1970年代原油が大幅に値上がりし、日本はオイルショックを受け、戦後初めて経済縮小を経験しました。
オイルショックのちょっと前に大金を借金して土地を買った私は真っ青になりました。
しかし、勤めていた会社は、消費者物価値上がり分を吸収するような賃上げをしました。
家の建設は10年後と思っていたのですが、この賃上げですぐ家を建設する見通しが立ち、また大金を借金して家を建設することができました。
その後も消費者物価の大幅値上がりが続きましたが、会社はどんどん賃上げしました。
会社の経営が楽であった訳ではありません。
実際は非常に苦しく、合理化合理化の連続でした。
いくつも新事業に挑戦しましたが、なかなか利益を上げるまでに至りませんでした。
徹底的に合理化した既存事業で何とか会社が存続したという状態です。
ものすごく忙しくて私は毎日真夜中に帰宅しました。
しかし労賃が高かったので家族の生活の心配がなく、私は自発的に働いていました。
この当時私達中堅は自分達が会社を経営していると思っていました。
中堅が企画し、成功もし、失敗もしました。
現代は経営者に権限が集中しており、中堅に会社を経営しているという思いがないと思います。
上から、収益を出せ、もっと働け、日本が経済成長しなければ労賃は上げない、利益を出せないなら解雇するなどと過酷なことを言われ続けていると中堅が元気を失わないか心配です。
オイルショックのちょっと前に大金を借金して土地を買った私は真っ青になりました。
しかし、勤めていた会社は、消費者物価値上がり分を吸収するような賃上げをしました。
家の建設は10年後と思っていたのですが、この賃上げですぐ家を建設する見通しが立ち、また大金を借金して家を建設することができました。
その後も消費者物価の大幅値上がりが続きましたが、会社はどんどん賃上げしました。
会社の経営が楽であった訳ではありません。
実際は非常に苦しく、合理化合理化の連続でした。
いくつも新事業に挑戦しましたが、なかなか利益を上げるまでに至りませんでした。
徹底的に合理化した既存事業で何とか会社が存続したという状態です。
ものすごく忙しくて私は毎日真夜中に帰宅しました。
しかし労賃が高かったので家族の生活の心配がなく、私は自発的に働いていました。
この当時私達中堅は自分達が会社を経営していると思っていました。
中堅が企画し、成功もし、失敗もしました。
現代は経営者に権限が集中しており、中堅に会社を経営しているという思いがないと思います。
上から、収益を出せ、もっと働け、日本が経済成長しなければ労賃は上げない、利益を出せないなら解雇するなどと過酷なことを言われ続けていると中堅が元気を失わないか心配です。