書名:ニッポン天才伝~知られざる発明・発見の父たち~
著者:上山明博
発行:朝日新聞(朝日選書)
目次:化学の父 桜井錠二 百年後の日本をめざした化学者
アドレナリンの父 高峰譲吉 アメリカンドリームを体現した男
酸化酵素の父 吉田彦六郎 ジャパンを研究した日本人
ビニロンの父 桜田一郎 高分子化学のパイオニア
飛行機の父 二宮忠八 ライト兄弟に先駆けた男
蓄電池の父 島津源蔵 「日本のエジソン」と謳われた発明王
放送の父 安藤博 「東洋のマルコーニ」と言われた天才少年発明家
地震学の父 大森房吉 関東大震災に殉じた地震研究の世界的権威
天気予報の父 藤原咲平 本邦初のお天気博士
竜巻研究の父 藤田哲也 「ミスター・トルネード」と呼ばれた竜巻博士
ペースメーカーの父 田原淳 心臓が動く謎に挑んだ解剖学者
胃カメラの父 杉浦睦夫 胃袋の闇に光を当てた光学技師
類体論の父 高木貞治 「数論の神様」と称された現代数学の巨人
特殊合金の父 増本量 現代の錬金術師
量子統計力学の父 久保亮五 湯川秀樹とノーベル賞を競ったもう一人の天才
ゲル科学の父 田中豊一 生命の起源に挑んだ五十四年の生涯
以前よく「日本人は、欧米の技術を導入してつくる能力には長けているが、独創性には欠ける」というようなことが、しばしば言われていた。まあなんとなく真実のような気もしないでもないが、さりとてこのことが真実かどうかの根拠も乏しいのも事実だ。多分「日本人は独創性に欠ける」ということは、明治時代の欧米に追い付け追い越せ、といった日本国を挙げてのプロジェクトを裏面から見た逆説的な見地からきているのであろう、と思うのだが・・・。幕末、小栗上野介たちが欧米の進んだ産業を現地でつぶさに調査し、横須賀製鉄所の建設などを行ったのが、日本の近代化の幕開けになったことは事実であり、物まねと言われればその通りかもしれない。しかし、人間誰だって、子供の時の物まねからスタートして、これを基に大人になり、独創性を発揮するわけであるので、幕末や明治時代の物まねが、即日本人に独創性が欠如しているということは当たるまい。さらに日本にとって不幸であったのは、第二次世界大戦で国土が焦土と化し、ゼロからのスタートとなったことだ。ここでまた、日本は欧米の物まねをせざるを得なかった。そんな時代が長かったため、どうも「日本人は独創性に欠ける」という、何か後ろめたいような自虐意識に囚われがちになる。
「ニッポン天才伝~知られざる発明・発見の父たち~」(上山明博著/朝日新聞社)は、そんな「『日本人は独創性に欠ける』というような話は、迷信だよ」とでも言ってるようで、読み終わった時の意識は、実に誇らしく、すがすがしい気分に浸ることができる。現在では数多くの日本人のノーベル賞受賞者が生まれ、以前のように「日本人は独創性に欠ける」といった考えに囚われる人は少なくなったと思う。しかし、現在のようにノーベル賞受賞者を数多く生み出す母体となった時代について、我々の知識がどれほどあるかというと、これがはなはだ心もとない。つまり、明治時代から現在の日本の間の挟まれた時代に対し、これまであまりにも光が当てられてこなかったのではないか。その溝を埋めてくれるのがこの書である。例えば、今何かと話題になっている理化学研究所の創設者の一人で、“近代化学の父”と言われた桜井錠二の業績、さらに、世界的な物理学者である湯川秀樹に匹敵するような業績を挙げた“量子統計力学の父”と言われた久保亮五の業績を、今どれほどの日本人が知っているのであろうか。
2002年に「生体高分子の同定および構造解析のための手法の開発」でノーベル化学賞を受賞した田中耕一の名前は多くの日本人が知っている。田中耕一は東北大学工学部で電磁波やアンテナ工学を専攻した後、ソニーの入社試験を受けたが不合格だったというから面白い。もっともアインシュタインも大学受験に失敗しているので、試験に失敗したぐらいでくじけてはだめだという、いい教訓ではある。田中耕一はその後、島津製作所に入社し、それがノーベル賞という大輪を咲かせたのである。田中耕一の名は知っていても、田中が入社した島津製作所の創業者で“日本のエジソン”とまで言われた島津源蔵について今知っている人は少ない。島津源蔵は、洋書で独学し、わが国初のプランテ式の鉛蓄電池を完成させる。さらに島津源蔵は、明治30年以降、大容量蓄電池の開発に没頭し、クロライド式鉛蓄電池の開発に成功し、停電の時のその威力を発揮した。さらに、それまで高温を必要としていた製造方法に対し、新たに「易反応性鉛粉製造方法」を自ら考案し、日本以外に、フランス、ドイツ、イギリス、オーストラリア、ベルギー、アメリカ、カナダ、チェコスロバキア、アイルランド、スウェーデンなど世界各国の特許を取得。生涯で島津源蔵が残した特許は、世界12か国、178件に及んだという。田中耕一のノーベル賞受賞は、このような企業文化があったからこそ実を結んだのであろう。
同書には、全部で16人の独創性を持った日本の発明者・研究者が紹介されている。それらは、「化学の父 桜井錠二」「アドレナリンの父 高峰譲吉」「酸化酵素の父 吉田彦六郎」「ビニロンの父 桜田一郎」「飛行機の父 二宮忠八」「蓄電池の父 島津源蔵」「放送の父 安藤博」「地震学の父 大森房吉」「天気予報の父 藤原咲平」「竜巻研究の父 藤田哲也」「ペースメーカーの父 田原淳」「胃カメラの父 杉浦睦夫」「類体論の父 高木貞治」「特殊合金の父 増本量」「量子統計力学の父 久保亮五」「ゲル科学の父 田中豊一」である。私が、特におやと思ったのが「ペースメーカーの父 田原淳」と「胃カメラの父 杉浦睦夫」である。ペースメーカーや胃カメラというと、漠然と何となく欧米の研究者によって開発されたものという、固定概念に囚われやすいが、実は日本人が開発したのだ。田原淳は、わずか3年半という短い研究期間の間に、心臓がなぜ動くのかという生命の本質的な謎に挑戦し、心臓刺激伝導系の全容を世界で初めて解明した。また、杉浦睦夫は、当時在籍していたオリンパスで、宇治、深海とともに「腹腔内臓器撮影用写真機」と題した胃カメラの特許を出願し、この結果、オリンパスは内視鏡のシェアで8割を占めるに至った。この書を読み終えてみると、「日本人は独創性に欠ける」という当初漠然と頭にあった考えが、影も形もなくなっていることに気が付いた。(勝 未来)