野ゆき山ゆき海邊ゆき

日々の生活の中で出合う自然や民俗、歴史遺産を記録します。主な舞台は和歌山県中部。タイトルは佐藤春夫の「殉情詩集」より。

日本の名城 大阪城

2014年10月05日 | 歴史
大阪のシンボルといえば通天閣が思い浮かぶ。商都大阪と城郭はちょっとイメージがそぐわない感があり、名古屋城や姫路城、熊本城のように都市の中心的存在ではないように思っているが、少なくとも私にとって、規模や設計者、客観的評価(日本百名城)でからの名城度ではベスト3に入る。戦国時代の覇者秀吉によって築造された大坂城は日本の城郭史では看過できない存在なのだ。残念ながら大坂の陣で敗退して徳川氏によって徹底的に改造されて当時の面影はほとんど残っていないが、土盛りして再築造しているので規模はさらに大きくなっているようだ。掘り割りは基本的には同じか。秀吉の影響を排除することと西国への睨みで重要な城であったことは間違いない。しかし幕末にはあっけなく落城(放棄)している。それらが大阪城の存在感の薄さにも影響しているかも知れない。

通天閣にはかなわないが、準シンボル的な位置にある大阪城天守は、昭和の初めに徳川時代の石垣の上に秀吉時代の天守が鉄骨で再建された。そのため羊頭狗肉の感がぬぐいきれず姫路城や熊本城などのように個性がいまいち感じられない。

ともかくこの鉄筋づくりの天守であるが、近くで見ると実に重量感がある。でも名古屋城のそれにはちょっと負けるかな・・


大阪城本丸には大坂の陣400年のイベントの大きな立て看板がたてられ、秀吉時代の大坂城と徳川時代の大坂城が比較されている。


天守の東には広大な芝地がある。ここには上水道の貯水タンクが埋設されている。ここに秀吉時代の天守があって、その天守台は今もきれいに遺されているのだそうだ。


天守の左(東)が貯水タンク。土盛りされている。
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