本日(1月3日)午後、我が家の守護神社である日尾八幡神社に初詣に行って来た。
今年も松山は年末から気温は高く過ごしやすい年明けとなった。
私の正月の過ごし方は、毎年駅伝を見て過ごすのが恒例となっており、今年も元旦は、実業団駅伝、2日、3日は、関東大学箱根駅伝をTV観戦、今年の箱根は往路、復路も一昨年の様な体調を崩し大崩れする選手も無く無事終了。青山学院大の素晴らしい走り、3連勝を往復完全優勝で飾った。(往路・復路完全優勝3連覇は戦後初で、史上2回目の快挙とか!!)
昨年、駒沢大学の最終区の10区を、愛媛県立松山北高等学校出身の、中村佳樹選手が走り応援した。松山北高等学の前身は、北豫中学で、秋山好古校長が文武両道の教育を奨励した下地がある。そして私の親父が北豫中学で好古校長の教えを頂き、長男も松山北高等学卒業、そんな縁が有り中村選手を応援したが、今年4年生、駒沢大学の主力選手として活躍してくれると期待していたが、残念補欠になった。
しかし、愛媛県出身の学生3名が箱根で活躍し、中でも宇和島東高校出身で神奈川大学の2区を区間賞の快挙で走り抜けた「鈴木健吾選手」アッパレ!!であった。時間は、歴代8位の成績、来年4年生楽しみである。
また昨年は、日本大学女子駅伝大会で松山大学が初優勝、これもアッパレ!!
関東大学箱根駅伝に出た、元上武大学駅伝部監督、花田勝彦さんの苦言。
それは10区最終区を走った選手の髪型、あれはスポーツを志している選手とは思えない、もっとスポーツを行う人間として身だしなみを考えて貰いたい。
花田監督は、早稲田大学時代から見ている。早稲田三羽烏「武井・櫛部・花田」の一人で、今や指導者来年は、身だしなみも考え心技一体の選手指導をして予選会を勝ち抜き本戦に出て下さい。・・・ですが、最近の駅伝選手は、髪は「ボサボサ」監督、コーチは優勝を目指して指導オンリーで身だしなみの指導は行ってないのか?今年も東洋大学のアンカーの髪は「喝」だ。
さて、東京箱根間往復大学駅伝も終わり、昨年のお礼を心にして初詣に出掛けた。多くの氏子達が家族ずれで氏神様である「日尾八幡神社に来ていた。
愛媛県は、今年、平成29年9月30日(土)~10月10日(火)まで第72回国民体育大会が64年ぶりに開催されます。今年は県民挙げて歴史に残る開催盛会を祈り、今年も家族一同元気で過ごせますようにとお祈りをし、そして南海地震が起こらない事をお願いして帰った。
神社の所在は、松山市南久米町、旧国道11号線沿いに位置する。
神社入口に、注連石があり左に「魚躍」右が「鳥舞」で、書道家三輪田米山の揮毫である。米山は、日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男である。
また、東京都千代田区にある私立の中高一貫校、三輪田学園中学校・高等学校は、日尾八幡神社神官三輪田清政の3男、元綱の妻、眞佐子が明治20年(1887)開校した。眞佐子は、京都中条次郎の長女。
社号石 「県社日尾八幡大神」・注連石「鳥舞」「魚躍」は米山が揮毫したものである。
日尾八幡大神の神門。
日尾八幡大神の神門にある「社号額」で揮毫は、三輪田米山である。
米山は、この神社で生誕した。
注連石、鳥居を潜り神門左に大きな「忠魂碑」がある。
久米地区から出兵され、日清・日露・大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死された御霊をお祀りしている。建立は、昭和35年10月である。忠魂碑、忠霊碑、招魂碑等々は戊辰戦争時官軍として忠義のために戦い戦死した兵士の霊魂を祀る石碑で江戸時代にはなかった。大東亜戦争で戦死された御霊を祀ることは、戦後許されるのは、昭和27年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約以降である。この立派な忠魂碑、揮毫は誰がしたのか書かれていない。
忠魂碑裏面には、久米地区から出兵され、日清・日露・大東亜戦争で戦死された兵士の名前が刻印されている。
神門を潜り石段、147段を登り社殿に向かう。年配の方は途中で休みながらの初詣である。
石段の中程、左側に「黒田霊社」がある。
黒田霊社は、下記の事項にある「黒田九兵衛」を祭る祠である。
慶長5年(1600)9月15日伊予国の関ヶ原の戦いと言われる、刈屋畑の戦いがあった。
伊予史料叢書によると「佃次郎兵衛伊予国松前城を守る事」の項があってこの戦の展開振りを次の様に伝えている。「佃次郎兵衛十成は、加藤嘉明の先手の士の大将なり。関ヶ原の戦いの時、嘉明は伊予の松前を出て関東に打ち向かわれし、一成に堅固に守れと黒田九兵衛下知して松前に留守居たり。毛利輝元の命を受けた兵、村上掃部、能島内匠、曽根兵庫、宍戸善右衛門等、松前を取らんと支度しけり。能島村上は河野の一族なる故、招かざる人々従いなん。豫州を攻め取らん事・・とある。」刈屋畑の戦いは、激戦であり戦いは23日まで続き久米の如来院(現・松山市南久米町)まで及び佃一成はこの戦いで深手を負った。如来院には、平岡・村上連合軍が拠守した。嘉明の留守隊の隊将、は如来院を攻撃して陥れたが、九兵衛は壮烈な戦死を遂げた。村人達は九兵衛の死を哀れんで、その霊を祀るため黒田宮と称する小さな祠が日尾八幡神社の側に建てられてとあるが現在は見る事は出来ない。・・近年日尾八幡神社内に再建されたのが画像の祠である。
神門を潜り石段、147段を登り社殿に向かう。
147段の石段を上り拝殿に辿り着く、画像は日尾八幡神社の拝殿、本殿で、祭神は天御中主大神、天照皇大神、月夜見大神の神々が祀られている。
拝殿内部で、ある家族が祈祷を受けていた。
拝殿左側、春日大社入口には、おみくじを頂く特設を設置、今年の正月は気温が高く好天で巫女さんも楽であっただろう!!
カメラを向けるとポーズを取ってくれた。
おみくじを頂き、中を確認して、おみくじを結んでいた。
普段は開門してない社も正月は開門して参拝が出来る。
この社は「天照大神」の社殿。
本殿の中の西側にある春日大社の社殿で、ここも普段は戸が閉まっているが、正月は門は開けてあり中には入れないが拝む事が出来る。
今年も松山は年末から気温は高く過ごしやすい年明けとなった。
私の正月の過ごし方は、毎年駅伝を見て過ごすのが恒例となっており、今年も元旦は、実業団駅伝、2日、3日は、関東大学箱根駅伝をTV観戦、今年の箱根は往路、復路も一昨年の様な体調を崩し大崩れする選手も無く無事終了。青山学院大の素晴らしい走り、3連勝を往復完全優勝で飾った。(往路・復路完全優勝3連覇は戦後初で、史上2回目の快挙とか!!)
昨年、駒沢大学の最終区の10区を、愛媛県立松山北高等学校出身の、中村佳樹選手が走り応援した。松山北高等学の前身は、北豫中学で、秋山好古校長が文武両道の教育を奨励した下地がある。そして私の親父が北豫中学で好古校長の教えを頂き、長男も松山北高等学卒業、そんな縁が有り中村選手を応援したが、今年4年生、駒沢大学の主力選手として活躍してくれると期待していたが、残念補欠になった。
しかし、愛媛県出身の学生3名が箱根で活躍し、中でも宇和島東高校出身で神奈川大学の2区を区間賞の快挙で走り抜けた「鈴木健吾選手」アッパレ!!であった。時間は、歴代8位の成績、来年4年生楽しみである。
また昨年は、日本大学女子駅伝大会で松山大学が初優勝、これもアッパレ!!
関東大学箱根駅伝に出た、元上武大学駅伝部監督、花田勝彦さんの苦言。
それは10区最終区を走った選手の髪型、あれはスポーツを志している選手とは思えない、もっとスポーツを行う人間として身だしなみを考えて貰いたい。
花田監督は、早稲田大学時代から見ている。早稲田三羽烏「武井・櫛部・花田」の一人で、今や指導者来年は、身だしなみも考え心技一体の選手指導をして予選会を勝ち抜き本戦に出て下さい。・・・ですが、最近の駅伝選手は、髪は「ボサボサ」監督、コーチは優勝を目指して指導オンリーで身だしなみの指導は行ってないのか?今年も東洋大学のアンカーの髪は「喝」だ。
さて、東京箱根間往復大学駅伝も終わり、昨年のお礼を心にして初詣に出掛けた。多くの氏子達が家族ずれで氏神様である「日尾八幡神社に来ていた。
愛媛県は、今年、平成29年9月30日(土)~10月10日(火)まで第72回国民体育大会が64年ぶりに開催されます。今年は県民挙げて歴史に残る開催盛会を祈り、今年も家族一同元気で過ごせますようにとお祈りをし、そして南海地震が起こらない事をお願いして帰った。
神社の所在は、松山市南久米町、旧国道11号線沿いに位置する。
神社入口に、注連石があり左に「魚躍」右が「鳥舞」で、書道家三輪田米山の揮毫である。米山は、日尾八幡神社神官三輪田清敏の長男である。
また、東京都千代田区にある私立の中高一貫校、三輪田学園中学校・高等学校は、日尾八幡神社神官三輪田清政の3男、元綱の妻、眞佐子が明治20年(1887)開校した。眞佐子は、京都中条次郎の長女。
社号石 「県社日尾八幡大神」・注連石「鳥舞」「魚躍」は米山が揮毫したものである。
日尾八幡大神の神門。
日尾八幡大神の神門にある「社号額」で揮毫は、三輪田米山である。
米山は、この神社で生誕した。
注連石、鳥居を潜り神門左に大きな「忠魂碑」がある。
久米地区から出兵され、日清・日露・大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死された御霊をお祀りしている。建立は、昭和35年10月である。忠魂碑、忠霊碑、招魂碑等々は戊辰戦争時官軍として忠義のために戦い戦死した兵士の霊魂を祀る石碑で江戸時代にはなかった。大東亜戦争で戦死された御霊を祀ることは、戦後許されるのは、昭和27年4月28日発効のサンフランシスコ講和条約以降である。この立派な忠魂碑、揮毫は誰がしたのか書かれていない。
忠魂碑裏面には、久米地区から出兵され、日清・日露・大東亜戦争で戦死された兵士の名前が刻印されている。
神門を潜り石段、147段を登り社殿に向かう。年配の方は途中で休みながらの初詣である。
石段の中程、左側に「黒田霊社」がある。
黒田霊社は、下記の事項にある「黒田九兵衛」を祭る祠である。
慶長5年(1600)9月15日伊予国の関ヶ原の戦いと言われる、刈屋畑の戦いがあった。
伊予史料叢書によると「佃次郎兵衛伊予国松前城を守る事」の項があってこの戦の展開振りを次の様に伝えている。「佃次郎兵衛十成は、加藤嘉明の先手の士の大将なり。関ヶ原の戦いの時、嘉明は伊予の松前を出て関東に打ち向かわれし、一成に堅固に守れと黒田九兵衛下知して松前に留守居たり。毛利輝元の命を受けた兵、村上掃部、能島内匠、曽根兵庫、宍戸善右衛門等、松前を取らんと支度しけり。能島村上は河野の一族なる故、招かざる人々従いなん。豫州を攻め取らん事・・とある。」刈屋畑の戦いは、激戦であり戦いは23日まで続き久米の如来院(現・松山市南久米町)まで及び佃一成はこの戦いで深手を負った。如来院には、平岡・村上連合軍が拠守した。嘉明の留守隊の隊将、は如来院を攻撃して陥れたが、九兵衛は壮烈な戦死を遂げた。村人達は九兵衛の死を哀れんで、その霊を祀るため黒田宮と称する小さな祠が日尾八幡神社の側に建てられてとあるが現在は見る事は出来ない。・・近年日尾八幡神社内に再建されたのが画像の祠である。
神門を潜り石段、147段を登り社殿に向かう。
147段の石段を上り拝殿に辿り着く、画像は日尾八幡神社の拝殿、本殿で、祭神は天御中主大神、天照皇大神、月夜見大神の神々が祀られている。
拝殿内部で、ある家族が祈祷を受けていた。
拝殿左側、春日大社入口には、おみくじを頂く特設を設置、今年の正月は気温が高く好天で巫女さんも楽であっただろう!!
カメラを向けるとポーズを取ってくれた。
おみくじを頂き、中を確認して、おみくじを結んでいた。
普段は開門してない社も正月は開門して参拝が出来る。
この社は「天照大神」の社殿。
本殿の中の西側にある春日大社の社殿で、ここも普段は戸が閉まっているが、正月は門は開けてあり中には入れないが拝む事が出来る。