国体は、広く国民の間にスポーツを普及し、スポーツ精神を高揚して国民の健康増進と体力の向上を図り、併せて地域のスポーツの振興と、スポーツ施設の充実、文化の発展に寄与するとともに、国民生活を明るく豊かにしようとするものです。・・と国民体育大会の趣旨がある。
昭和28年、愛媛県単独開催に名乗りを挙げたが、四国四県共同開催となり、それから64年が経過、第72回国民体育大会・えひめ国体が単独開催で、天皇皇后両陛下のご臨席の下開催される。
開催に際し、愛媛県民総参加、地域をあげて選手や観客をお持て成しで、全国から訪れる人々との交流を通し地域の活性化を期待して開催されます。
本県が昔から大切に受け継いで来た、四国遍路88ヶ所巡礼文化によって培われた「お接待」の心で、来県される皆さまをお持て成しします。
昨日、(9月28日)開会式、閉会式と各種陸上競技種目が行われる、愛媛県総合運動公園陸上競技場と松山市総合運動公園に行ってみました。各所担当係の職員は最後の点検に追われていた。
開会式の行われる9月30日の天気予報は、快晴と予報されている。
開会式・閉会式・陸上競技が行われる愛媛県総合運動公園陸上競技場入口ゲート。
会場入口のメインゲートも飾り付けが完備されていた。
会期は、平成29年9月30日(土)から10月10日(火)・スローガン:「君は風 石鎚を駆け 瀬戸に舞え」。
ゲートに「ニンジニア・スタジアム」と記載されているが、これは呼称で、正式名は「愛媛県総合運動公園陸上競技場」である。
愛媛県伊予市に本社を置くニンジニアネットワークが命名権を取得しており、平成20年3月から「ニンジニアスタジアム」(略称「ニンスタ」)の呼称を用いている。愛媛FCのホームグランドでもある。
愛媛県総合運動公園陸上競技場は、昭和55年に開かれた全国高等学校総合体育大会(インターハイ)のメイン会場として整備された施設である。
会場では、最後の点検が綿密に行われていた。
この会場で、天皇皇后陛下をお迎えして9月30日、えひめ国体の開会式が行われる。
天皇皇后両陛下のご臨席は特に入念に検収をしていた。
天皇皇后両陛下の御来県行幸は24年振りで、9月29日・金曜日から10月1日・日曜日まで行幸になられます。
電光掲示板もテスト。
TVカメラもアングルを確かめながら機器の点検をしていた。
聖火台も新調されていた。(仮設の聖火台で大会終了後は撤去される。)
観覧席に上がる階段には画像の様な愛媛をイメージしたカラフルなあしらいがしてあった。
競技場周辺の案内図。
第72回国民体育大会・えひめ国体を支援する企業の一覧が掲示してあった。
次に、高校野球・剣道・柔道・テニスが行われる松山市総合運動公園に行ってみた。
画像は、高校野球(硬式)が行われる松山中央公園野球場(愛称・坊っちゃんスタジアム)。
国際規格で建設された坊っちゃんスタジアム。
収容能力:30,000人(内野:約20,000席、外野:約10,000席)内野スタンドは2階建。
球場規模:グランド面積・14,300平方メートル。
両翼:99.1 m・中堅:122 m。フェンスの高さ4,9m、
愛媛マンダリンパイレーツは、この坊っちゃんスタジアムを本拠地として使用している。
坊っちゃんスタジアムには画像の掲示板が掲げてあった。
坊っちゃんスタジアムの一角に、平成27年、東京ヤクルトスワローズセントラルリーグ優勝記念の石碑が建立してあった。・・毎年、坊っちゃんスタジアムで秋季キャンプを行い、東京ヤクルトの準フランチャイズ球場的になっている。
正岡子規の記念碑と近藤兵太郎の顕彰碑が建立してある。
正岡子規が明治29年に詠んだ句で「草茂み ベースボールの 道白し」
そして近藤兵太郎は、松山商業の初代監督を務め、台湾野球の基盤をつくり、嘉義農林学校野球部監督に就任、第17回全国大会に出場して準優勝、春夏5回甲子園に出場「天下の嘉農」と称された。その後新田高等学校野球部初代監督を務めたその顕彰碑が建立してある。
平成14年7月13日、四国で初めてのプロ野球オールスター戦が、松山市の坊っちゃんスタジアムで開催された。
第2戦、5回終了後に特別な行事が行われた。
正岡子規の野球殿堂入りの式典である。試合開始前なら理解できるが、試合途中である。子規はそれだけ大きな功績を果たした結果の証であった。
この年は、松山城築城400年・正岡子規没後100年・四国で初めてのプロ野球オールスター戦、色んな特別な行事が行われた年での殿堂入りであった。
剣道・柔道・スポーツチャンバラが行われる愛媛県武道場、名誉館長に山下泰裕さんが就任しています。
建物は、愛媛県産の木材を利用して出来た木造建築です。
会場内には、地元の中学生がデザインした各都道府県の歓迎「のぼり旗」が設置してあった。