日本裁判官ネットワークブログ

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気が置けない友

2008年02月12日 | 蕪勢
 「気が置けない」とは,面白い表現だ。「気詰まりでない,気づかいしなくてよい」という意味である。「気が置けない友」というとき,「親友」とも少し違うように感じる。親友は,しゃれた上品な言葉であるだけに,なお幾分か気をつかう面が残る。「親しき仲に礼儀あり」とも言うではないか。
 私にも,気が置けない友がいる。小学校時代からの同級生である。やんちゃで結構悪ガキだった彼とは何回か喧嘩をしたこともあったが,中学,高校と進むにつれて,一層親しくなり,遊び友だちとして最高の男であった。今は,中小企業の親父として,何人もの従業員の生活が双肩にかかる身だ。面倒見のいい人柄は,昔のままで全く変わっていない。
 10年以上も前,私が刑事裁判を担当していたときのこと,甘い刑を言い渡したとして,新聞で皮肉っぽく叩かれたことがあった。気持ちが落ち込んでいるとき,たまたま,彼から電話があり,「落語の会のチケットがあるんだけど,行かないか」と誘ってくれた。喜んで一緒に行き,会場で多いに笑って,帰りに軽く飲みながら,いつものように,他愛のない話をして別れた。彼は,新聞のことなど一言も触れない。鈍感な私は,後になってようやく気がついた。「あれはオレへの励ましだったのだ!」
 子どものころから,互いの性格,行状を知り尽くしている二人に,構えるところは何もない。たまに,同級生達の噂話などを肴にして一杯飲む程度であるが,友だち思いの彼の話には,いつも心が温められる。彼との付き合いが,私の人生にとって,どれだけ励みと潤いを与えてくれたことか。
 彼から,「4月になったら,同級生を何人か誘って,琵琶湖に桜を見に行こう」と誘いがあった。うれしい話だ。
 老ジャッジにも春が待ち遠しい。(蕪勢)

募集しました。

2008年02月11日 | 
裁判員広報俳句または川柳の募集結果

間近に迫った裁判員制度の実施に向けて,いろいろ逆風もある中でさらなる広報活動について家庭裁判所としても協力したいと考え,当地の家庭裁判所職員に子規にあやかって俳句・川柳の募集をしました。
 支部を含め56句が集まりました。これらをさらに全職員の人気投票(もちろん作者名を伏せて)にかけて優秀10句を選抜し,その中から男女職員4人で構成された選考委員会が次の3句を金賞,銀賞,銅賞に選びました。
 参考までに10句を一挙掲載しますので,皆さんも独自の選考もしてみて下さい。
 3句の作者には所長表彰があり,さらに金賞作は,家裁建物5階からの大きな垂れ幕に書き込んで道行く人に見てもらう計画です。
 また全作品を4月19日(土)開催予定の市民が自由に入れ,模擬少年審判などをする家裁の日に掲示予定です。ちなみに金賞,銀賞いずれも女性書記官の作品でした。
「花」

法廷に新たな風をあなたからー金賞
  さばく場に身近な視線広げたいー銀賞
裁判員一期一会の出会いかなー銅賞

くじ引きが司法参加に橋渡し
生かせますあなたの感覚この裁判  
裁判員市民が参加の新常識
やってみようなって分かるよ裁判員
まず参加そこから始める裁判員
選ばれて身近に感じる法と人
普段着の心で裁く裁判員

「怨念」の解消

2008年02月10日 | あすなろ
  
 日本に輸入された中国製ギョウザから、高濃度の有機リン酸系殺虫剤「メタミドホス」や「ジクロルボス」が検出された。 
 
 購入者の被害の甚大さはもとより、国内のギョウザの製造、販売業者やその周辺産業に関わっている人たちまで甚大な被害を受けている。
 食の安全システムの不整備、日本の食糧自給率の低さの問題が改めて問われている。
  
日本では殆ど使われていない「メタミドホス」という薬物名が、わたし達になじみのある言葉になってしまった。
 メタミドホスやジクロルボス(中国では「敵敵畏」と呼ばれている。)は、中国において、報復などの動機で犯罪の凶器として使用されることが多発しているものであるという。
 
 真相解明のための調査が日中双方で進められているが、難渋しているようだ。中国側では、何者かが故意に殺虫剤を混入した疑いが濃いと分析している。今後の真相究明が待たれるが、仮に中国側の分析のように故意犯によるものであるとすれば、愉快犯等の異常犯罪や政治的動機、商売上の動機にからんだ犯行か、あるいは不満や「怨念」等によることが想定される。
 
 この「怨念」というものは曲者である。
 中近東のある国で起こった殺人事件が2代か3代前に起こった私的紛争の報復を動機とするものであったことを聞いたことがある。
 
 紛争に至るには種々の原因があるが、お互いの無理解や誤解が導因になっていることが多い。情報が自由に交換され、相互理解が深まっているところでは、紛争は起こりにくい。 しかし、不幸にして紛争が生じ、これを当事者間で自主的に解決できない以上は、第三者が間に入って公正な手続きによる公平な解決を図る途をとらなければ、裸のままに怨念が発現する結果となりがちで、暴力的な形となって殺人にまで至るような悲劇をも生みかねない。
 訴訟手続は、紛争当事者の怨念をチャネル化し、正当なルールの下で理性的に争わせる役割を果たす。しかし、勝つか負けるかという決着では、かえって怨念を募らせる結果になってしまう場合が少なくない。
 紛争の大部分は和解による解決が望ましいように思える。
 紛争の根幹を把握し、双方が求めるものを相互に得ることができるよう知恵を絞って調整し、後顧の憂いのないような納得のいく紛争解決を図って、怨念の根を断つ途を追求することが法律家の役割であることを痛感している。
(あすなろ)

今週は日弁連会長選挙

2008年02月10日 | 瑞祥
 今週のニュースの第一は、なんといっても日弁連会長選挙でしょう。「日弁連:新会長に宮崎誠氏内定 選挙で高山俊吉氏破る」(毎日)などの記事が多くみられました。
 私たちは、裁判官ですから、日弁連会長選挙というと、口を出すべき立場ではないかもしれないのですが、今回の選挙報道には本当に驚きました。朝起きて、新聞を眺めると、一面に選挙結果のことがでているではありませんか。過去はこのようなことはなかったのではないかと記憶しています。それだけに、注目を集めたのでしょうね。選挙では、従来の路線を継承するか否かが問われたようですが、特に、当ブログでも何度も話題にしている法曹人口の問題が焦点だったようです。そのため、「年3000人撤回や裁判員制度反対を掲げた高山氏の得票率は4割を超えた。一部の弁護士会が就職難などから「3000人見直し」を決議するなど、政府方針への反発の高まりを背景に、執行部批判票を集めたとみられる。」(毎日)との見方が正鵠を得ているのではないでしょうか。東京、大阪の大都市部と地方の間でも、票の傾向が異なったようです。今後の日弁連の舵取りが注目されます。 
 その他のニュースでは、薬害肝炎訴訟で和解が大阪高裁と福岡高裁で成立したことが目を引きました。(瑞祥)


散歩考(2)

2008年02月08日 | ムサシ
入場無料の65歳になってから岡山後楽園に3回入園した。気分はとてもよい。後楽園の中を散歩するのは甚だ快適であるが,実はその周辺の散歩もなかなか魅力的なのである。後楽園の正門近くに自転車を駐めて,外側を歩いて一周するのもまた快い。旭川沿いに細い散歩道があり,恋人達の散歩道(ラバーズレーン)となっている。そしてその対岸に岡山城が聳えている。元は国宝だったそうであるが,昭和20年6月の岡山空襲の際に焼失し,昭和40年代に鉄筋コンクリートで再建されたものである。岡山城は烏城(うじょう)と呼ばれている。これは姫路城が白鷺城と呼ばれているのと対比され,壁面が黒色に塗られている。これにも理由があるのだろうが,今は私の調査が未了である。
 後楽園側の烏城の対岸の位置に,昭和天皇の「きしちかく 烏城そびえて 旭川 ながれはるかに 春たけむとす」という歌碑があり,その歌碑の場所から烏城を眺めると,まさしくこの歌のとおりで,旭川が遙かに蛇行する春深き情感を見事に詠まれており,感心してしまう。
 その近くに月見橋という橋があり,それを渡ると烏城の石垣の近くに出る。江戸時代には橋はなく殿様は船で旭川を渡っていたそうで,船着場の跡地もあるようなので,近く探索してみようと思う。
 月見橋を渡るコースを選択する場合には,距離も長くなるので,徒歩でなく自転車の方がよい。
 烏城に入らず烏城の門を通過して,石垣と川の間の細い道を500メートルほど進むと大通りに出るが,大通りを越えると更に川岸に散歩道が続いている。その右側の一角は県庁となっている。さらに500メートル川岸を進むと,夏目漱石の「生きて仰ぐ 空の高さよ 赤蜻蛉(あかとんぼ)」の句碑があり,その上に小さな猫の銅像が置かれている。私はこのコースのサイクリングでこの俳句を知ったのであり,そのときは感動し宝物を発見した気分で,早速メモしたものである。この句は明治43年に,胃潰瘍による「修善寺の大患」を経て,その療養中に生きていることの感慨を詠んだとされており,漱石の代表的な句の一つであるとされている。その句碑の側に小さな立て札があって,漱石と岡山との関わりが書かれている。漱石の兄嫁が岡山出の人で,明治25年に兄の死後漱石が兄嫁の実家に暫く逗留したとあるが,そのとき岡山市に大洪水が発生したということが書かれている。
 その近くの細い橋を渡り,旭川を逆方向に戻ると,道路の川側の斜面に樹齢約60年の桜並木が約1キロ続いており,桜の名所となっている。その並木の下側には細い舗装道路がある。後楽園を左手に眺めながら,この桜並木の下の小径を自転車で疾走するのも甚だ快適である。花見の頃はその小径の一段下の川原が花見客で大混雑する。
 私もこのコースのサイクリングが気に入っていて,以前はトレーニングコースとして毎日のように自転車に乗っていたこともあったが,時間と気持ちに余裕がなくなって,いつの間にかサイクリングをしなくなっていた。今は散歩など生活の工夫としてサイクリングを再開したいと思うようになっている。
 その気になって探すと,誰でも自宅の近くに案外快適な散歩道を見つけることができると思う。そして散歩を毎日の生活の中に組み込み,散歩が楽しみになることは健康の秘訣になるし,毎日1時間の散歩を続けることで10キロ痩せたという話はよく聞くところである。無理しても続かないから,無理のない範囲で,しかし継続するという一点に絞って散歩を頑張るというのも,人生の工夫となるような気がする。散歩を頑張る気になっている時は,案外気力が充実している時でもあるように感じる。(ムサシ)

 

裁判官のブログ本は成立するか?

2008年02月07日 | チェックメイト
日本裁判官ネットワークのブログは、昨年12月初めの総会で曜日ごとに投稿の当番を決めて以来、とても活性化した。
メンバーの私が読んでも、「いい話」が多いと思う。読んで裁判官のファンが増えたり、志望が増えたりすればサイコーなのだが。

私はこの間、毎週木曜日の当番として、専ら長嶺超輝さんの新刊「サイコーですか?最高裁!」の書評を続けてきた。
実は当ネットワークの長年の懸案の一つも出版である。
設立した1999年の「裁判官は訴える!」(講談社)
2周年の2001年の「裁判官だって、しゃべりたい!」(日本評論社)
に続く出版が、未だ果たせていないのである。

最近の新書ブームや、裁判傍聴関連本の隆盛などを見るにつけ、こういったブログの内容を充実させて、厳選したものを一冊の本にできないものかと思うようになった。
世にブログ本は数々あれど、裁判官のブログをまとめた本は前例がないように思う。

市民の皆さん、出版界の方々、いかがでしょうか?
(チェックメイト)

S君のこと

2008年02月06日 | 風船
 今週の月曜日の昼休みのこと。少し早めに昼食をすませ、いつもどおり、資料室に新聞でも読みにいこうと思っていた矢先、書記官から来客を告げられた。以前、模擬裁判等で知り合った「S」と名乗る人だという。とっさに誰だか、思い出せなかったが、断る理由はない。

 裁判官室の隣の和解室で、対面して、すぐに誰かと理解した。2001年(平成13年)9月、当時はまだなじみのない、模擬裁判員裁判に、われわれ日本裁判官ネットワークが初挑戦した。そのときに、裁判員をつとめてくれた、学生さんである。聞けば、私の勤務する裁判所に自分の裁判のためにやってきたという。

 S君は、当時、京都の大学で学んでいて、たしか、三鷹事件に興味を覚えて勉強しているという話をきいたことがある。三鷹事件といっても、今の人はおそらく知らないので、面白い学生という印象を持った。その後、1年ほどして、ある法学雑誌に、彼の文章が載っていた。その三鷹事件を例に出して、次のように述べている。ある確信を持って裁判をしたのに、上級審で覆ると、その裁判官は悩み苦しむだろう。市民でもそれは同じではないだろうか。「それは被告人も自分と同じ世界に住む人間であり、人が人を裁く重みである。それ故に、裁判員を終えた人に何らかの心のケアーのようなものが必要なのではないだろうか。それがなければ裁判員をつとめたその人の人生を狂わせかねないからである。」

 彼が自負しているように、裁判員の心のケアーの問題に言及した、日本で最初の文章ではないだろうか。少なくとも私が見聞きした範囲ではそうだ。それはともかくとして、私は、法学部2年生の学生の慧眼に兜を脱いだ。

彼は、その後、いろんな事情で法科大学院に進むことを断念し、別の分野で活躍すべく就職活動をしているという。法曹になる希望を完全には捨てきれない様子が窺えたが、私は何もいえなかった。
 その夜、彼から早速メールが来て、裁判は和解で終わったこと、会えてうれしかったこと、自分がデーターベース化した資料にすごいアクセスがあること、これから就職活動を頑張りたいとのこと、が述べられていた。

 S君の前途に幸多かれと、祈らずにはおられない。        (風船)

ある少年事件から

2008年02月05日 | 
       
 最近担当したある少年事件で感心したことがあります。少年は18歳で,つきあっている彼女から元カレがつきまとって困るとの相談を受け,その元カレを呼びだして注意したが,返事がはっきりしないことに激怒し,殴る蹴るの暴行を加え,約20日間の治療を要する打撲傷を負わせた,ということで家裁に来ました。これまでにも窃盗や恐喝で審判不開始となった非行歴があり,粗暴傾向が続いているので審判を開始して短期保護観察処分にする予定でした。
 審判の日に少年に聞きますと,現在は彼女と同棲し,タイル工として真面目に働いている様子でした。言葉使いも非常に落ち着いていて,これからは暴力は控えますと言います。なぜそんなことがはっきり言えるのか聞きますと,おもしろい説明をしました。
 被害者には腹が立っていたので,被害弁償を一切しなかったところ,約350万円を請求する民事裁判を起こされ。親に相談したところ自分のやったことは自分で責任を取れと見放されので,仕方なく1人で民事の法廷に出頭し,どうやってその額を払おうかと考えていたところ,裁判官から治療費を含め70万円で和解しなさいとの勧告があった。それなら分割で払えるし,相手に怪我をさせたことは悪かったと思っていたので納得した。今まで警察などの公的続きは一切信用していなかったが,きちんと手続をとればそれなりの対応があると思えるようになり,これからまたつきまとい行為のようなことがあれば警察から教えてもらったDV法の手続をとりたい,と言うのです。
 私は,民事の裁判手続きによって彼がすっかり一人前の社会人として成長したことに驚き,またその言い分に頷いて不処分としました。
私はこれまで民事裁判と刑事裁判の本質的共通性を強調してきました。それは,裁判の機能が当事者と社会の納得を目指すところにあり,その点では民刑に差がない点というものです。英米法では常識的な考え方ですが,旧ドイツ法の影響の強い日本では,刑事は公法の分野で,検察官は公益の代表者で,事実認定は民事より厳密で,和解など当事者の処分権はなく,人権の擁護とともに秩序維持に貢献する,民事は所詮私人間の財産的争いに過ぎない,という考え方が圧倒的です。
そのため,被害者の参加とか,当事者主義を強調した公判前整理手続きを経て争点に絞った集中証拠調べをする,といった民事的運用の導入には学会を中心に強いアレルギーがあるのが現状です。
でも,裁判を受ける国民はそのように峻別して考えているのでしょうか。私は連動して考えている側面が強いと思います。刑事和解という言葉があります。例えば,重罪ではない場合は,誠意ある謝罪や被害弁償があれば,被害者ももう刑事処分は必要ないと考えることもあるでしょう。峻別論だったドイツではこのような場合,刑事公判手続きをうち切る制度があるようです。日本でもこのような場合,起訴猶予となっていることが多いという意味では,すでに実務の一部に取り入れられているのです。
私は,この少年は少年審判手続ではなく民事裁判で更生した,その結果社会の一粒の非行要因が減り,社会の秩序維持に民事手続が貢献したと考えるのですが,いかがでしょうか。「花」

失敗を重ねること

2008年02月04日 | 蕪勢
 寅さん映画の中では,第5作目の「望郷編」が一番好きだ。その幕切れのシーンが印象深い。思うところがあって,「額に汗して地道に暮らさなきゃ」と固く決意した寅さん,浦安の豆腐屋で地味なかたぎの生活を始める。だが,そこの娘(長山藍子)に振られて,これも長続きせず,また元のヤクザ稼業に戻ってしまう。その旅先で,一旦杯を返してかたぎにさせた舎弟ののぼると再会する。喜びあった二人がはしゃぎながら,言葉を交わす。
「兄貴! かたぎになったんじゃねえのかよ。ちっとも変わってねえよ!」
「バカヤロウ! 徐々に変わるんだよ。一遍に変わると身体に悪いじゃないかよ!」

 少年事件を担当していると,更生しようと決意を固めて少年院を退院した少年が,最初は,張り切ってウソのように生真面目に仕事を始め,周りをすっかり喜ばせていたが,しばらくするうち,何かが原因で,夜遊びが再開し,生活を乱して,ついにまた,小さな非行を起こす,ということがある。そんな少年に出会うと,私は,いつもこの映画のシーンを思い出すのである。 

 またまた村上春樹で申し訳ないが,好きな小説「ダンス・ダンス・ダンス」の中にも,主人公の次のようなセリフがある。
「僕はとても不完全な人間なんだ。不完全だし,しょっちゅう失敗する。でも学ぶ。二度と同じ間違いはしないように決心する。それでも二度同じ間違いをすることはすくなからずある。どうしてだろう? 簡単だ。何故なら,僕が馬鹿で不完全だからだ。そういう時にはやはり少し自己嫌悪になる。そして三度は同じ間違いを犯すまいと決心する。少しずつ向上する。少しづつだけれど,それでも向上は向上だ」(講談社文庫「下」117頁118頁)
(蕪勢)

生命科学の進歩と私たち

2008年02月03日 | あすなろ
      
  私たち人間の体や生命に関する科学の進歩が加速化している。
山中伸弥京大教授が、皮膚細胞からiPS細胞を初期化することに成功した。
これから生命として生長しうる他体の受精卵からES細胞を作出するのとは異なり、人倫上の問題がクリアできるし、拒絶反応を生じないし、増殖力も高く、万能細胞としての実用化が期待できるという。
画期的な研究成果であるが、この成果の実用化に向けて各国の研究プロジェクトが熾烈な競争状態に入っているらしい。
万能細胞実用化に係る知的財産権としてどこかが確保してしまうと、コンピューターシステムにおいてせっかく日本で開発されたトロンがその価値を十分に開花できなかった二の前を踏むことになりかねない。
京大を中心にiPS細胞の研究開発が組織化され、国も支援するようであるが、是非ともがんばっていただきたいと思う。
もし万能細胞が実用化すると、多くの医学的な問題が解決すると期待されるが、脳だけは、取り替えてしまうと自己同一性がなくなってしまうから、生まれてから死ぬまで替えることはできないことになるのだろうか。

その脳についても、脳科学の発達がめざましく、これまでわからなかった多くのことが解明されているようだ。
証言や供述の信憑性についても、脳画像で見定めることができるようになってくるのだろうか。

また、ベンダー博士の研究所がマイコプラズマ・ゲニタリウムという細菌のゲノムの完全合成に成功した。
微生物の設計図を人為的に描いて人工生命作りをすることができる道が開かれたことになる。
これは利用価値は大きいが、悪用されると大変なことになる。
科学の進歩をはかる環境を整える一方で、その実用化の方法について真摯に考える機関を立ち上げその機能を充実させて行くことが求められていると思う。
(あすなろ)

今週は具体的事件の判決でしょう。

2008年02月02日 | 瑞祥
 今週は,司法改革関係の動きやその報道は少なく,具体的な事件の報道が目につきました。その中でも,特に注目されたのが,日本マクドナルドの直営店店長が、「管理職に当たらず=権限店内のみ残業代命じる-東京地裁」(時事通信)とのニュースです。関係した企業が大きく,直営店店長が1700人もおられるようで,同種の経営形態を採用している企業も多いと思われるだけに,今後が注目されます。控訴審でも争われるでしょうか。
 民事裁判の現場にいますと,同様の紛争はそれなりに経験します。労働基準法では,労働者の法定労働時間の基本が,1日8時間,1週間で40時間であり,同法には,他に労働時間の規制として,休憩時間の原則,週休制の原則もありますので,法定労働時間を超えて労働したり,休日に労働したりすると,時間外・休日労働となり,割増賃金の支払などの法規制があるのです。しかしながら,「監督若しくは管理の地位にある者」については,労働時間や週休制の原則の適用がないため,いわゆる残業をしても,残業代が支払われないことになっています。そのため,「監督若しくは管理の地位にある者」に該当するか否かが争われることがとても多く,過去にも,通常の就業時間に拘束されて出退勤の自由がなく,また部下の人事や考課に関与したり銀行の機密事項に関与したりすることのない銀行の支店長代理や,出退勤時間を管理されているファミリー・レストラン店長について,管理監督者に当たらないという裁判例がありました(以上,菅野和夫「労働法」弘文堂刊参照)。
 その他のニュースでは,「26年前の殺人「時効」認めない! 教師殺害事件で賠償命令 」(産経)(殺害行為の被害者の遺族が,殺害行為者に損害賠償を求めた訴訟で,東京高裁が除斥期間の適用を認めなかった事例),「税法の遡及適用は違憲、福岡地裁が住宅売却損の控除認める」(読売),「 <ヤミ金業者>破産手続き初決定…被害回復に注目 京都地裁」(毎日),「<旧拓銀訴訟>最高裁「旧経営陣に責任 賠償額101億円」(毎日)が目立ちました。
 なお,先週の1月26日欄に,警察庁が,富山の誤認逮捕問題や被告12全員が無罪となった鹿児島県の選挙違反事件を受けて,「取調適正化指針」を出したと書き込みましたが,今週は,「<富山冤罪事件>日弁連が調査報告書 当時の弁護人を批判」(毎日)とのニュースが報道されています。報告書は,「国選弁護人だった男性弁護士について「柳原さんが(当初の否認から)自白へ転じた理由を確認もせず、意思疎通が不十分なまま有罪を前提に弁護活動した」と批判している。」(毎日)とのことです。法律関係者が適正な法の執行のために,過去の失敗例に真摯に取り組むのは,どの立場であっても大切なことであり,歓迎すべき動きのように思えます。

水仙のこと

2008年02月01日 | ムサシ
  私(元ネット所属裁判官)の弁護士事務所には,今日も水仙の大きな写真が飾られている。私は水仙が好きである。中でも日本水仙が好きで,我が家の庭をこの水仙だらけにしたいという衝動があるくらいである。水仙はその姿が清楚で美しく香りもよい。

 ギリシャ神話では,ナルシスという美少年が泉に映った自分の姿に見とれて転落して水死し,水仙の花になったとされており,ナルシストの語源になっているということである。

 あれは今から10数年前のことである。妻が勤務していた裁判所の所長が転勤されることになった。夫婦で親しくしていただいていたので,そのお礼の意味もあって,夫婦で所長の宿舎にご挨拶に伺うことになった。そこでとてもおいしい地元の生の日本ソバを差し入れとして持参した。そのソバはもっぱら関西方面に出荷されており,地元の店頭では販売されておらず,製造元へ直接買いに行く必要があった。我が家では地元の職員から得た情報で,そのソバをよく食べていたが,所長はおそらくお食べになったことはないだろうと思われた。所長は単身赴任をされていた。

 丁度転勤の荷物の片づけに奥さんもお出でになっており,ソバのことも含めてとても喜んで下さった。おいしい地元のお菓子をご馳走になりながら,しばしの楽しい歓談の後,おいとますることになったとき,奥さんが,「水仙が沢山咲いているので差し上げましょう。」とおっしゃった。所長宿舎は元々藩の家老の屋敷跡でとても庭が広い。奥さんは見事な日本水仙を一抱えも切って下さって,辺り一面に水仙の甘い香りが漂った。
 
 私はふと思いついて,「こんな俳句をご存知ですか。」と言って,「水仙の 香(か)に君がいる 暖かさ」という句を口にした。奥さんは,「まあ!」と言われて嬉しそうにニコニコされた。所長も笑いながら,しかし多少あわて気味に,「君い,もうそれはどこかで使ってきたんじゃあないのかね。」とおっしゃった。妻も側で笑っていた。ただそれだけの他愛ない話である。

 この句は,裁判官を主人公とする漫画「家栽の人」がテレビ化されて,片岡鶴太郎が主演したドラマの「水仙」というテーマのときに放映された俳句である。確か原作の漫画には載っていなかったから,ドラマの製作過程で取り入れられたものであろうが,作者は不詳である。それを私が書き留めていたものである。(ムサシ)