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松山市内の銅像巡り1 加藤嘉明騎馬像

2014年04月22日 | 伊予松山歴史散策
加藤嘉明騎馬像

松山の礎を築いた豊臣秀吉恩顧の武将、賤ヶ岳七本槍の一人加藤嘉明。
嘉明は天正13年(1585)の四国攻め、天正15年(1587)の九州討伐、天正18年(1590)の小田原征伐などに水軍を率いて参加、それらの武功から、天正14年(1586)に淡路志智城1万5,000石を与えられ、初めて大名となる。
文禄元年(1592)文禄の役で瀬戸内水軍を統率して朝鮮出兵、その功績により、文禄4年(1595)に、伊予国正木城(松前城)6万石を与えられている。その後、慶長の役においては、朝鮮水軍を壊滅させ、蔚山城の戦いで明水軍の包囲攻撃を受け篭城し、食糧の欠乏に苦しんだ加藤清正を救援するため救援に赴き、嘉明はこれを打破、清正を救助しその戦功により10万石に加増された。
そして慶長4年(1600)9月15日、関が原の戦いに東軍の武将として参戦し、東軍勝利の武将として武勲をあげ、その功績を認められ伊予国半分20万石を家康から拝領、家康の許可を得て、慶長7年(1602)1月15日、新たな城を築城開始、同8年10月に嘉明は家臣および正木(松前)の住民とともに居を新城下に移し、ここに松山という名称が公にされた。これが現在の松山市の基礎である。


松山の開祖である加藤嘉明公の銅像が平成22年に松山中央ライオンズクラブが騎馬像を建立した。もっと早く松山の関係者は銅像を建立して嘉明公を顕彰すべきであったと思う。




建立場所は、大街道三丁目、ロープウエイ駅舎横にある。






騎馬像の台座に建立年と、彫刻家の銘が刻印されている。
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