ラジオ爺の道楽三昧

原発放射能汚染により素人百姓・孫専科を奪われ、病で蕎麦打ちも廃業。最後に残ったアマチュア無線と男の料理の細々生存証明。

青葉教室21回目

2009年12月12日 | 手打ち蕎麦打ち
学習期間や習熟度に応じて各自がそれぞれ異なったそばを打ち、このグループは初心者の“やぶそば二八”中級者の“石臼挽きそば二八”上級者の“更科”や“十割”まで、同じ石臼挽きでも産地の異なった4種類のそば粉の“水回し”開始直後の様子である。“更科”と“十割”の大部分は熱湯を加えてイッキに加水してしまうが、それ以外の物は水でそば粉の性質や気温湿度を充分考慮しながら作業を進める。この場は1回目のグループなので自分達講師も1対1でお世話出来るが、このグループが“延し”移行後は2対1ごく稀には3対1もあって、特に初心者多数の場合はチョッとした隙に加水過剰で失敗してしまう事がある。今日もそんな一人に「柔らかいので“延し”は力を抜いてやさしく」と助言したものの、生地に穴を空けてしまい「これも勉強のうち」と練り直しから再スタートした。“水回し”と“練り”までの主な担当だったが、この人には責任を取って“延し”までお世話した。
終了後の講師陣自主訓練に自分は先生支給の阿武隈山地の“飯館産”を打った。例年ここのそば粉は色が黒く田舎系なのだが、何故か打ち上がった麺も緑を帯びて従来のイメージにはほど遠い物だった。今年は全国的にかなりの不作だそうで、先日の大玉村や福井県の“早刈そば”を意識した訳でもないだろうが“未熟”で収穫しなければならなかったのだろうか?