日本裁判官ネットワークブログ
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 今週の月曜日の昼休みのこと。少し早めに昼食をすませ、いつもどおり、資料室に新聞でも読みにいこうと思っていた矢先、書記官から来客を告げられた。以前、模擬裁判等で知り合った「S」と名乗る人だという。とっさに誰だか、思い出せなかったが、断る理由はない。

 裁判官室の隣の和解室で、対面して、すぐに誰かと理解した。2001年(平成13年)9月、当時はまだなじみのない、模擬裁判員裁判に、われわれ日本裁判官ネットワークが初挑戦した。そのときに、裁判員をつとめてくれた、学生さんである。聞けば、私の勤務する裁判所に自分の裁判のためにやってきたという。

 S君は、当時、京都の大学で学んでいて、たしか、三鷹事件に興味を覚えて勉強しているという話をきいたことがある。三鷹事件といっても、今の人はおそらく知らないので、面白い学生という印象を持った。その後、1年ほどして、ある法学雑誌に、彼の文章が載っていた。その三鷹事件を例に出して、次のように述べている。ある確信を持って裁判をしたのに、上級審で覆ると、その裁判官は悩み苦しむだろう。市民でもそれは同じではないだろうか。「それは被告人も自分と同じ世界に住む人間であり、人が人を裁く重みである。それ故に、裁判員を終えた人に何らかの心のケアーのようなものが必要なのではないだろうか。それがなければ裁判員をつとめたその人の人生を狂わせかねないからである。」

 彼が自負しているように、裁判員の心のケアーの問題に言及した、日本で最初の文章ではないだろうか。少なくとも私が見聞きした範囲ではそうだ。それはともかくとして、私は、法学部2年生の学生の慧眼に兜を脱いだ。

彼は、その後、いろんな事情で法科大学院に進むことを断念し、別の分野で活躍すべく就職活動をしているという。法曹になる希望を完全には捨てきれない様子が窺えたが、私は何もいえなかった。
 その夜、彼から早速メールが来て、裁判は和解で終わったこと、会えてうれしかったこと、自分がデーターベース化した資料にすごいアクセスがあること、これから就職活動を頑張りたいとのこと、が述べられていた。

 S君の前途に幸多かれと、祈らずにはおられない。        (風船)

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