7月9日に上野の国立博物館に行き、「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」、「天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像展」、及び、東京都美術館で「ポンピドーセンター傑作展」を見てきました。
まず、「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」について。
「半跏思惟」は、「はんかしい」と学校で学びましたが、今では「はんかしゆい」と読むようになっているようです。 「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」は、ソウルの韓国国立中央博物館で、「韓日国宝半跏思惟像の出会い」として、2016年5月24日~6月12日に開催され、東京国立博物館で、「ほほえみの御仏-二つの半跏思惟像」として、6月21日~7月10日に開催されました。
<会場入り口のポスター>
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<パンフレットより借用>
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7月9日は最終日の前日です。雨天でしたが、チケット売り場では長い行列ができており、大分混雑しているだろうと覚悟していましたが、会場にはいると、混雑はなく余裕を持ってゆっくりと見ることができました。入場すると、右手に韓国の、左手に日本の、各々の半跏思惟像が向かい合って(?)鎮座されていました。
まず、韓国の半跏思惟像ですが、ソウル・韓国国立中央博物館が所蔵する国宝78号で、銅造り鍍金、高さ83㎝、6世紀後半の作とされています。 私の承知している朝鮮半島の仏像の表情はやや硬く、体も直線的な造りだと思いますが、展示の仏像は、めずらしく、体の美しい曲線、表情の柔らかい優しい姿です。この金銅仏は1916年から博物館に所蔵されていますが、安置されていた場所(寺院)や出土地ははっきり分かっていないということです。
日本の半跏思惟像は、奈良・中宮寺に伝わる国宝の半跏思惟像で、クスノキ材の寄木造り、高さ123㎝。韓国の半跏思惟像より約100年後の7世紀後半の作とされています。全体的にふっくらとした丸みを感じさせ、優しいほほえみをたたえた顔と口元はやはり見る人を魅了します。
日本では、半跏思惟像は今回展示された中宮寺のほかには奈良・広隆寺のものが有名です。広隆寺の半跏思惟像は、我が国の国宝第1号に指定された仏像であり、国際的にも、優しいほほえみを評して、「古典的微笑 (アルカイック・スマイル)」の典型として高く評価されていますが、チョウセンアカマツの一木造りであることで朝鮮半島での製造の可能性がすてきれないこと、しかし、近年、背面の蓋板や,両腰から垂れる腰佩(帯)が日本で産出するクスノキ材を用いているために、朝鮮半島から渡来した材木(チョウセンアカマツ)を日本で彫刻した可能性も指摘されており、製造場所(国)の特定がなされていないため、今回の展示は、日本人の手で製造されたことが明確な中宮寺の半跏思惟像としたもののようです。
いずれにしても、今回展示されている日韓の二体の半跏思惟像は、人類のかけがえのない遺産であることは間違いありません。
「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」について。
開催期間: 2016年5月17日(火) ~ 2016年7月10日(日)。
<東京国立博物館の特別展から転載>
「2016年の日伊国交樹立150周年を記念して、日本とイタリアを結ぶ最初の架け橋である「天正遣欧少年使節」を、ドメニコ・ティントレット筆「伊東マンショの肖像」を中心に紹介します。「伊東マンショの肖像」は、2014年3月にミラノで発行された学術誌に紹介され、日本でも初めてその存在が知られた油彩の肖像画です。1585年にヴェネツィアを訪問した天正遣欧少年使節の姿を、ルネサンス期ヴェネツィア派の大画家ヤコポ・ティントレットが発注を受け、その息子であるドメニコ・ティントレット(1560~1635)が後に完成させたとみられます。
今回は、当館所蔵の「天正遣欧使節記」やキリシタン資料中のイタリア関連作品をともに展示し、16~18世紀にキリスト教を通じて交流した日伊の姿をご覧いただきます」
最終日前日の9日に展示会を見ました。天正遣欧少年使節は4名、即ち、正使の 伊東マンショ と千々石ミゲル 、副使の原マルチノと中浦ジュリアンです。4少年以外の日本人随行員、イエズス会の宣教師、船員ら総勢300人に及んだといわれています。
行程は略次の通りです。
・1582年・天正10年2月、長崎の港を出航,マカオ、ゴア、喜望峰を廻り大西洋にでる。
・1583年8月、リスボン着。11月スペイン・ポルトガル国王のフェリペ2世に拝謁。
・1585年3月、ローマ着。3月バチカンでローマ教皇グレゴリオ13世に謁見。
・1586年4月、リスボン出発。
・1590年・天正18年7月、長崎に帰着。(8年半ぶり)
・1591年・天正19年3月、豊臣秀吉に聚楽第で拝謁。
展示の解説では、「聚楽第」を「じゅらくだい」と振り仮名をつけてありました。私が学校で習ったのも「じゅらくだい」でしたが、最近のTV等では、「じゅらくてい」と説明しています。この辺りはどうなっているのでしょうか。
また、展示の解説では、「使節4名は天正18年・1590年にそろって帰国しましたが、その後の人生は一様ではありませんでした。」とされているだけで、詳細は記載されていません。豊臣秀吉によるバテレン追放令(天正15年・1587年)、徳川家康によるキリシタン禁止令(慶長19年・1614年)が出されていたので、苦難の人生を送っていますが、調べてみると次のようです。
・伊東マンショは、慶長17年・1612年に長崎のイエズス会学院で病死。
・千々石ミゲルは、慶長6年・1601年はすでに棄教。千々石清左衛門と名乗り、大村藩に仕え
たが苦難の日々を送ったと伝えられているが、消息不明。
・中原ジュリアは、弾圧の中、キリスト教伝道師になって布教活動をしていたが、寛永11
年・1634年に長崎で捉えられ、殉死。
・原マルチノは、慶長19年・1614年マカオに脱出、寛永6年・1629年マカオで病死。
以下の2点は展示会で配布されていたパンフレットから借用転載。
<伊東マンショ肖像>
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<同時に展示されている「聖母像・親指のマリア」>
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東京都美術館の「ポンピドーセンター傑作展」について。
開催期間 : 2016年6月11日~9月22日。
フランス画壇の1906年から1977年まで「1年1作家1作品」を展示しています。この中には、ピカソ、マティス、シャガール、ローランサン、藤田嗣治、など、名だたる画家の名作が展示されており、各人の含蓄に富んだ言葉も添えられており、なかなか見ごたえがあります。ただし、1945年のコーナーには展示がなく、「モン・パリ」の音楽が静かに流れています。なかなか凝った演出です。
<入り口の看板ポスター>
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<朝日新聞(2016年6月13日)より転載>
「東京・上野の東京都美術館で「ポンピドゥー・センター傑作展― ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―」を開催します。
1977年、パリの中心部にジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター(通称ポンピドゥー・センター)は開館しました。むき出しのパイプやガラス、透明なチューブ状のエスカレーターで構成されたまるで工場を思わせる建物は、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースにより設計され、開館当時、議論を巻き起こしました。現在でもその建物の先進性は人々を引きつけ、年間約500万人が訪れるパリの文化拠点となっています。
ポンピドゥー・センターの中核をなす国立近代美術館は、20世紀初めから現代までの作品を約11万点所蔵する世界有数の美術館です。本展は、その珠玉の近現代美術コレクションから、ピカソやマティス、デュシャン、クリストら誰もが知る巨匠の傑作をはじめ、日本ではあまり知られていない画家の隠れた名品など、えりすぐりの作品の数々を紹介します。フランス20世紀に焦点をあて、1906年から1977年までのタイムラインを「1年1作家1作品」によってたどります。」
〆
まず、「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」について。
「半跏思惟」は、「はんかしい」と学校で学びましたが、今では「はんかしゆい」と読むようになっているようです。 「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」は、ソウルの韓国国立中央博物館で、「韓日国宝半跏思惟像の出会い」として、2016年5月24日~6月12日に開催され、東京国立博物館で、「ほほえみの御仏-二つの半跏思惟像」として、6月21日~7月10日に開催されました。
<会場入り口のポスター>
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<パンフレットより借用>
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7月9日は最終日の前日です。雨天でしたが、チケット売り場では長い行列ができており、大分混雑しているだろうと覚悟していましたが、会場にはいると、混雑はなく余裕を持ってゆっくりと見ることができました。入場すると、右手に韓国の、左手に日本の、各々の半跏思惟像が向かい合って(?)鎮座されていました。
まず、韓国の半跏思惟像ですが、ソウル・韓国国立中央博物館が所蔵する国宝78号で、銅造り鍍金、高さ83㎝、6世紀後半の作とされています。 私の承知している朝鮮半島の仏像の表情はやや硬く、体も直線的な造りだと思いますが、展示の仏像は、めずらしく、体の美しい曲線、表情の柔らかい優しい姿です。この金銅仏は1916年から博物館に所蔵されていますが、安置されていた場所(寺院)や出土地ははっきり分かっていないということです。
日本の半跏思惟像は、奈良・中宮寺に伝わる国宝の半跏思惟像で、クスノキ材の寄木造り、高さ123㎝。韓国の半跏思惟像より約100年後の7世紀後半の作とされています。全体的にふっくらとした丸みを感じさせ、優しいほほえみをたたえた顔と口元はやはり見る人を魅了します。
日本では、半跏思惟像は今回展示された中宮寺のほかには奈良・広隆寺のものが有名です。広隆寺の半跏思惟像は、我が国の国宝第1号に指定された仏像であり、国際的にも、優しいほほえみを評して、「古典的微笑 (アルカイック・スマイル)」の典型として高く評価されていますが、チョウセンアカマツの一木造りであることで朝鮮半島での製造の可能性がすてきれないこと、しかし、近年、背面の蓋板や,両腰から垂れる腰佩(帯)が日本で産出するクスノキ材を用いているために、朝鮮半島から渡来した材木(チョウセンアカマツ)を日本で彫刻した可能性も指摘されており、製造場所(国)の特定がなされていないため、今回の展示は、日本人の手で製造されたことが明確な中宮寺の半跏思惟像としたもののようです。
いずれにしても、今回展示されている日韓の二体の半跏思惟像は、人類のかけがえのない遺産であることは間違いありません。
「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」について。
開催期間: 2016年5月17日(火) ~ 2016年7月10日(日)。
<東京国立博物館の特別展から転載>
「2016年の日伊国交樹立150周年を記念して、日本とイタリアを結ぶ最初の架け橋である「天正遣欧少年使節」を、ドメニコ・ティントレット筆「伊東マンショの肖像」を中心に紹介します。「伊東マンショの肖像」は、2014年3月にミラノで発行された学術誌に紹介され、日本でも初めてその存在が知られた油彩の肖像画です。1585年にヴェネツィアを訪問した天正遣欧少年使節の姿を、ルネサンス期ヴェネツィア派の大画家ヤコポ・ティントレットが発注を受け、その息子であるドメニコ・ティントレット(1560~1635)が後に完成させたとみられます。
今回は、当館所蔵の「天正遣欧使節記」やキリシタン資料中のイタリア関連作品をともに展示し、16~18世紀にキリスト教を通じて交流した日伊の姿をご覧いただきます」
最終日前日の9日に展示会を見ました。天正遣欧少年使節は4名、即ち、正使の 伊東マンショ と千々石ミゲル 、副使の原マルチノと中浦ジュリアンです。4少年以外の日本人随行員、イエズス会の宣教師、船員ら総勢300人に及んだといわれています。
行程は略次の通りです。
・1582年・天正10年2月、長崎の港を出航,マカオ、ゴア、喜望峰を廻り大西洋にでる。
・1583年8月、リスボン着。11月スペイン・ポルトガル国王のフェリペ2世に拝謁。
・1585年3月、ローマ着。3月バチカンでローマ教皇グレゴリオ13世に謁見。
・1586年4月、リスボン出発。
・1590年・天正18年7月、長崎に帰着。(8年半ぶり)
・1591年・天正19年3月、豊臣秀吉に聚楽第で拝謁。
展示の解説では、「聚楽第」を「じゅらくだい」と振り仮名をつけてありました。私が学校で習ったのも「じゅらくだい」でしたが、最近のTV等では、「じゅらくてい」と説明しています。この辺りはどうなっているのでしょうか。
また、展示の解説では、「使節4名は天正18年・1590年にそろって帰国しましたが、その後の人生は一様ではありませんでした。」とされているだけで、詳細は記載されていません。豊臣秀吉によるバテレン追放令(天正15年・1587年)、徳川家康によるキリシタン禁止令(慶長19年・1614年)が出されていたので、苦難の人生を送っていますが、調べてみると次のようです。
・伊東マンショは、慶長17年・1612年に長崎のイエズス会学院で病死。
・千々石ミゲルは、慶長6年・1601年はすでに棄教。千々石清左衛門と名乗り、大村藩に仕え
たが苦難の日々を送ったと伝えられているが、消息不明。
・中原ジュリアは、弾圧の中、キリスト教伝道師になって布教活動をしていたが、寛永11
年・1634年に長崎で捉えられ、殉死。
・原マルチノは、慶長19年・1614年マカオに脱出、寛永6年・1629年マカオで病死。
以下の2点は展示会で配布されていたパンフレットから借用転載。
<伊東マンショ肖像>
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<同時に展示されている「聖母像・親指のマリア」>
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東京都美術館の「ポンピドーセンター傑作展」について。
開催期間 : 2016年6月11日~9月22日。
フランス画壇の1906年から1977年まで「1年1作家1作品」を展示しています。この中には、ピカソ、マティス、シャガール、ローランサン、藤田嗣治、など、名だたる画家の名作が展示されており、各人の含蓄に富んだ言葉も添えられており、なかなか見ごたえがあります。ただし、1945年のコーナーには展示がなく、「モン・パリ」の音楽が静かに流れています。なかなか凝った演出です。
<入り口の看板ポスター>
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<朝日新聞(2016年6月13日)より転載>
「東京・上野の東京都美術館で「ポンピドゥー・センター傑作展― ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―」を開催します。
1977年、パリの中心部にジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター(通称ポンピドゥー・センター)は開館しました。むき出しのパイプやガラス、透明なチューブ状のエスカレーターで構成されたまるで工場を思わせる建物は、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースにより設計され、開館当時、議論を巻き起こしました。現在でもその建物の先進性は人々を引きつけ、年間約500万人が訪れるパリの文化拠点となっています。
ポンピドゥー・センターの中核をなす国立近代美術館は、20世紀初めから現代までの作品を約11万点所蔵する世界有数の美術館です。本展は、その珠玉の近現代美術コレクションから、ピカソやマティス、デュシャン、クリストら誰もが知る巨匠の傑作をはじめ、日本ではあまり知られていない画家の隠れた名品など、えりすぐりの作品の数々を紹介します。フランス20世紀に焦点をあて、1906年から1977年までのタイムラインを「1年1作家1作品」によってたどります。」
〆