此れから尋ねる秋山好古揮毫の石碑は、NHK松山放送局が平成23年12月16日放映した石碑の一つです。
放映タイトルは「碑文に残された好古の思い」である。
1.碑 文 :衆心和暢化乃成
2.所 在 地 :今治市大西町山之内小山 「山之内薬師堂境内」
3.建立年月日:昭和3年1月
4.揮 毫 者:秋山好古
5.建 立 者:建設連名:代表 近藤 大作
6.碑石大きさ:高さ・ 3m30㎝ 横幅・ 1m60㎝ 厚み・ 13cm
秋山兄弟生誕地研究員館外研修の一つとして、今治市大西町山之内小山、薬師堂境内に建立してある秋山好古揮毫石碑「衆心和暢化乃成」の石碑を見聞した。
好古揮毫の石碑は現在全国に52基発見されているが(石碑所在地は下記一覧を参照下さい。)漢詩で表現している石碑はこの碑だけである。
「衆心和暢化乃成」の意味は、みんなの心が、穏やかで、伸びやかであれば、教育は間違いなく、実ってゆく。・・でこれは、秋山好古の創作で出典なしである。
建立年は、昭和3年1月、建設者連盟者38名・建立世話人8名と建立代表者近藤大作の名前が刻印されているが、風化が激しいく判読しぬくい状態である。
代表者、近藤大作氏は、明治11年越智郡朝倉の古谷の長井家の次男として誕生。その後、愛媛県師範学校を卒業し小学校教員となる。
明治41年この地(愛媛県越智郡小西村・現 今治市大西町)近藤家の養子となり、弓削小学校校長、大正3年新居郡視学(現在の新居浜市・西条市)・愛媛県視学を歴任。大正10年今治第二尋常高等小学校(現 美須賀小学校)校長に就任している。
「参考事項:視学とは、旧制の学校教育で、学事、教職員の監視・監督に当たった地方官。郡視学・府県視学があった。」
大正13年体調を崩し療養の為退職。(この年は、秋山好古北予中学校長就任・元内閣総理大臣清浦奎吾が来松出会いの年である。)
村民に慕われ、昭和2年小西村村長に就任、昭和21年まで5期連続村長を務めた。近藤村長は立派な村づくりには教育が必置、老若男女問わず村あげて、学校教育・社会教育・家庭教育を実施村づくりの基礎を築いた。
近藤村長は村づくりのシンボルとなる石碑を、村人の心の故郷である薬師堂に建立する事にした。石碑の揮毫は近藤村長が最も尊敬する、北豫中学(現、愛媛県立松山北高等学校)秋山好古校長にお願いした。好古はこの趣旨に答え「衆心和暢化乃成」を揮毫し、近藤村長のお手伝いをしたのである。
石碑建立は、昭和3年(昭和天皇即・御位大典)近藤大作が村長に就任して間もない頃、陸軍大将従二位の偉人教育者、そして北予中学校長として名声のある、近藤大作村長が最も尊敬していた好古にこの石碑建立にあたって名言を依頼した。
好古も石碑建立の経緯を確かめ、その事に感銘をうけ好古オリジナルの漢詩で答えたのであろうと推察する。大西町を背負って立つ教育をしていくには・・との思いを篭めて揮毫した。
近藤村長の思いは、小西村を住みよい村として構築せなばならない、それには村長が先頭に立って村民団結し村づくりを行う、それには基礎となる教育が必要。現在の、学校教育、家庭教育、社会教育の充実で、そして昭和3年は即位の礼(御大典紀念)昭和天皇の誕生で元号も昭和となる。その記念に村の座右の銘となる言葉を秋山好古北豫中学校長に依頼し好古は、近藤村長の意を汲み漢詩で「衆心和暢化乃成」を作り以って之に答えた。大作村長は、建立地は何時も村民の目に触れる所、薬師堂入口に建て村民教育を推進し現在の大西町があり有能な人々が育った。
再度、衆心和暢化乃成の意味を表すと
衆(しゅう)心(しん)⇒みんなの心が ・多くの人の考えが
和暢(わちょう)⇒やわらぎで、のどかであれば・(のびやかであれば)
化(か)⇒教育は・(教えを導く事)
乃(だい)⇒まさに(間違い無く)
成(せい)⇒実ってゆく
地域を豊にするには、心から豊にしていかねばいけない、意識改革を起こしていくと新しい社会が生まれていく、奉仕・減私の精神。
秋山好古は、日頃から
日本人は少し地位を得て退職すると、恩給で食うことを考える。それはいかん。できることは何でもして働き奉公せんといかん」その気になって仕事を探せば必ず見つかる・・とは好古の言葉だ。簡単・明瞭・
・質素にして清く正しく心豊かであれ。・・秋山好古の信条である。
新潟市江南区沢海にある北方文化博物館、故・第8代目館長・伊藤文吉氏は、好古の事を「江戸時代の武士の教養を身に付けた、現代日本では見られない風格を感じる人である。」・・と言われた。
今治市大西町山内の薬師堂にある秋山好古揮毫石碑「衆心和暢化乃成」
石碑の大きさ:高さ3m30cm 横幅1m60cm 厚み13cm
大西村長は、村の象徴とする石碑は村人から何時も目に付く薬師堂の前に建立し村民全体の教育を推進した。
此れからの画像4枚は、平成23年12月16日NHK松山放送局が放映した画像の一部です。
タイトルは「碑文に残された好古の思い」でこの時点で好古揮毫石碑は48基発見されていた時点での放映でした。
松山市歩行町二丁目3番地6にある秋山兄弟生誕地に展示されていた48基の石碑写真展示です。
NHK松山放送局が、平成23年12月16日放映の為ロケを行いました。ロケ地は松山市神田町の厳島神社にある、好古揮毫の石碑「表忠碑」と今治市大西町の「衆心和暢化乃成」でロケは午後2時から5時までかかり天候は生憎雨天でした。
NHK松山放送局が、平成23年12月16日放映の為ロケを行いました。
雨天の中NHK松山放送局のカメラマンは雨具着用で、松山市神田町の厳島神社にある好古揮毫の石碑「表忠碑」の撮影をした。
平成23年12月16日放映された「碑文に残された好古の思い」のタイトルエンドの画像。
石碑はこんなに薄い石材であるが、石碑の存在は大きかった。
建設に携わった人38名と、建立の世話人8名、代表者近藤大作の名前が刻印されているが、風化が激しく判読困難な状態であった。
村の象徴とする石碑は村人から何時も目に付く薬師堂の前に建立した。
山内薬師堂のご本尊は薬師如来で薬師堂は、薬師如来を本尊とする仏堂の呼称で、薬師如来が病気平癒の仏とされることから、製薬や医療の分野でも「薬師堂」の名前が使われることがある。また、薬師堂があった場所の地名となっているところもある。
小西村の村民の健康維持と村の平和、五穀豊穣を祈念して自分はもちろん、家人などが長く治らない病気になったときにこのお堂に泊り込み、病気が治るよう薬師様にお祈りをしたのだと言い伝えがある。
建立年月日、昭和3年1月と刻印されている。
石碑は、昭和・平成の約90年を見て来たが令和時代になりどの様な町に変貌するのだろうか。
薬師堂の前から見た石碑。
私が取材したのは平成19年であったが当時は説明板が無く「衆心和暢化乃成」の意味が分からないので今治市史談会のある方に説明板を設置してくださいとお願いしました。
その後行ってみると画像の説明板が取り付けてあった。
その後、NHKスペシャルドラマ坂の上の雲が放映されると画像の様な詳細な説明版に変更されていた。
秋山兄弟生誕地で奉仕活動している研究員で、秋山好古が揮毫した石碑に託された事柄を思いながらら石碑巡りをしている。
令和元年5月1日現在、全国に建立されている秋山好古揮毫の石碑所在一覧。