日本裁判官ネットワークブログ
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先週の土曜日、高校の同窓会があったので、出席した。

 1年に1度開催されており、これまで時々参加しているので、一別以来初めてという人はそれほど多くないが、なかに、40数年ぶりに会う友がいた。40年というと,まさに相当な年数だが,それでも当時の面影が残っていて,名前を確認すると,確かに「友達」だった。そして,一堂に会すると、やはり、話は当時のころにもどっていく。受験戦争といわれた時代ではあったが、勉強したことよりも、柔らかいボールで野球(三角ベース)をしたり、柄にもなく入った柔道部で、毎日投げられてばかりしていたことを、なつかしく思い出す。

 不思議なのは,少し不良ぽかった者が教師になったり、教育委員会に勤めたり,とぼけた感じの学生が精神科医になったりしていることだ。それぞれがどのように人生を歩んできたか、想像するだけでも楽しい。私自身も、そのころから駄洒落をいっては人を笑わすことを生き甲斐にしていたので、自分が「裁判官」になっていることが信じられない。同窓生にそれとうち明けても、最初はなかなか信じてもらえず,一般の人が裁判官に対して抱いているイメージが固定化しているのがよくわかった。裁判官であることがわかってしまうと,今度は,医者や,原発会社の管理職等になった人から,裁判所は医療や原発のことをわかっていないのではないか,と厳しい攻撃をしばしば受ける。批判が正当かどうかは別として,こうして異業種の人と話をするのも,楽しい。

 楽しいといえば,青春時代をともに学び,遊んだ女性と,何十年ぶりに会えるのがなんといっても楽しい。同窓会に参加する最大の理由だろう。ほのかな,あこがれの気持ちをずうっーと持ち続けていたものの,手紙ひとつだせないまま,消息不明となっている彼女が現れたら,どんなにか素敵なことだろうと思うのだが,現実にはそのようなことは起こらない。いや,実は10年ほど前にそういうことが起こったのだが,残念なことに,彼女の参加はその年だけで,次の年からはぷっつりこなくなってしまった。世の中は,そんなにはドラマは起こらない。

 普通の友達であった女性の何人かは,毎回出席だ。かわいかった女子高生も,今は,お孫さんのことを楽しそうに話する。そして,きまって,我々男性を○○君と呼びかける。そう,女性から「君呼び」されるのは,おそらく,同窓会だけであろう。普段は聞けない言葉の響きが,私をあの時代に連れて行く。しばし,その心地よさにひたる。映画「母べえ」のなかで,かっての恩師である「父べえ」から「杉本君」とよばれた取調べ検事が,「おれを侮辱するのか」とどなる場面がある。おなじ「君よび」のなんという格差。

 最後にある元教師が発言した。「教師を定年退職したあとは,中国の辺鄙な田舎に行って子供を教えるのが夢であった。それが腎臓を悪くし,週3回透析する身体となって,いけなくなってしまった。今日は,来ようか来まいか迷ったが,皆さんに会えるのを楽しみにきた。来年参加できるかどうか,わからないけれど,きょうは来て本当によかった。」と。友よ、来年もきっと会おう。  (風船)

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