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 ブログに初登場した際、アナログ人間であることを標榜したが、そのひとつの証左として、いまだにケータイを持たずに生活している。もっとも,ケータイに触ったことがないわけではなく,役所の職務の必要上、ケータイの所持を義務づけられたことがある。その折りは、家を出る際、その都度、忘れてはいないかと、確認するのが苦痛であった。忘れることも何回かあり、そんなときに限り、緊急連絡があったようで、かえってトラブルが生じたりした。あとで、ケータイはもってこそ「携帯」なので、不携帯では困りますと注意を受けたこともある。本当に厄介なしろものである。

 どうも,「携帯」という形態がなじめず、肌に合わないのだ。街を歩いていて、いきなり「もしもし」と呼びかけられたと思ったらケータイの会話だったことが少なからずあり、そのたびに心の平穏を侵されたようで、腹がたつ。こちらの都合も考えずかかってくることから、電話が大嫌いだといったのは、たしかサマセット・モームだったと思うが、自宅でもそうなのに、外出した際にでも、いつ何時、かかってくるかもしれない、という恐怖を携帯するのは真っ平だという気持がどこかにある。

 最近では、電話よりも、むしろ「メール」が主役になっているようで、周囲に対する迷惑も「騒音被害」の面では解消されたことはそれなりに喜ばしい。しかし、電車を待つプラットホームでも、あるいは、進行中の車内でも、メール画面に食い入ったり、脇目もふらずに文字を打っている姿は、どうしても好きになれない。他人の姿はどうでもいいのだが、携帯を持ってしまうと、そのような姿を世間にさらしかねなくなるのがいやなのだ。

 そんなわけで、周囲がケータイだらけになっても,当分は持つまいと思っていた。ところが、先週の土曜日、亡父の法事を泉北の実家で執り行ったとき、ちょっとしたハプニングが起こった。母と、我々夫婦と、娘だけのこじんまりとした法事であったが、お坊さんのお経を聞いている間に、雪が降り出し、食事の会場に行こうとするころには5センチ近く積もって、タクシーを呼んでもきてくれないという事態に直面した。母も妻も足が悪くて、雪道を歩くのは大変なのだが、とにもかくにも、バス停まで歩いていった。折からバスがきたのだが,これからの道中,電車への乗換え等を考えると,そのままバスに乗っても前途が思いやられ、乗ろうか乗るまいか逡巡した。ちょうどそのとき、乗客を乗せたタクシーが目の前を通過したのを見た娘が、瞬時に携帯でタクシー会社に連絡をしたところ、たまたま付近で乗客を降ろしたばかりのタクシーがいて、運良く乗ることができた。タクシーに乗らなければ、おそらくずいぶん難渋したと思われるのに、携帯一本で助かったのである。

 偶然もあったが,携帯のおかけで、無事、時間どおり、目的の場所に到着することができた。そのとき、携帯も悪くないな、と正直思った。そして、いま、携帯を持とうかな、という気持になりかかっている。                                              (風船)

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