ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

原発事故15

2011年07月20日 | 原発事故
            
日頃は全く必要を感じなかった携帯電話っも、3.11震災直後には有効に活用した。抵抗する意図もあって電話以外の操作は拒否していたが、避難先の娘からの要請もありメールも始める事にした。
こんな形で毎日様子を知らせて来るが、支援先の京都府では困っている事や必要な物は無いかと頻繁に問いかけて来るらしい。子供の自転車を依頼したら新品の自転車が届いた様だ。
昨日は入学手続へ。前と同じ小規模校で各学年2クラスで愛実も里菜も2組へ編入、愛実は再び龍生君と同クラス。校長や担任の先生も大変親切で安心したと知らせて来た。
福島市は自主避難者には「どうぞ勝手に」と去る者拒まずで何とも冷たい。こんな危険極まりない市内にも多数の指定避難者が安住の地と錯覚してか、県や市が準備した住宅に入居しているが、それらの支援体制は全く聞こえて来ない。それに反して他県は、特に京都府は申し訳ないほど親身に対応してくれるそうで「甘え過ぎるな」とだけ忠告した。自分はただ感謝あるのみだが、原発は何とも憎い!