EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

日本三名城 名古屋城

2009年07月16日 | 往年の名車 メグロ
名古屋城
徳川御三家の尾張名古屋城昭和27年3月29日に国指定特別史跡・名古屋城跡は、面積:98ヘクタールが「特別史跡名古屋跡」に指定されている


城郭構造:梯郭式平城
天守構造:連結式層塔型、大天守は5層5階地下1階
昭和34年外観復元(SRC:鉄骨鉄筋コンクリート構造)
築城主 :徳川 家康
築城年 :1610年2月(慶長15年)
廃城年 :明治4年

織田信長誕生の城、那古野城を元に徳川家康が九男義直のために天下普請で築城徳川御三家の尾張徳川17代明治維新まで存続した。
熊本・大坂城とともに日本三名城と称され、私もそれに倣って熊本、大坂。名古屋を紀行した。
名古屋は、昭和37年に始めて訪れ今回が5回目である。
圧巻は、清正が手がけた大天守台の石垣で江戸城は別としてこの天守台が一番だと何時も感心する。天守台、西側、北側の高さが20mあるそうだが(北側の石垣が少し孕んでいるのが心配・400年の風雪に耐えて来たのだから仕方のない事だろうが)各所の天守台を見てきたが沢山の刻印があり中には、扇子、軍配等々珍しい。
(天守台を3ヶ月で完成したそうである。)
明治4年政府が下した廃城例により14代徳川家慶勝は廃却を申し出たが、中村重遠大佐の尽力で免れた。(たしか姫路城も中村重遠大佐の尽力であったのでは??)
昨年12月8日に行った時は、本丸御殿復元の整地は出来ていた。
完成は平成34年とか元気であれば行ってみたい。

昭和20年5月14日、名古屋空襲
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日本三名城 熊本城

2009年07月16日 | 伊予松山歴史散策
熊本城
昭和30年に国指定特別史跡・熊本城跡は、面積:98ヘクタールが「特別史跡熊本城跡」に指定されている
昭和35年の熊本国体開催に合わせ熊本市は、一般からの寄付を募り1億8000万円の費用をかけ外観復元で大小天守を再建し大天守の内部は、熊本市立熊本博物館の分館となっている。
築城400年を記念して本丸御殿が今年4月完成したのを機会に4回目の訪問である。
一回目は、昭和37年開催された熊本博覧会の時で二回目が昭和60年、三回目が平成16年7月16日そして今回平成20年9月24日・25日に行った。
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奈良の鐘馗さん

2009年07月16日 | 伊予松山歴史散策
奈良の鐘馗さん

平成21年5月9・10日に奈良の鐘馗さん散策に行って来ました。
奈良にも沢山の鐘馗さんが鎮座しているものと期待していきましたが少ないのと奈良の観光に従事している皆さんが鐘馗さんに付いての知識が無いのにはびっくりとがっかりしました。
足と時間の制限内で「奈良町界隈」をひたすら歩き六体の鐘馗さんを発見しました。
京都の鐘馗さんの多くは、軒下・玄関の入り口の上においでになりましたが、奈良の鐘馗さんは屋根の棟に高々と揚がっていました。
京都の鐘馗さん由来は分かりましたが、奈良の由来は分かりませんでした。
界隈に奈良町資料館・振興館・情報館等々名称があり鐘馗さんについて伺いましたが資料の情報がなかった。
奈良市の某企画編集社が発行している雑誌には奈良の鐘馗さんに付いて記事が掲載しているし、奈良町振興財団が発行している「ならまち散策マップ」にならまちクイズとして鐘馗さんの事を取り上げているにも関わらず具体的な情報を把握してない。・・がっかりした。
なお、「奈良町」は奈良市の行政区の公称町名ではなくどの範囲を「奈良町」と称するのか区分が分かりませんでした。

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京都の鐘馗さん

2009年07月16日 | 伊予松山歴史散策
京都の鐘馗さん

平成21年4月11・12日に京都の鐘馗さん散策に行って来ました。
タクシーにのり京都の鐘馗さん散策に来た事を話すと京都の歴史に博学な運転手さんがよくおいでになられましたとの由、京の鐘馗さん由来を話して頂きました。
江戸時代、京都の、三条通りにある家の奥様が原因不明の病で伏せていた。手を尽くしても回復しないので困り果てた医者は、ある日隣の屋根に鬼瓦が載っているのに気付きもしかしたらこの病は鬼瓦で除けられた災いがこちらに降りかかっているためかもしれない。でもお向かいの鬼瓦を降ろしてくれとは言えない。あれこれ考えた末、鐘馗像を作ってもらい鬼瓦と睨みあう位置に据えたところ、たちまち病は全快したという。
京都にはお寺が多い。それぞれに意匠をこらした見事な鬼瓦が載っている。それまで高嶺の花であった瓦が江戸時代になると安価で庶民も自由に使えるものになり、近所の人間関係を保ちつつも鬼瓦によって除けられた災いが我が家に降りかからないよう、屋根に鐘馗像を据え、鬼より更に強い魔除けとしたようです。・・と詳しい説明を受け京都で一番新しい鐘馗さんを見せて頂きました。
散策は、二年坂、三年坂、一条通、御池通、西洞院通、今出川通七本松をいたしました。
京都の鐘馗は、いろんな表情をしておりました。


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