ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

NFDXG月例会

2011年07月16日 | アマチュア無線
            
以前にも紹介したがNFDXG(Nohern Fukushima DX Gang)は仮称で北福島飲兵衛ギャングが正式だそうだ。DX(海外通信)愛好者の集団に変りはないが「来る者拒まず、去る者拒まず」の全く出入りが自由な会則も規則も無い好者同士の飲み会で、自分はリタイアー後にJH7DHSさんに誘われてもう10年も過ぎた。第2土曜日開催も最近は第3土曜日が多く、18:00JST~各自好きな時間までと居酒屋の座席までもしっかり定着してしまった。
こんな気軽な会なので、三度原発事故取材応援で福井(前回までは名古屋から)から来ているJA9LSZさんをお誘いしていたが、17:30頃肉牛内部被爆拡大で取材先の喜多方から「何時に帰れるか分らない」と電話が入り、残念ながら同行は叶わなかった。
昔から10mや6mに拘っている仲間も多いので、6mマンとして実績のあるLSZさんは、今の6mのBest Condxと合せても最高のスペシャルゲストだったし、仲間には通告無しに演出を図ったが、折角のチャンスは生かせなかった。
JG7HRZさんが「全国版ブログだから」と個人情報公開(顔出し)を提案、みんな反対も無く店員の撮影に応じたので左かJA7PEM,JM7OLW,JH7RTQ,JH7BAY,JA7PL,JG7HRZ,JR7CJSの各局。自分とPEMさん以外はみんな現役で、今回は前回以上に原発事故関連の話題に集中して、無線の話題はごく僅かの5%ほど。それぞれの立場で知り得た情報の満載で、しかも現役ならではの、中には裏情報もあって、原発事故の現状は自分の認識をはるかに超えるものだった。
そんな事からも孫達の避難娘の決断は正しく、自分の阻止行動が今朝に遅らせてしまった事が、後に重大な後悔にならなければとただ念じながら帰宅した。

原発事故14

2011年07月16日 | 原発事故
            
“難民”の熟語は日本人には該当せず絶対にあり得ないと信じていたが、孫達は放射能汚染自主避難者として、今日から京都府の支援を受けて、宇治市にある府職員住宅で“難民”として生活するため、8時59分の新幹線で出発した。
毎月6日16日26日には郡山駅前から京都府の無料定期バスが運行されていて、これを利用する心算だったらしいが、長時間の乗車は孫達には酷と考え、爺婆のささやかな気配りで新幹線に変更させた。
同じ自治会(市営住宅)から同時に愛実の同級生家族がバスで、また24日には里菜の同級生家族が、みんな同じ住宅へ入居して学校も同じ。今までと同じ小規模校の一学年1~2クラスらしいので、それぞれが同じクラスへなんて配慮があれば嬉しいが・・・果して?
 
            
                      
春の連休期間中にはデズニーランドを組入れた関東方面避難家族旅行をしたが、大翔と竌斗はそんな旅行の再来気分で乗車して行った。
避難受入れ期間は原子炉冷温停止までだったが、渡利、大波地区の避難勧奨指定目前の福島市汚染度の深刻さから、除染作業の進行に合せて更に延長して平成25年度までになったそうだ。ただただ京都府政の英断には驚きと感謝あるのみだが、福島市長には爪の垢でも飲んでもらって、こんな異常な生活は一刻も早く解消してもらいたいと爺は念願するばかりで涙が止まらない。原発は憎い!!

早朝散歩

2011年07月14日 | 原発事故
 
            
                    
原発事故放射能汚染で休止していた運動不足解消の早朝散歩を三日前から再スタートした。
4時起床、お茶を飲みながら無線を聴き4時半スタート。体調と相談しながら40~70分、左膝を痛めてからは阿武隈川土手から荒川運動公園グランドに変更したが、事故以後全く利用されなくなってしまったグランドに立ち入る気分にはなれず、初日は街中を巡って来た。昨日は土手を、そして今日は意を決して線量計を携帯して全コースを腰の高さ90cmで歩きながら測定して来た。
土手アサファルト面は1.4~2.7μSv/h、グランド土地面は2.3~3.5μSv/hで何れも雑草の多い所ほど高く、家から土手へ出る途中の道路も住宅地の植木庭に面した所ほど高く0.8~1.9μSv/hだった。橋の所は変動が激しく水面の所は0.3μSv/h位で、土面、雑草地の順に高くなる。自宅外周りの測定結果と合せても、福島市内の放射能汚染度は保健センターで毎時測定されている公式発表の1.2±μSv/hは市内の平均値として信頼出来る様だ。
この値は精神的にも決して安心とは言えず我が散歩コースは街中へ、ジョギング専用の靴を着装していても膝が何時まで耐えられるか心配だ。それにしても以前は10人前後顔を合せた散歩人も初日は3人、昨日1人、今日は3人でみんな被爆を恐れての事だろう。
大手の新聞には「安物の線量計(中国製4~5万円、現在も国産品は品薄で素人にはこれしか入手出来ない)を買って一喜一憂している庶民は滑稽だ」と掲載されていたそうだが、精度が低い粗悪品と分っていても、お上があてにならない現状では、何と批判されてもささやかな庶民の自己防衛は悲しい現実なのだ。原発は憎い!

とうもろこし

2011年07月12日 | 男の料理
            
例年なら自家栽培の採りたての新鮮な美味しい物が食べられるのだが、今年は放射能汚染で一切口にしない事にしたので、旬の味は近県産も回避して北海道産を求めて味わった。
旨味が最も蓄積した日の出前に収穫して5時間以内が一番美味しく、それ以降は旨味も栄養も低下して24時間で半減してしまうそうだ。そんな旬の不味いとうもろこしを加工して味わった。加工と決めたがあては無く、困った時のWeb検索で「とうもろこしご飯」に決まった。醤油・塩・酒を加え、炊き上がったご飯に、生のとうもろこしを包丁で実をそぎ落し細かくたたき、バターも加えて混ぜ合せ蒸らして完了。口いっぱいに広がる甘い香りが、新鮮さを失った物とは思えないほど満足、何とも不思議だった。
            

郡山青葉教室51回目

2011年07月10日 | 手打ち蕎麦打ち
            
前々回見学に来たNさんが今日からスタートした。見学した時先生の説明は全て終えていたので即実践となり、巡り合せで今回も自分がお世話する事になった。何時も反省してしまうが、初めはそば打ち体験教室程度から入って徐々にレベルを上げれば良いらしいが、気が付けば何時も自分は相手の理解度を確認しながら進めてしまうので、今回も大幅に時間を要して最終工程“切り”に入った時は全員が去り一人舞台だった。初回のまとめもあったので“切り”は先生にお願いした。
  
                    
前回まで“茶そば”を打った人は“よもぎそば”に挑戦した。若干季節外れの感もあるが抹茶同様に製菓用に“よもぎパウダー”が市販されているので、季節に拘らず年中打つ事が出来る。“よもぎそば”は茹で上げた時の香の退化も少なく、自分では“茶そば”よりも美味しいと思う。私的な変りそばのランク付けは“柚子切り”“よもぎそば”“茶そば”の順。

研究会

2011年07月09日 | 手打ち蕎麦打ち
            
早朝からここ福島バカ盆地特有の今年一番の蒸し暑さになった。幸い今日も一番乗りしたので室内空調をとりあえず22℃にセット、実質室温は26℃ほどの快適な環境で進める事が出来た。
参加者は11人だったが、土・日曜日ご奉公中のKさんが珍しく参加、また後半に渡辺さんから開始前に告知のあった珍客のK・Tさんが現れた。
K・Tさんは青葉教室の卒業生で自分とは1年ほど同窓生として、また講師を務め始めた頃には、手先ではなく口先で打つ名物自主留年生として教室を賑していた。自分が知る限り、何時も誰か(講師)の手助けに頼り自力では打てなかった様で、渡辺さんも「折角来たのだから自分で打って」と勧めたが「二年も打っていないから」と固辞。結局空身で帰ったが、どうやら次回にはメンバーとして参加?の様子も伺えた。
青葉教室でも毎回かく乱されていた雰囲気は否めなかったので、当研究会、若し彼女が加入なんてなったら、一体どんな事になるやら心配は自分1人ではなさそうだ。仲間が増える事は歓迎だが、ここは自力で打てる事が最低条件なのでみんな同感だろう。
            
薮内さんの“水回し”後半、模範的な出来栄えで進行中。
今日の粉は会津産在来種の挽きぐるみ。この時期にしては香も予想以上に放って粘りもあり“旨いそば”が出来上がると期待したが、茹で上がりは残念ながら“並のそば”だった。

JARLフイールドチェック完了

2011年07月08日 | アマチュア無線
            
6日午後JARLに発送したDXCCフイールドチェック、脅威的なスピードで処理されて今日返送されて来た。
毎回迅速に処理されて、初回などは書類不備で返却されたと思ったほどで、何と今回は3日間の新記録。JARL職員では複数業務担当が一般常識なので、担当者は専従のボランテアが常駐と推察したが、真相は?何れにしても早い事は大歓迎で有難い事だ。

七夕お遊戯会

2011年07月07日 | 撮影編集孫専科
孫達の通園するみその幼稚園の“七夕お遊戯会”が開催された。12月の“クリスマス祝会”とともに日曜日開催が恒例になっていたが、前々回から父母の参観者が激増して会場整理にも混乱を招き、今回は父親の不参観を狙って、開園以来初めて平日にしたそうだ。
観客席のパイプ椅子も一列減らされて、最後列撮影場所の前も椅子の分だけ空白が出来て通路も確保された。一時間前から並んだので、今回も苦労せず舞台センターのベストポジションを確保した。撮影者は少し減った程度で相変らず満杯。開演直前に少し心得があるらしき父親が自分の三脚の全面に立ち手持ちの撮影準備を始める。しかも背の高い人間で、肉眼では舞台が完全に塞がれてしまったので、先ず穏やかに片足分だけ空ける様にお願いした。「レンズ前は塞がないから大丈夫でないの?」と、みんな園のお達しを守って一列に並んでいるのに一人だけ飛び出て、しかも人の邪魔をして。何とか片足分だけ空けてもらい肩越から舞台を覗きながら、通常とは余にも大きな違和感を抱きながら撮影した。これまでも毎回こんな馬鹿親が必ず居て本当に困ってしまう。基を正せば自分達世代の親の責任で、躾けが悪かったシッペを反省した。
開演前には園長の挨拶があった。挨拶の中心は矢張り原発事故被害「園児の二割ほどは自主避難者として退園、特に私立幼稚園には国や県、市も何も手を差延べてくれない」と怒っていた。
自分の孫も13日に退園して16日宇治市へ自主避難するので、孫専科の撮影もこれが最後になってしまった。
  
             
                    
年長うちゅう組の大翔は舞踊劇『オズの魔法使い』の魔女役を務めた。人数が多いので全員が2人一役を演じ、相方と比べて大分見劣りしたが、芸事は間違いなく爺のDNAがしっかりと引継がれて、何ともたどたどしく見劣りがした。
  
                    
  
                    
年中ピーチ組の竌斗は遊戯『ゆめいっぱい』を踊った。若し来春にも原発が冷温停止すれば年長組への復園もあるが、爺は再びこの舞台で演じる事を念じている。
【画像はminDVからコピー】

DXCC追加申請

2011年07月06日 | アマチュア無線
            
今春PJ7をGetして#1DXCC復帰への念願も叶わず、JARLのフイールドチェックを利用してPJ2,PJ4,PJ6のNew EntityとDXCC Challengeの追加申請をした。
JARLの手数料はチェック項目197QSOで¥2,000とQSLの返送込み郵送料¥1,200は若干高いかなと思ってしまうが、ARRLへ直接申請した場合とほぼ同額で、何よりも往復の航空便事故等から回避出来るのが有難い。
10月末頃には認証結果が返送されるので楽しみだ。

豚バラと豆のパスタ

2011年07月05日 | 男の料理
            
最近はすっかりパスタにはまり週一回ペースで各種挑戦中だ。キッカケはカレーの固形ルー同様、これまで食べさせられていたパスタの多くは既製品のソースを使った紛い物。メーカーは異なっても一定の味を超える事は無く、正直“不味い”のだ。
自分が料理を始めた訳はタダ「口に合った旨い物が食べたい」一心で何とも不謹慎極まりないが、物によっては孫達からも好評を得ているので、今日は孫達の好きなマカロニグラタン同類?のペンネを使ったパスタに挑戦した。
このレシピはTV「おしゃべりクッキング」で入手。豚バラブロックを1cm角の棒状(ペンネのサイズ)に切り、焦げ目をつけて香ばしさを出し、白いんげん豆と一緒に、ニンニク・玉ねぎ・人参・トマト水煮を合わせてソースを作り、茹で上がったペンネを加えて弱火でからめ、火を止めてパルメザンチーズを加えて完成。
レシピでは白いんげん豆は水煮缶。手にはいらなかったので乾燥豆を使い調理時間は豆の処理時間をプラスすると8時間もかかってしまった。水煮を使っても結構手が込んで時間はかかるが、ペンネに隠れたいんげん豆と豚バラのさり気ない食感は旨味になり、ワインとの相性も良く十分に満足した。
孫達は10日後には京都宇治市に原発冷温停止まで自主避難する。最長期限は二年間と京都府からの伝達だ。福島市内の状況は悪化をたどる一方に、京都府の更なる理解は電化製品一部支給が全支給と昨日通達されたそうだ。冷蔵庫やテレビのレンタルも解消、ほとんど空身での避難が実現する。他府県の住人をこんな形で支援受入れる自治体は他にも数多くあり、何とも感謝の言葉も見つからない。それに反し県、特に福島市の対策は一体どんな形で進行しているのか、市民には全く伝わって来ない。
噂話に尾ひれはつき物だが、市長はいち早く米沢へ雲隠れして一週間後に登庁と伝え聞く。側近達も無能では市民は何とも困ってしまう。