EEKの紀行 春夏秋冬

紀行&散策を画像を交えた紹介です

松山お城まつり

2014年04月08日 | 伊予松山歴史散策
松山お城まつりは、松山城小天守の復元完成を祝い、昭和42年から始められた行事で、「大名・武者行列」をはじめ、野球拳等々市民参加による華やかな催し物が市内中心部で3日間にわたって繰り広げられている松山市の大きな行事の一つのお祭りで、開催日は、毎年4月第一金・土・日曜日に行われております。
昨日のお城まつりは、大名・武者行列は、午前11時40分にロープウエイ山麓駅舎前を出発予定でありましたが、急に鉛色の雨雲が発生し、時折雷鳴が轟く降雨になり心配しましたが、10分程で天候は回復し大名・武者行列行は予定通り行われました。伊予松山城は、初代城主、加藤嘉明、二代目が、蒲生忠知(がもうただちか)、三代目が、松平定行で、以後維新まで松平が治めて来ました。
昨日は、お姫様役に、モデル・女優のスミレさん(松原すみれ)が扮装され。スミレさんの周りは、黒山の人だかりでした。また外国から来られた観光客は、江戸時代の豪華絢爛な時代絵巻を楽しまれていました。そして松山市はドイツのフライブルク市と姉妹都市として締結していまして、フライベルク市の市長さんも來松されており楽しげにご覧になられました。
画像は、4月6日撮影しました。


平成26年松山春祭りのポスター。


大名武者行列の出発時間時に、急激に天候が悪化して(雷鳴交じりの降雨)行列の進行が出来るのか心配しましたが画像の様な天候に、これまた急転換して無事行われ関係者は、胸を撫で下ろしていました。


慶長8年10月松前((正木)城時代の家臣と住人共々居を新城下に移すこととなり、ここに松山という名称が公にされました。これが現在の松山市の始まりでした。


松前(正木)城から、新城下に移すこととなった時の行列か??


初代伊予松山城主、加藤嘉明に続いて、お姫様役を演じる「すみれさん」の山車が続く。・・観衆は一目見ようと大喝采。


お姫様役に、モデル・女優のスミレさん(松原すみれ)が扮装され。スミレさんの周りは、黒山の人だかりでした。


お姫様役に、モデル・女優のスミレさん


行列の終盤、千舟町では演武がありました。皆さん方はプロの方で、かなり見応えのある名演技でした。


斬られ役も、斬るほうもなかなか迫力のある名演技、見物者から大拍手が起こった。


伊予松山第二代目城主、蒲生忠知(がもうただちか)の行列。蒲生忠知は、加藤嘉明が会津に転封した後、寛永4年(1627)出羽国の上ノ山城主4万石から24万石の大大名として伊予松山城主となった。蒲生氏郷の孫である。
なお、初代加藤嘉明は20万石、三代目松平定行からは15万石となり、以後維新まで石高は変わらなかった。
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