渡辺邸は5年間にわたる修理を終えて、2005年4月から公開されている。
米沢街道に面した正面も、いかにも新しくなった感じが見える。
以前は土間の奥の母屋の中庭側だけが公開されていたように記憶するが、修理以降は母屋の外側(街道側)まで、公開されるようになった。
街道に面した塀と母屋の間の空間の坪庭でも、それなりの規模となる。
その二階部分もきっちり公開されている。
奥座敷には流石の威厳が感じられる。
今回、母屋の茶室の上にある二階部分まで公開された。隣家の茅葺き屋根までが見渡せ、誠にのどかで贅沢な風景だが、この景観がいつまで保存されるのかの保証は無さそうだ。
母屋の座敷の屋根の様式がよく見渡せる。
二階の廊下から眺めると、東側にある奥座敷の対になるようにして、西側にも庭に張り出した建築があることがはっきり分かった。
この部分は、この建物の所有者のプライベートな部分で、建築年代も比較的新しいようだが、ともかくこの部分にも家屋があったことは江戸期の絵図からも見て取れる。
現在は、カフェとして使われており、抹茶などをお願いしないとこの部分には立ち入れないようになっている。
しかし、庭としては、江戸期にはこの西側部分の前までを含めて作庭されたようである。
米沢街道に面した正面も、いかにも新しくなった感じが見える。
以前は土間の奥の母屋の中庭側だけが公開されていたように記憶するが、修理以降は母屋の外側(街道側)まで、公開されるようになった。
街道に面した塀と母屋の間の空間の坪庭でも、それなりの規模となる。
その二階部分もきっちり公開されている。
奥座敷には流石の威厳が感じられる。
今回、母屋の茶室の上にある二階部分まで公開された。隣家の茅葺き屋根までが見渡せ、誠にのどかで贅沢な風景だが、この景観がいつまで保存されるのかの保証は無さそうだ。
母屋の座敷の屋根の様式がよく見渡せる。
二階の廊下から眺めると、東側にある奥座敷の対になるようにして、西側にも庭に張り出した建築があることがはっきり分かった。
この部分は、この建物の所有者のプライベートな部分で、建築年代も比較的新しいようだが、ともかくこの部分にも家屋があったことは江戸期の絵図からも見て取れる。
現在は、カフェとして使われており、抹茶などをお願いしないとこの部分には立ち入れないようになっている。
しかし、庭としては、江戸期にはこの西側部分の前までを含めて作庭されたようである。
敷地が広いですね。
さすが、新潟です。
土間も広いし、
畳部屋も何十畳あるのか…。
坪庭も、もはや坪ではなく(笑)。
本庭も、これだけ広いと、
維持管理が大変でしょうね。
江戸末から、明治の中期まで、新潟県は実に潤っていたようです。明治中期には多額納税者を、実に多く出したようです。
それが、このような大掛かりな邸の建築につながったのだろうと思います。