ー旅倶楽部「こま通信」手造りの旅<ナイルクルーズ>ーパート7
<カイロ博物館>
夕方からすいているということで、私たちは空港から直接、4時半頃に入館しました。
カイロの町は、すごい渋滞です。
信号がないそうです。びっくり。
信号をつけても政府がメンテナンスをしないから、結局は役に立たないそうです。
日本では考えられないね。
さて、カイロ博物館もカメラは持ち込みも禁止。
警備も厳重です。
ワッハブさんは、今までにも増して早口で説明していきます。
7時まで開館していると書いてあるけど、6時半には閉館したがるんですって。
パート1でも書きましたが、結局6時20分に追い出されてしまいました。
警察官みたいな人が、見ている私たちのそばまでやってきて、何かわめきながら手で出るように指示してきます。
めちゃ、感じ悪い。
それでも、私たちはおおかた、見るべきものは見たと思います。
ツタンカーメンの部屋ではたっぷり時間を取りました。
ツタンカーメンの父のアクエンアテン(アメンホテプ4世)のコーナー、ハトシェプスト女王の頭部、紀元前2300年頃の働く人々の像、紀元前2400年ごろの書記像や村長カーアペル像(カイロ博物館図録の表紙になっています)、すごくリアルなラーホテプとノフレトの座像、カフラー王、クフ王、ロゼッタストーンなどなど。
そのあと、動物のミイラを見ているところで、追い出されてしまいました。
ラムセス2世のミイラも見たかったのですが、結局時間切れとなりました。
<ギザのピラミッド>
翌朝、渋滞をさけるため、少し早く出発しましたが、もうすでにたくさんの人が見学に訪れていました。
まず、クフ王のピラミッド、中に入って見学します。
カメラは禁止。
ピラミッドは謎として語られることが多いですが、私はやはりパワーのある建造物だと感じました。
エジプトで数々の遺跡に感動してきましたが、やはりピラミッドが一番だと思いました。
これを見るために、ここへ来たんだと、このとき実感しました。
これは、自分の目で見ないとわからない感覚だと思います。
それほどまでに圧倒的な存在感でした。
ワッハブさんからクフ王のピラミッドについて説明を受ける。
クフ王のピラミッド。
エジプト第4王朝のファラオ、クフ王のために、紀元前2540年頃から40年かけて建築された。
完成時の高さは146.6メートル。
現在は、138.74メートル、底辺230.37メートル、平均2.5トンの石材を約270万個から280万個積み上げられたと計算されている。
長さと高さの比は黄金比である。
入り口は盗掘された穴だそうです。(人が立っているところ)
本当の入り口は、その穴の上にあるところ。
その進路が幸いなことに正規の通路に当たって、王の間まで上っていくことができます。
中に入れるのは1日300人。
確かに、ピラミッドは死んだ王のために建てられたのですが、死体を入れたのかミイラを入れたのか、宗教儀式だったのかはわからないけど、閉じられたら終わり、今日こんなにたくさんの人が内部に入ることは想定外だったでしょう。
たくさんの人が入ると、人いきれで内部が湿気るそうです。
なるほど!!
長くて細い急な坂をガーって上がっていって、ようやく王の間について「はあーっ」て声を上げたら、いきなり「シーッ」て注意されてしまいました。
狭い部屋に人がたくさんいて、しかも部屋の縁にぺたんと座って瞑想している人もいました。
ピラミッドパワーを感じて、宗教的瞑想に浸っている人もいるようでした。
なんだか息苦しい感じで、見学もそこそこに引き上げることにしました。
外に出て「バンザーイ」。
そこから太陽の船博物館へ。
太陽の船は2体発掘されていて、1つが博物館で復元展示されています。
ワッハブさんによると、この船はメンフィス(当時の首都)から、西岸のギザへ王の亡がらを運ぶために使われたと言うことです。
近くに船着き場後があり、当時のナイルはここまで水があったと言うことです。
船着き場跡
そして、葬祭殿でミイラにしてから、お葬式をして、ピラミッドに安置されたと説明してくれました。
日本のテレビ番組では、ピラミッドの謎というテーマで、謎めいていろんな仮説を繰り広げているのに、ワッハブさんの説明はとてもシンプルで、説得力がありました。
彼は、カイロ大学で古代エジプト史を専攻していたということです。
でも、本当のところはどうなんでしょうね。
研究が進んだら、謎が解ける時も来るのでしょうか?
船のフォルムはとても美しいです。
カフラー王のピラミッドの頂上に残っているのが化粧石で、ピラミッド完成当時はこのピカピカに磨かれた化粧石で全体が装飾されて、美しく輝いていたことでしょう。
客待ちのらくだたち
ラクダに乗って、ピラミッドの周りを歩きました。
怖かったけど、とても楽しい体験でした。
それにしても、ラクダに乗って何日間も砂漠の商人たちが旅をしたなんて、想像もできないと思いました。
カフラー王の参道にはスフィンクスがピラミッドを守護するように建っていました。
ここでびっくりするのは、スフィンクスが立っている位置が、すごく町に近いと言うことです。
最近では「ウフィンクスはファストフード店があくのを待っている」なんて言われているそう。
古代ロマンも、これではがっかりです。
さて、スフィンクスもお腹がすいているようですが、私たちも昼食の時間となりました。
午後はバスで、古都メンフィス、サッカラを回ります。
<メンフィス>
メンフィスはカイロの南方27キロ、ナイル川西岸にある。
エジプト古王国の最初の都。
プタハ神殿前に建てたラムセス2世の巨像が、足が損壊したため、建物の中に横たわるように保存されていました。
このラムセス2世は、間近に見られるせいか、とてもりりしい若者の姿で、かなり心が動かされました。
外にあるスフィンクスも立派だったし、
高さ7メートルのラムセス2世の立像も立派なものでした。
棺も展示されてあり、棺のふたには有翼女神がくっきりと刻まれていました。
<サッカラ>
次に向かったのは、サッカラ。
まず、イムホテプ博物館へ。
私は見ていないんですが、映画「ハムナプトラ」では、王妃と企んで王を殺す悪者なんですってね。
この映画見ていないのが悔やまれますが、私はイムホテプさんのミイラも見てしまいました。
実在の人物。
今から見に行くジョセル王に仕えた宰相で、ジョセル王の階段ピラミッドを設計した人物です。
内科医としても優れていたそうです。
そして、メレルカのマスタバ墳。
マスタバ墳というのは、長方形の大きなお墓のこと。
ジョセル王の階段ピラミッドはこのマスタバを重ねた形。
メレルカはティティ王時代の宰相で裁判官。
偽扉と呼ばれる来世への扉に向かって、壁一面たくさんの捧げものの絵で覆われていました。
その前にティティ王のピラミッドの入り口がありました。
ピラミッドはほとんど崩れかけていましたが、中はしっかりしていて、たくさんのヒエログリフが刻まれていました。
ここの番人の太った男の人が「ティティ、ティティ」と言って、ティティ王の名前が書かれていることを教えてくれました。
入り口
いよいよ、ジョセル王のピラミッドを見学に。
このピラミッドがピラミッドの始まり、最古のものです。
まず、門をくぐって柱廊を抜けると広い中庭があって、ピラミッドが全容を現しました。
柱廊を抜けたところ。
ピラミッド・コンプレックス(複合体)と呼ばれていて、葬祭殿や神殿などが併設されています。
ここでは、この造りが明確にわかるように復元も進んでいるようでした。
この日は本当に天気がよくて、午前中見学したギザのピラミッドまで見えました。
砂漠ってすごいなあ!!
バスの中から、建物の間からピラミッドが見えました。
町とピラミッドと夕日、不思議な景色でした。
これで、ワッハブさんとはお別れ。
カルチャースクールの講師のようなワッハブさん、お疲れさまでした。
ありがとうございました。
お礼に、小松さんがジャズのスタンダードを歌ってくれました。
ワッハブさんは、「自分は歌を歌えない」と言っていました。
エジプトでは音楽教育がないそう。
教育熱が高く、ムダな勉強はいらないということみたいです。
でも、音楽のない世界なんて考えられません。
早くエジプトのみなさんにも、音楽を演奏したり、歌ったりして過ごす時代がくればいいですね。
この夜のみなさんは、きっと月の砂漠のお姫様と王子様がピラミッドを旅する夢を見たことでしょう。
<カイロ博物館>
夕方からすいているということで、私たちは空港から直接、4時半頃に入館しました。
カイロの町は、すごい渋滞です。
信号がないそうです。びっくり。
信号をつけても政府がメンテナンスをしないから、結局は役に立たないそうです。
日本では考えられないね。
さて、カイロ博物館もカメラは持ち込みも禁止。
警備も厳重です。
ワッハブさんは、今までにも増して早口で説明していきます。
7時まで開館していると書いてあるけど、6時半には閉館したがるんですって。
パート1でも書きましたが、結局6時20分に追い出されてしまいました。
警察官みたいな人が、見ている私たちのそばまでやってきて、何かわめきながら手で出るように指示してきます。
めちゃ、感じ悪い。
それでも、私たちはおおかた、見るべきものは見たと思います。
ツタンカーメンの部屋ではたっぷり時間を取りました。
ツタンカーメンの父のアクエンアテン(アメンホテプ4世)のコーナー、ハトシェプスト女王の頭部、紀元前2300年頃の働く人々の像、紀元前2400年ごろの書記像や村長カーアペル像(カイロ博物館図録の表紙になっています)、すごくリアルなラーホテプとノフレトの座像、カフラー王、クフ王、ロゼッタストーンなどなど。
そのあと、動物のミイラを見ているところで、追い出されてしまいました。
ラムセス2世のミイラも見たかったのですが、結局時間切れとなりました。
<ギザのピラミッド>
翌朝、渋滞をさけるため、少し早く出発しましたが、もうすでにたくさんの人が見学に訪れていました。
まず、クフ王のピラミッド、中に入って見学します。
カメラは禁止。
ピラミッドは謎として語られることが多いですが、私はやはりパワーのある建造物だと感じました。
エジプトで数々の遺跡に感動してきましたが、やはりピラミッドが一番だと思いました。
これを見るために、ここへ来たんだと、このとき実感しました。
これは、自分の目で見ないとわからない感覚だと思います。
それほどまでに圧倒的な存在感でした。
ワッハブさんからクフ王のピラミッドについて説明を受ける。
クフ王のピラミッド。
エジプト第4王朝のファラオ、クフ王のために、紀元前2540年頃から40年かけて建築された。
完成時の高さは146.6メートル。
現在は、138.74メートル、底辺230.37メートル、平均2.5トンの石材を約270万個から280万個積み上げられたと計算されている。
長さと高さの比は黄金比である。
入り口は盗掘された穴だそうです。(人が立っているところ)
本当の入り口は、その穴の上にあるところ。
その進路が幸いなことに正規の通路に当たって、王の間まで上っていくことができます。
中に入れるのは1日300人。
確かに、ピラミッドは死んだ王のために建てられたのですが、死体を入れたのかミイラを入れたのか、宗教儀式だったのかはわからないけど、閉じられたら終わり、今日こんなにたくさんの人が内部に入ることは想定外だったでしょう。
たくさんの人が入ると、人いきれで内部が湿気るそうです。
なるほど!!
長くて細い急な坂をガーって上がっていって、ようやく王の間について「はあーっ」て声を上げたら、いきなり「シーッ」て注意されてしまいました。
狭い部屋に人がたくさんいて、しかも部屋の縁にぺたんと座って瞑想している人もいました。
ピラミッドパワーを感じて、宗教的瞑想に浸っている人もいるようでした。
なんだか息苦しい感じで、見学もそこそこに引き上げることにしました。
外に出て「バンザーイ」。
そこから太陽の船博物館へ。
太陽の船は2体発掘されていて、1つが博物館で復元展示されています。
ワッハブさんによると、この船はメンフィス(当時の首都)から、西岸のギザへ王の亡がらを運ぶために使われたと言うことです。
近くに船着き場後があり、当時のナイルはここまで水があったと言うことです。
船着き場跡
そして、葬祭殿でミイラにしてから、お葬式をして、ピラミッドに安置されたと説明してくれました。
日本のテレビ番組では、ピラミッドの謎というテーマで、謎めいていろんな仮説を繰り広げているのに、ワッハブさんの説明はとてもシンプルで、説得力がありました。
彼は、カイロ大学で古代エジプト史を専攻していたということです。
でも、本当のところはどうなんでしょうね。
研究が進んだら、謎が解ける時も来るのでしょうか?
船のフォルムはとても美しいです。
カフラー王のピラミッドの頂上に残っているのが化粧石で、ピラミッド完成当時はこのピカピカに磨かれた化粧石で全体が装飾されて、美しく輝いていたことでしょう。
客待ちのらくだたち
ラクダに乗って、ピラミッドの周りを歩きました。
怖かったけど、とても楽しい体験でした。
それにしても、ラクダに乗って何日間も砂漠の商人たちが旅をしたなんて、想像もできないと思いました。
カフラー王の参道にはスフィンクスがピラミッドを守護するように建っていました。
ここでびっくりするのは、スフィンクスが立っている位置が、すごく町に近いと言うことです。
最近では「ウフィンクスはファストフード店があくのを待っている」なんて言われているそう。
古代ロマンも、これではがっかりです。
さて、スフィンクスもお腹がすいているようですが、私たちも昼食の時間となりました。
午後はバスで、古都メンフィス、サッカラを回ります。
<メンフィス>
メンフィスはカイロの南方27キロ、ナイル川西岸にある。
エジプト古王国の最初の都。
プタハ神殿前に建てたラムセス2世の巨像が、足が損壊したため、建物の中に横たわるように保存されていました。
このラムセス2世は、間近に見られるせいか、とてもりりしい若者の姿で、かなり心が動かされました。
外にあるスフィンクスも立派だったし、
高さ7メートルのラムセス2世の立像も立派なものでした。
棺も展示されてあり、棺のふたには有翼女神がくっきりと刻まれていました。
<サッカラ>
次に向かったのは、サッカラ。
まず、イムホテプ博物館へ。
私は見ていないんですが、映画「ハムナプトラ」では、王妃と企んで王を殺す悪者なんですってね。
この映画見ていないのが悔やまれますが、私はイムホテプさんのミイラも見てしまいました。
実在の人物。
今から見に行くジョセル王に仕えた宰相で、ジョセル王の階段ピラミッドを設計した人物です。
内科医としても優れていたそうです。
そして、メレルカのマスタバ墳。
マスタバ墳というのは、長方形の大きなお墓のこと。
ジョセル王の階段ピラミッドはこのマスタバを重ねた形。
メレルカはティティ王時代の宰相で裁判官。
偽扉と呼ばれる来世への扉に向かって、壁一面たくさんの捧げものの絵で覆われていました。
その前にティティ王のピラミッドの入り口がありました。
ピラミッドはほとんど崩れかけていましたが、中はしっかりしていて、たくさんのヒエログリフが刻まれていました。
ここの番人の太った男の人が「ティティ、ティティ」と言って、ティティ王の名前が書かれていることを教えてくれました。
入り口
いよいよ、ジョセル王のピラミッドを見学に。
このピラミッドがピラミッドの始まり、最古のものです。
まず、門をくぐって柱廊を抜けると広い中庭があって、ピラミッドが全容を現しました。
柱廊を抜けたところ。
ピラミッド・コンプレックス(複合体)と呼ばれていて、葬祭殿や神殿などが併設されています。
ここでは、この造りが明確にわかるように復元も進んでいるようでした。
この日は本当に天気がよくて、午前中見学したギザのピラミッドまで見えました。
砂漠ってすごいなあ!!
バスの中から、建物の間からピラミッドが見えました。
町とピラミッドと夕日、不思議な景色でした。
これで、ワッハブさんとはお別れ。
カルチャースクールの講師のようなワッハブさん、お疲れさまでした。
ありがとうございました。
お礼に、小松さんがジャズのスタンダードを歌ってくれました。
ワッハブさんは、「自分は歌を歌えない」と言っていました。
エジプトでは音楽教育がないそう。
教育熱が高く、ムダな勉強はいらないということみたいです。
でも、音楽のない世界なんて考えられません。
早くエジプトのみなさんにも、音楽を演奏したり、歌ったりして過ごす時代がくればいいですね。
この夜のみなさんは、きっと月の砂漠のお姫様と王子様がピラミッドを旅する夢を見たことでしょう。