EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

EEK紀行・画像で回顧 現存12天守 3 丸岡城天守

2017年09月09日 | 伊予松山歴史散策

平成20年4月13日に訪れ、天候は曇りでしたが、桜は満開で丸岡城桜まつりが開催されてお花見客で賑わっていました。

天守は、現存12天守の内、最古の建築様式と言われ、昭和9年に国宝に指定されるが、昭和23年福井地震のため倒壊し、昭和30年に倒壊した天守の木材を用い、元通り修復復元され現在は国指定の重要文化財となっている。

天守は6mの天守台の上に築城、東方向に設けられた急勾配な石段を登り天守に入る変わった造りだ。

案内板には、柴田勝豊が築城するとき、天守の石垣が何度積んでも崩れるので、お静と言う女性を人柱にした話、「雲の井」から大蛇が現れ、城を霞みで隠し何度も危機を救ったと言う古城ならではの話が記載されていた。

「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」・・日本一短い手紙の元となった手紙文で有名な地でもある。

天守の形態は、

独立式初期望楼型、2層3階

築城主、柴田勝豊

築城年、天正4年(1576)、信長が築城した安土城天主と同年である。

昭和9年1月30日、国宝保存法により、国宝に指定される。

昭和25年5月30日、文化財保護法制定により、重要文化財に指定替えされる。

平成18年4月6日、日本100名城、第36番に選定され、スタンプは、一筆啓上茶屋に設置してある。

丸岡城は、ことあるごとに霞がかかって城を守ったという伝説から別名「霞ケ城」とも呼ばれている。頂いた資料引用。

天守に上がるには急な石段、34段位あったか?

 

天守入口から見下ろした石段、上がる時よりも降りるときに気を付けないと危ない!!

丸岡城の天守は、現存する内で最古の建築様式ということになっている。かつては金山城から移築されたという伝承のある犬山城天守が最古といわれていたが、天守としての移築説には疑問も持たれるようになり、天正4年(1576)に築城記録のある丸岡城が実際には最も古い天守ということに落ち着いたというわけである。犬山城よりも古いのなら、国宝に指定されていてもよさそうなものであるが、この天守は重要文化財となっている。というのも、昭和23年の福井大地震で倒壊、原形を留めたのは三階の屋根の部分のみであったと福井新聞の記事にある。

倒壊した材を持って天守を復元したという経緯があるから国宝としての価値は損なわれてしまったと判断されたらしい。

天守の鯱で、築城当時は木彫りの銅板張であったが昭和15年修復工事の時、石製の鯱に改めたとある。大東亜戦争のため銅板の入手が困難であったためだそうです。

現在の鯱は、昭和27年修復の時、元の木彫りの銅板張に復元したと説明版にある。

昭和15年修復工事の時、石製の鯱に改めた物が天守入り口階段右手に展示されている。

天守鯱の説明版。

丸岡城天守内部の2階から3階へ上がる階段は、急勾配なのでロープが設置されている。

ロープをつかまりながら上り降りをしないと危険、現存する天守の中で一番勾配のきつい天守の階段であった。

天守2階から3階に上がる階段、垂直に近い急勾配の階段で、現存12天守で一番の急勾配、角度は67度ある。

上から見た階段、危険防止のためロープが設置してある。

天守最上階。

天守最上階に丸岡城の略年一覧表が掲示してあった。

天守最上階外側には、高欄(廻り縁)が造られている。

瓦は全国的に見ても珍しい石瓦で葺かれていている。(笏谷石・しゃくだにいし)で造られている。

これは、弘前城同様、冬季凍結を防ぐためだそうです。

伺ったのは、平成20年4月13日で、丸岡城さくら祭りが開催されており大勢の花見客が訪れていた。

天守には石落しと、鉄砲狭間の設備がしてある。長篠の戦以降火縄銃が主流となり、天守や櫓、続塀には鉄砲狭間が整備された。天守台の石垣は、荒々しい野面積の石垣であった。

この石碑は、徳川家康の家臣・本多重次が、三河の長篠の戦に従軍していた時、妻に宛てた手紙に関する石碑で、文中の「お仙」というのは、成重の幼名・仙千代のことであると記載されている。

天守台、石垣の角の所に碑があり、本田作左衛門重次が陣中から送った書簡文が碑面にある。簡明達意の文章として有名である。
「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」・・日本一短い手紙の元となった手紙文。

一筆啓上 日本一短い手紙の館は、「一筆啓上賞」の歴史と入賞作品を紹介する、手紙文化の発信拠点として活動されている。

  

丸岡城築城400年記念祭の石碑が建立されていた。

昭和25年5月30日制定された文化財保護法、全国の国宝・重要文化財指定の地には全て画像の表示板が開示されている。最上部の盃を三段重ねたマークが文化財保護法のシンボルマークです。

丸岡城には古い井戸がある。

井戸の由来を書いた説明版。

平成20年4月13日伺った時、丸岡城桜まつりが開催されており、画像のゲートが設置されていた。

残念ながら天候は曇天で、快晴であれば青空をバックに日本最古の建築様式である天守や、桜を撮る事ができたのですが残念でした。

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