名古屋城
徳川御三家の尾張名古屋城昭和27年3月29日に国指定特別史跡・名古屋城跡は、面積:98ヘクタールが「特別史跡名古屋跡」に指定されている
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:連結式層塔型、大天守は5層5階地下1階
昭和34年外観復元(SRC:鉄骨鉄筋コンクリート構造)
築城主 :徳川 家康
築城年 :1610年2月(慶長15年)
廃城年 :明治4年
織田信長誕生の城、那古野城を元に徳川家康が九男義直のために天下普請で築城徳川御三家の尾張徳川17代明治維新まで存続した。
熊本・大坂城とともに日本三名城と称され、私もそれに倣って熊本、大坂。名古屋を紀行した。
名古屋は、昭和37年に始めて訪れ今回が5回目である。
圧巻は、清正が手がけた大天守台の石垣で江戸城は別としてこの天守台が一番だと何時も感心する。天守台、西側、北側の高さが20mあるそうだが(北側の石垣が少し孕んでいるのが心配・400年の風雪に耐えて来たのだから仕方のない事だろうが)各所の天守台を見てきたが沢山の刻印があり中には、扇子、軍配等々珍しい。
(天守台を3ヶ月で完成したそうである。)
明治4年政府が下した廃城例により14代徳川家慶勝は廃却を申し出たが、中村重遠大佐の尽力で免れた。(たしか姫路城も中村重遠大佐の尽力であったのでは??)
昨年12月8日に行った時は、本丸御殿復元の整地は出来ていた。
完成は平成34年とか元気であれば行ってみたい。
昭和20年5月14日、名古屋空襲
徳川御三家の尾張名古屋城昭和27年3月29日に国指定特別史跡・名古屋城跡は、面積:98ヘクタールが「特別史跡名古屋跡」に指定されている
城郭構造:梯郭式平城
天守構造:連結式層塔型、大天守は5層5階地下1階
昭和34年外観復元(SRC:鉄骨鉄筋コンクリート構造)
築城主 :徳川 家康
築城年 :1610年2月(慶長15年)
廃城年 :明治4年
織田信長誕生の城、那古野城を元に徳川家康が九男義直のために天下普請で築城徳川御三家の尾張徳川17代明治維新まで存続した。
熊本・大坂城とともに日本三名城と称され、私もそれに倣って熊本、大坂。名古屋を紀行した。
名古屋は、昭和37年に始めて訪れ今回が5回目である。
圧巻は、清正が手がけた大天守台の石垣で江戸城は別としてこの天守台が一番だと何時も感心する。天守台、西側、北側の高さが20mあるそうだが(北側の石垣が少し孕んでいるのが心配・400年の風雪に耐えて来たのだから仕方のない事だろうが)各所の天守台を見てきたが沢山の刻印があり中には、扇子、軍配等々珍しい。
(天守台を3ヶ月で完成したそうである。)
明治4年政府が下した廃城例により14代徳川家慶勝は廃却を申し出たが、中村重遠大佐の尽力で免れた。(たしか姫路城も中村重遠大佐の尽力であったのでは??)
昨年12月8日に行った時は、本丸御殿復元の整地は出来ていた。
完成は平成34年とか元気であれば行ってみたい。
昭和20年5月14日、名古屋空襲