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秋山好古揮毫石碑「御大典記念」 愛媛県久万高原町に原稿発見

2015年10月16日 | 伊予松山歴史散策
秋山好古揮毫の石碑が発見され取材に行き3年目になるがその原稿が発見されました。
所在地は、愛媛県上浮穴郡久万高原町中組にある三社神社の小野宮司さん宅に大切に掛け軸として保存されていました。
先日、小野宮司さんの許可を受けその原稿を借り受け、写真に撮らせて頂きました。
原稿は、「御大典記念」と「陸軍大将秋山好古謹書」であります。
この原稿を元に三社神社の注連石(しめいし)として昭和3年11月に建立されました。
注連石の右に「御大典記念」左に昭和3年11月、陸軍大将秋山好古謹書と好古は揮毫し彫られています。
現在、秋山好古が揮毫した石碑は全国に52基発見されていますが、原稿が発見されたのは此処、上浮穴郡久万高原町中組にある三社神社が初めての事で非常に貴重な資料です。
小野宮司さんの許可を受けて秋山兄弟生誕地に展示して見学に来られた方々に見て頂くようにします。
なお、注連石の揮毫依頼は、先々代の宮司さんが秋山好古に依頼したものです。

註:御大典記念とは、
天皇が天子の位を受け継ぎ、皇位を継承したことを内外に示す儀典あり、即位の礼・大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(たいれい)または御大典(たいてん)と称される。
昭和天皇は、昭和3年(1928)11月6日、即位の礼が行われた。御歳は27歳でした。


愛媛県上浮穴郡久万高原町中組に鎮座する「三社神社の注連石」で、右側に「御大典記念」左側に「昭和3年11月建立 陸軍大将秋山好古謹書」と刻まれている。
取材は、平成24年7月6日に撮影しました。


右側の注連石に刻まれている「御大典記念」。


左側の注連石に刻まれている「昭和3年11月建立 陸軍大将秋山好古謹書」。


「御大典記念」をカットして。


「昭和3年11月建立 陸軍大将秋山好古謹書」を切り抜いて。


今回発見された「三社神社の注連石」の原稿「御大典記念」の原稿です。
昨日、三社神社小野宮司さんの許可を得て撮影しました。


今回発見された「三社神社の注連石」の原稿「陸軍大将秋山好古謹書」の原稿です。
三社神社小野宮司さんの許可を得て撮影しました。


「御大典記念」と「陸軍大将秋山好古謹書」の原稿を並べて。
先にも述べましたが、全国に好古揮毫の石碑は現在52基発見されておりますが、原稿が発見されたのは今回の三社神社の注連石が初めてで非常に貴重なものです。秋山兄弟生誕地では、小野宮司さんの許可を頂き、原稿を複製し展示し鑑賞して頂く様計画しております。先月発見されました52番目の、長野県安曇野市の石碑は、来春取材に行く予定です。


愛媛県上浮穴郡久万高原町中組に鎮座する「三社神社」の拝殿。
三社神社の沿革は、愛媛県神社誌によると、延暦23年(804年、平安時代)6月詔によって、安芸国厳島明神を勧請したとあります。天正18年(1590年、 豊臣秀吉時代)11月三社大明神と号し、元禄3年(1690年、第51年、代将軍徳川綱吉時代)、安永7年(1778年第10代将軍徳川家治2年時代)、社殿改築、明治12年(1879年)三社神社と改称したとあります。


「三社神社」の拝殿にある社号額。


「三社神社」の拝殿には沢山の絵馬が奉納されていた。源平の合戦等々。


「三社神社」の神文、隅切り折敷に縮三文字。
この神文は、道後にある中世の城、「湯築城」の伊予守護、河野家の家紋で、く久万高原町に河野氏は土佐の一条氏の侵攻に備え湯築城の南の砦として、重臣大野直家を入れて築城した大除城があった。河野氏と関係の深い神社ではないでしょうか。

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