ザ・コミュニスト

連載論文&時評ブログ 

共産論(連載第44回)

2019-06-04 | 〆共産論[増訂版]

第7章 共産主義社会の実際(六):文化

(5)シンプル・イズ・ザ・ベスト

◇シンプルな社会文化
 共産主義を好意的に受け止める人々の間でも、共産主義社会を完全自給自足の農村共同体のようなイメージでとらえる人が少なくないかもしれない。しかし、それは仮説上の原始共産制のイメージであって、近代をくぐり抜けたポスト近代の共産主義社会は決して牧歌的な自給自足社会ではない。
 とはいえ、これまで見てきたように、共産主義社会では、商品に始まって貨幣、国家とそれらにまつわる諸々のものから大学に至るまで、現存する様々な事物と諸制度が廃止されていくので、かなりシンプルな社会になることは間違いないだろう。
 そこで、文化的な面でも、シンプル・イズ・ザ・ベストが象徴的な標語となる。この場合のシンプル(simple)という語には様々な含みがある。

◇四つのシンプルさ
 まず貨幣と国家、すなわち所有にまつわる長い歴史を持つ二つの価値観念が廃されることは、所有をめぐる社会の価値観を決定的に変えるであろう。
 「持つこと」は、資本主義社会におけるように最重要の価値であることをやめ、「持たざること」が恥ではなく、むしろスマートさの象徴となるであろう。持たざる者=シンプル(庶民的)な者は、文化的にも主役である。
 それとともに、地球環境に配慮しつつ必要なモノを必要なだけ生産する共産主義的計画経済の下では、大量消費を志向する消費文化は姿を消すこと確実である。それに代わって、必要なモノだけをそろえてできるだけ長持ちさせ、廃棄物を出さないシンプル(質素)な消費文化が高度に発達、定着していくと考えられる。
 さらに商品生産と経済競争の消滅は、資本の差異化戦略の結果、年々ほとんど不必要なまでに複雑な多機能・自動化が進められていく機械製品をよりシンプル(簡素)で高齢者や障碍者などの機械弱者にとっても使いやすいものに変える可能性がある。これは、機械におけるバリアフリー化であるが、第5章でも論じたように、社会全般のバリアフリー化が進むにつれて、健常の強者標準の文化から弱者標準の文化へと変化するであろう。
 また商品生産の廃止は、「売れない」モノでも少数の需要者が存在する限り生産中止とせず、少数の人のために生産を続けることを可能にする。このような意味でも、共産主義社会は多数者‐大きな物に目を奪われるのでなく、少数者‐小さな物にも等しく目配りがなされる社会である。そうした点で、共産主義はあたかも幼い子どものように偏見が少ないという意味でシンプル(純真)な文化価値を育むであろう。

◇人間の顔をした近代
 以上のように、ポスト近代の共産主義は、近代を否定して反動化していく方向ではなく、近代の成果面は継承しつつ、それをシンプリファイ(simplify:シンプルの動詞形)し、商品の顔ならぬ人間の顔をした新しい近代文明―それこそポスト近代文明と呼ぶに値するもの―を拓くであろう、と予測することは許されるであろう。


コメント    この記事についてブログを書く
« 共産論(連載第43回) | トップ | 犯則と処遇(連載第51回) »