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花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

「日韓の国宝 二つの半跏思惟像(はんかしゆいぞう)展など。」

2016年07月14日 09時30分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
7月9日に上野の国立博物館に行き、「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」、「天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像展」、及び、東京都美術館で「ポンピドーセンター傑作展」を見てきました。

まず、「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」について。
「半跏思惟」は、「はんかしい」と学校で学びましたが、今では「はんかしゆい」と読むようになっているようです。 「日韓の国宝 二つの半跏思惟像展」は、ソウルの韓国国立中央博物館で、「韓日国宝半跏思惟像の出会い」として、2016年5月24日~6月12日に開催され、東京国立博物館で、「ほほえみの御仏-二つの半跏思惟像」として、6月21日~7月10日に開催されました。

<会場入り口のポスター>

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<パンフレットより借用>

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7月9日は最終日の前日です。雨天でしたが、チケット売り場では長い行列ができており、大分混雑しているだろうと覚悟していましたが、会場にはいると、混雑はなく余裕を持ってゆっくりと見ることができました。入場すると、右手に韓国の、左手に日本の、各々の半跏思惟像が向かい合って(?)鎮座されていました。
まず、韓国の半跏思惟像ですが、ソウル・韓国国立中央博物館が所蔵する国宝78号で、銅造り鍍金、高さ83㎝、6世紀後半の作とされています。 私の承知している朝鮮半島の仏像の表情はやや硬く、体も直線的な造りだと思いますが、展示の仏像は、めずらしく、体の美しい曲線、表情の柔らかい優しい姿です。この金銅仏は1916年から博物館に所蔵されていますが、安置されていた場所(寺院)や出土地ははっきり分かっていないということです。

日本の半跏思惟像は、奈良・中宮寺に伝わる国宝の半跏思惟像で、クスノキ材の寄木造り、高さ123㎝。韓国の半跏思惟像より約100年後の7世紀後半の作とされています。全体的にふっくらとした丸みを感じさせ、優しいほほえみをたたえた顔と口元はやはり見る人を魅了します。
日本では、半跏思惟像は今回展示された中宮寺のほかには奈良・広隆寺のものが有名です。広隆寺の半跏思惟像は、我が国の国宝第1号に指定された仏像であり、国際的にも、優しいほほえみを評して、「古典的微笑 (アルカイック・スマイル)」の典型として高く評価されていますが、チョウセンアカマツの一木造りであることで朝鮮半島での製造の可能性がすてきれないこと、しかし、近年、背面の蓋板や,両腰から垂れる腰佩(帯)が日本で産出するクスノキ材を用いているために、朝鮮半島から渡来した材木(チョウセンアカマツ)を日本で彫刻した可能性も指摘されており、製造場所(国)の特定がなされていないため、今回の展示は、日本人の手で製造されたことが明確な中宮寺の半跏思惟像としたもののようです。

いずれにしても、今回展示されている日韓の二体の半跏思惟像は、人類のかけがえのない遺産であることは間違いありません。



「新発見!天正遣欧少年使節 伊東マンショの肖像」について。
開催期間: 2016年5月17日(火) ~ 2016年7月10日(日)。

<東京国立博物館の特別展から転載>
「2016年の日伊国交樹立150周年を記念して、日本とイタリアを結ぶ最初の架け橋である「天正遣欧少年使節」を、ドメニコ・ティントレット筆「伊東マンショの肖像」を中心に紹介します。「伊東マンショの肖像」は、2014年3月にミラノで発行された学術誌に紹介され、日本でも初めてその存在が知られた油彩の肖像画です。1585年にヴェネツィアを訪問した天正遣欧少年使節の姿を、ルネサンス期ヴェネツィア派の大画家ヤコポ・ティントレットが発注を受け、その息子であるドメニコ・ティントレット(1560~1635)が後に完成させたとみられます。
今回は、当館所蔵の「天正遣欧使節記」やキリシタン資料中のイタリア関連作品をともに展示し、16~18世紀にキリスト教を通じて交流した日伊の姿をご覧いただきます」


最終日前日の9日に展示会を見ました。天正遣欧少年使節は4名、即ち、正使の 伊東マンショ と千々石ミゲル 、副使の原マルチノと中浦ジュリアンです。4少年以外の日本人随行員、イエズス会の宣教師、船員ら総勢300人に及んだといわれています。
行程は略次の通りです。
・1582年・天正10年2月、長崎の港を出航,マカオ、ゴア、喜望峰を廻り大西洋にでる。
・1583年8月、リスボン着。11月スペイン・ポルトガル国王のフェリペ2世に拝謁。
・1585年3月、ローマ着。3月バチカンでローマ教皇グレゴリオ13世に謁見。
・1586年4月、リスボン出発。
・1590年・天正18年7月、長崎に帰着。(8年半ぶり)
・1591年・天正19年3月、豊臣秀吉に聚楽第で拝謁。

展示の解説では、「聚楽第」を「じゅらくだい」と振り仮名をつけてありました。私が学校で習ったのも「じゅらくだい」でしたが、最近のTV等では、「じゅらくてい」と説明しています。この辺りはどうなっているのでしょうか。
また、展示の解説では、「使節4名は天正18年・1590年にそろって帰国しましたが、その後の人生は一様ではありませんでした。」とされているだけで、詳細は記載されていません。豊臣秀吉によるバテレン追放令(天正15年・1587年)、徳川家康によるキリシタン禁止令(慶長19年・1614年)が出されていたので、苦難の人生を送っていますが、調べてみると次のようです。
・伊東マンショは、慶長17年・1612年に長崎のイエズス会学院で病死。
・千々石ミゲルは、慶長6年・1601年はすでに棄教。千々石清左衛門と名乗り、大村藩に仕え
たが苦難の日々を送ったと伝えられているが、消息不明。
・中原ジュリアは、弾圧の中、キリスト教伝道師になって布教活動をしていたが、寛永11
年・1634年に長崎で捉えられ、殉死。
・原マルチノは、慶長19年・1614年マカオに脱出、寛永6年・1629年マカオで病死。

以下の2点は展示会で配布されていたパンフレットから借用転載。
<伊東マンショ肖像>

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<同時に展示されている「聖母像・親指のマリア」>

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東京都美術館の「ポンピドーセンター傑作展」について。
開催期間 : 2016年6月11日~9月22日。

フランス画壇の1906年から1977年まで「1年1作家1作品」を展示しています。この中には、ピカソ、マティス、シャガール、ローランサン、藤田嗣治、など、名だたる画家の名作が展示されており、各人の含蓄に富んだ言葉も添えられており、なかなか見ごたえがあります。ただし、1945年のコーナーには展示がなく、「モン・パリ」の音楽が静かに流れています。なかなか凝った演出です。

<入り口の看板ポスター>

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<朝日新聞(2016年6月13日)より転載>

「東京・上野の東京都美術館で「ポンピドゥー・センター傑作展― ピカソ、マティス、デュシャンからクリストまで―」を開催します。
1977年、パリの中心部にジョルジュ・ポンピドゥー国立芸術文化センター(通称ポンピドゥー・センター)は開館しました。むき出しのパイプやガラス、透明なチューブ状のエスカレーターで構成されたまるで工場を思わせる建物は、レンゾ・ピアノとリチャード・ロジャースにより設計され、開館当時、議論を巻き起こしました。現在でもその建物の先進性は人々を引きつけ、年間約500万人が訪れるパリの文化拠点となっています。
ポンピドゥー・センターの中核をなす国立近代美術館は、20世紀初めから現代までの作品を約11万点所蔵する世界有数の美術館です。本展は、その珠玉の近現代美術コレクションから、ピカソやマティス、デュシャン、クリストら誰もが知る巨匠の傑作をはじめ、日本ではあまり知られていない画家の隠れた名品など、えりすぐりの作品の数々を紹介します。フランス20世紀に焦点をあて、1906年から1977年までのタイムラインを「1年1作家1作品」によってたどります。」





「森麻季ソプラノ・リサイタルに行って来ました。」

2016年06月28日 09時30分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
森麻季さんの歌は、TV等で見聞きしており、美しく伸びのあるソプラノに魅了されて、一度はリサイタルに行きたいと思っていましたが、自宅からそう遠くないところのホールで森麻季さんのリサイタルがあり、行って来ました。前売り券で前列から6列目という席を確保、森麻季さんの素顔と実際の歌声に触れようとわくわくして出かけました。 実際に目にした森摩季さんはTVで見るよりもスリムで小柄に見えました。声は伸びのある澄み切ったソプラノで期待通りでした。

歌う前に、歌詞の内容をわかりやすく丁寧に説明していただき、あり難いでした。 バッハ=グノー:アヴェマリアのときは、まず、十字を切り、神に祈りをささげる様子で歌いました。森麻季さんはクリスチャンかもしれません。一瞬にして会場が厳かな雰囲気になり、胸にこみ上げるものを感じましたが、会場の皆さんも同じ思いだったように感じられました。会場の雰囲気を一瞬にして変えてしまうなど流石ですね。 

最後の曲の “ここであなたの優しい声が”を歌い終わった時に、「実は昨夜から高熱が出て頭がガンガンしているので、今日は、いつもの様に、頭を大きく揺すったり、体を大きく動かすような仕草さを控えましたが、心を込めて歌いました。 皆様には、感じていただけたのではないかと思います。」と話してくれました。

配布されたプログラムに加えて曲名を記載してある紙片が配布され、これに従って進められました。森さんから第二部の冒頭で、「プログラムで予定していた曲を大幅に変更しています。お詫びします。」との発言がありましたが、曲の変更は、森さんの体調の不良と関係があったものと思います。

<プログラム>
  ―第一部-
1、グノー:歌劇「ロミヲとジュリエット」より  ”私は夢に生きたい”
2、ドビュッシー:《ベルガマスク組曲》より ”月の光” (ピアノソロ)
3、バッハ=グノー:アヴェマリア
4、マスカニーニ:アヴェマリア
5、山田耕筰:からたちの花
6、伊福部昭:《ピアノ組曲》より 七夕(ピアノソロ)
7、ベッリーニ:歌劇「カブレーティ家とモンテッキ家」より “おお、いくたびか”
8、ヘンデル:歌劇「リナルド」より “涙の流れるままに”

 ~ 休憩 ~

 -第二部-
9、ベッリーニ:歌劇「夢遊病の女」より 
“ ああ、信じられないわ ~ ああ、最高に嬉しいの”
10、ガーシュウイン:≪3つの前奏曲》より 第2番、第1番(ピアノソロ)
11、久石譲:スタンド・アローン 
~NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」メインテーマ
12、菅野よう子:花は咲く ~NHK東日本大震災復興応援ソング
13、プッチーニ:歌劇「ジャンニ・スキッキ」より ”私のいとしいお父さん“
14、ショパン:子守唄 作品57(ピアノソロ)
15、ベッリーニ:歌劇「清教徒」より “ここであなたの優しい声が”

~アンコール~
 越谷辰之助:初恋
 プッチーニ:歌劇「ラ・ボエム」より “ムゼッタのワルツ”  


〆   「 



「中安千晶さん(フォレスタメンバー)のソロ・コンサート」

2016年06月21日 09時30分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
6月18日にフォレスタメンバーの中安千晶さんの「ソプラノコンサート~私の好きな歌~」がありました。このところ、フォレスタのコンサートはすっかりご無沙汰しています。 2年半前でしょうか、赤羽での中安さん、上沼さん、内海さんのソプラノ3人娘コンサートに行ったことがありますが、それ以来になります。
今回は、会場が自宅から比較的近いということもあり、久しぶりにフォレスタメンバー中安さんのソロ・コンサートに出かけてみました。200名も入れば満員になるような小さな会場ですので間近で見られ、大きなコンサート会場では味わえない良さがあります。

最初に中安さんから共演者の紹介がありました。ピアノの御園生瞳さんとは、2年前からソロコンサートで伴奏をお願いしている。互いに一人っ子で大変気が合い、お姉さんのような存在とか。
フルートの藤堂詩歌さんは立川出身で、高校が中安さんの出身地にある八王子高校、この高校の制服が大変かわいく、中安さんは埼玉県の高校に通っていたが、制服がダサく、八王子高校の制服をいつも羨ましく思い、あこがれていたと披露。

中安さんのソロコンサートは初めてです。BS日テレの“心の歌”で見る中安さんは、笑顔があまり見られないので、話ぶりを注目していましたが、会場が小さいこともあり、終始、来場者との距離を測りながら、ユーモアを交えて話に引き込み、惹きつけるなかなかの話術を身につけている思いました。 会場を埋める中高年から、「千晶ちゃ~ん」という声も出ました。考えてみると中安さんは、教員養成の学部出身(国立音大の音楽教育学部)ですので、巧みに話すのは案外お手のものなのかもしれません。

<共演  フルート 藤堂詩歌、ピアノ 御園生 瞳>
<プログラム>
【第一部】
浜辺の歌(成田為三)                  中安千晶
霧と話した(中田喜直)                  々
初恋(越谷辰之助)                    々
愛の挨拶(エルガー)                  藤堂詩歌
「歌の翼」による幻想曲(H.シュデックメスト)       々
風笛~あすかのテーマ~(大島ミチル)           々
ムーン・リバー ~『ティファニーで朝食を』より(マンシーニ)々
スタンド・アローン ~NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」より(久石譲)中安千晶

<みなさんで歌いましょう>夏は来ぬ(小山辰之助)

~ 休憩 ~

【第二部】
踊り明かそう「マイ・フェア・レディ」より(ロウ)    中安千晶 / 藤堂詩歌
カロ・ミオ・ベン(ジョルダーニ)            中安千晶
優雅な月よ(ベッリーニ)                 々
メヌエット「アルルの女」より(ビゼー)         藤堂詩歌
ジュ・トゥ・ブ(サティ)                 々
パンの笛より 第1楽章(J.ムーケ)            々
ネッラ・ファンタジア(モリコーネ)           中安千晶
ドレッタのすばらしい夢~オペラ「つばめ」より(プッチーニ)々

{アンコール}
美女と野獣(Beauty and the Beast)           藤堂詩歌
哀しみ本線日本海(森昌子)               中安千晶


・「霧と話した」
中安さんが在学中にフォレスタのオーディションを受けたとき、日本の歌を歌ってほしいといわれ、当時、歌うことが出来る日本の歌はこの曲しかなかったので歌ったとのこと。
・「初恋」
来場者に初恋の時期を訪ねて回り、“皆さん小学校の時ですね。私は幼稚園の時でした。名前もハッキリと覚えていますが、話すのは控えます” と笑いを誘いました。
・「スタンド・アローン」
歌いたい曲の一つで、再三お願いしているが、実現しない。 NHKと日テレの関係があるのかもしれない、とのこと。
・「カロ・ミオ・ベン」
音大の試験の時に歌った曲。もっとも知られているクラッシクの曲の一つ。
・「優雅な月よ」
3年前に初めてソロコンサートを立川で開催した時に歌った思い入れのある曲、とのこと。
・「ドレッタのすばらしい夢」
オペラが”愛と金銭の板挟み”をテーマにした内容であることを、わかりやすく説明し、若いときには愛が第一、しかし、ある程度人生経験を積み重ねてくると、”愛も大事だが金銭も” という考える人も多くなってくる。このオペラの主人公は、”愛を選びますが”と、中安さんがユーモアを交えながら、人生模様を巧みに話し、会場を爆笑に誘いました。 TVで見る中安さんからは恋愛と金銭の話が出てくるとは、想像もできませんが。
・「哀しみ本線日本海」
この曲もBS日テレ“心の歌”で歌いたかった曲の一つで、先般、収録がおわったが、まだ放映されていない。プロデューサーの許可が得られたので、放映前だが、今日初めて披露する、とのこと。













(2016)「5月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2016年05月31日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
5月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。初夏を歌った曲と母の日にちなんで「子守歌」2曲、外国の名曲で唱歌として学校で習ったことのある2曲など、16曲を歌いました。

外国の曲は、「故郷を離るる歌」(ドイツ民謡)と「夢路より」(フォスター作曲)の2曲ですが、久しぶりに歌ったために、最初は、歌詞と音符がうまくつながらず、スムーズに歌えなかったのですが、2回目には、記憶も戻り何とか歌えるようになりました。 モーツアルトの子守歌とシューベルトの子守歌も日本語の歌詞を当てはめたものですが、よく耳にすることもあり、こちらは、最初からスムーズに歌えました。

「夏は来ぬ」は明治29年(1896年)に発表されています。 作詞が万葉集や和歌の研究の大家である“佐佐木信綱”で、文語体の歌詞で日本の風物を見事に歌いこんでありますが、今に生きる我々には、あまりお目にかかったことのない文言が並んでいます。指導していただく先生が、「卯の花」、「時鳥」、「忍音」、「早乙女」、「裳裾」、「橘」、「楝」(おうち)、「水鶏」(くいな)などを説明してくださいましたが、一般的には、明確に説明できる人が果たしてどの位いるでしょうか。
「卯の花」はウツギの花、「オウチ(楝)」は「センダン」のこと、「橘」は柑橘類の(ハナ)タチバナであり、いずれも実際に見て知っています。また、「時鳥」はホトトギスであることは承知していますが、「水鶏」(くいな)は見たこともなく知りません。
今では、学校で唱歌を教わることはほとんどないと思います。 いずれ、唱歌のほとんどが忘れ去られてしまう運命にあるのかもしれません。 音楽教育・情操教育の一環として、唱歌を取り上げてみる必要を感じています。


1、鯉のぼり(作詞・作曲者不詳)
2、背くらべ(海野厚作詞、中山晋平作曲)
3、若葉(松永みやお作詞、平岡均之作曲)
4、山の歌(久保田宵二作詞、長谷川良夫作曲)
5、朧月夜(高野辰之作詞、岡野貞一作曲) 
6、茶摘み(作詞・作曲者不詳) 
7、夏は来ぬ(佐佐木信綱作詞・小山作之助作曲)
8、故郷を離るる歌(吉丸一昌作詞、ドイツ民謡)
9、森の水車(清水みのる作詞、米山正夫作曲)
10、夢路より(津川圭一作詞、フォスター作曲)
11、この道(北原白秋作詞、山田耕筰作曲)
12、モーツアルトの子守歌(堀内敬三作詞、フリース作曲)
13、シューベルトの子守歌(内藤濯作詞、シューベルト作曲)
14、揺籠の歌(北原白秋作詞、草川信作曲)
15、花の街(江間章子作詞、團伊玖磨作曲)
16、夕方のお母さん(サトウハチロー作詞、中田喜直作曲)


「夏は来ぬ」<明治29年(1896年)>
作詞:佐佐木信綱
作曲:小山作之助
(一)
卯の花の 匂う垣根に
時鳥 早もきなきて
忍音もらす 夏は来ぬ

(二 )
五月雨の そそぐ山田に
早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗ううる 夏は来ぬ

(三)
橘の かおる のきばの
窓近く 蛍とびかい
おこたり諫むる 夏は来ぬ

(四 )
楝ちる 川辺の宿の
門遠く 水鶏声して
夕月すずしき 夏は来ぬ

(五)
五月やみ 蛍とびかい
水鶏なき 卯の花咲きて
早苗うえわたす 夏は来ぬ







「(2016)3月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2016年03月31日 10時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
3月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。1月・2月は都合が悪く欠席しましたので、今年になって初めての出席となりました。今回は春にちなんだ曲を始め14曲を歌いました。

滝廉太郎作曲の「荒城の月」と「花」は譜面にしたがって合唱で歌いました。即ち、「荒城の月」は二部合唱で、「花」は一番を二部合唱、二番の前半は男声、後半は女声、三番は二部合唱で歌いました。このような歌い方は、私が会に参加して2年弱になりますが、初めてだと思います。また、「花」は歌曲集「四季」の中の第一曲で、第二曲は「納涼」、第三局は「月」、第四曲は「雪」との説明がありました。
「荒城の月」について、後年、山田耕筰が滝廉太郎の原曲を編曲の時に少々手直した。即ち、一番の歌詞の「花の宴」の「え」の音が原曲では半音上がっているが、山田耕筰はこの半音上げをなくしているとしてピアノで演奏してくれ、大分県の豊前竹田駅ではこの原曲が流れているとの説明がありました。

「汽車ポッポ」は、元歌は『兵隊さんの汽車』であり、汽車に乗って出征する兵士を見送る内容であったが、昭和20年に川田正子がNHKラジオの『紅白音楽試合』(NHK紅白歌合戦の前身)でこの曲を歌うことになり、題名と歌詞が書き換えられた、との説明がありました。歌唱指導の先生は、川田正子と同じく「音羽ゆりかご会」の出身で、川田正子のことを織り交ぜて話してくれます。


1、どこかで春が(百田宗治作詞、草川信作曲)
2 早春賦(吉丸一昌作詞、中田章作曲)
3、霞か雲か(加部巌作詞、ドイツ民謡)
4、荒城の月(土井晩翠作詞、滝廉太郎作曲)
5、待ちぼうけ(北原白秋作詞、山田耕筰作曲) 
6、思い出のアルバム(増子とし作詞、本多鉄麿作曲) 
7、仰げば尊し(作詞・作曲者不詳)
8、汽車ポッポ(宮原薫作詞、草川信作曲)
9、汽車(作詞者不詳、大和田愛羅作曲)
10、春の唄(喜志邦三作詞、内田元作曲)
11、さくらさくら(日本古謡)
12、花かげ(大村主計作詞、豊田義一作曲)
13、花(武島羽衣作詞、滝廉太郎作曲)
14、夕方のお母さん(サトウハチロー作詞、中田喜直作曲)



兵隊さんの汽車「昭和13年(1938年)」
作詞:富原 薫
作曲:草川 信
(一
汽車汽車 ポッポポッポ
シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポシュッポ シュッポッポウ
僕等も手に手に日の丸の
旗を振り振り送りませう
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん兵隊さん 萬々歳

(二 )
汽車汽車 來る來る
シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポシュッポ シュッポッポウ
窓からヒラヒラ日の丸の
旗を振ってく兵隊さん
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん兵隊さん 萬々歳


(三)
汽車汽車行く行く
シュッポシュッポ シュッポッポウ
兵隊さんを乗せて
シュッポシュッポ シュッポッポウ
まだまだヒラヒラ日の丸の
旗が見えるよ汽車の窓
萬歳 萬歳 萬歳
兵隊さん兵隊さん 萬々歳