ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

一時帰福

2012年12月21日 | 原発事故
  
                    
19;23着やまびこ215号で宇治市に自主避難している孫達が避難後初めて一時帰福した。
「旦那が迎えに出るので余計なお世話は無用だ」と婆さんの忠告を無視して、一時帰福の第一歩を記録に残す目的もあって、爺は待ちきれず到着ホームで待ち受けた。何番目に降りて来るかシャッターチャンスを待ち構えていたら何と一番目に下車、フイルムカメラに無いシャッタータイムラグもあって一枚目は手ぶれ?もあってピンボケだった。
風邪もひいていないと云うのにマスクをかけて、「風邪ひいているの?」と問いかけたら大翔は「放射能」と一言、避難以前も姉弟一神経質でマスクは絶対に外す事は無かったし、まだ二人と共に娘の疑念も晴れていないのが何とも辛かった。“原発は憎い!”
  
                    
皆写真やSkypeでは伺う事が出来なかった驚くほどの生育ぶりで、女組はあい変らず福島弁で男組は関西弁混じりも、自分の老けも顧みずただ感心するばかりだった。
爺特製のカレーライスと冬至かぼちゃで夕食後には爺と一緒に入浴。以前は遊び場でもあったが、長旅の疲れか爺との洗いっこを済ませた後は睡魔も襲い、10時半過ぎには素直に睡眠。女組は自分が寝た後の11時頃だったらしい。