る。
 その発信地はハーバード・ビジネス・スクールにあり、当初はアメリカ農業の説明概念であった。アメリカでは、家族単位での大規模集約農業と、前回も見たような穀物商社とが結びつく形で農業の商業化がいち早く生じていたためである。
 アグリビジネスは長い間、特殊アメリカ的な現象であったが、他国でも小土地農家による家族農業に生産力と担い手という限界が見え始めて以降、農業への営利企業の参入が推進されるようになり、程度差はあれ、農業の商業化は進んでいった。
 その点で注目されるのは、南米チリの状況である。以前にも言及したように、チリでは社会主義政権を転覆した軍事政権下、農業分野を含む徹底した市場主義構造改革が強行される過程で、農地についても取引の自由化が推進された結果、農業企業体が多数設立され、国際競争力を伴ったアグリビジネスの中心的存在となっている。
 このような傾向は、農業分野での自由貿易主義の浸透を通じて他国にも広がっている。農協政治を通じて長く保護主義的な農業政策を維持していた日本でも、1990年代初頭の牛肉・オレンジの輸入自由化に始まり、ついには主食の米の輸入自由化を含む環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の締結にも踏み切った。ちなみに、チリはTPPを最も積極的に主導してきた国の一つである。
 しかし、こうした農業分野の自由貿易が伝統的な小農民を苦境に陥らせる懸念も強く、TPPに先駆けて1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTA)に際しては、これによって競争力の強いアメリカ農産物がメキシコ農業に打撃を与える恐れを背景に、貧農の多いチアパス州の農民らが武装蜂起した。
 かれらはメキシコ革命の英雄だったエミリアーノ・サパタの名にちなんで、サパティスタ民族解放軍を名乗り、一種の革命解放区を設定して政府に対抗してきた。しかし、この運動は武力闘争より政府との対話に重点を置くようになり、新しい手法の対抗的社会運動として、農民運動を越えた注目を集めている。
 こうした局地的な動きはあるものの、総体としては、グローバル資本主義の流れの中で、農業の商業化は否定することのできない現象となりつつある。これは、第一次産業という従来的な産業分類の見直しにもつながるだろう。

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不具者の世界歴史・総目次

2017-07-12 | 〆不具者の世界歴史

本連載は終了致しました。下記総目次より(系列ブログへのリンク)、全記事をご覧いただけます

 

序文 ページ1

Ⅰ 神秘化の時代

 先史人類と障碍者 ページ2
 神話の中の障碍者 ページ3
 醜女と醜男
 荘子の不具者観 ページ4 
 障碍者王ツタンカーメン ページ5 
 盲目の吟遊詩人たち
 ページ6

Ⅱ 悪魔化の時代

 教義宗教の障碍者観 ページ7
 英国王リチャード3世と身体障碍 ページ8
 宮廷道化師たち ページ9
 精神障碍という観念 ページ10
 心を病む君主たちの苦難 ページ11
 「乱心」の徳川プリンスたち ページ12
 高貴な醜形者たち ページ13

Ⅲ 見世物の時代

 芸人としての障碍者 ページ14
 中近世日本の盲人組織 ページ15
 マリア・アンナと家重 ページ16
 “シャムの双子”バンカー兄弟 ページ17
 “エレファント・マン”ジョゼフ・メリック ページ18

Ⅳ 「保護」の時代

 「障碍者」の概念形成 ページ19
 精神病院の発達 ページ20
 優生学の形成 ページ21
 ナチスの「不適格者」絶滅作戦 ページ22
 「先進」諸国の優生政策 ページ23
 社会主義体制と障碍者 ページ24

Ⅴ 参加の時代

 「保護」から「参加」へ ページ25
 障碍者スターダム ページ26
 精神障碍者と社会参加 ページ27
 遅れる障碍者の政治参加 ページ28
 新旧優生思想の交錯 ページ29
 映像全盛時代と醜形者 ページ30

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不具者の世界歴史(連載最終回)

2017-07-11 | 〆不具者の世界歴史

Ⅴ 参加の時代

映像全盛時代と醜形者
 本連載では、「不具者」というそれ自体も決して穏当でない用語に、障碍者とともに、容姿に欠陥を持つ「醜形者」―この用語も現代的規準では差別語とみなされるおそれがあるが、誰にも理解できる穏当な用語に言い換えられないため、あえてこれを使用する―を含めて、世界歴史を俯瞰してきた。
 もっとも、ひとくちに醜形者といっても、顔面に痣や瘤のような目に見える病変を持つ者と、単に容姿が社会通念的な審美基準に照らして醜悪とまなざされる者とがある。前者はある種の身体障碍者―顔面障碍者―と解釈することもできるが、後者との差異はしばしば相対的であるので、ここでは両者まとめて醜形者として扱う。
 人類は、おそらく先史時代から容姿の美醜という漠然とした尺度で互いを評価し合う性向を有していると思われるが、現代の映像全盛時代には、人間の容姿に対する相互の視線がいっそう審美的となり、美容整形も盛んになる中、醜形者は不利な立場に追い込まれやすい。
 「人は見た目がすべて」といった価値尺度が公然と唱道されることも少なくない。このような容姿至上主義の価値観は、かの優生思想ともつながっている。要するに、容姿にも優れた健常者を優越的な人間と評価しつつ、その基準を満たさない者を劣等者として社会的に排除していこうとする衝動である。
 これに対しては、容姿の欠陥をむしろ逆手にとり、当事者から社会にカミングアウトしていこうとする運動も起きている。顔面障碍者の啓発運動としてのユニーク・フェイス運動や、より広く社会的少数者たる当事者を「本」に見立てて、その話を聴きたい一般市民に自身を「貸し出す」というヒューマンライブラリー運動などもそれに含まれる。
 また、肥満者や低身長者が芸能人として活動するケースも散見される。醜形者の芸能活動には、かつて障碍者がフリーク・ショウのような見世物で生活せざるを得なかった時代の既視感もあるが、より積極的に、映像全盛時代における醜形者の社会的認知の動きととらえることもできるだろう。
 こうして、醜形者にとっても現代は「参加」の時代なのかもしれない。とはいえ、容姿の美醜という漠然とした尺度にとらわれがちな人類の性向が根本的に変化したわけではない。障碍者を二級市民扱いする価値観とともに、醜形者を劣等者とみなす価値観が完全に克服された時、「不具者の世界歴史」も終焉するのであろう。(連載終了)

 

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http://blog.livedoor.jp/kobasym/archives/18309716.html

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不具者の世界歴史(連載第29回)

2017-07-10 | 〆不具者の世界歴史

Ⅴ 参加の時代

新旧優生思想の交錯
 21世紀前半期の現代は、障碍者にとって「参加」の時代としてくくることができるのであるが、その渦中で、一度は否定されたかに見えた優生学の復権とも取れる矛盾した動向も見られる。
 そうした新優生学運動と言うべき思潮の象徴は、出生前診断とその結果に基づく胎児性障碍児の中絶慣行である。これは産科医療の技術進歩により胎児の健康状態を出生前にかなりの程度把握できるようなった科学の時代を反映した新しい動きである。
 すわなち旧優生学にあっては、出生した障碍者を断種して子孫を残せないようにする―極端には、ナチスのように障碍者を殺戮する―ことで優良遺伝子の保存を図るという事後的手段が採られたが、新優生学にあってはそもそも先天性障碍者が出生しないようにすることで障碍者の数を事前的にコントロールすることが目指されている。
 しかも、出生前診断の結果、中絶するかどうかは妊婦の自己決定に委ねられており、国家その他の第三者がこれを強制することはないという点では、強制性の強かった旧優生学に比べ、ソフト路線である。個人主義・自由主義と結びついたリベラル優生学とも言える。
 このような新優生思想をどう評価するかは、中絶そのものの是非という問題を含め、根本的な生命倫理問題となるため、ここでは云々しないが、出生前診断の精度が今後さらに進歩し、かつ出生前診断→中絶という流れが産科医療の現場で定着すれば、少なくとも先天性障碍者がほぼ存在しない社会というナチ的“理想”の実現もあり得ることになる。
 その点、2016年に日本の相模原市で発生した重度障碍者施設襲撃・大量殺傷事件は、重度障碍者を排除すべきとする優生思想に固執した犯人による思想的なテロ事件の性格を持つ、障碍者史上も世界的に前例を見ない事件として、内外に衝撃を与えた。
 自身が襲撃した施設の元職員でもあった犯人が抱いていたとされる思想傾向はナチスのそれに近いものであり、国の政策としては事実上放棄された旧優生思想も、個人のレベルでは決して根絶されたわけではないことを物語る事案でもあった。
 こうして、新旧優生思想は個人のレベルで交錯し合いながら、参加の時代という障碍者にとっては春の時代に投げかけられた暗雲として、なお影を落としていることも否めない。

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核兵器&死刑禁止条約

2017-07-08 | 時評

7日、国連本部で核兵器禁止条約が採択された。それ自体としても人類史上画期的なことであるが、これにより、約30年前に採択された国連死刑禁止条約と合わせ、少なくとも国際連合の枠組みでは核兵器&死刑に関して、これを法的に否定する政策が出揃ったことになる。

もっとも、論者の中には、核兵器禁止条約に賛成しつつも、死刑禁止条約には反対ないし懐疑的という向きもあるかもしれないが、核兵器が究極の兵器であるのに対し、死刑は究極の刑罰、どちらも人間の生命を究極的に奪う権力行使として共通性を持っている。とりわけ「抑止力」を最大の根拠として正当化される核兵器と死刑の共通性は濃い。

そうした内的連関性を持つ両者を否定する旨を国連が70年がかりで条約化したことの意義は、過小評価できない。ただし、いずれも条約としては「弱い」条約である。

核兵器禁止条約は、200近い国連加盟諸国のうち約三分の二に当たる122か国の賛成を得たが、核保有五大国はもちろん、日本のような大国の核傘下国も交渉すら拒否した。死刑禁止条約は、1991年の発効から25年を経た2016年時点で85か国が批准しているにすぎない。

こうした勢力ないし数の劣勢は否めず、そうした弱さを突いて両条約の意義を否定しようとする国―その代表が日本―も存する。しかし、当面の事態対処的な条約ではなく、未来に向けた理想を掲げる条約の場合、問題は勢力や数ではなく、その内容で意義が決まる。

もう一つの弱さは、条約の読み方にもよるが、いずれも核兵器なり死刑なりの当面の「禁止」に重点があり、後戻りできない「廃絶」を明言しないことである。ただ、これはいきなり廃絶に踏み込むことで、加盟諸国の合意形成が難しくなることを回避する技術的手段と考えれば、条約は廃絶を否定していないと読み取ることは十分可能である。

ちなみに、五大国の状況をみると、両条約とも批准しないのは米・中・露(露は死刑執行凍結中)、死刑禁止条約は批准済みだが、核兵器禁止条約を批准しないのは英・仏と対応は分かれている。五大国すべてが両条約を批准する日が来るとしたら、それは世界革命の日かもしれない。

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農民の世界歴史(連載第51回)

2017-07-04 | 〆農民の世界歴史

第12章 グローバル化と農民

(2)農業食糧資本の攻勢

 近代帝国主義的なモノカルチャーには、植民地支配という近世の遺制という側面があった。それが第二次大戦後、ほぼ清算された後には、より洗練された経済的帝国主義の形態、すなわち食糧資本による農業支配が現れる。
 穀物メジャーとして知られる穀物流通商社はそれを象徴する先駆けである。こうした第一次産業を専門とする資本には米国系が多いが、これは19世紀以来、コストのかかる植民地主義よりは間接的な経済支配の形態の帝国主義を追求していた米国において、食糧資本が有効なマシンとして発達を見たからである。
 先に取り上げたユナイテッド・フルーツ社(現チキータ・ブランド)などはその先駆けたる国策企業であったし、穀物メジャーの一つで沿革的にはより古いカーギル社も米国系食糧資本の代表格である。
 しかし、穀物メジャーに代表される食糧資本が市場支配力を発揮し始めるのは1970年代以降であった。この頃から自由貿易主義が農業分野にも波及し、農産物貿易が盛んになる。特に72年の世界的凶作は米国からソ連圏への戦略的穀物輸出が活発化する契機となった。
 かくして、70年代は食糧資本の成長期であり、いわゆる五大穀物メジャーと称される寡占資本群が形成されるのもこの頃である。五大のうち二つは純米国系、二つは欧州系資本の米国法人と、米国の主導性が濃厚であった。
 こうした食糧資本は80年代の農業不況によってつまずき、業界再編を余儀なくされるが、90年代以降、自由貿易の拡大という新状況下で再編され、食肉、食品加工などを含めた総合的食糧資本へと成長している。
 これらの資本は、もはや在庫販売を主とした単純な商社ではなく、農家と直接契約して買い付ける仲買業社化し、自社の販売戦略に沿った品種及び栽培方法による栽培収穫を指示、時に融資まで行なう債権者的存在となっている。自社農場を所有し、農民を労働者として雇用する完全資本化形態は普及していないが、途上国ではいずれそれが常態化する可能性は高いだろう。
 そもそも20世紀後半以降は全般に、農業そのものの資本主義的商業化が進み、アグリビジネスの隆盛を招来し、一昔前の穀物商社からより広汎な農業食糧資本の成長を促進しているが、これに関しては稿を改めて論じる。

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農民の世界歴史(連載第50回)

2017-07-03 | 〆農民の世界歴史

第12章 グローバル化と農民

(1)モノカルチャーの盛衰

 農業は長い間、土地の人間の食を充たすために反復継続される地場産業の典型であり、生産物が何千何万キロも離れた外国に輸出されるということはなかった。そうした農業の言わば土俗性が決定的に変化し、今日的な意味でのグローバル化が最初に起こったのは、資本主義を土台とした近代帝国主義の時代であった。
 その起源は大航海時代後、東インドや西インド(カリブ地域)に侵出した列強が開始した商品作物の強制栽培プランテーションにあるが、19世紀以降の近代帝国主義の時代には、とりわけ「アフリカ分割」によってアフリカ各地へ侵出した列強による農業支配下での単一栽培制度(モノカルチャー)において頂点に達した。
 元来、アフリカの農村は自給自足と結束の固い部族的共同体による互助のシステムが確立されており、まさに地産地消の模範のような豊かな、ある種の共産主義によって充足していた。ところが、列強が強いたモノカルチャーで栽培される産品は、列強資本の需要に応じ、カカオや茶、モロコシなどの穀類、ゴムといった総じて嗜好品や飼料、工業用植物などに偏っていた。
 例外的に主食の帝国主義的モノカルチャーの例として、日本統治下の朝鮮における米産モノカルチャーがある。これは米騒動を契機に、朝鮮での産米増殖計画を強制し、増産分を日本内地に輸出して米不足の担保とするものであった。
 モノカルチャー経済下で共通する現象は農民の窮乏化と労働者化であるが、特にアフリカでは伝統的な農村共同体の解体と、自給自足システムの崩壊であった。その永続的効果は深刻であり、かつて豊かだったアフリカを貧しいアフリカに変えた。今日まで尾を引くアフリカにおける貧困や飢餓の下部構造的要因はモノカルチャー経済に存すると言っても過言でない。
 このようなモノカルチャーは、20世紀半ば以降の独立後も、新興独立諸国の農業経済に継承されていった。その中には単一産品の国際価格の上昇に応じて独立当初の国作りに寄与した例もあるが、国際価格が低迷するとたちまち挫折することとなり、モノカルチャーからの脱却は多くの途上国にとって大きな課題となっている。

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