一時帰宅を知らされた時「正月はゆっくり過して学校が始る寸前に戻ったら」と進言したが、少しでも子供達を守りたいとの旦那の考えで28日までの滞在予定だった。しかし、愛実の同級生達との交流消化しきれず、乗車券の変更も出来たので、予定より2日遅れて16:23発やまびこ146号で再び自主避難先の宇治市へ向った。
孫達は京都府で実施した甲状腺被曝検査では3人がA2判定で、愛実はのう胞が3個も見つかった。何のために自主避難したのか、何しろ水素爆発した翌日には放射線量が福島市内は県内一高かった(後日発表)のだから、スピーデーデーターの隠匿は重大な犯罪だ。若し発表され的確な指示もあれば休校とか、また市民も水を求めて、或いは食料調達に長時間野外の行列にも並ばなかったはずだ。爺達は先も無いし影響も無いと云うからどうでも良いが、孫達や次世代を担う若者達が心配だ。
民主党には貧乏クジを引いてしまった事に同情すらしてしまうが、今度は自民党が自ら推進して来た原発の事故処理だ。早くも再稼動や建設工事再開の物騒な発言も聴こえて来るが、福島第一原発の現状から被害者としては絶対容認する事は出来ない。
しばらくぶりに孫達と逢えて嬉しかったはずなのに、何故か虚しさだけが残ってしまった10日間だった。涙がこぼれる“原発は憎い!”