平成21年7月23日に松江城の次に伺いました。
先々日の豪雨も揚がり薄日のさす絶好のドライブ日和でした。
アマチュア無線局JN4KQV局の電波の見送りを受けて一路郡山城を目指した。
郡山城は、毛利元就が中国統一を果たした居城で270もの曲輪を持つ山全体が城郭で中世、西日本最大の城郭であったと言われている。
(120万石の大大名が関ヶ原の戦いの責任を問われ29万石に減封、これが幕末討幕に繋がったのでは??)
現在は、山麓まで車で行く事が出来(駐車場は6台位駐車可能)此処から本丸まで徒歩で30分掛かりました。途中毛利元就の墓所がありその左側から本丸の登城路がある。本丸山頂には礎石も石垣もなく唯建造物の名称版のみであった。
登城途中蛇に出くわし冷や汗を掻いた。
スタンプは、歴史民俗資料館にある。
郡山城跡は、非常に親切な案内図を用意しており感心した。
此の後、今回の城郭紀行最後の福山城に行きます。
先々日の豪雨も揚がり薄日のさす絶好のドライブ日和でした。
アマチュア無線局JN4KQV局の電波の見送りを受けて一路郡山城を目指した。
郡山城は、毛利元就が中国統一を果たした居城で270もの曲輪を持つ山全体が城郭で中世、西日本最大の城郭であったと言われている。
(120万石の大大名が関ヶ原の戦いの責任を問われ29万石に減封、これが幕末討幕に繋がったのでは??)
現在は、山麓まで車で行く事が出来(駐車場は6台位駐車可能)此処から本丸まで徒歩で30分掛かりました。途中毛利元就の墓所がありその左側から本丸の登城路がある。本丸山頂には礎石も石垣もなく唯建造物の名称版のみであった。
登城途中蛇に出くわし冷や汗を掻いた。
スタンプは、歴史民俗資料館にある。
郡山城跡は、非常に親切な案内図を用意しており感心した。
此の後、今回の城郭紀行最後の福山城に行きます。