ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

青葉教室7回目

2008年07月19日 | 手打ち蕎麦打ち
朝から福島馬鹿盆地特有の暑さとそれに今日から三連休もあってか受講にも欠席者が多く、通常の芋洗い状態からお互いに解放されて理想的な鍛錬の場ではなかったかと思う。珍しくこの教室には30歳そこそこの男性が二人居て、あまりの上達さに脱帽してしまった“プラモデルオタク”と自ら名乗った青年は以前紹介したが、今日は別の青年を初めてお手伝いした。“二八”を打ったので、まだ日が浅い事は確かだがもうかなりの腕前で、若さ故の成せる技と感心しながら、自分の技量では幾ら助手とは云え他人に教える資格があるのかと恥ずかしくなってしまった。そして青年から「先生は何歳ですか?」と突然の質問、一瞬戸惑ってしまったが正直に「精神年齢は万年30歳だけど、68歳になったばかり」と答えた。何故歳を聞いたのか聞き返しはしなかったが、よほど爺に見えてしまったのだろうか?

水羊羹

2008年07月19日 | 福島のうまいもの
コラッセふくしまの福島県物産館で東山温泉松本家の水羊羹が、本日限り30本限定販売と数日前の新聞に掲載されていたので買いに行って来た。10時開店で10分後だったが残りは3本で危ないところだった。松本家は創業が江戸時代の文政2年羊羹一筋の老舗とか、会津や通の間では隠れた名店と評価されている。
   
                    
水羊羹も今や眼にするのは缶詰やプラスチック容器入りがごく当り前になってしまったが、ここ松本家の水羊羹は昔ながらの本来の姿そのままを維持している。水分量がやや多めでみずみずしく、少量の粒のままの小豆が上層部にさり気なく浮び、観るからに涼を誘い、口に含むとヒヤッ!と冷たくて優しい小豆の香りが口いっぱいに広がり、軟らかく崩れて自然に喉の中へ落ちて行く。甘さもごく控えめでサッパリした上品な味は絶品としか・・・・表現に困ってしまう。そしてこの水羊羹を眼にする度に、わずか40歳を目前に単身赴任先で会議中に逝ってしまった同僚Y君の「ホレ!みやげ」とテレ笑いを抑えながら差し出す姿が何故か悲しく思い出される。彼は当時放送所の保守担当で東山温泉から背炙山放送所までケーブルカーを利用していたので、いわば一帯が彼の縄張り。辛党だった彼は何度も差し入れをしていたので、この水羊羹だけは別物に違えなかった。山男の彼はその後間もなく番組制作に担務変更して一緒に仕事を始めて、彼の提案で尾瀬ヶ原から史上初のTV生中継放送を成功させた逸材の人物でもあった。