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浄瑠璃町(松山市)の菖蒲園なくなる

2018年06月16日 | 伊予松山歴史散策

 松山市浄瑠璃町に四国88ヶ所第46番札所「浄瑠璃寺」がある。

久万高原町にある第44番札所菅生山・大寶寺から国道33号線を下り、第46番札所医王山・浄瑠璃寺に巡礼する手前にある菖蒲園、15年前に休耕田を利用した地元の関係者が「菖蒲を愛する会」を設立して約12,00株の花菖蒲を植栽育成して来た。この道は幅員4m程の細い道で普通自動車以上の車は走行不能、離合も出来ない。歩き遍路さんには打って付けの遍路道である。

第44番札所菅生山・大寶寺から、第46番札所医王山・浄瑠璃寺に歩きで巡礼する方法は二通りある。一つは、旧土佐街道で、遍路休憩所坂本屋の前を通るコースと、もう一つは、新土佐街道(国道33号線)を通り、塩が森(松山市浄瑠璃町)から46番札所の遍路道が整備されている。歩き遍路さんにとっては三坂峠を越え、長い道のりを唯ひたすら46番札所目指して歩く、塩が森からは下りの遍路道、1km位歩くと綺麗な花菖蒲園が見えてくる。どちらのコースを利用するかはお遍路さん次第だが、有名な遍路宿「坂本屋」で休憩をするお遍路さんは塩が森からの下り遍路道は使わない。そして花菖蒲を見る事は出来ない。

私は6年前、平成24年6月から毎年花菖蒲園を撮影して来た。しかしこの3年ほど前から段々と花菖蒲が少なくなった。管理育成が出来にくくなったのかと心配しながら、先日遍路休憩所「坂本屋」の帰りに行ってみると掲示板も、休憩するテントも撤収され管理されてない状態だった。

近年、農家の人達は高齢化が進み後継者不足で遊休農地が増えている。この花菖蒲園も管理が出来なくなったのでしょうか?松山近郊から毎年この時期を楽しみにして鑑賞に来ていたものとしては大変寂しい限りである。

画像は、平成24年から撮った画像の中から印象に残ったものを時系列順に掲載し回顧する事にした。

 最初に撮影に行った時の花菖蒲、平成24年6月20日撮影。

 平成24年当時は画像の様に沢山の花菖蒲が生育していた。手入れも行き届き菖蒲園の中に入れるよう木道が設置され身近に鑑賞出来るのが良かった。

 平成24年6月20日撮影。・・当時の花菖蒲。

 浄瑠璃町の花菖蒲園は、園内に入れ身近な感覚で鑑賞出来るよう木道が設置してあった。

平成25年6月6日、当時の画像。

 平成25年6月6日、の画像で西条市から鑑賞に来られた5人組。車も適当に駐車出来る広さが確保され、周辺の雑草も刈り取られ鑑賞する者の身になって整えられていた。

 平成25年6月6日、当時の画像で真剣に花菖蒲を撮るカメラマン。花も咲き終えて萎んだ花は取り除かれていた。写真を撮る時咲き終え枯れた花があるといい写真にはならないから・・この事も考慮して取り除いていた。今考えると管理にはかなりの手間暇が掛かった事でしょう。

 平成25年6月6日、の画像で維持管理費に充当いたしたく御芳志をお願いします。・・お願い掲示板。・・私も少額だが気持ちだけの醵金をさせて頂いた。

 平成25年6月6日、の画像で休憩用のテントと、椅子が用意されてゆっくりと鑑賞出来るよう配慮されていた。

 平成25年6月6日撮影、作業姿で地元菖蒲を愛する会のメンバーの方が欠かさず手入れをされていた。

 平成25年6月6日撮影、屈んでいる人は雑草の除去作業している「浄瑠璃町花菖蒲を愛する会」のメンバーのお一人・・ご苦労様でした。

 平成26年6月5日、石川県からの女性一人歩きのお遍路さんで、携帯で写真を撮られていた。・・お許しを得て後姿を撮らせて頂いた。

 43番霊場明石寺から46番霊場浄瑠璃寺の間、126kmの長い距離を歩き疲労困憊した身体を、自分自身が自分を励ましながら、巡礼の旅をするその長丁場、浄瑠璃寺の手前850mにある「菖蒲園」は、遍路休憩所「坂本屋」と同様にオアシス的な存在である。花を鑑賞し元気を取り戻し、46番霊場浄瑠璃寺えと向かう。しかしこれが無くなるのは寂しい。

 女性一人歩きのお遍路さん先ずは、強靭な体力、意志の強さの持ち主そして十分な時間がなければ行歩き遍路は出来ない。菖蒲園を鑑賞され第46番札所医王山・浄瑠璃寺に向かわれた。・・お気を付けてご安全に巡礼されて下さい・・とお送りした。

因みに、88ヶ所を歩き遍路で巡礼すると、足の速い人で約50日、普通の歩きだと60日掛るそうです。費用も、宿泊費・食費・納経帳御朱印を含め約41万円必要です。

 平成26年6月5日の画像で、鑑賞用の木道周辺の雑草も取り除かれ手入れが行き届き気持ちよく鑑賞出来た。当たり前の事の様に思うが、雑草を取り、咲き終わった花を処理する作業の大変さをどれだけの人々が感じ取って鑑賞していたのでしょうか?

 平成26年6月5日は木曜日、平日だったが大勢の皆さんが鑑賞に来ていた。

 テントには、「浄瑠璃町花菖蒲を愛する会」と書かれていた。そして平成15年吉日と書かれていた。この会は、平成15年に結成されたと言う事で、平成30年をもって閉園にしたのでしょうか?15年間ご苦労様でした。

 平成26年6月5日当時の花菖蒲園で、この頃から菖蒲が減少しだした。

 平成27年6月10日、鑑賞に行った時出くわしました仲良しお二人さん、花菖蒲を懸命に描かれていた。

 お許しを得て後ろから撮らせて頂いた。

 そして描かれた絵を見せて頂きました。上手に描かれていた。

 平成28年6月14日の画像ですが、この頃から手入れがあまりされてない様で菖蒲の数も減り、雑草が目立つようになっていた。

 平成28年6月14日の画像で、部分的に見ると沢山の菖蒲が見えるが、全体を見ると雑草だけの所が目についた。

 平成29年6月12日の画像。

 平成29年6月12日、画像の様に御芳志お願いの掲示板があったので維持管理はしていたのでしょう。

 平成29年6月12日の画像。雑草も除去されてない。

 平成30年6月9日、花菖蒲よりも雑草の方が沢山あり菖蒲園ではなく雑草園と言った感じになっていた。

 平成30年6月9日、手入れを怠るとあっという間に荒れてしまうか?雑草の力は凄い。

 平成30年6月9日、遍路休憩所「坂本屋」の帰りに菖蒲の花を撮りに行ってみると、看板もテントも撤収され雑草に覆われ、昨年までの花菖蒲園の面影はなかった。物寂しさを感じた。

 国道33号線(土佐街道)三坂、峠塩が森から整備された遍路道があり浄瑠璃寺への道しるべが掲示してある。

 国道33号線三坂峠塩が森から整備された遍路道で、その道沿いには地元松山市立坂本小学校の児童が描いたポスターが掲示されている。山を大切に・道を綺麗に・ゴミを捨てないでと言った事柄をポスターで呼びかけている。

 この地区(松山市坂本校区)には、彼岸花の群生地区があり秋になると(9月中旬)花が咲く。地主さんが土地を整備し自分の鑑賞の為にと25年前に植栽し、その後地元住民たちが支援して大切に管理育成している彼岸花が咲き誇る風景は壮大である。私は7年前から写真を撮っているが一昨年から花(株)が少なくなった。地球温暖化の為でしょうか?それとも、手入れが行き届かなくなったのか?、日本列島各地で大きな水害が、噴火、地震が発生し、この所日本列島異変続きである気象の変化が原因なのか?です。

 毎年なぜか花が減少している。

 この地は、時宗の開祖「一遍上人」が修行した窪寺があった場所です。

 9月中旬になると彼岸花が開花する遠く広島・岡山県から鑑賞に来られ、地元松山の施設の高齢者が介護士さんに連れられて鑑賞に、またアマチュアカメラマンが撮影に、近年ご婦人たちは一眼レフカメラで撮影される方が増えました。今年も御幸町のジャカランダの花、伊予郡松前町のジャカランダの花の開花が少ないのです。・・何が原因なのでしょうか?です。 

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