野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

石山本願寺の名残

2014年10月02日 | 歴史
ここは上町大地の北端。かつてこの地には石山本願寺、秀吉の大坂城が築かれ、大阪の陣以降は徳川が大改修をして現在の縄張りとなった。大阪城本丸の北側に極楽橋という城の名称にはそぐわない名の橋が架かっている。おそらくは南無阿弥陀仏を唱えて極楽往生を祈った門徒ゆかりの本願寺時代の名残なのであろう。現在城内には本願寺の遺跡はほとんど残っていない。秀吉時代の遺構もほとんど土中なのだ。
当地には浄土真宗の寺が多いが、石山本願寺の布教によるものだ。中世に当地を支配した湯河氏も石山本願寺と強い関係を持っていたし、雑賀衆はなおのことだった。
                 

http://www.geocities.jp/kitamejirou/new_page_13.htm
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大阪城公園駅

2014年10月02日 | 歴史

三重からの帰り、久しぶりに大阪城を訪れるためにJR環状線大阪城公園駅に下り立った。改札を抜け明るいコンコースに立つと、四つの壁面が陶板画になっているのに気がついた。南側にはなにやら文字が並んでいる。左端に司馬遼太郎の自筆らしき太い文字が目に入ったので、しばらく佇んで読んでみた。


大阪の歩みを実に簡潔に活写した格調高い名文である。1983年(昭和58年)10月1日 大阪城公園駅開業記念に、小説家の司馬遼太郎が開業を祝って書いたのそうだ。大阪で生まれ育ってそこを終焉の地とした司馬氏の熱い思いがひしひしと伝わってくる。毀誉褒貶の「毀貶」が目立つ最近の大阪であるが、こういう名文が遺されていることを羨ましく思う。

公園駅から見た風景である。

司馬氏は「夏、駅舎の前の森の露草の花の青さにおどろくとき、またたきの間でも茅渟(ちぬ)の海を思いかさねてもらえまいか。ひたにこのあたりまで満ちていたことを。」と記している。
「大阪城公園駅」全文は
http://ww2.tiki.ne.jp/~h-hidaka/newpage5.htm#siba
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