この校舎は明治9年に建てられ、昭和38年まで90年間現役で使われたというから大したものである。
昭和38年から39年にかけて、松本の中央の女鳥羽川沿いから現在の松本城北へ移築されたという。それにしては、移築後の管理も万全で、時代が付いていないような印象まで受ける。
細部の漆喰仕上げは、元々細かい細工の上手な日本人には得意ジャンル。竣工当初から、なかなかの姿を見せていたようだ。
建物の内部に入ると、お寺などと共通した現象だが、予測しない程の寒さが足元から攻めてくる。
昔の木の机を並べた教室。
階段自体が、建築的になかなかの仕上がりを見せている。段々が歴史のうちにすり減ってしまった姿も、そのまま展示されている。
漆喰塗が新し過ぎる印象がする所だけが、少々残念。
昭和38年から39年にかけて、松本の中央の女鳥羽川沿いから現在の松本城北へ移築されたという。それにしては、移築後の管理も万全で、時代が付いていないような印象まで受ける。
細部の漆喰仕上げは、元々細かい細工の上手な日本人には得意ジャンル。竣工当初から、なかなかの姿を見せていたようだ。
建物の内部に入ると、お寺などと共通した現象だが、予測しない程の寒さが足元から攻めてくる。
昔の木の机を並べた教室。
階段自体が、建築的になかなかの仕上がりを見せている。段々が歴史のうちにすり減ってしまった姿も、そのまま展示されている。
漆喰塗が新し過ぎる印象がする所だけが、少々残念。
個人に近い形でやっている有名店の気迫は無いが、ビルの1階から4階まで、その時の都合で選べる店造りなので、入り易い雰囲気がよい。
「ひとくち天ぷらこーす」がお値打ちに見えたので、注文した。
鯛焼き霜作り
ひとくち天ぷらの前菜なのだが、意外に量はたっぷりある。
山海くらげの胡麻酢和え
こういう物は、沢山は出さないが、食べた感触が楽しめる。
蟹茶碗蒸し
ここまでで、既に最初の生ビールが終わりそうになっている(お昼なのに!)。あわてて、日本酒を追加。蟹の出汁がよく効いている。
天ぷら其ノ一 伊勢海老 海老の菜ノ花巻き 芝海老と蓬
伊勢海老の甲羅は伊達ではなく中央は伊勢海老の塊が揚がっている(芝海老の尻尾の後ろになって残念)。タレが2種類に塩も用意されている。だいたい、塩を使った。伊勢海老の味が凝縮して、なかなか贅沢だった。
天ぷら其ノ二 ロールキャ別
天ぷらはしっかり引いた出汁に浸かっており、見た目面白く納得できる味。
天ぷら其ノ三 蕗のとう パセリ 金柑の甘露煮
この其ノ三も、素材自体の香りと衣の感触が味わいたいので、塩を主に使うことになる。金柑はそのまま。天ぷらは香りの料理だと、勝手に思う。
天ぷら其ノ四 餅と玉子焼き 帆立と若布かき揚げ 白子のポン酢添え
右の手前が白子。奥がお餅。白子ポン酢は当然、天国的な味に仕上がっているのだが、餅と玉子焼きが口触りも良く、負けない深みが出ているのに仰天。あまり、感心ばかりしていると日本酒のお代りとなりかねないので、ささっと食べきった。
以上に、赤だし、漬物、御飯が付く。食べやすい大きさで十種類の天ぷらが楽しめて、2300円はお得な感じがした。
「ひとくち天ぷらこーす」がお値打ちに見えたので、注文した。
鯛焼き霜作り
ひとくち天ぷらの前菜なのだが、意外に量はたっぷりある。
山海くらげの胡麻酢和え
こういう物は、沢山は出さないが、食べた感触が楽しめる。
蟹茶碗蒸し
ここまでで、既に最初の生ビールが終わりそうになっている(お昼なのに!)。あわてて、日本酒を追加。蟹の出汁がよく効いている。
天ぷら其ノ一 伊勢海老 海老の菜ノ花巻き 芝海老と蓬
伊勢海老の甲羅は伊達ではなく中央は伊勢海老の塊が揚がっている(芝海老の尻尾の後ろになって残念)。タレが2種類に塩も用意されている。だいたい、塩を使った。伊勢海老の味が凝縮して、なかなか贅沢だった。
天ぷら其ノ二 ロールキャ別
天ぷらはしっかり引いた出汁に浸かっており、見た目面白く納得できる味。
天ぷら其ノ三 蕗のとう パセリ 金柑の甘露煮
この其ノ三も、素材自体の香りと衣の感触が味わいたいので、塩を主に使うことになる。金柑はそのまま。天ぷらは香りの料理だと、勝手に思う。
天ぷら其ノ四 餅と玉子焼き 帆立と若布かき揚げ 白子のポン酢添え
右の手前が白子。奥がお餅。白子ポン酢は当然、天国的な味に仕上がっているのだが、餅と玉子焼きが口触りも良く、負けない深みが出ているのに仰天。あまり、感心ばかりしていると日本酒のお代りとなりかねないので、ささっと食べきった。
以上に、赤だし、漬物、御飯が付く。食べやすい大きさで十種類の天ぷらが楽しめて、2300円はお得な感じがした。
長野市中心よりはやや南にある須坂は、年によってはまるで積雪の無い事もあるようだ。
2011年に入って直ぐの写真だが、雪国にしては積雪の量は少ない。
ただ、周囲の雲は、やはりそれらしい迫力を感じさせる。
立ち並ぶ蔵の前の廊下のような路地をずっと廻ると、庭への入口が開き、田中本家の人々が秋の庭と呼んだという主庭を望むことができる。
この庭では、左手前にある石橋がひとつのアクセントとなる感じだ。石橋の左は、須坂藩藩主専用のお忍びのための木戸が築かれている。
池に乗り出すような、2枚の石がこの庭全体をまとめる感じが有る。
どの方向を向いても、この石が庭の中心となるように感じられる。
池の周囲には、この石を中心として、それ以外にも様々な見どころが造り込まれているようだ。
こちらは、すぐ隣にある夏の庭。
水の流れを感じるのに絶好の庭のようだ。
2011年に入って直ぐの写真だが、雪国にしては積雪の量は少ない。
ただ、周囲の雲は、やはりそれらしい迫力を感じさせる。
立ち並ぶ蔵の前の廊下のような路地をずっと廻ると、庭への入口が開き、田中本家の人々が秋の庭と呼んだという主庭を望むことができる。
この庭では、左手前にある石橋がひとつのアクセントとなる感じだ。石橋の左は、須坂藩藩主専用のお忍びのための木戸が築かれている。
池に乗り出すような、2枚の石がこの庭全体をまとめる感じが有る。
どの方向を向いても、この石が庭の中心となるように感じられる。
池の周囲には、この石を中心として、それ以外にも様々な見どころが造り込まれているようだ。
こちらは、すぐ隣にある夏の庭。
水の流れを感じるのに絶好の庭のようだ。
小石川後楽園 雪姿
おそらく年に一度の雪が東京に降った。それも3連休の初日である。
今日を外したら、一年待たなければならないと思い、風雪の中を出掛けた。
入口近くの梅は、ほぼ全開への準備ができていると言うのに、思わぬ事態のようだ。
淡雪が、樹の年輪を照らし出す。あの、可憐な花弁の主の姿である。
もともと、私の好みの内庭なのだが、雪が松の足元を見事に化粧する。
張り詰めた神経のように細い(薄い)石橋は、江戸の文化の粋のようにも見える。
後園に戻り、しばらく歩くと岡の向こうから梅の香がする。
梅林では咲きそろいかけた梅の花に、地上の白雪が加わり、早春の宴が行われているような印象を抱いた。
その後、大堰川の沢渡へ向かえば、急な寒波で池から湯気が上がる。
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水掘れ石も、小廬山も、普段とは少し違った姿を見せてくれた。
おそらく年に一度の雪が東京に降った。それも3連休の初日である。
今日を外したら、一年待たなければならないと思い、風雪の中を出掛けた。
入口近くの梅は、ほぼ全開への準備ができていると言うのに、思わぬ事態のようだ。
淡雪が、樹の年輪を照らし出す。あの、可憐な花弁の主の姿である。
もともと、私の好みの内庭なのだが、雪が松の足元を見事に化粧する。
張り詰めた神経のように細い(薄い)石橋は、江戸の文化の粋のようにも見える。
後園に戻り、しばらく歩くと岡の向こうから梅の香がする。
梅林では咲きそろいかけた梅の花に、地上の白雪が加わり、早春の宴が行われているような印象を抱いた。
その後、大堰川の沢渡へ向かえば、急な寒波で池から湯気が上がる。
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水掘れ石も、小廬山も、普段とは少し違った姿を見せてくれた。