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今治市大西町・秋山好古揮毫石碑・「衆心和暢化乃成」見聞

2013年04月13日 | 伊予松山歴史散策
秋山生誕地研究員研修地・「今治市大西町・好古揮毫石碑見聞」

4月8日今治城散策の後今回最後の研修地である、今治市大西町山之内小山、薬師堂境内に建立してある秋山好古揮毫石碑「衆心和暢化乃成」の石碑を見聞した。
好古揮毫の石碑は現在全国に51基発見されているが(石碑所在地は下記を参照下さい。)漢詩で表現している石碑はこの石碑だけである。
「衆心和暢化乃成」の意味は、みんなの心が、穏やかで、伸びやかであれば、教育は間違いなく、実ってゆく。・・でこれは、秋山好古の原作で出典なしである。

建立年は、昭和3年1月、建設者連盟として38名・建立世話人8名と建立代表者近藤大作の名前が刻印されているが、風化が激しく判読困難。

代表者、近藤大作氏は、明治11年越智郡朝倉村古谷、長井家の次男として誕生。その後、愛媛県師範学校を卒業し小学校教員となる。
明治41年この地(越智郡小西村・現 今治市大西町)近藤家の養子となり、弓削小学校校長、大正3年新居郡視学(現在の新居浜市・西条市)・愛媛県視学を歴任。大正10年今治第二尋常高等小学校(現 美須賀小学校)校長に就任。
大正13年体調を崩し療養の為退職。(秋山好古北予中学校長就任・元内閣総理大臣清浦奎吾が来松出会いの年)、村民に慕われ、昭和2年小西村村長に就任、昭和21年まで連続5期村長を務めた。

参考事項:視学とは、旧制の学校教育で、学事、教職員の監視・監督に当たった地方官。郡視学・府県視学があった。
石碑建立は昭和3年(昭和天皇即・御位大典)、近藤大作が村長に就任して間もない頃、陸軍大将従二位の偉人教育者、そして北予中学校長として名声のある、近藤大作村長が最も尊敬していた好古にこの石碑建立にあたって名言を依頼した。
好古も石碑建立の経緯を確かめ、その事に感銘をうけ好古オリジナルの漢詩で答えたのであろうと推察する。
大西町を背負って立つ教育をしていくには・・との思いを篭めて揮毫した。

近藤村長の思いは、小西村を住みよい村を構築せなばならない、それには村長が先頭に立って村民団結し村づくりを行うには、基礎となる教育が必要。現在の、学校教育、家庭教育、社会教育の充実で、そして昭和3年は即位の礼(御大典紀念)昭和天皇の誕生で元号も昭和となる。その記念に村の座右の銘となる言葉を秋山好古北豫中学校長に依頼し好古は、近藤村長の意を汲み漢詩で「衆心和暢化乃成」を作り以って之に答えた。大作村長は、建立地は何時も村民の目に触れる所、薬師堂入口に建て村民教育を推進した。

衆心和暢化乃成の意味は
衆(しゅう)心(しん) ⇒みんなの心が ・多くの人の考えが 
和暢(わちょう) ⇒やわらぎで、のどかであれば・(のびやかであれば) 
化(か) ⇒教育は・(教えを導く事)
乃(だい) ⇒まさに(間違い無く) 
成(せい) ⇒実ってゆく    
地域を豊にするには、心から豊にしていかねばいけない、意識改革を起こしていくと新しい社会が生まれていく、奉仕・減私。

日本人は少し地位を得て退職すると、恩給で食うことを考える。それはいかん。できることは何でもして働き奉公せんといかん」とは好古の言葉だ。簡単明瞭にて質素にして清く正しく心豊かであれ。・・秋山好古の信条。
ある御仁が、江戸時代の武士の教養を身に付けた、現代日本では見られない風格を感じる。・・と言った。


秋山好古揮毫石碑「衆心和暢化乃成」
所在地:今治市大西町山之内小山 山之内薬師堂境内
石碑の大きさ:高さ3m30cm 横幅1m60cm 厚み13cm
    

「衆心和暢化乃成」秋山好古の原作で出典されてない。
意味は、衆(しゅう)心(しん) ⇒みんなの心が ・多くの人の考えが 
和暢(わちょう) ⇒やわらぎで、のどかであれば・(のびやかであれば) 
化(か) ⇒教育は・(教えを導く事)
乃(だい) ⇒まさに(間違い無く) 
成(せい) ⇒実ってゆく 


村人から何時も目に付く場所に建立した。


石碑はこんなに薄い石材。


建立年月日、昭和3年1月と刻印されている。


建設に携わった人38名と建立の世話人8名、代表者近藤大作の名前が刻印されているが、風化が激しく判読困難。


山内薬師堂で、ご本尊は薬師如来である。
薬師堂は、薬師如来を本尊とする仏堂の呼称(こしょう)である。
薬師如来が病気平癒の仏とされることから、製薬や医療の分野でも「薬師堂」の名前が使われることがある。また、薬師堂があった場所の地名となっているところもある。
小西村の村民の健康維持と村の平和、五穀豊穣を祈念して自分はもちろん、家の人などが長く治らない病気になったときにこのお堂に泊り込み、病気が治るよう薬師様にお祈りをしたのだと言い伝えがある。


薬師堂から見た石碑。


私が取材したのは平成19年であったが当時は説明板が無く「「衆心和暢化乃成」の意味が分からず、ある方に説明板を設置してくださいとお願いしました。
先日いってみると画像の説明板が取り付けてあった。


平成25年4月4日現在の秋山好古揮毫石碑所在一覧。


4月8日(月)秋山兄弟生誕地研究員の研修会最後の地好古揮毫石碑の前で記念写真を撮り予定の研修は全て終了した。


大西町に向かう途中に「世界のオペラ歌手・今井久仁恵さんのお墓」があった。
一番大きな十字架がお墓です。
  
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