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紀行&散策を画像を交えた紹介です

久米地区の神社探訪その4・東山神社 南久米町

2015年06月26日 | 伊予松山歴史散策
東山神社
所在地:松山市南久米町426番地付近
境 内:322坪(約11アール)往古の時代には古墳地であったと言われている。
祭 神:石巣彦命(イワスヒコノミコト) 石巣比売命(イワスヒメノミコト)のご夫妻
由来沿革:上古の時代、大麻の金人が波多の石人を連れてこの地に来て乱暴を働き、土地の人々を悩ました。この時に天の神が石巣彦、石巣比の二人の神に命じて平げさせたと言う。後にこうした古い言われの地であるのでここに神社を建てた。元久年間(1205年頃、鎌倉幕府第3代将軍、源実朝の時代)白石家員が社殿を再建し神田を寄進したと言う。また昔、石鎚神社より祭神を勧請しこの地の鎮守としたので、社名を「東山神社」と名付けたとも言われる。本社には、奈良原社、恵比寿社、若宮社、金毘羅社の4社が境内末社として祭られている。奈良原社の祭礼には、子供相撲が賑やかに行われたり、浪曲等が演じられ民が楽しんだとある。また東山神社は古墳があった所と言われているが、現在はその跡は見当たらなく、神社近くの民家にも屋敷に古墳が残っていたそうだが、多くは壊されてしまってその気配は全くない。明治43年6月、愛媛県告示によって、神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)を供進する神社に指定され、例祭日には久米村長が参向した。
次回は、南久米町と隣接する、来住町に鎮座する、軍ヶ森神社を探訪する。


東山神社正面入口、境内は広い社である。
神社の鳥居には、昭和14年10月、陸軍中将 烏谷 章、謹書と揮毫されている。


拝殿。


拝殿内部で、何故か蛍光灯に灯がついていた。
沢山の絵馬が奉納されている。


拝殿左手に献句がある。奉納は、昭和58年秋に、ゆゐるぎ吟社奉納と記してある。


拝殿裏にある本殿。


本殿左にある四社の末社がある。
末社は、左から、奈良原社、恵比寿社、若宮社、金毘羅社。


東山神社正面入口にある、社号碑、揮毫は三輪田米山で明治36年6月建立と刻まれている。


境内にある御神木、楠の左に「紀元二千六百年記念」と揮毫した石碑がある。石碑の文字は風化が激しく判読困難。
註:紀元二千六百年記念行事とは、昭和15年(1940)11月10日に神武天皇即位紀元(皇紀)2600年を祝った一連の行事を指す。


御神木「楠」。松山市指定保存樹木に指定されている。
根回り8,5mで幹は二つに分かれていて、南側が3,2m、北側が3,6m、高さは、17mと19m、推定樹齢は350年、樹勢旺盛である。昭和52年12月27日、松山市保存樹33本の中の1本に指定され、協定番号第18号、久米地区に現存する代表樹木で重量感に満ちている。
また、東山神社を、松山市景観樹保護地区として、昭和53年4月25日に指定され指定番号は第20号である。


松山市景観樹保護地区として、昭和53年4月25日に指定された表示板。

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