EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山秋祭り始まる 道後湯之町の大神輿

2014年10月05日 | 伊予松山歴史散策
松山地方の秋祭りが5日から始まった。6日宵宮、7日本宮祭りである。
今日は道後温泉ガイド当番、道後温泉観光会館で予約の団体観光客を待った。観光会館前には道後八町会所属の神輿、道後湯之町大神輿と大勢の舁夫達が集合して、7日本宮で行う鉢合わせの準備をしていた。町内の役員や神輿頭取から町内の神輿の巡行について、そして本宮での鉢合わせくれぐれも怪我の内容に気を付けて等々の注意事項をした後に神輿は、本宮で巡行が出来ない個所を巡行に出掛けて行った。
本日、ガイドをした10名の団体さんは、全員女性で元教職員で、東京・名古屋・京都・奈良から、元学友の旅とか、7日の大神輿の鉢合わせを是非見たいと言っていた。


舁夫達が親棒に綿の白布を丁寧に巻いていく。


巻き終えた親棒。


大神輿頭取の注意事項。


神輿を巡行する役員の紹介。


町内会の理事が今年も無事に巡行・鉢合わせが出来、怪我のない様お願いしますと挨拶。


さー巡行開始先ずは幟が先頭を行く。


その後に大神輿が続く。


大神輿は、1トンを超える重さがあり、その重さが舁夫の方にのしかかる。
湯之町の大神輿は、道後温泉を中心とする町の神輿で、3年前の平成23年に現在の神輿を新調した。


ワッショイ ワッショイ ワッショイ ワッショイ巡行行って来ます。
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夕焼けに鎌を研げ

2014年10月05日 | 伊予松山歴史散策
夕焼け

夕焼けは空や山々、町並みを赤く染めあげて美しいものであるが、明るい昼間の時間が終わり暗い夜がやって来る合図でもあり、比較的短時間で終わってしまう現象である。そのため夕焼けの情景は文学や楽曲、映像作品において儚さやせつなさ、悲しさ、寂しさ、別れ、衰退や没落、老いや近づく死などをあらわすものとして用いられる。また、夕焼けは一日の労働の終わりを象徴するものでもあり、俳句においては、「夕焼け」は「朝焼け」とともに夏の季語であり、秋の夕暮れを詠むときは「秋の夕焼け」などとする。
夕焼けに関して、古来より「夕焼けの翌日は晴れ」ということわざがあるが、これは比較的正しいと言える。日本上空では、偏西風の影響により雨雲は南西から北東へと移動していく。そのため、夕方に西の空が晴れ渡った夕焼けの翌日に、雨雲が来る可能性は低くなるからである。
古来日本には、「夕焼けに鎌を研げ」と言うことわざがある。夕焼けの翌日は晴れる事が多いからこ「夕焼けに鎌を研げ」と言われた。これは夕焼けがでると晴れるため、翌日の農作業に備えよという意味である。
最近の農家さんは、稲の刈り取りはコンバインで行うから鎌を研ぐことなど無くなり死語になった。
また、日本の夕陽百選:特定非営利活動法人日本列島夕陽と朝日の郷づくり協会(平成15年8月1日)が選定する、夕陽の名所として愛媛県では、伊予市:恋人岬、上灘漁港が百選に選定されている。そして夕やけプラットホームコンサート(9月第1土曜、JR下灘駅)で行われている。


昨日(10月4日)夕食を取っていると西の空が異様に赤く染まったので慌ててカメラを取り出しシャッターを切った。・・少し露出補正をマイナスにして撮った。時間は午後6時08分。










夕焼けになる前午後5時43分に撮った石鎚山(西日本最高峰・1982m)方向は東だから夕焼けにはならない。朝焼けにはなるが。久しぶりに雲の合間から見えたので撮ってみた。
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