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花熟里(けじゅくり)の静かな日々

脳出血の後遺症で左半身麻痺。日々目する美しい自然、ちょっと気になること、健康管理などを書いてみます。

(2016)「9月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2016年09月26日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
9月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。秋に因んだ曲を中心に16曲を歌いました。今回歌った曲の中で、故郷の空(大和田建樹作詞、スコットランド民謡)、秋の夜半(佐々木信綱作詞・ウエーバー作曲)、旅愁(犬童球渓作詞、オードウェイ作曲)、ローレライ(近藤朔風作詞、ジルヘル作曲)などは、日本人作曲と言っても疑う人もいないくらいに、多くの日本人に親しまれています。私も中学校(?)で習っており、いまでも大好きな曲です。しかし、現在の小・中・高校でこれらの曲を歌う機会があるのでしょうか。 音楽の教科書から削除されているのではないかと思います。 もし、そうであれば、これらの名曲は日本人から徐々に忘れられていく運命にあります。残念なことです。

さて、「俵はごろごろ」(野口雨情作詞、本居長世作曲)について、興味深いことを知りました。
一番の歌詞の中で、「俵はごろごろ お倉に どっさりこ おこめは ざっくりこで ちゅちゅ ねずみは にっこりこ」のところは、蔵に米の入った俵がたくさんあるので、ネズミが食べてやろうと、ほくそ笑んでいる様子が浮かんでくると思います。日本ではネズミは、古くから、大黒様(米俵に乗り福袋と打出の小槌を持った微笑の豊穣の神様)の「使い」とされており、ネズミに豊作を祝ったり、また、ネズミにあやかり多産を祈る縁起の良い生き物として扱われてきました。
野口雨情は、茨城県最北部の福島県に接する北茨城市磯原町で生まれました。雨情の生家は、代々水戸藩の薪炭奉行を勤めながら、廻船問屋を生業としており、多くの蔵が建っていたものと思われます。15歳で上京するまで生家で育てられ、其の後も、故郷との強い関係を持ち続けていますので、ネズミについては、日本の伝統的な感覚を持っていたと考えるのが自然です。「俵はごろごろ」は、生家での経験を歌ったものでしょう。特に一番の歌詞。

なお、熊本県玉名市には、「俵はごろごろ」の玉名バージョンがあります。 玉名市中心部は、江戸時代には高瀬と呼ばれ、菊池川流域で収穫された米の積出港として栄えた町で、高瀬船着き場跡(俵ころがし)も残っており、今年も11月23日に「玉名大俵まつり」が開催されます。、「肥後の俵積出し唄」という民謡もあるなど、俵に深い縁のある玉名市の観光振興のために「玉名観光ガイドの会」が玉名観光おもてなしソング「俵はごろごろ」の玉名バージョンを作ったものです。歌詞には玉名の歴史や観光名所が織り込まれており、10番まであります。


1、虫の声(作詞・作曲者不詳)
2、村祭り(作詞・作曲者不詳)
3、故郷の空(大和田建樹作詞、スコットランド民謡)
4、赤とんぼ(三木露風作詞・山田耕筰作曲)
5、月(作詞・作曲者不詳)
6、うさぎ(わらべうた)
7、秋の夜半(佐々木信綱作詞・ウエーバー作曲)
8、北上夜曲(菊地規作詞、安藤睦夫作曲)
9、かごめかごめ(わらべうた)
10、俵はごろごろ(野口雨情作詞、本居長世作曲)
11、遥かな友に(磯部俶作詞・作曲)
12、ローレライ(近藤朔風作詞、ジルヘル作曲)
13、旅愁(犬童球渓作詞、オードウェイ作曲)
14、小さい秋見つけた(サトウハチロー作詞、中田喜直作曲)
15、青い山脈(作詞:西條八十作詞、服部良一作曲
16、夕方のお母さん(サトウハチロー作詞、中田喜直作曲)


『俵はごろごろ』
野口雨情作詞 本居長世作曲  (大正14年12月 「金の星」)
1.俵はごろごろ 
  お倉に どっさりこ
  お米が ざっくりこで
  ちゅうちゅうねずみは にっこりこ
  お星さま ぴっかりこ
  夜のお空に ぴっかりこ

2.いねむりごろごろ
  舟こぎ ぎっちんこ
  こげこげ こっくりこで
  おやおやお目目は ぱっちりこ
  ちょうちん ぽっかりこ
  鼻のちょうちん ぽっかりこ

3.雷ごろごろ
  いなずま ぴっかりこ
  夕立ち ざんぶりこで
  洗濯 びっしょりこ
  お庭も びっしょりこ(で)
  雨でお庭も びっしゃりこ





「江戸東京たてもの園―2」

2016年08月23日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」を7月20日にアップしましたが、その時には、
東ゾーンと中央ゾーンを見学し、西ゾーンは後日にしました。今般、西ゾーンに行って来ました。昔の商家・銭湯・居酒屋などを通して、下町の風情を楽しむことができます。
復元した建物の中には、当時の暮らしや商売の道具・商品などを展示しています。

ビジターセンター(旧光華殿)
紀元2600年記念式典(1940年・昭和15)に皇居前広場に仮設された式殿。1941年・昭和16年に小金井公園に移築、ビジターセンターとして利用されている。




小寺醤油店
1933年・昭和8年の建築。大正期から現在の港区白金で営業、日本酒、味噌、醤油を量り売りしていた。





(計算機)


(裏側)




鍵屋(居酒屋)
1856年・安政3年建築。台東区下谷の言問通りにあった居酒屋。建物と店内は1970年・昭和45年ごろの姿に復元されている。







子宝湯
1929年・昭和4年建築の宮造りの銭湯。ジブリ映画『千と千尋の神隠し』の湯婆婆(ゆばーば)が仕切る湯屋「油屋」のモデルになったとも言われている。



(女湯から男湯を望む)


(番台)




仕立屋
1879年・明治12年建築の町屋。 内部は大正期の仕立屋の仕事場を再現している。







武居三省堂(文具店)
1927年・昭和2年建築。明治初期に創業した文具店。建物は震災後に建てられた〈看板建築〉で前面がタイル貼りになっている。引き出しは、ジブリ映画『千と千尋の神隠し』に出てきた釜爺(かまじい)が、ながい手足を生かして薬草をとっていた引き出しのモデルとなったとも言われている。



(引き出しが『千と千尋の神隠し』の場面に利用されたらしい)




花市生花店
1927年・昭和2年建築の花屋。店内は昭和30年代の花屋を再現している。
(右側の建物)


(店の日常生活空間)


(店の裏側、井戸などあり)




植村邸
1927年(昭和2年建築。建物の前面を銅版で覆う。





丸二商店(荒物屋)
昭和初期に建築の荒物屋。小さい銅板片を巧みに組み合わせて模様をかたち作り、建物の正面を飾っているのが特徴。店内は昭和10年代の様子を再現。裏手には長屋も移築されている。





(長屋)




村上精華堂
1928年・昭和3年に建築の小間物屋(化粧品屋)。化粧用のクリーム、椿油、香水などを製造・販売(卸・小売り)していた。





川野商店(和傘問屋)
1926年・大正15年に建築の和傘問屋。内部は1930年・昭和5年ころの和傘問屋の店先の様子を再現している。





(裏側)




大和屋本店(乾物屋)
1928年・昭和3年に建築の乾物屋。木像3階建て。

(右側の建物)






万徳旅館
建築は江戸時代末期~明治時代初期の旅館。1950年(昭和25)ころの様子を復元している。





天明家(農家)(てんみょうけ))
江戸時代後期の建築。江戸時代に鵜ノ木村(現在の大田区内)で名主役を勤めた豪農家で、長屋門をもつ格式高い旧家。

(母屋)


(蚊帳)


(長屋門)




店蔵型休憩棟
東ゾーンにある店蔵型休憩棟の1階は無料休憩所。2階には食べ物処「蔵」。個々で昼食をとりました

(左側の蔵の2階)




万世橋交番
建築は明治後期(推定)。正式名称は須田町派出所。神田の旧万世橋駅の傍にあった煉瓦造の交番。





皇居正門石橋飾電燈
明治20年代に制作された皇居正門の欄干両側にある男柱石に計6基設置されていたもののひとつ。





上野消防署(旧下谷消防署)望楼上部
1925年・大正14年に建築。三脚四層式外廊型で、1970年・昭和45年まで使用された。





皇太子殿下御仮寓所跡(記念碑)
終戦後、この地に東宮御仮寓所が建設され、1946年・昭和21年から3年間、皇太子殿下(現在の天皇陛下)が住まわれた。






(東ゾーンの遠景)




(ホームページ)
http://tatemonoen.jp/









「フォレスタ・セレクション・コンサート」

2016年08月21日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
8月19日にフォレスタ・セレクション・コンサートが清瀬で行われ、見に行って来ました。
毎週のTV日テレの「こころの歌」は見ていますが、実物を目にするのは、久しぶりです。セレクション・コンサートのプロデユーサーでもあるリーダーの大野隆さんが、「今回は従来とは趣を変えて、第一部に世界の歌をもってきた。第二部は従来通りオペラの名場面集です。クラシック出身者のフォレスタに、このようなコンサートがあってよいと思う」趣旨の説明がありました。

第一部で小笠原さんが「オーバー・ザ・レインボー」を歌う前に、石川さんから、8月14日に神宮球場で行われた「全国定時制通信制高校野球大会」の開会式で小笠原さんが国歌を独唱したとの紹介があり、神宮球場に足を運んだ人を会場に尋ねると、数名の方が手を挙げたようでした。 定時通信制高校の全国野球大会が行われることはマスメディアで取り上げられることもなく、ほとんどの国民が知らなかったと思います。 特に、今年は、オリンピック放送と甲子園の高校野球大会が重なり、マスコミもてんてこ舞いであろうことは承知していますが、定時通信制高校など目立たない存在に配慮をしてほしいと思います。

第二部はオペラ名曲集。石川さんから、TVでフォレスタは日本の美しい歌を歌っていますが、オペラはハフォレスタの原点です。フォレスタの演奏を見てオペラに興味を持つ方も多いのではないでしょうか。と説明あり。
フォレスタ・ファンは中高齢層が主で、日本の歌ばかりを好んでいると思われがちですが、若い時分に洋楽に親しんだ方も多く、フォレスタ・オペラを毎年楽しみにしているファンも多いのです。今回のような世界の音楽に目を向けたコンサートも大歓迎なのです。
コンサートの中で、会場全体で歌う曲と言えば、「故郷」「浜千鳥」など、純日本的な抒情歌がほとんどですが、今回は、「ドレミの歌」で、大好評だったと思います。 中高年も世界の良い歌も好きなのです。 今回のようなコンサートを毎年続けていただくようお願いします。

~プログラム (敬称略)~
司会:石川
<第一部>
「歌のつばさ」  :全員
「ろくでなし」  :吉田、上沼、小笠原
「帰れソレントへ」 :男声 
ミュージカルメドレー :ピアノ演奏 (サウンド・オブ・ミュージックより 吉野、山元)
「オーバー・ザ・レインボー」 :小笠原
「トゥナイト」  :榛葉、内海
「ドレミの歌」  :指導-小笠原、会場全員

<第二部>
G.ロッシーニ作曲 オペラ《セヴィリアの理髪師》より 
「序曲」 :ピアノ演奏 (南雲、山元)

「町のなんでも屋」 :川村
 おどけた理髪師は河村さんのはまり役、イタリア留学中に体得した身のこなし、しぐさが自然で観客を楽しませてくれました。

「今の歌声は」   :上沼
 上沼さんの声の美しさ、声の出し方、そして、かわいらしい仕草に酔いしれたアリアでした。流石、二期会正会員の実 力発揮ですね。

U.ジョルダーノ作曲 オペラ《フェドーラ》より 
 「愛さずにはいられぬ」 :澤田
 美しいメロディーで、澤田さんのテノールが心地よかったのですが、あっという間に終わってしまいました。石川さんから、もう少し聞きたい気持ちがしますが、とつっこまれていましたが、澤田さんは無言でした。 まじめな澤田さんとしては予定通り歌った、という心境でしょうが、サービス精神を発揮して、アカペラで少しでも歌ってもらうたら、会場が盛り上がったものと思います。澤田さん、いかがでしょうか。

WAモーツァルト作曲 オペラ《フィガロの結婚》より
 「恋とはどんなものかしら」 :吉田
吉田さんが、オペラの中でこの歌を歌う少年ケルビーをイメージした服装(白いブラウス、細い体にピッタリしたパンツスタイル、ハイヒール)であらわれると、会場からどよめきが起こりました。よく知られているアリアですが、吉田さんのうまさがよく表現されていたと思います。

G.ヴェルディ作曲 オペラ《シモン・ボッカネグラ》より
 二重唱「皆が私を讃えている」 :塩入、大野
バリトンの塩入・バスの大野という低音の二重唱はあまり聞くことがないのですが、十分に堪能しました。塩入さんの声もよく響きますね。

G.ヴェルディ作曲 オペラ《リゴレット》より
 「悪魔め、鬼め」 :今井
 今井さんの実力を否応なく知らしめた迫力の演奏でした。会場からの歓声、拍手もひと際大きかったと思います。 

 四重唱「美しい恋の乙女よ」 :今井、内海、吉田、榛葉 
今井・内海の組、榛葉・吉田の組で演奏。内海さんと吉田さんの対照的な表現が印象的でした。 

G.ヴェルディ作曲 オペラ《ナブッコ》より
 「行けわが想いよ 黄金の翼に乗って」 :全員
 全員が譜面を持って歌いましたが、男声陣は全員と女声の吉田さんは譜面に目を向けることなく、顔を客席に向けてい
ました。吉田さん以外の他の女声の皆さんは譜面に目を落としながら歌っていました。
    

~アンコール~

「オー・ソレ・ミオ」  :全員






「(2016)7月の唱歌・童謡・名歌を歌う会」

2016年07月30日 09時00分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
7月の「唱歌・童謡・名歌を歌う会」に行って来ました。海・海辺にちなんだ4曲を始め、16曲を歌いました。「故郷の廃家」は、たしか、中学校で歌ったとおもいますが、今でも大好きな曲です。詞・メロディー共に心にしみるのです。日本の歌と思っている人が多いのではないかと思いますが、アメリカのウィリアム・ヘイスの曲に犬童球渓が詩をつけたもので、明治40年に学校唱歌にとりあげられています。 

「故郷の廃家」には特筆すべきエピソードがあります。
即ち、太平洋戦争の末期に硫黄島では激しい戦闘が行われ、1945年2月に米軍が硫黄島に上陸、日本軍・島民が玉砕した悲劇の島として日本人の心に刻まれています。 硫黄島には、食糧を自給させるために、日本各地から集められた15才~16才の多くの少年兵たちが昼夜を問わず、雨水を溜め甘藷作りなどの厳しい農作業に精を出していました。「米軍機が激しい空襲をおこない、帰っていくと、壕にいた少年兵たちは夕日を目にして、誰ともなく「故郷の廃家」を歌いだし、故郷を思い出しながらお互いに励まし合った。それを聞いていた市丸海軍少将は、15才~16才の少年兵が玉砕せざるを得ない過酷な運命に涙した。」と伝えられています。

小笠原村では村主催の慰霊祭が毎年行われていますが、少年兵と同じ世代の中学2年生が慰霊祭で誓いの言葉を述べ、故郷の廃家を歌います。
<小笠原中学校だより 第4号 平成28年7月1日付 より転載>
『6月11日から6月14日まで硫黄島訪島事業が行われ、本校(小笠原中学校)の2年生と母島中学校の2年生が参加をさせていただきました。12日に行われた慰霊祭にはきちんとした厳粛な態度で参列できたと思っています。
硫黄島では、到着した日の9時30分から慰霊祭が行われました。中学生は誓いの言葉と千羽鶴を奉納しました。学級委員の2人は大変立派に誓いの言葉を述べることができました。今年の慰霊祭では村からの要請で初めて中学生が前に出て「故郷の廃家」を歌うことになりました。母島の生徒と一緒に整列し、全員で心を込めて歌うことができていたと思います。硫黄島に眠る全ての方々に謹んで哀悼の意を表するとともにご冥福をお祈り申し上げます。』

「故郷の廃家」は昭和50年代になると学校では歌われなくなったようです。すばらしい詞と心にしみるメロディ-のこの歌を若い人が知らないのが残念でなりません。せめて学校で副教材などで取り上げて是非歌ってほしいと思います。


1、七夕さま(権藤はなよ・林柳波作詞・下総皖一作曲)
2、うみ(林柳波作詞、井上武士作曲)
3、浜千鳥(鹿島鳴秋作詞、弘田龍太郎作曲)
4、海(作詞・作曲者不詳)
5、知床旅情(森繁久弥作詞・作曲)
6、静かな湖畔(作詞・作曲者不詳)
7、追憶(古関吉雄作詞・スペイン民謡作曲)
8、故郷の廃家(犬童球渓作詞、ヘイス作曲)
9、森へ行きましょう(東大音感訳詩、ポーランド民謡)
10、蛍(井上赳作詞、下総皖一作曲)
11、竹田の子守歌(作詞・作曲者不詳)
12、叱られて(清水かつら作詞、弘田龍太郎作曲)
13、七つの子(野口雨情作詞、本居長世作曲)
14、あの町この町(野口雨情作詞、中山晋平作曲)
15、浜辺の歌(林古径作詞、成田為三作曲)
16、夕方のお母さん(サトウハチロー作詞、中田喜直作曲)


『故郷の廃家』  作詞:犬童球渓、 作曲:ヘイス
(一) 幾年(いくとせ)ふるさと 来てみれば
咲く花鳴く鳥、そよぐ風、
門辺の小川の、ささやきも、
なれにし昔に、変らねど、
あれたる我家に、
住む人絶えて無く。

(二) 昔を語るか、そよぐ風
    昔をうつすか、澄める水、
    朝夕かたみに、手をとりて、
    遊びし友人(ともびと)、いまいずこ、
    さびしき故郷や、
    さびしき我家や。
                                   」 


「 My Dear Old Sunny Home 」
1. Where the mocking bird sang sweetly
Many years ago,
Where the sweet magnolia blossoms
Grew as white as snow,
There I never thought that sorrow,
Grief nor pain could come,
E'er to crush the joys and pleasures
Of my sunny home.
(Chorus:)
Oh! I'm weeping,
Lonely I must roam.
Must I leave thee,
Dear old sunny home?
2. Flowers withered, roses drooping,
'Round the cottage door,
And the birds that sang so sweetly,
Sing, alas, no more.
Ev'ry thing seems chang'd in Nature,
Since I cross'd the foam,
To return, my poor heart breaking,
To my sunny home.
(Chorus:)
3. Other forms and stranger faces,
All that I can see,
Brings to mem'ry thoughts of loved ones
Who were dear to me.
But my poor heart sinks within me
When I turn to roam,
Far from all I lov'd and cherish'd,
Good bye, sunny home.
(Chorus:)





「江戸東京たてもの園」(小金井公園内)」に行きました

2016年07月20日 09時30分00秒 | 趣味(音楽、絵画、等)
「都立小金井公園(小金井市)」内の“江戸東京たてもの園”に行って来ました。 小金井公園は広さ80haと広大で、このうち北西部の7haを利用して、「江戸東京たてもの園」が作られています。文字通り歴史的な価値のある建物を公園内に移築し保存しています。たてもの園内には、西ゾーン(10棟)、センターゾーン(6棟)、東ゾーン(14棟)の3ゾーンに30棟が展示されています。今回は、西ゾーンとセンターゾーンの16棟を見学しました。東ゾーンの14棟は後日見学に行く予定です。

<江戸東京たてもの園の案内より借用転載>
『江戸東京たてもの園は、1993年(平成5年)3月28日に開園した野外博物館です。都立小金井公園の中に位置し、敷地面積は約7ヘクタール、園内には江戸時代から昭和初期までの、30棟の復元建造物が建ち並んでいます。当園では、現地保存が不可能な文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示するとともに、貴重な文化遺産として次代に継承することを目指しています。
江戸東京たてもの園では、都内に所在した、近世初頭から現代までの文化的価値の高い建造物を復元・展示するとともに、建物の内部では生活民俗資料などを展示し、一定の時代の生活や商いの諸相を再現しています』

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《センターゾーン》
・高橋是清邸 
高橋邸の1Fには、高橋高清の生涯を詳細に説明してある資料室があります。2・26事件で是清が襲われたのは2Fの部屋ですが、エレベータがなく、階段を利用するしかありません。建物の構造上、エレベーターをつぎ足すのが困難なためではないかと、ボランティアガイドの方の話。高橋邸と西川邸は渡り廊下でつながっています。

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・西川家別邸 

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・伊達家の門 
仙台藩ではなく、旧宇和島藩伊達家の東京の邸宅の門。 

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・旧自証院霊屋

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《西ゾーン》
・デ・ラランデ邸
1Fはレストラン「武蔵野茶房」。ここで昼食を食べた。味もよく、洋館らしいおしゃれな雰囲気が良い。食事中に地震があり揺れたが、店員が「この建物は耐震補強されているので安心です。そのままお待ちください。」とのアナウンスあり。大変適切な対応でした。
2Fの展示ルームへはエレベータあり。

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・小出邸

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・田園調布の家(大川邸)

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・前川國男邸

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・三井八郎右衞門邸
エレベーターあり。

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・常盤台写真場
エレベータあり。

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以下写真省略。
・八王子千人同心組頭の家
・綱島家(農家)
・奄美の高倉
・吉野家(農家)
・ビジターセンター(旧光華殿)
 たてもの園の受付・案内、入園料の徴収など園の事務機能をおこなっている。カフェとミュージアムショップ、展示室あり。



<江戸東京たてもの園HP>
http://www.tatemonoen.jp/about/index.html