雪が降ってから一日過ぎただけだというのに、落葉の赤や黄色が懐かしく思えてしまう。今年は秋を感じることがあまりできなかった。いつもの場所に紅葉を探しに行ったけど、すでに遅し、だった。来年は少し前倒しにしてドライブがてら近隣の町まで足を伸ばしてみてもいいなと思えた。
ずっと、ひとりで、広くなった空間で過ごしてきたけど、あんなに広く感じたこともだんだん体や意識が慣れてきた気がする。それでも、リビングのあちこちを見ると、いたはずの人のことを思い出さずにはいられない。「物」というのは、その姿以上にそれがあることの意味を与える。店先に置かれていたときには物としての存在であったのが、手元にあると、それを愛でた人や時間が備わってくる。同じ物でも、置かれた状況(違う家や場所)によって、「物」としての意味が全然違ってくる。
この家にある「物」にはそれを愛でてきた人の姿や表情、笑顔が見え隠れする。そんな物に囲まれて、今、寂しさとどこか満たされていく懐かしさを味わっている。少しこの生活に慣れてきたのだなと思う。眠れる時間も増えた。
でも、ふとした時に「物」に触れたであろうその人を思い出す。二度と見ることができないと再確認する。
まだ泣いてしまう。「物」はあるのに、それを愛でた人はもういないのだ。残された人は「物」だけなのに、それ以上の付加価値をそこにつけて思い出にする。でもそれもいつかは記憶の中にしまい、物として扱わなくてはいけないだろうな。
だから、わたしは少しずつ自分のことを思い出させる物を処分していかねば、と思ってしまう。わたしという存在がまるでどこにもありはしなかったのだと思ってくれるように、できれば煙のように消えていけたらな。そんなことをついつい考えてしまう自分がいる。まあ、考えるだけでちっとも自分の分の処分は進まないのだけどね。
BGMはジョン。バティステ。最近、Amazon musicで見つけた。パソコンからもスマホからもBOSEのスピーカーに接続できるので、テレビを見る時間が少なくなった。音楽はいいな、気持ちが満たされる・・・