訪れた時は花菖蒲が見頃だった。
室町時代の三重塔(木津川市の燈明寺から移築された)が、よく映える。
内苑への入り口の御門。
18世紀の建築で、なかなかの風格を感じさせる。
横笛庵。広々とした外苑の中に、区切られた世界を形づくる。
ささやかな庵であるが、わっと生い茂る緑に囲まれて、生き生きとした姿に感じられる。
室町時代の三重塔(木津川市の燈明寺から移築された)が、よく映える。
内苑への入り口の御門。
18世紀の建築で、なかなかの風格を感じさせる。
横笛庵。広々とした外苑の中に、区切られた世界を形づくる。
ささやかな庵であるが、わっと生い茂る緑に囲まれて、生き生きとした姿に感じられる。
そういう雰囲気の公園のようなスペースですね
一つ一つだといい雰囲気の風景もあるのに
なんとも残念感があるばしょですね(笑
元からあったものなのか、
人工的なものなのか、
よく分かりませんが、
池があるかないかで、
全然イメージが違うでしょうね。
それだけ、
庭園の池の存在は大きいです。
原 三渓が造園に着手したのが1902年、そして早くも1906年には外苑が無料で一般公開されています。
その当時のテーマパークのような性格をもった庭だったのでしょう。スケールの大きな明治の豪商だからできる事ですが、やり方がいささか子供じみています。まあ、関東で本当に古いものを見るには便利な場所ではあるのですが。
原 三渓の義祖父善三郎は、明治初年にこの辺りの土地を買い入れ、明治20年代に松風閣を建てています。松風閣は今の三渓園では外れの、海岸線に近い山の上に建てられました。
それから推測するに、明治20年代にはまだ池はなく、全体が湿地だったのではないでしょうか。その後、1906年からの造園工事で湿地の真ん中に池を築き、そこへ水を流すことにより、三渓園自体を庭園として造り込む事が可能になったのでは?
三渓は横浜の庭師をわざわざ京都に派遣して、その庭師が勉強を終えて戻って来るのを待って本格的な造園に着手したようです。