真壁の町は江戸から明治にかけて、茨城県中西部の産業や文化の中心だったという。繊維産業(絹織物ではなく木綿)を中心に町が栄え、一時は鉄道も通ったが、昭和30年代後期に廃止になったという。それ以降、町の中心部でも急速な開発が行われなかったため、現在では有形文化財登録された建造物が77棟もある、貴重な町並みを残す町となった。
郵便局までもが、文化財として登録されている。
御陣屋前通りと下宿通りの四辻にある瀬田家。今も現役の商店である。
筑波山が目と鼻の先に迫る。
村井醸造は、もともとは近江商人の築いた商店らしい。
星野家の斜め向かいの三輪家は、屋根周りの手入れをしている最中だった(屋根瓦に塗られた漆喰を良く見てください)。真壁の中心辺りを一回りすると(あまりに暑い日だったので、丹念に全部を見るのは不可能だった)、大工さんが声を掛けてくれた。「昔の通りに直してるんだ。よく、見てってくれよ。向かいの家は、いじりすぎて・・・、そのまま修復とはいかないけど。」これは嬉しい。お許しをいただいて、向かいの家にあがる事ができた。
このお宅は、なんと江戸の中期の建物だそうだ。その後に、いろいろ余計なものが付けられているが、確かに横から見ると、その面影がある。そして、写真下は、江戸中期の違い棚だそうだ。床柱も無垢。
これは、手入れ次第で大変なものに化けそうだ。
見せて下さった大工さんに、感謝!
郵便局までもが、文化財として登録されている。
御陣屋前通りと下宿通りの四辻にある瀬田家。今も現役の商店である。
筑波山が目と鼻の先に迫る。
村井醸造は、もともとは近江商人の築いた商店らしい。
星野家の斜め向かいの三輪家は、屋根周りの手入れをしている最中だった(屋根瓦に塗られた漆喰を良く見てください)。真壁の中心辺りを一回りすると(あまりに暑い日だったので、丹念に全部を見るのは不可能だった)、大工さんが声を掛けてくれた。「昔の通りに直してるんだ。よく、見てってくれよ。向かいの家は、いじりすぎて・・・、そのまま修復とはいかないけど。」これは嬉しい。お許しをいただいて、向かいの家にあがる事ができた。
このお宅は、なんと江戸の中期の建物だそうだ。その後に、いろいろ余計なものが付けられているが、確かに横から見ると、その面影がある。そして、写真下は、江戸中期の違い棚だそうだ。床柱も無垢。
これは、手入れ次第で大変なものに化けそうだ。
見せて下さった大工さんに、感謝!
鬼瓦に波の文様が、これも火から護るものの象徴でしょうか?
海水を表すのは珍しいですね・・・・しかし良く見つけて訪ねられておられますね。
今尚残る古い町並みと、建物を探して・・・羨ましいし、素敵なご趣味だと思っております。
この日は、比較的涼しいかと思っていたら、お昼が近づくとともに、真夏の太陽が顔を出し、気温もどんどん上がりました。
真壁は、比較的観光客が多いそうですが、お蔭で人っ子一人いないような、静寂の町を歩くことができました。
それも、暑さにやられない時間内ですが・・・。