ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

再び宇治市へ自主避難

2012年12月30日 | 撮影編集孫専科
  
                      
  
                      
一時帰宅を知らされた時「正月はゆっくり過して学校が始る寸前に戻ったら」と進言したが、少しでも子供達を守りたいとの旦那の考えで28日までの滞在予定だった。しかし、愛実の同級生達との交流消化しきれず、乗車券の変更も出来たので、予定より2日遅れて16:23発やまびこ146号で再び自主避難先の宇治市へ向った。
孫達は京都府で実施した甲状腺被曝検査では3人がA2判定で、愛実はのう胞が3個も見つかった。何のために自主避難したのか、何しろ水素爆発した翌日には放射線量が福島市内は県内一高かった(後日発表)のだから、スピーデーデーターの隠匿は重大な犯罪だ。若し発表され的確な指示もあれば休校とか、また市民も水を求めて、或いは食料調達に長時間野外の行列にも並ばなかったはずだ。爺達は先も無いし影響も無いと云うからどうでも良いが、孫達や次世代を担う若者達が心配だ。
民主党には貧乏クジを引いてしまった事に同情すらしてしまうが、今度は自民党が自ら推進して来た原発の事故処理だ。早くも再稼動や建設工事再開の物騒な発言も聴こえて来るが、福島第一原発の現状から被害者としては絶対容認する事は出来ない。
しばらくぶりに孫達と逢えて嬉しかったはずなのに、何故か虚しさだけが残ってしまった10日間だった。涙がこぼれる“原発は憎い!”

年越しそば

2012年12月30日 | 手打ち蕎麦打ち
            
今年は千葉の甥子へ送る約束をしてしまったので例年より1日早く朝7時半からスタートした。
リホームが済んでもう5~6年かな、汚れも目立って来たのでもう青シートのカバー(粉末飛散汚れ防止)も必要無いのだが、何しろ主婦の城を短時間とは云え占有してしまうので、年々手抜きはしているが、今年もクレームの付かない程度に養生した。
福井県産の粉で“二八”2Kgと“ゆず切り”1Kgを打った。“ゆず切り”は地元の完熟した信夫山のゆずが放射能汚染出荷停止で使いないのが何とも残念で、唯一入手可能だった高知産を使った。
リホーム以前にはテーブルも置いてあったので作業条件には結構恵まれていたが、今は床上で“水回し”と“練り”は会津地方のお婆さん達と同じ手法で、“延し”と“切り”はシンクの上だ。こんな悪条件にも慣れてしまったが、結構時間は要して全て終了、台所として復元出来たのは12時も過ぎて1時近くだった。