EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山市内の銅像巡り9 鍵谷カナ 像

2014年05月25日 | 伊予松山歴史散策
鍵谷カナ 像

鍵谷カナは、伊予郡垣生村今出(現・松山市西垣生町)に天明2年(1782)生まれ、同村小野山藤八に嫁し、当時農家の副業であった伊予結城(伊予縞)という縞木綿の生産に従事していた。享和年間(1801年~1803年)に、わら屋根に使った古竹にできた縄目の跡にヒントを得て、新しい絣模様を織る方法を発案した伊予絣の考案者である。墓は長楽寺(西垣生町)にあり、愛媛県の史跡に指定されている。元治元年(1864年)逝去、享年82歳。


鍵谷カナの銅像は、伊予かすり会館入口に建てられている。場所は、松山市久万ノ台1200番地。館内は、伊予かすりが培って来た庶民の歴史とその過程が展示されており、体験する事が出来る。伊予かすり、今から二百年前,温泉郡今出の人「鍵谷カナ」が独力で苦心のすえ伊予かすりの、元祖たる今出かすりを製織せられたに始まります。


伊予絣(いよかすり)は、愛媛県松山市で製造されている絣で、松山絣とも呼ばれる。久留米絣、備後絣とともに日本三大絣の一つともされる。明治37年には全国生産一位となり、当時全国では子供から大人までこぞって緋の着物を愛用したが、生活の洋風化とともに着物を中心に絣の需要は低下し、今日では、事業として行っているのは1軒のみとなった。松山市内にある伊予かすり会館には、機織の実演を見ることができる(入場料有料)ほか、かすり製品を買い求めることもできる。


伊予かすり会館入口にある「鍵谷カナの銅像」


鍵谷カナの銅像の銘板揮毫は、元愛媛県知事久松定武氏で、定武氏は、旧伊予松山藩主松平(久松松平)家第17第当主。愛媛県知事を昭和26年5月4日~昭和42年1月28日迄5期務めた。


鍵谷カナ頌功堂(しょうこうどう)」 伊予絣創始者の鍵谷カナの功績を後世に伝えるため、伊予織物同業組合が昭和4年に建てたもので、愛媛県庁なども設計した木子七郎が手がけた、鉄筋コンクリート造の八角堂。中央に頌功碑を納めており、8本のエンタシスの柱と斗組により反りの強い本瓦葺八角屋根を支える特徴的な姿形で、平成13年国の登録有形文化財となっている。


「鍵谷カナ頌功堂(しょうこうどう)」平成13年3月27日に発生した芸予地震、震度6強の被災で少し破損した。


「鍵谷カナ頌功堂(しょうこうどう)」昭和4年5月、伊予織物同業組合建立とある。


「鍵谷カナ頌功堂(しょうこうどう)」鍵谷カナの功績が書かれている。


「鍵谷カナ頌功堂(しょうこうどう)」国指定登録有形文化財指定の銘板。
平成13年8月28日登録、所在地及び所有者(管理者)松山市西垣生町 長楽寺。


松山市西垣生町長楽寺にある、鍵谷カナの墓所。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 浅井修・浄子夫妻の木と革の... | トップ | 松山市内の銅像巡り10 村... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

伊予松山歴史散策」カテゴリの最新記事