ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

研究会

2012年12月08日 | 手打ち蕎麦打ち
            
6月秋田市で開催された“DXを肴にして語る会”で、Iさんから「ゆずそばまた食べたいなー」とリクエストがあり、今日ようやく要望に応じる事が出来た。
通常は決して望んでいる訳ではないが、最終順に打つ事がすっかりあたり前になり、何時も撤収を横目に慌しく雑になっていたので、今日はまともに仕上げる必要があり一巡目に打たせてもらった。
“ゆず切り”は完熟した地元信夫山のゆずで打った物が一番美味いと自負していたが、今年も放射能汚染で出荷停止になり高知産を使った。正式には更科粉(そばの実中心部分の粉で無味)で、主に喉越しを味わう“更科そば”におろし金でゆずの皮を擂りおろして練り込む“茶そば”同類の変りそばの一種だが、けっこう粒子が荒くて上手く行かなかったので、邪道を承知で、以来自分はすり鉢で丹念に擂りおろしている。また練り込む量もこれまでの体験から粉の量の一割、加水量(熱湯)は50%-ゆずの量が適量(湿度により若干のふり水)で、ゆずは加水後のパン粉状になった“つぶし”の工程で加えて練り込み、打ち上がりの麺は質・香り共に良好に仕上がる。
精神的な余裕もあったので順調に仕上がり、今回もIさんの期待には充分に応えられると確信した。
            
研究会の後、忘年会を兼ねた学習発表会の反省会が18時から駅前の魚民で開催された。研究会への参加者は8人も、ここでは21人の大盛況だった。店の制約で三卓に別れて詳しくは分からなかったが、何時ものそば談義は陰を潜めてもっぱらヨモヤマ話に終止。ほぼ全員はそば打ちだけでなく各方面でもお楽しみの様子だった。自分は原発事故放射能汚染で“素人百姓小作人”と“孫専科”を失ってしまい、その代償はまだ見つからない。