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スペシャルドラマ「坂の上の雲」回顧録 1、 秋山兄弟生誕地に2万人目の来館者

2018年06月22日 | 伊予松山歴史散策

NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」第1部、第1回が放映されたのが、平成21年11月29日、午後8時から、それから今年で9年が経過する。

田舎町である松山に、全国の坂の上の雲愛好者の皆さん方が大勢お越しになられ、3年がかりで放映されたドラマ、坂の上の雲の反響の大きさに改めて驚いた。

そして、平成26年10月5日から平成27年3月29日まで、BSプレミアムで、全26回の企画で再放送された。

出演者も豪華メンバーで、NHKは、「この壮大な物語は、伊予・松山から始まる」と題して映像がTV画面から飛び出して来た。

 これから数回に渡り私が関り、撮り収めている画像を掲載して当時を振り返ってみる事に致します。

秋山兄弟生誕地には、スペシャルドラマ「坂の上の雲」のロケが始まる前に、またロケ最中に出演者される俳優さんが来られ、また政治家の方も来館されました。

先ずは、来館者2万人目の事柄から振り返ります。

平成17年1月18日、松山市歩行町二丁目3番地6にある、秋山兄弟生誕地の整備事業が完成し、NHKは朝の大型ニュース番組「おはよう日本」で速報として秋山兄弟生誕地の様子を現場からライブで全国に紹介した。これは、平成21年から放映するNHKの歴史に残る大河ドラマとして取り上げる、その番宣を籠めてのニュース放映であったのでしょう。

このニュースを見られた全国の皆さんが秋山兄弟生誕地にお越しになられました。

秋山兄弟生誕地では、来館者2万人達成時には、感謝記念式典を計画していた。

計画によると、2万人達成には1年は掛かると考えていたが、6ヶ月で達成したことに秋山好古・眞之の人気の凄さに改めて驚きました。

来館者2万人目の方は7月31日午前中に達成するのではと予測し各マスコミに連絡した。なお秋山兄弟生誕地整備事業に掛かった経費は、全国の秋山好古・秋山眞之支援者の方からの醵金で完成しました。

 

平成17年7月31日は、小雨が降っており来館2万人目になる方の認定書、花束贈呈式は、秋山眞之胸像のある東屋で行う事にして準備をしました。

2万人目になる来館者をお迎えするため関係者は忙しくなってきた。

2万人目になる来館者は、何処からお越しになるのかマスコミ関係者も興味津々でその時を待った。

同日、午前10時45分時点で、19,995名となった。

マスコミの皆さんもTVカメラ撮影の準備完了。

さーいよいよ来館者2万人目の方がお越しになる。

2万人目の方にお渡しする認定書と花束も準備完了。

司会進行係から間もなく2万人目の方がおこしになりますと場内案内をする。

午前10時48分に、開館以来2万人目の来館者をお迎えしました。

2万人目のカウント掲示版。

テープカットで2万人目の方をお出迎え、その方は名古屋市西区在住の平井温子さんとそのご家族5名でした。

19,995人目から一気に2万人達成です。

生誕地の座敷では、2万人目の方をお琴の演奏でお迎えするため、正派大師範・前谷雅貴社中の高校生・中学生・小学生3名が琴の音の調整をし、万全を期してお迎えをするその準備です。

琴の演奏でお迎え、心を込めたお持て成しであります。

正派大師範、前谷雅貴社中の高校生がお祝いの演奏を奏でお迎え。

正派大師範、前谷雅貴社中の演奏者の表示。

2万人目来館者、名古屋市西区在住の平井温子さんとそのご家族でした。

秋山兄弟生誕地、平松昇理事長から認定書の授与が行われました。

秋山兄弟生誕地の研究員からお祝いの花束贈呈です。

 マスコミ各社カメラ撮影と記者の取材を受ける平井さん。

各新聞記者のインタビュー、平井さんは、まさかこんな事になるとは考えもせず来館されたのでビックリするやら、嬉しいやら戸惑いを隠せない様子でした。

平井さんは、次男の中学1年生の宿題の題材にと思い、秋山兄弟生誕地を訪れましたが、まさか自分が2万人目来館者になるとは思わず驚いていますと、そして秋山兄弟の事はよく知りませんが、此れを機会に勉強しますと語られた。

 

マスコミの応対も終わり秋山好古騎馬像の前でご家族の記念写真撮影です。

平井さんは、名古屋のお住まい、秋山好古は、大阪師範学校を卒業し、名古屋師範学校の付属小学校で教師を務めていた、名古屋とご縁がある2万人目来館者でした。

好古は、郷里の先輩、和久正辰名古屋師範学校付属小学校教務官の強い勧めで、小学校を退職し、明治10年5月4日、陸軍士官学校騎兵科に入学し軍人となる。そして大正13年故郷伊予松山からの強い要望で北豫中学(現、愛媛県立松山北高等学校)の校長として故郷の青少年の教育に少しでも役に立ちたいとの思いで、昭和5年3月まで人生最後のご奉公をした。同年11月4日、東京・陸軍軍医学校病院で永眠、享年72歳であった。・・母は子供達に「大きくなったら、世の為・人の為・故郷の為に尽くせる人になるようにと躾け育てた。」好古も眞之も母の教えを忠実に守り人生を全うした。・・ドラマの中で眞之を演じた本木雅弘は、「亡くなった母、貞の枕元に正座して、お母さんの教えの通り生きて来たと思っているが、僕の生き方で良かったかのう・・と問いかけるシーンがあった。」

秋山兄弟生誕地の関係者と一緒に記念写真を撮られ、改めて秋山兄弟生誕地の研究員から説明を聞き見学され帰られました。

 

2万人目来館者の産経新聞の記事。

坂の上の雲は、最初産経新聞の連載小説として司馬遼太郎さんが書かれ、書籍となってから人気が上がり末は、NHKの歴史に残しておきたい大河ドラマにまでなった凄い読み物です。

司馬遼太郎さんが書かれた坂の上の雲は今年で50年になるそうです。

新聞記事にもあるように、平成17年5月から秋山好古揮毫石碑の調査を開始しました。また、石碑調査記録に付いてもブログに乗せる事とします。

 

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